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今日もがんばれ
2008/04/30(Wed)
 新しいクラスで 全員のスタンスが決まるまでは 子供たちの間はいろいろな牽制やらなんやらが渦巻いている。 息子は腕っ節が強いわけでもないし、どちらかというとあちこちからその位置を試されるタイプなのではないかと思う。 それでいろいろと嫌なことも起こりやすいようだ。

 月曜はよその学校の代表者が息子たちの学校にやってきて、ちょっとした会があったらしい。その席で伝言ゲームをしたらしいのだが、息子は前から3番目。 息子と一番前の子の間に訪問した子が入ったとのこと。 「先生に位置を決められた」と息子は言っていた。 ところが、伝言ゲームは2回とも息子たちのチームが負けた。 そうして種明かしされた言葉は息子が聞いた時点ですでに間違っていたのだそうだ。

 そこで、一番前にいた子が 「間違ったのは息子だ」と責め始め みなにそれを言いふらしたらしい。 息子としては自分より前の二人のどちらかが間違っていたと思うのだが、自分の前の人を責めることは、お客様を責めることになるので、違うと言い張れずに、結局その場では自分ではないと言っているにもかかわらず息子が間違ったということになり皆から冷たい目で見られたらしい。  ちなみにこの責めた子も元「なんちゃらSC」。  帰ってから悔しいと泣く息子。

 先生がその位置に息子を置いたからこそ、訪問した子に被害が及ばなかったのではないかと思うのだけれど、そうはいっても理不尽な思いをした息子の気が晴れるわけもない。

 間に一日祝日が入り、今日も笑顔で玄関を出た息子だけれど、出かける前に 「今日はお母さんは会社?」と聞いた。「ちがうよ」と答えると。一段と笑顔になり 「ああ、よかった。いってきます。」だそうで。 頑張れ息子。 ここで苦労した分きっと君は社会に出たときに役に立つ何かが身につくはずだよ。 お母さんは応援しているよ。
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どんな風に見えたのか?
2008/04/30(Wed)
 昨日は出勤だった。 祝日なので、pon1は家で息子と一緒にお留守番。 帰宅途中に買い物をして大きな荷物を下げて車1台が通れるくらいの狭い駅前の裏道を歩いていると、視覚左側に二人のスーツ姿の男性がなにかパネルを持って立っているのに気がついた。 ボソボソと二人で話している様子があり、そのうち一人が「ちょっと頑張ってみるよ」と言い道路をまっすぐこちらにわたってくるので 「あ~~。まずいなあ。来ちゃうなあ」と思いつつ気づかぬふりをして通り抜けられるかと伏せ目がちに歩いたが、 相手に 「すみません」と声をかけられてしまった。 私のまわりにも数人歩いていたのに、私だよ。 あ~。彼の”頑張り”一人目が私だ。

 「はい」と答えると、パネルを私の目の前に差し出す彼。 しかし、私は荷物が重くて一刻も早く帰りたかったので 歩みを止めずに 歩き続けた。すると彼は 「ご家族でお住まいですか?」という。 パネルをちらりと見ると 1DK 7万円 と書いてあって部屋の写真が貼ってあった。 思いもよらない質問になんと答えるか一瞬とまどって。 「あ~~~はい。はい。はい。」と 答えながら歩き去ってしまった。 頑張った彼は挫折感を感じたかもしれないが、私は今マンションを買わないから相手をしても彼の時間の無駄だし。

 歩きながら 「ご家族でお住まいですか?」と1DKを見せられる私ってどんなヤツなんだろう?と自問してしまった。 道をよく聞かれたり、道で宗教勧誘されることから 私は声をかけやすいタイプなのだろうと思う。 背もそんなに高くないから、威圧感もないし。 それから、「寄らば切るぞ」的な スキのないファッションでもないし。  私も一時期 定年まで仕事をして独身で暮らすという可能性を考えていたころがあったし、今でも会社には私の同期が独身で勤めているから、私の年齢で一人暮らしするということはあると思う。でも、世間一般から見ると 私の年齢で一人暮らししている数はかなり少ないのではないかと思う。なにより、私の年齢で一人暮らしで会社勤めしている同期は私よりもずっとぱりっとしている。(^^;)ゞ 一人暮らしが多い世代と見間違えられるほど若く見えるわけでもなく、年相応の少し仕事に疲れた 両手に買い物した品物を山ともったオバサンだ。

