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客観的に見た自分
2008/06/20(Fri)
 今日は、仕事休み。学校に出かけることもない。家のことをやる日(嬉しいなあ)。しかし、この嬉しさは、仕事があるから感じることなんだなあ。 息子が小学校を卒業するまでは続けようと思っていた今のアルバイトが、早ければ今年中に終わってしまうことがわかった。
 今勤めているところは分室だ。それが本社に統合されてしまうのだそうだ。本社へ行くには新幹線に乗らなければいけないくらい遠い。 もちろんアルバイトは全員解雇。 残念。 今の仕事がすごく面白くなってきたころだったのに。 私の計画にも狂いが生じたけれど、アルバイトの中には、独身男性で、1週間フルタイムで働いている人もいたりする。そういう人はどうなるんだろう。 新しい職を探すところから始めるわけだよなあ。 私よりも年齢や、時間や居住地の縛りは少ないから、それなりに選択の余地はあるとは思うけれど、それでも厳しいんじゃないかと他人事ながら心配したりした。
 「来年は1年間働かずに過ごして、その後また就職を考えようかな」なんて思っていたりする。

しかし、息子が受験するんだったら先立つものがたぶん必要だよなあとぼんやり考える。ぼんやりというのは、私の金銭感覚はまったく発達していないので、あまりちゃんと把握できていないんだ。(--;)こんなことじゃいかんと思うのだけれど。 「もともと、中学受験するつもりはなかったので、前考えていたよりは先立つものは必要なはず」程度の認識だというところが怖いところだ。 で、私立に行ったらどのくらいかかる?というところもきちんと把握していない(pon1まかせ)というところはこのままでいいんだろうか? 少し心をいれかえるべきか。 すんまへん>pon1
 まあ、金銭感覚がいま一つとはいえ、バカバカと無駄遣いをするわけではないので、その点だけが救いだと自分で言ってどうする?
sorehododemo1_19.gif


 さて、いつものように長い前置きだった。 しかも、このあとが超長い。スミマセン。

子どもの頃には、たとえ小学生であれ、中学生であれ 自分を人から見て年相応に見えるかどうかなんて考えなかったような気がする。 人に会うと、「しっかりしたお嬢さんで」などと社交辞令をいただくので、それを真にうけて「私は年齢平均よりしっかりしている」と思い込んでいたというのも原因の一つだろう。 今、息子を私の目で見ると、自分がこの年齢だった頃はどんな風であったかと思い起こしてしまうこともあるのだが、いつも「私が若いころにはもっとできたぞ」と思ってしまうことが多い。 これって、 「近頃の若いもんは」というお年寄りの決まり文句だよ。実際、今の私は抜けていることだらけなので、あの当時が今よりもしっかりしているわけはない。きっと自分はしっかりしていると思い込んでいただけなのだと思う。

 つまり、自分も同じようなことをやっていながら、客観的に自分を見ることが出来ていないか、もしくはそのころの自分を忘れてしまっていてついつい「今の自分」と比べてしまうから出てしまう言葉ではないかと思ってみたりする。


 先日、とある学校の運動会を見に行った。見に行くまで知らなかったのだけれど、そこの運動会はとても有名な運動会なのだそうだ。 家を出たのが遅かっのと、途中で用事を済ませたりしたので、昼食を食べて午後からの見学となった。
 学校が近くなると、ビラ配りの人たちが次々にビラを渡してくる。 進学塾や個別指導のビラだった。
なるほどねえ。 息子の年齢前後の親子連れも多く同じ学校へ向かっているようだった。へえー。
ついた時は、ちょうど昼休みが終わったころ。応援合戦が始まったころだった。 中高一貫のため、高校生が演技をしている。 楽しそうなパネルに合わせた仮装をした応援団?の演技は息子には予想外だったようで、最初はたのしそうに見ていたのだが、1つ目の演技が終わった後、次の組の演技に入るまでがもたついた。 いや、もたついたというどころではない。「○○くんいませんか~」「○○がない」「準備ok?」「え?ダメ?ありがとう」という業務放送がやたら入り、いつまで待っても演技がはじまらない。最初は立って見ていた観客も 長丁場になると思ったらしく座り始めた。 私たちも少しその場でみていたが、一向に埒があかないので、この原因はなんだ?と気になった。
 どうやら、仮装の衣装が4組使いまわしらしいのだが、演技が終わった前の組の担当から次の組へうまく衣装が渡らなかったのに加えて、担当の所在がはっきりしなかったらしい。

 「あー。これは運営側のミスだね。生徒の運営だということだけれど、そこまでは予測できなかったのかな。」なんて言いながら見ていた。 それにしても、1つの衣装を連続で貸し借りするのであれば、入場・退場の門を変えるなりなんなり 少し工夫が必要だ。 入場門と退場門は 生徒席はさんで左右にあるし、生徒席の後ろがせまく混雑していて ふたつの門の行き来だけでかなりの時間を要してしまう。 それに加えて衣装を脱いだり着たりというのがあるわけだから、そこに時間のロスが出て来るのは自明の理だ。
 「かなり勉強のできる子たちが集まっている学校なのに、誰ひとりそれを指摘する人はいなかったのかな。」とつい口をついて出てしまった。 

