でも、絶対みとめちゃいけない。わかっちゃいけない。 |
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2008/06/10(Tue)
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今朝早く目が覚めた理由は、ひとつには夢を見ていたからだ。 その夢に、昨年くらいまでかなりわがままで、キレやすい子だった子が出てきた。 彼は「さびしい」と感じるであろうと思える環境に育っていた。そうして、大人の注意を引きたくてしょうがなかった。 集団で行動すると必ず一人だけ違う行動をして、大人の注意を自分に引き付けようとする。 そうして、大人が皆の輪の中に引き入れようとやさしくすると、どんどんわがままな行動に出て、大人が自分一人にかかりっきりにならずにはいられない状況にしていることが何回もあった。 その彼も昨年くらい環境が多少変わった。そのころから、彼の傾向は少し変わってきて 普通に皆と遊べる日も多くなっている。息子とはもう何年か同じクラスになっていないので、あまり接点がなかったのだが。
その子が夢に出てきて、息子をボカスカ思いきり殴っていた。息子は頭を抱え背を丸くして殴られるままになっていた。 私はその子の手首を私の手でつかんで殴るのを力ずくでやめさせようとしていた。そうして、「どうして殴るの? 何があったの?」と彼に必死に聞いていた。 彼の口から出る言葉は、納得のいく理由でなかった。「二週間前に息子にいやなことをされた」と答える彼の理由は、こじつけであることを夢の中の私は知っていた。 私は、どういう状況だったのか、何があったのか本当の理由を聞こうと必死で相手を制していた。 そこで目が覚めた。 目がさめて思った。 ああ、あのことだなと。 秋葉原の事件のことだ。 ブログを持っている人たちもきっとそれぞれ、思うところがあると思うけれど、たぶん長くブログを続けている人の多くは、難しい問題をはらんでいるこのことにあえて触れずにいるのだと思う。私もこの件については書くまいかと思っていた。 今日になって、彼の理由が新聞に載っていた。 私からみると理不尽なことだらけだ。到底納得できない。 だが、私から見て「どこにでもいるような普通の人」である彼は 「友達ほしい でもできない なんでかな 不細工だから 終了」と掲示板に書き込んでいたのだそうだ。 君は普通だ。不細工じゃないよと伝えてやりたい。 「隣の椅子が開いているのに座らなかった女の人が、2つ隣があいたらすわった さすが嫌われ者の俺だ」と書いていたらしい。 「女性とは、そんなものだ。男性の隣に座るのはいつも躊躇するものだ。二つ空くと座ることも多いものだ。 それは座っていたのが”あなただから”ではなく、たぶん誰であってもそうだ」と伝えたい。 でも、そう本人は信じていたようだ。だからといって、それで多くの人を殺して良いわけはない。 倒れている見ず知らずの人を助けようとして介抱している人も彼は刺したのだ。 きっと、刺された人たちは、倒れているのが 加藤容疑者だったたとしても、助けようと全力を尽くしてくれる人であろう人。そういう人を彼は刺したわけだ。 彼の周辺状況が どうあれ、彼のとった行動を絶対に容認しちゃいけないと私は思う。 たしかに、携帯で書かれた内容には、底深い孤独と、挫折感と そうして責任転嫁が感じられる。 私も進学校に通っていた(容疑者の通っていた学校ではない)。高校以降の成績は自分の責任。すくなくとも親の手助けで小学・中学までどうにか乗り越えられたのであれば、高校で努力せずによい成績をとれなくて挫折したことを親の責任にするのはあまりにも幼い。 進学校に通うと、周りはそれなりに 「勉強のできる子」が集まっている。そこで、よい成績をあげるには、よほどの天才でもない限りは、長期にわたるたゆまない努力が必要なのだ。 今回のこと、彼のしたことを 「なるほどそういう理由だったのか」などと納得する気持ちにはなれないし、どういう理由があったにせよ、今回のような行動を納得してはいけないと私は思う。 話は少しそれるが、 たしかに、自分を取り巻く環境はどう頑張っても変えられないものも多い。でも、”全く”変わらないということは絶対にない。 自分が自分を変えることによって、周囲の評価や自分を取り巻く環境が変わることは良くある。 自分の行動により、自分の評価や環境を変えるには年単位の努力が必要だけれど、でも、確実にその成果は表れてくるものだ。 これは、私が会社で体験を通して学んだことだ。 人が自分の思うように自分を評価してくれないと思うとき、 人を変えることはたぶんできない。でも、自分が評価されるように変わることは、努力が必要だけれど、できることなのだ。 |
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