 声をかけられたことで私としては、とても複雑な思いがしたのだった。
 私は他の人から見て、どんな風に見えたのだろうか?どんな格好をして歩いていたのだろうか?。 
 
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だましのテクニック
2008/04/30(Wed)
 今朝のニュースでは振りこめ詐欺について報道していた。 先日読んだ新聞記事では、未遂に終わった振りこめ詐欺についての体験が投書されていた。 新聞の手口は、以前報道で聞いたものだった。

 1)息子と名乗る人から 携帯電話番号が変わったと通知がある。(お父さんが電話に出たそうだ)
 2)その後、「もしもし、お父さんいる?」と電話がかかってきた。
   ちょうど留守をしていたので留守を伝えようとしたけれど、声が違うように思えたので 「誰?」と聞くと電話が切れた。
 3)電話番号変更の件を思い出したので前からの息子の電話番号にかけてみたら、携帯を変えてないとのこと。

 という経緯だった。

振りこめ詐欺だけでなく、日常的に小さな詐欺まがいのことが横行しているなと思う。 昔から有名だったのは 消化器の詐欺。「消防署の方から来ました」 と言うのだそうだ。 最近ではあまり聞かないが、 この 「方から来ました」というのがミソ。 「消防署です」と言っていないので、消防署の方向から来たということになり、ウソをついていないということになるようだ。

 最近私の住むマンションでも、「このマンションのお風呂の工事に来ました。何もお聞きでないですか?」というものがあったらしい。出た人は「管理組合からはなにも聞いてませんが」と返事すると。「奥さんご存じないんですか? お風呂は専有部分となるので、組合からは連絡が来ませんよ。」となり、とにかくドアを開けてお風呂を見せてくださいと言われるのだそうだ。これも、言葉のトリックだらけ。 最初の一言を聞くと、お風呂を工事することをマンション内で決めたかのようにも取れるし、 単にどこかで工事をしているけれど、それについて誰かから聞いたかという言葉通りにも取れる。 二番目の 専有部分云々も 同じ。 

 前から何度もやってくるのは 換気扇のセールス。「一階から換気扇のフィルター交換をしています」というものだ。 これも、「当然やるよね」というニュアンスでいうので、慣れていない人は、「マンション全体でそういうことをするのかしら?」と思ってしまうかもしれない。 

 そういえば、最近うちのマンションは大規模改修や、火災報知機の工事が続いている。 そういう時期にこの手のダマシは増えるような気がする。

 なによりも、こういう手口は相手の無知に付け込むようなところが嫌だ。いまどきこういうダマシの手口に引っ掛かる人は少ないのかもしれないが、もし、そういう知識がなければそれを食い物にするというか。  こういう知識は只暮らしていただけでは手に入らないので、一人ひとりがそれなりに情報収集しておく必要性がある。 年をとったり判断力が鈍っていたりすると引っ掛かりやすくなるというような人の弱みに付け込んだものだけれど、結局は ギリギリの線で ウソは言っていないということになってしまって、だまされた人の知識不足が悪いということになるのだろう。

 不景気になると、ダマシが横行するような気がするが、気のせいだろうか?

先日の ヨーグルトのコマーシャルについて嫌な感じがするのは、根本のところでこれとつながるテクニックがあるような気がするからだ。
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備忘 最近読んだ本
2008/04/28(Mon)
中学入試国語のルール (講談社現代新書 1935)
中学入試国語のルール (講談社現代新書 1935)石原 千秋

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読書というのとは少し違うけれど。 これは私が買ったものではなくて pon1が買ったもの。
私は、小学~中学くらいまでの国語にはそこそこ自信があったので、息子に国語を教えるからといって、こういう本を買おうと思うことがなかったのだが、 同じ時に私が買った本はことごとく ハズレであったのにくらべて、この本は当たりだったなあと思う。 人が選んだ本を読むというのも、ときにはよいのではないかと思う。

 まず、 「はじめに」と「序章」を読んで、私や私のまわりにいる人たちがなぜ、中学校受験を考えるかというのがそのまま説明されていて、「そうなのよ。そうなのよ。」と、 こんな風に説明できればなんと気持がよかったろうと 私の国語力のなさを痛感した。

