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剣岳はしぶかった
2009/06/28(Sun)
 日曜日の講習はあと1か月で終わりだったのですが、そのうち1回は塾の試験と重なってしまってでられないことがわかっていたし、もろもろの事情がありラスト1か月(といっても全3回)は受講キャンセルすることにしました。 久々の日曜日に塾のない日です。(といっても秋からは日曜にも塾が入るようになるようです)

前日に、ふと「トランスフォーマー」の話になり、見に行ってみようかという話になりました。 息子は大喜びです。いつも見に言っている映画館はいつ行ってもガラガラで直前に券を買えば入れるため、朝一番の回を見に行こうとギリギリの電車ででかけました。 が、これがアダになりました。 実は朝一番の回は一度もみたことがなかったようです。 行ってみるとショッピングセンターのドアが閉まっていて入れない。(映画館の入口は別だったようで) そこでグルグルと時間を取られ、映画館についてみると、結構な人出でした。 カウンターの前はここのところ見たこともないような長蛇の列。 マズイマズイと思っているうちに トランスフォーマーは閉め切られてしまいました。 次の回までずいぶんと時間もあるから他の映画でも見ようかという話になり、pon1が「実は剱岳も見たい」というので、息子と私は軽く 「んじゃそれにしよう。」と。

 剱岳 点の記 は 渋い映画でした。 原作は新田次郎だそうです。私は新田次郎の本は何冊かよみましたが、剣岳は読んだことがありませんでした。

 自然はとても綺麗でしたが、なかなか息子にはつらい映画だったと思われます。 原作もそうだったのか?不明ですが (以下ネタばれなので色変えます。マウス反転してお読みください)

 日露戦争後、国防のためにも 日本の地図を一刻も早く完成させたいという軍の命令により、日本で未測量地点として残された最後の点、剣岳の測量を主人公が命ぜられます。 (※1) おりしも、数年前に発足した日本山岳会が剣岳の初登頂を狙っているという話があり、軍としては、「ヨーロッパの機材を使い金にものを言わせた遊び半分の登山に先を越されるのは許せない。山岳会に先んじて登頂せよ」(※2)と命じられます。 そうして、主人公は淡々と登山と測量の準備をし、その仕事を全うすべき努力するのですがその登山は困難を極めていて、登頂口さえさだまりません。挑発するかのように輸入品の機材をちらつかせて登る日本山岳会の皆(※3) も苦戦している様子。 ふたつの隊の登山をかぎつけて 新聞ネタにしようとまとわりつく新聞社。

 このあとラストシーンのネタばれです。注意!!!
結局 主人公が登頂ルートを見極めて初登頂するわけですが、そこにはすでに行者が到達していた形跡があったのです。 登頂したという知らせと 人類初の登頂ではなかったという報告をしたとたん、軍は 「この登頂は記録としては残さず、なかったことにする」という決定を下します。(※4)

という話です。

山の映像はとてもきれいでした。 登山の映像は設定は春先でしたが、風景を見るからには夏山じゃないのかな~?とおもいつつ(あ、これも登山経験なしなので憶測です)撮影できる季節じゃないとムリでしょうし。でも、山を経験した人たちからすると 堪えられない映像だったと思います。

で、疑問点が残ったのですよ。 ここも上と連動して色をかえないとまずいですよね。

※1 国防の意味からと映画で聞いたような気がしたけれど、対露という観点からなんで剣岳なんだろう?と。 日本海側が緊張していたというのはわかるのですが、山の測量ができないとどの点が不安だったのか、知識不足でよくわかりませんでした。 それとも、軍のタテマエだったのかな?

