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人のスタンスを認めることについて
2009/04/01(Wed)
 この話については、ずいぶんと何度も書いてきたと思うけれど、なぜまたこの話を持ち出したかというと、三月のはじめに 納得する一言を読んだからだ。(といってももう4月の初め!ハヤーい)

官から民へ質問回答編(chikirinの日記)

この内容とはあまり関係のない部分。

人にはそれぞれの考え方があり、異なる立ち位置があると思います。正しい答えはひとつではありませんので、異なる意見をすり合わせてどちがら正しいかを決める必要はないと思っています。



 これに非常に感銘を受けたということ。 いや、もともと私の心の中にあった思いがみごとに文字になって書かれていたから、「あ、そうだったんだ。私はそう言いたかったんだ。」と再認識したということになるかもしれない。

 人とのトラブルは 「あなたは間違っている」とお互いに言いあうことから始まることが多いと思う。みながみな同じ考えであれば、争いもあらかた無くなるだろう。 その場にいる誰が考えても納得することであれば、話は簡単。「太陽は夜にでる」「夜じゃなくて昼でしょ」で、ok。でも単純な話でない場合、人は皆ある考えを持つに至るまでの、思考の過程というものがある。それが自分なりに経験やデータをもとに筋道がついているものについては、容易にその考えをひるがえすことはできない。 なぜなら、考えがそこに至る確固たる理由が自分の中にあるから。それをひるがえすことは、自分が経験や、データをもとに、構築した考えなどを否定するものであるからだと思う。 

 でも、いったん離れて考えてみると、人の経験はひとそれぞれに違う。これまでに接してきた人もみなさまざまだし、住んでいる環境、生活した環境、生きてきた時間も 教育も違う。もちろん、自分の興味も違う。 そういう 個々に違う 「経験」をもとにして、 「誰かの視点であつめたデータ」を利用した結果が 違ってくることは容易に想像できる。 たとえば、何かに対して、好意を持つか嫌悪感を持つか。それは、人の本能として根本的な部分であるが、個人の感覚に根ざすもので、しかし、その人が下す結論の大部分はそれによる影響は否定できないのではないかとも思う。

 たとえば、麻生総理の 「さもしい」発言。  同じ一言を聞いたとして、総理に好感を持っているか、持っていないかによって大きく印象が異なるであろう。

 根拠となるデータに関しても、注意が必要だ。 人に話すのがはばかられると思うようなことのデータを収集した場合、そのデータはあまり信憑性がないものになると考えている。

  アンケートには 答えた人の答えしか集計されない。 こたえたとしても、データにどのくらいの信憑性があるかどうかも検証できない。また、アンケートをとるのであればその対象が偏らないように配慮する必要があるけれど、たとえばネットなどでアンケートを集めたとして、(よくあるのが、政治系の記事を書いているサイトが 「あなたは○○党を支持しますか?」という類のアンケートを行う)データの偏りは否めないと思う。

 また、実はアンケートについては設問の書き方一つ、まとめ方ひとつで結果が変わる。 設問内にある答えを誘導するような情報が含まれている場合もあるし、 たとえば、好き、まあ好き、どちらでもない、あまり好きではない、嫌い。 と分けた場合を考えても、データをどう処理するかによって結果の見え方が変わってくる。

 そういう、1)人が本来もっている印象、2)その人の経験・予備知識、3)その人の根拠としているるデータ、とそれに対する信頼度 などが違うもの同士が 話をして、相手の考えを受け入れることを全く考えなかった場合は、先に見えるのは破たんのみだとおもう。

 つまり、いい加減にみえるかもしれないが、「私はこう思うけれど、あなたはそう思うのね。」を許していくことが大切だし、それは実際はいい加減なことではないんじゃないかと私は思う。 最後に 「参りましたすみません。あなたの言うとおり。」と相手に言わせることは正しいことじゃないと私は思っている。  ただし、「なるほど、あなたはそういう意味でそうおっしゃったのですね」と相手の考えを理解し、認めることはとても大切なことではないかと思っている。自分の考えをできるだけ偏らせないという意味で。

 

データの信憑性について。 これは、会社時代の経験でいろいろなケースを知っていた。 また、同じ事実をあつかっていても、データ取りの対象や設問やそのデータの見せ方一つでこそっと自分の思ったような見せ方ができるということも知っていた。プレゼン資料や、結果報告などで使われそうですよね。 このへんの本も参考になると思います。

 
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(おまけ)間違ったアンケートの取り方で、自分たちの評価を下げてしまったケース。

 ある催しものの後、主催者がアンケートをとりました。その中で、

1)次の中で、あなたが良かったと思う出し物に○と悪かったと思う出し物に×をそれぞれ5つずつ付けてください。 

というものがありました。 私はその催しに出かけましたが、とりたてて悪いと思うものはなかったのです。でも、そういう指定なのであえて5つムリして選んで×をつけました。

主催者は結果報告で、「悪かった出し物」のランキングを大きく扱い、それが問題としてクローズアップされました。

 でも、この結果は正しくないですよね。

1)次の中で、あなたが良かったと思うもの、悪かったと思うものがあれば、良かったものに○、悪かったものに×をつけてください。(何個でも) などの方がよかったんじゃないかな。

もし、結果データを自分に有利なものにしたい場合、設問を

1)次の中から 良かったと思うものから順に5つ選んで○をつけてください。

とする人もいるでしょう。 5つ○をつけろと設問があるのに、○をつけなかったり、文句を書く人はたぶん少数ですし、そういうデータを集計に加えるか加えないかは自分次第となります。  



この記事は、以下のことが発端で書いたわけではないのですが、こうしてあらためて考えてみると、最近、pon1は、私が何か言ったことに対して、あたまごなしに「それは違う。間違っている」ということが多いです。理由を聞いてみると、わりと斜に構えた考え方も多くて 私としては、それで喧嘩するのも嫌だし、「ま、ね。そういう人もいるけどね。」と思ったり、「そこまで、『その考え方は違う』と頭ごなしに言われるほどのことじゃないんじゃないかな?」と思うことも多いです。たいていは、面白いと思うよりもどちらかというと、なんとなくいやな思いを感じながらも うけながして黙ってしまいます。 

 息子の育て方などを相談する際、「なんでもかんでも イイヨ、イイヨ じゃダメだよね。やっぱり違うことは違うとはっきり言うことも必要だよね。」という点では意見は一致しているけれど、斜に構えた見方をするときは、 「たしかに、そういう考えの人は多いけれど、こういう考え方もあるよ。」程度の言い方をしてくれればいいのにな。 なんて思うこともあるんですよねー。 
 私だけでなく、息子に関しても、違うといわれたときの息子の表情はなんだかシュンとしちゃってるし。 (あ~。pon1さん、ぐちかいちゃってますが、最近そういうことを思っていたんです。ごめん。) 

 ま、反対にビジネスの場で主張する場合は、「そういう人も多いですけれど、こういう考え方もありますよ」というような弱い主張じゃどうにもならない場合も多そうです。 がっつり「これしかありません。」と言わないと人は動かないかもですねー。

ま、pon1と私については、考え方も似通っているので、そういう違和感を感じることは比較的少ないのですが。 以前より増えてきたという気がして、気になってます。

 根拠となるデータはやはり示すべきだと思いますが、100%相手が同意するまで納得しないという姿勢は不毛であり、それは正しいとは言い切れないと思うということでしょうか。 もし、力でねじふせても、心から納得することでないと人はその主張を受け入れることはできません。

 

 
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