 本のほとんどは入試問題の解説。 息子の勉強のお相伴で私は問題と解説を日々見ているのでちょっと食傷気味だったけれど、ここで長年の疑問が氷解することになった。

 中学か高校の模試だったと思う。学校の試験の現代文の読み取りはわりと自信があるのに、なぜか模試にはときどき まったく読み取りができない問題があったりした。 解答を読んでもなぜそれが答えなのか理解できない。自分はまったくそんな風に読み取れなかったから。 それで、そこが自分の国語の限界だと感じたりしたことがある。 けれど、どうやったらそれを克服できるのかがわからないまま今に至っていた。

 まず、

ある出来事に対して私たちが抱く気持ちは、人によって異なることがあります。ですから、入試問題で気持ちだけを問われたら、何を書いてもいいはずです。それが、なぜある範囲内に収まるのでしょう。



と、まさにあの当時私が抱いていた疑問がそのまま提起してある。

そうしていろいろな面からそれが答えとなる理由が説明されている。
たとえば、2校で出題された同じ小説を題材にした問題が並べて解説してあり、この二つは出題されている部分が全く重なっているにも関わらず 文の要約が変わる。 

これは、第3講の要約とは異なっています。小説は自由に読んでよいジャンルだからでもありますが、最大の理由は出題者の読み方の違い(それは設問の作り方にあらわれています)に合わせて要約文を考えているからです。



とある。つまり、あの当時の私に欠けていたのは、「問題文を自分なりに理解するのではなく、出題者がどのように理解したかを踏まえながら読む」という姿勢であったということがわかる。 だから、私と考え方が一致する出題者の問題は ラクラクで解けても、自分と考えが違う人の問題はどう考えても自分が間違っているという理由が見つからなかったのだと。

 問題からは離れるが、 文章からだけでもその人の気持ちをわかるというのはかなりの熟練を要する。それから一段階離れて 出題者の気持ちを設問から読み取るというのは、あの頃意識したことがなかった。 なるほど。と唸った。

ちなみに、話がそれるが、人の気持ちをわかるという点について、

みなさんは他人の気持ちが「わかった」と思ったことがあるでしょうか。きっとあるに違いありません。でも、どうして他人の気持ちがわかってしまうのでしょうか。 たとえば、あなたは他人の歯の痛みを感じることはできません。当たり前のことです。けれども、目の前にいる他人が歯の痛みを訴えていたら、あなたはそれを自分の痛みのように感じることができるに違いありません。



そうなのです。私たちが他人を理解できるのは、他人の言葉だけを信じているからではないのです。他人のしぐさをも見ているから、その人の言葉を信じることができるのです。あるいは、その人の言葉がうったえかけるように聞こえるとき、他人を理解できるのです。



と、数日前のロバミミ記事に書いた記憶がよみがえってきた。 まさに、ネットでの意思疎通の難しさをここでもまた反芻した。  

と、受験を離れて、昔の自分の疑問がやっと片付いたり、最近の話題についての裏付けを得たりとこの本は期待以上に満足度の高い本だった。

 (※しかし、当初はじっくり問題を読み、自分でも説き、解説を読んでいたのですが、息子の勉強を通して問題と解説に食傷気味で、後半はさらりと飛ばし読みをしてしまいました。)


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嫌な感じのするCM
2008/04/28(Mon)
今、見るたびに 「このCMってどうなんだろう?」と思うのが ビヒダスのCM。

  すべてのヨーグルトにビフィズス菌が入っているわけではないのをご存じですか? などと聞かれた主婦が 「え~~~~!」 と驚くあれです。

 もちろん、すべてのヨーグルトにビフィズス菌が入っているわけではないし、ビヒダスには入っているというのは真実そのままなんだけれど。

 でも、それをいうならば、 「善玉菌というのは ビフィズス菌だけでないのはご存じですか?」って言いたい。

 これって、善玉菌=ビフィズス菌だと勘違いしそうになる人もいそうで。 アコギだなあとおもってしまいます。このCMだと、ビフィズス菌以外は健康には何の役にも立たないっぽく見えてしまう場合もあると思います。 でも、本当は 腸内じゃないけれど、ピロリ菌を倒すという LB21も ビフィズスじゃないし~。アシドフィルス菌を探したときに、 日本はかなりビフィズス菌信仰が強いと書いてあるページがありました。  

