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会社の常識、一般の非常識
2008/04/17(Thu)
 前にも同じようなことを書いた気がします。
私よりも数年前に結婚して子供を産んだ会社の同期がいました。 彼女いわく「いろいろあっても、まだ会社の中はマシ。会社は閉じた環境でそこの中での常識というのは多少違ってもだいたい共有できているから。 常識というものが想像もつかないくらい違うというのを、保護者同士の付き合いで実感することも多いよ」と。

 もう会社をやめてから4年にもなるのに、まだまだ私の中には会社の常識がしっかりと根付いていて、一般の常識との差を実感することも多いです。

 昨日の日記に書いた、どうにか決まった委員さんのことです。

 自分はやりたくて委員をやったわけではなく、くじで当たってしょうがなく委員をやる。委員長決めの委員会を欠席するけれど、くじで決めることになっても委員長にはなれないとおっしゃるので、私が「やらなくてよい」と決められるわけでもなく、彼女だけを特別扱いするわけにはいかないので、他の方に説明するために文章で理由をくださいとお願いしました。

 すると、月~金まで働いていること、土日は遠距離介護に行っていらっしゃること。疲れがピークであり、自分の健康も害しそうなことなどをつづって、 平日も2,3日前でないと休みがとれるかどうかわからない。と書いてありました。 こういう状況で、委員としての仕事も 「お手伝い」ならば(できる)と思うとおっしゃったのです。

 この文章を関係する人に相談したところ、この状況で委員をやるのはムリではないかという話になりました。私もそう思いました。 介護や健康上の理由は十分委員免除の対象になるので、相談の結果同じクラスで他の方にお願いすることになったのですが。。。。

 帰宅してからしばらくして電話がかかりました。 「今、委員が変わったということを聞いたのですが、私は委員がやりたくないといったわけではないんです。」とのこと。 土日にだったら少し前に予定がわかるので”お手伝い”できる。とおっしゃるので、「委員の仕事は年に4,5回の土日だけではないことをご存じですか?」と聞きました。すると「知りませんでした」とのこと。 土日の担当のほかにも平日も仕事があり、担当日の前日に突然「明日はできません」と言われても代わりに入る人が必要なことや、土日の担当の前の準備はいろいろあり、それは担当一人で準備せねばならないことを説明しました。 すると、「委員として仕事ができなくてもお手伝いはしたい。別の委員さんとと二人で『がんばろうね』と言ったのに。」とおっしゃるのです。 私はとても困りました。  ピーは委員を何回やったというカウントをしているので、5年生くらいまでだったら、委員をやる、やらないでポイントが変わるため 「どうしてもやりたい」というのがあると思ったのですが、今年彼女の子供さんは6年生。今年度卒業のためポイントは関係ないのです。その方の状況は十分委員免除の対象になることを説明したのですが、「私と他の方の状況が同じだとわかったので、私がやりたい」と。 他の人は、遠距離介護もしていなければ、健康を害しそうということもないのに。  

 ここで、私の会社の常識が出てきて困ってしまいました。

つまり、私の中では 「委員をするというのは、一人前の委員の仕事がこなせること」なのに対して彼女は「委員を受けるのは受けてよい。委員の仕事は他の人に比べてできないが、お手伝いならばできる。」ということなのです。
  私は「お手伝いはいらない。委員の仕事ができる人じゃないと困る」と思うのです。

会社でやるのは”仕事”です。 一人分の仕事がきちんとこなせるかこなせないかが重要です。ひとり分の仕事がこなせなく、いつも周囲の人に迷惑をかける状態であれば、その人はその仕事はできないことになります。いくらその人がその仕事が好きで「やりたい」と思っていても その仕事がこなせてナンボの世界ですから。 担当する仕事がこなせなかったり、休みが多かった場合は、部署を変えられたりペナルティがあるわけです。 とてもわかりやすい世界です。

 でも、ぴーは違うのです。 ぴーは やった仕事によって報酬をもらうわけではありません。皆善意で労働を提供しているわけです。 しかし、委員会という集団で何かをやろうとした場合、 「できないこと」があってもそのままにしておくわけにはいきません。これは仕事と同じです。 でも、一人当たりの労働量が決められているわけではないし、ペナルティもないので、できる人、やる人が多く分担することになります。 そうして、当初皆で分担した量だったらできると踏んでいた仕事量が、「ひとり分の働きをしない人」の分の仕事までできる人が分担せねばならなくなり、どんどん膨らんでいきます。
 本来「きちんと働ける人」ばかりで働いた方が皆がハッピーなんです。 「状況次第で手伝える場合と手伝えない場合がある」という人は、いないものとして考えないと仕事が滞る原因になります。 しかし、ここで、「私はひとり分の仕事はできないし、どれだけ手伝えるかはわからないけれど、手伝いたいんです。」と言われてしまうとその人を外すわけにはいきません。
 これって、本当はその集団を管理する側にすると大変きつい。 いつもいつも代替案を考えてやらなければいけないので。

 私としては、「そういう不確定要因はプロジェクトから外すのが仕事がスムーズに行く」と経験上わかっているのですが、 会社ではないため、本人がやると言っているのに、他の人に変えるわけにはいかないので、「この後どうなるんだろう」ととても不安です。
 とはいっても、私はもう委員じゃないわけですから、あとは野となれ山となれと考えていれば、あとから「意外にうまくいった。」となるかもしれないとも思うのですが。

いや、彼女が「お手伝いなら」と言うのが「謙遜?」なのかもしれない。。この辺もよくわからないなあ。

 - うまく書けてないなあ。 -

 一般だったら 「心情的なもの重視」:できることならやりたいと思っている。お手伝いしたいと思っている。  仕事だったら 「仕事ができてナンボ」の世界で、 ある一定の成果を狙うのであれば 後者の方がずっと問題も少なく、運営も楽なんだけれど。。と、どうしても会社風の考え方になってしまうんですよね。  
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