※2 ま、ありそうな感じです。 持たざる者に対して 持つものを憎むように、 仕事に対して遊びというものを対比させて その意義をあおりつつ説くというところでしょうか。 実際はどうだったのでしょう。

 wikipedia によると、これも映画内容とかぶっているので注意ですが、引用なので色は普通に戻しますね。

弘法大師が草鞋千足を費やしても登頂できなかったという伝説がある[7]。

記録に残っている剱岳への初登頂は、1907年(明治40年)7月の、陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎らによるものである。7月13日、測量隊の測夫・生田信らが長治郎雪渓ルートから本峰の登頂に成功し、続く7月28日に柴崎らが登頂を達成している。生田らによる最初の登頂の際、錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖が発見された。古い焚き火跡もあったという。これらの遺物は奈良時代後半から平安時代初期にかけて登頂した修験者のものと考えられている。立山修験の貴重な証しとして重要文化財に指定され、立山町芦峅寺の立山博物館に展示されている[8]。なお、一般登山者による登頂は、1909年(明治42年)7月24日に石崎光瑤、河合良成、吉田孫四郎、野村義重によってなされている。

剱岳の山頂には長らく三角点が設置されておらず、標高を低い精度でしか測量できなかった。柴崎芳太郎らは山頂には立ったものの、岩場の険しさから重い三角点標石を運び上げることができず三等三角点の設置を断念し、標石のない四等三角点とした。そのため、三角点の設置場所を記載する「点の記」は作成されなかった。柴崎らは周辺の山からの観測によって山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2998mと計算したが、その後の測量により3003mとされた時期もあった。2004年(平成16年)になってようやく三等三角点が設置され、GPS測量により三等三角点「剱岳」の標高2997.07mと、剱岳の最高標高2999m(2998.6mを四捨五入)が求められた[9]。



(※4) ほぼこの物語は実話に基づいているということのようです。 前に登った人がいたからということではなく、四等三角点しか設置できなかったから点の記が作られなかったということだったのかもしれません。(映画でさらっと見た時点で私の勘違い?)

※3 日本山岳会の服装がビジネスマンのような服装で、ロングコートだったのですよ。登山にロングコートはためかせるってありえるのか? このあたり興味をもちました。昔の登山の服装ってどんな感じだったのだろう? このあたりの資料を日本山岳会さんページに載せてほしいなあ。

 丁度、この映画の時代の測量登山の写真が載っているpdf(明治後期の測量登山)を発見したので、リンクしておきます。 三角点設置のための測量ページも面白いです。
海外ではどんな装備で登っていたんだろうなあ。

 北大山岳部のページには書籍目録があり、簡単な説明と写真もピックアップされて載っています。
直接リンクできないのですが、 明治のページでは、日本の山水をクリックすると登山姿の写真があるようですね。 昭和時代にも 「高山深谷 日本山岳会編」に雪の残る山での登山姿が見られます。


映画全体を通して、主人公が淡々としているので、その部分が感動できる人とできない人でこの映画の好き・嫌いの分かれ目ではないかと思います。あとは山の風景が好きかどうか。
 息子のように若い世代だと、なかなか内にこもった思いを感じ取る(おまけに、仕事に対する思いなど)は分かりにくいものではないかとも思いました。 
 宮崎あおいの存在はあくまでも、かわいらしく生活感がなく、中高年男性がこんな妻だったらいいなと、あこがれる妻じゃないかと思いました。  古いたとえですが、女性が白馬の王子様にあこがれると同じレベルというか。。(^^;) 辛口でごめんね、ごめんねぇ~。

 息子に感想を聞いたところ、心にのこったセリフというのを口にしていました。
「何をしたかではなく、何のためにしたかが大切なんだ。」 が感動した。だそうです。でも、大半が退屈でつらかったそうで、母としては 「わかるぅ~」と思いました。 ま、そのテーマが分かっていればokじゃないかと。あくまでもハードルが低いです。 pon1は「息子はああいった映画がつまらないようじゃダメだなあ」ともっと上を目指しているようでした。  それに、トランスフォーマーを見に行くつもりだったものが、剣岳というのは差が激しすぎたかな。



おまけついで。 奈良時代から平安時代の修験者が登っていたということで、その当時の気候はどうだったのだろう?と調べてみると、

 ここまでわかった地球温暖化の現実

奈良時代や平安時代は「中世の温暖期」と呼ばれて暖かかった一方、1600年ごろは「小氷期」で英テムズ川が凍ったりした。



だそうで、気温が高いから山にのぼりやすいかどうかはよく知らないのですが、でも素人目には登りやすそうな感じはありますよね。
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