 CMつくるなら 数ある乳酸菌のなかで、なんでビフィズスなのかという点に焦点をあてたCMが高感度持てると思うんだけれどなあ。
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はたけで、はたらけ
2008/04/27(Sun)
 昨日は午前中に子ども会のあつまり。 10時からだからとゆったりしていたら、メールが来て「印刷するものがあるから早めに来てください」とのこと。子ども会の枚数分なんてたいしたことないのですぐできるだろうと、20分前に行ったけれども誰も来ていない。 鍵もあいていないし。 少しまっていたら鍵を持った人が「ごめんごめん」と来たけれど、印刷物原紙がない。 音頭取りの人が原紙担当の人に電話をしたら、1時間あとだと思っていたとのことで、結局早く行ったのはあまり関係無くなってしまった。 印刷すること自体はは簡単だし、ピーやら仕事やらで慣れているので負担には感じないけれど、だれでも印刷できるようにしておいた方がいいんじゃないかなあ。 とても簡単な仕組みなので、印刷機を使える人が少ないというのも不思議な気がする。 あ、昨日来た人に印刷の仕方を教えておくべきだったか。。今頃気がついた。

 今年の催し物について集まった人で少し話をした。 バス旅行について。 行きたいところはあるみたいだけれど、「個人負担ありですよ」という話をしたらいきなりみなさんトーンダウン。 年会費600円で 一人6千円するようなバス旅行に個人負担なしで行けるわけもなく。 どちらにしろ人数があつまらないことには実行計画さえも危ういという感じなんだけれど。 それと、子ども会は親がつくりあげないとできないものなのだが、最近は 「できあいの只のもの」が多過ぎて、(たとえば懸賞に当たるとか、モニターとかそういうもの) 「私はできあいのものに参加するひと」という認識で皆が参加しているので、企画する側がものすごく不足してしまう。 昨日も「私は働いているので、昨年はぜんぜんお手伝いしてなくて」とおっしゃった人がいたので、「そうですか」となにげなく相槌を打った後で、子ども会で手伝っている人も 週5日働いている人もいるんだよなあ。 私も週3日はパートに行っているし、それ以外は学校に行っているし、 この人は「自分は特殊な環境だ。」と思っているからこそのその言葉なのだろうから、 「いえいえ、特殊な環境じゃないですよ」と率直に言った方がよかったかもしれないなあ。 そうするとその人にプレッシャーになるんだろうか? などと頭の中でいろいろ考えてしまった。

 とりあえず、世間話もしつつ会合は終わり。

帰宅してお昼ごはんを作り、家族全員で急いで食べて、午後からは学校の畑の草取りに出かけた。月曜にイベントがあるからということで急きょの召集だった。 昨年夏にも草をとったけれど、雑草はこまめに抜いていないとかなりはびこっていて大きな株になったり 固まった土にしっかりと根を張っていていて抜きにくい。 年何回かは草刈りをしていたようだが、ボが盛んになる数年前までは裏庭も放置に近い形で荒れ果てていたため、そのツケがすごいのだ。 ありえないところにまでフェンス向こうの笹が地下茎で伸びていたりして苦労する。  抜き初めて1時間ちょっとしたころに雨がふりはじめ、解散となってしまった。 「もう少しきりのよいところまで抜きたかったねえ」とpon1と話しながら帰途についた。                               

 そうそう。そういえば、今年pon1は”はたけ”で”はたらく”ことが多い。 数年前にマンションの町内会担当役員になったのだが、pon1が割り当てられた仕事をきちんとやることからか、温和な性格的にか、町内会の人にも気に入られてしまったようで、担当をはずれてからも ちょくちょく町内会の用事があるときに召集の電話をいただくようになってしまった。 今年は町内会で遊休地に畑を作ろうという話のチラシがカラーでポストに入っていたので、私はてっきり全戸に配ったのかとおもっていたら、回覧でもっと簡単なものも回っていた。 「ん?」なんか違うな? と思っているところに電話。 参加してほしいとのこと。 pon1は担当でもないのにそれから毎週畑に行っている。 小雨のときも 「今日は作業がないかもしれないけれど、皆がやっているかもしれないから」と出かけてみたら「みな作業をやっていたから、手伝ってくる」ということで、 傍からみると結構大変そうだ。  いったん雑草が生えてしまった土地は当分手をかけないとすぐ草ぼうぼうになってしまうのだそで、ここのところ1週間ごとに草を抜きにでかけていて「農業を仕事にするのはやっぱり大変だね」なんて言っている。

