消えた夏休みの友 |
|
2006/08/24(Thu)
|
息子の夏休みの宿題は、算数のドリル36枚、後は自由研究・工作・感想文のうちどれか一つをこなせば良いというもので、私の頃の夏休みと比べると 「無いも同然」という量です。
ドリルというのは、細長い形で、足し算や引き算、掛け算、割り算などが載っていて、あっという間にできるであろうというような量なのですが。。。。。悲しくなるほど時間をかけてやっています。公文に行かせておけばよかったと後悔しています。(100マス計算で鍛えられるから、計算だけは速くなるらしい) 私が子どもの頃を思い出すと、夏休みの友・日記・絵・自由研究・工作・感想文 とこのくらいはあったように思うのだけれど。 学校のほかのお母さん方と話をしたときにも、「どうして夏休みの友がないのかしらね」という話になりました。夏休みの友の内容がよかったとは思わないけれど、1日1枚ずつやっていくと、夏休みの終わりには宿題が終わるという形は小さい子にも理解しやすいし、1日やるのをサボるとその分ほかの日にやらなければいけないというのも理解しやすかったように思います。「市販のドリルがあるから、それをやらせればいいじゃない」とおっしゃる方もあるかもしれません。そうではなくて、学校の宿題として出るから、全ての子どもに平等に出るから意味があったのだと今思います。 話を聞くと、わりと幅広い年代に「夏休みの友」があったような感じがしたので、「いつからなくなったのだろう。」と気になって検索してみました。 yomiuri online 「学力」に押される「体験」(2005年8月2日)に、夏休みの友について
とありました。 なんと明治時代からあったとは知りませんでした。その後、戦争による紙不足で、1944年に発行中止になり、49年によみがえったのだそうです。 その夏休みの友がなぜ今ないのか?
とのこと、これによると、いまでも「夏休みの友」がある学校もあるのかもしれないけれど、 ちびまるこちゃんのふるさと静岡県のデータでは
とあるから、他県も同じような状況ではないかと思ったりします。実際、私の知り合いで子どもさんの宿題に「夏休みの友」があるという方はいまのところいらっしゃらないのです。 ゆとり教育を少し見直そうという状況にさしかかったところで小学生をやっている息子ですが、このゆとり教育、息子にとってどういうメリットがあるのだろう?と不思議に思います。 昔に比べて、彼らにはものすごく時間がないように感じます。それは、私が大人になったから時間の感覚が違うのかもしれませんが、学校で授業を見ても「活気のある授業」「子どもたちがわかる授業」という実感もないし、かといって ゆとりがあるか?というと まったくゆとりがない。身の回りの自然に目をむけ、本を読みという時間もほとんど取れないのはどうしてだろう?と不思議に思います。 学校での授業、息子の担任の先生に問題があるのだったら話は楽なのですが、私から見ると、息子の学校でも指折りの「良い先生」「やる気のある先生」「実力のある先生」なのです。 実際授業時間・指導内容については
ということなのです。たしかに授業時間が減るということだけが学力低下に結びつくと短絡的な考えはしてはならないと思います。しかし、データを見て議論だけを戦わせることはいくらでもできるでしょうが、実際に学校を外側と内側両方からじっくりと見てみると、「ゆとり教育」の名のもとに、教育という面では「ゆとりをもって教えることに使える時間」が削減されてしまっているのではないか?と思えることも多々あります。 ゆとり教育を推進した人たちからは「ゆとり教育は間違っていた」という言葉は絶対に出て来るわけはありませんが、いくら素晴らしい理論でも、現実にそれを実証するだけのデータが出なければ、その理論が正しいという裏づけはないということではないでしょうかねー。 実際、「理念はまちがってなかった」なんていう言葉は意味ないです。 2003年の記事ですが、 「ゆとり教育」の”戦犯”(Web現代) に
まさに、これと同じようなことを私は先生方から聞くことが多いです。まさにこれが実際のところなのではないでしょうか。 推進の要となった有馬氏は(実際、私が話しをした現場に携わっていらした方からは、冗談半分ではあるにせよ この人が諸悪の根源だと言い切られて、そこまでの苦しみが現場にはあるということをこの人はわかってないんだろうなと思いました。)その有馬氏は
すでに教育を受けるトシはとうの昔に過ぎ去り、ご自分のご子息も教育をうけるわけでもない年のこの方には、日本の子どもたちがどうなろうと知ったことではないわけで、後悔がないとすっぱりと言い切れるらしいのです。 おまけに、自分には責任が無い。私は皆の要望通りにやっただけだ。それがうまくいかないのは学校が悪い。教師が悪い。親が悪い。と責任転嫁。 自分には直接関係ないので、ドコ吹く風という感じにとれませんか? データが多少古いので、最近お話をお聞きすれば少しは違うのかもしれませんが。 まさに今教育をうけて、これから先の世の中をしょってたっていくための基礎を固めていくはずの息子。親としては本当にこれでいいのか?と、先行きがまったく見えない状態です。 「それは アンタの息子のデキが悪いんだ」と言い捨てられそうですが、本当にそうなのかな? そうして、有馬氏のゆとり教育は「おちこぼれをなくす」というのが一番の目的だったということですが、10000歩ゆずってうちの息子のデキが非常に悪かったとして、そういう子がいなくなりますよというのが ゆとり教育だったんじゃないんですかねえ。 どうなる学校教育!? はたぶんゆとり教育が始まった頃に書かれた文だと思います。 この懸念が実体化していることをまさに実感している今、2006年ですが、この文が書かれたときには予測できていなかったであろうことが一つあります。
2006年の今、ゆとり教育が浸透しても、校内暴力、いじめ、不登校、落ちこぼれは 私たち大人が子どもだった頃よりも明らかに増えています。 ニュースにならないのは、それらが 「普通」になってしまったからなのです。 読み直し、後やります。敬体と常態が混じってヘンテコ(いつもといえばいつも)ですが。お許しを。 |
コメントの投稿 |
|
|
|
|
トラックバック |
|
トラックバックURL
→http://ponpokona.blog40.fc2.com/tb.php/768-ac38ea2e |