 ここで、「私たちが高校生のときは、どうだったろう?」とつい思い起してみたのだが、上でも書いたように客観的に自分を見ることが出来ていなかったので何とも言えない。 ただ、記憶の中ではもう少しきちんとできていたような気がするのだ。

 その演技が終わり次の組だったと思う。やっと定位置に人が並んでがやっとはじまるかと思いきや、大音量で一瞬音楽がかかって、すぐ切れた。「準備できた?」「音楽が出ない!」という声がマイクから響き、「○○くん、音楽ナシ」みたいな言葉があって、しばらくして、退場門のあたりからミニコンポ(っていうのかな?持ち運びできるやつ)を頭上に掲げて持ってきた生徒がいた。
放送では「○○くん。ありがとうー!」と。 たしかに、熱いノリは感じられるけれど、なんとなく身内受けというか、運動会の予行演習をみているかのようだった。 「これが本番だとは?」と思いもしたが、子どもたちは自分たちのためにやっている運動会であり、別に観客にみせるためにやっていないのだ。特に私たちは私たちの意思で好きで見に来ているわけだから...。という風に考えればこれでよいのかもしれないと思いなおした。

 さて、時間は伸びにのび、いくつかの演技の中止が伝えられた。 pon家といえば、演技よりも数倍長い待ち時間を強い日差しの中で過ごすのもつらくて、日陰に移動した。

 そうして、また数回大音量で音楽が一瞬流れた後、高校生の男子生徒の声がマイクからはいった。「ごめん。みんな。今日ダンスできないから。まちがって音楽もってきてて。。。ぐすっつ。ぐすっつ。」最後は泣き声。という感じのものだった。 
 高校生もまだまだ子どもなんだなあー。性格良さそうだなあーとおもいつつも、私は複雑な思いがした。 忘れることは人間だからある。ミスもある。でも、あまりにも幼い感じがして、「学業に秀でているとしても、こんな感じなのか?」という思いがしたことは確かだった。こういう調子で社会に出てもらったらすごく困る。いや、ここを卒業した子たちはたぶんすぐに就職するわけではない。これから最低4年間は大学に通って、それから会社に入る人もいるだろうし、研究者になる人もいるだろうし、政治にかかわる人達になることもあるだろうし。  

 音楽を忘れたことは確かにミスだった。でも、演技は昼からだったわけで、なぜ演技が始まるまでそれがわからなかったのか。 朝の時点で分かっていたらどうにかなったかもしれない。 とりに帰るとか人に頼むとか。 演技の変更をするとか。 それ以前になぜ間違ったCD(MD?)を持ってきてしまう? 当日大切なものだからラベルを書くのは必須。 それを書いてなかったのか?チェックしなかったのか?

 またもや 私が高校生のころ、こんなに幼かったんだろうか?という考えが私の頭の中に浮かんできた。

子どもさんの運動会を家族で見にいらしている方の中には、運動会の場で算数のドリルをやっているお子さんもいた。そばで見守るご両親。「こんな場でもドリルをやるんだ!家でやればよいのに」と内心驚いたのだが、 一貫校の運動会なので、出番が少ないから関係ない演技のときには日陰で休むというのと、妹さん(3年生くらいかな?)の勉強(たぶん、彼女も受験組なんだな)時間の確保ということでそういう選択になったのだろうか。 他人が出てつまらない演技を見ている時間にドリルを済ませて家に帰ってから好きなことをして遊ぼうということかもしれない。

 時間は、ずれにずれ込み、終了もかなり伸びそうだったので、応援合戦のあと2,3の演技を見て帰ることにした。私はものすごく複雑な思いを胸に帰宅することになった。

 一生懸命勉強して難しい問題が解けるようになった。それは素晴らしいと思う。 でも、それが通用するのは学校の中だけなんだ。 時間の配分ができない社会人は大変困る。自分の仕事をきちんとこなせない人もすごく困る。 そうして、自分のミスに対してミスを最小限に抑える対応ができない人も困る。  一日の多くの時間が勉強だけに割かれて 勉強ブロイラー状態になった子たちは、社会から当然必要とされている事柄や常識が抜け落ちることも多いのかもしれないなどという思いも少し湧いてきてしまった。  さっきまで十分使えていたコンポが使えなくなったとコンポの入れ替えがあったことなどを考えると、音楽を忘れた子が、それを間違って持ってきたことに前から気づいていたという可能性も多少はあると思う。そうでないことを願う。 もし気づいていたのであれば、一番最初に相談するべきは 仲間たちであるはずだから。   
 
 息子には人間が生活していく上で大切なことはきちんと教えておくべきときに教えておかないとなあと心から思った経験だった。そういうことは、テストで測られることはないのだが、できて当然のことだからこそ、あえてテストがないだけなんだ。 そのためには、どうすればよいのだろう。 ここがまた親の悩みどころ。

 今回この運動会でのアクシデントはいつもいつもあるわけではないと思う。たまたま今年がそうであっただけで。 もちろんこの出来事だけで 「この学校は云々」などと言うつもりはもちろんない。 
 
 上でも書いたように、こう思うこと自体

つまり、自分も同じようなことをやっていながら、客観的に自分を見ることが出来ていないか、もしくはそのころの自分を忘れてしまっていてついつい「今の自分」と比べてしまうから出てしまう言葉ではないかと思ってみたりする。


こういうことなのかもしれないとも思う。
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