落ち着かない原因のもうひとつは、ベランダのことだったのです。こちらも決着がついてほっとしているところ。
先日小冊子の編集をしていらっしゃる方から連絡を頂いたのです。私のページをご覧になって取材ができないかとのこと。
お花のデータはまだ、ベランダが荒れ果てる前に残したものも多く、現在はとても冊子に載せられるような状態ではないことをお話ししました。その際に、ふと「うちは、たとえベランダのコンディションが最高のときでも、ガーデニング雑誌にのっているようには、ならないなあ」と気付き「我が家のベランダはまさに狭いところに沢山の種類の花を詰め込んでいます。全体をみると うっそうとしているという雰囲気なのでガーデニングのお写真には向かないかと思います。」 「以前は外から見ていただいて綺麗なベランダを目指していたのですが、今は自分が楽しむために植物をそろえていて数もあるので、まとまって花が咲かないし、地味なものも多い」と。
すると先方は
「そういう情報がほしいんですよ。コンクリート壁のベランダは最近多いし、皆狭くてシェードガーデンですし」というようなことをおっしゃってくださったので、 「綺麗に飾るベランダという視点ではなくもっと自分で楽しむという視点でのベランダで良いのかしら?」と なんとなく自分の価値感をわかってもらえたかのようなうれしい気持ちになったのでした。
「片付いてなくて荒れているので写真にもならない」と書いた返事に「今のままで良いので写真を送ってみてほしい」とおっしゃる先方。
「ベランダの広さや様子をご覧になりたいのか」と思い写真をお送りしたところ「やっぱり冊子となると色が欲しいのでお花が少ないですね」というお返事をいただきました。
私としては、「だから、荒れてるって言ったのに。花が少ないから写真に向かないって言ったのに」と やっぱり、「花だらけの庭」をもとめていらしたのかと一度わかってもらえていると思っただけに落差でガックリ。
■pon1は
pon1に少しそのように話すと、謙遜して庭が散らかっているとか花が少ないという人は多いので、うちが本当にそういう状態だとおもわず、謙遜だとおもっていたんじゃない?と。
そうかもしれない。ありえます。 ま、そのまま散らかって花のない写真を臆面もなく送ってしまう私も私だけどー。
もうひとつは、ウエブ上に載せた花の写真は紛れもなく我が家のものではあるのだけれど、それから想像できるようなベランダではないのです。つまりpon1でさえ我が家のベランダの花の写真をみて「今、この花どこにさいているの?」という状態。 つまり、皆1本ずつしかないから。(^^) 一本ずつ100種類の花としても実際は100分の1のわけです。私は写真をとった本人ですから 庭の現実と写真の関係を一番把握しているわけですが、庭の花の写真だけを集めている自分のページをみると 「意外にさいているもんだなあ」なんて思ってしまうわけですし。
■園芸について
やはり自分が良いと思ったものは人に見てもらいたい。ほめてもらいたいというのは人の本能で、それは普通のことだとはおもうけれど、派手に咲くお花をあつめて綺麗にレイアウトして、万人にほめられることを楽しみとするという園芸もあれば、 自分が興味を惹かれる花をあつめて その花ひとつひとつをめで、多数の人にわかる良さでなくとも、人が見逃したようなよさを同じ思いが分かる人と楽しむという園芸もアリだと思うのです。
前者を、流行のファッションに身を包み多くの人にほめられることにたとえれば、後者は同じ趣味を持つ人だけにわかる小物などを楽しむという感じ。 後者は他の人にはわかりにくい趣味だろうから やはり雑誌には向かないけれども、たしかに園芸を長く続けていると 本当はこちらの方も、深い楽しみがあるようにも思うのです。
そういう楽しみを わかってくれて 伝える機会になるかと一瞬思っただけにちょっと腰砕けという感じでした。今考えればそういう楽しみこそ ネットでほそぼそと興味を持つ人だけに伝えていくことが望ましいように思います。
今は、もし冊子に載ってしまったら そちらによるデメリットもあったかもしれないから、落ち着いて自分の価値感で園芸に取り組める状態に戻った事を喜ばなければ。と思っているところです。
大好きな バイカウツギ ベルエトワール とてもよい香りがします。
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