 つらいのに出かけているのではないか?とふと心配になり、 「お父さん、出かけて楽しい? つらかったりしない?」と聞くと 「半々かな?」なんて言っているので、まあ半分は楽しんで出かけているのだったら良いのかしら?と思いつつ見ている。 
 先週は息子と一緒に草を抜いてきた。 (それまでは子供ができる仕事じゃなかったのだそうだ)こういう体験は息子にはものすごくよさそう。

今日は、ペットボトルロケットを飛ばしに息子&息子の友達と一緒に先ほど出かけて行ったところだ。
大きな歓声をあげて 何度も飛ばして遊んでいるのがここからも見える。 これは ”畑”でも”働け”でもないけれど、午後は 正真正銘の 「畑で働け」があるんじゃないかな。 そうすると 二日連続の畑で働け週間だな。
 私が植物にはまっていても、それを見守りつつも、自分は花についてあまり興味がないpon1だったので、野菜や雑草について、いろいろ語るpon1を見てちょっとめんくらっている。 今まで植物全般に興味がないのかと思っていた。 
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自転車に乗って ゆうちょ銀行へ
2008/04/25(Fri)
 月末だし、用事もあるしで久々にゆうちょ銀行へ行ってきた。 気候もよくなったので、電動機付き自転車で。 この電動機付き自転車、冬の間電池つけっぱなしで放置していた。春になって使おうと思ったときに、電池切れ(それは当然だ)していたので、充電したのだが、充電したにもかかわらず電池切れ間近状態になったので、青くなってしまった。 もしや。電池がダメになったか。。。 電池だけ購入すると意外に高い。 とりあえず一回リフレッシュしてみたら、復活した。 よかった。ホッ。


 さて、ゆうちょ銀行へつくと、ATMが一機こわれていて修理中だった。 ATM前は長い列になっていて、丁度給料日の会社が多いからか一人でいろいろと操作する人も多く、一人当たりの使用時間も長めだった。 当初は並んで順番を待っていたのだけれど、 窓口の方をみると意外にすいているので、窓口にならぶことに決めた。 コンビニで払うつもりだった税金もついでに払えばよいし。 で、待ち札を採りに行ったのだが、 ボタンがずらりと並んでいる機種に変更されていた。
 四角のボタンが 2列10個くらい並んだ横に 文字の説明が貼ってある。 まず、「どれなの?」と私もボタンを押すまでにちょっと迷って時間がかかってしまった。

 相手の講座に振込したいわけだから 「送金」なんですなあ。 なんで「振込」とか「払込」と書いてくれないんだろう。 用紙は 「払込用紙」なのに。 ゆうちょの言葉というのは私の言葉とちょっと違うので 異邦人感覚を味わうことになる。

 あと2人だったので、「すぐだな」と思っていたらなんだか遅い遅い遅い~。 ゆうちょ銀行ってなんでこんなに時間がかかるんだ?
 そんな風に思って待っていたら横からトコトコと出てきたおばあさんが「いつまで待っても自分の番にならないのだけれど」と札を窓口の人に見せていた。すると窓口の人、「払込の札はあのボタンの左上です」とのこと。 あらら。おばあさん、間違った札をとっていたのか。。 それにしてもこれからまた待つんだよね。気の毒に。。と思った。


やっと私の番になって 税金ともう一件の払い込み表を出したところ、 もう一枚紙に名前と電話番号を書かされた。  うーん。今どきコンビニでも支払できるわけだけれど、コンビニだったら バーコードピッピで1分かからないかもしれないぞ。 ゆうちょ銀行。こんなんでいいのか?
jerry?



  さて、今日の改善提案。

まず、ゆうちょ銀行のボタン、これをもっとわかりやすくする。 郵便局としては、 保険業務やら、郵便貯金やら、他行や他口座への送金など 代表的な仕事があると思うので、それをわかりやすく、 「保険」  「通帳」 「払込」 などとして分類することからはじめると良いのではないだろうか。

 それから、いまどきもう一枚紙を書くっていうの。これは 民営化されたのだから他行とあわせたらどうかな。 いや、銀行もそういうの書くのかな?だったらコンビニみたいに、払込専用窓口作った方がずっと早いと思うのだけれどなあ。 

 それから、ずっと待っていたおばあさんは 配慮してあげればよいのにな。そういうサービスを思いつかないのは問題だとおもうなあ。
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白髪三千丈
2008/04/25(Fri)
 うちの母は白髪体質。父は黒髪体質だった。 黒々としていて一本も白髪がない父に まわりの人が「いつもきれいにそめているなあ」なんてコメントをするのだそうだが、「いや、そめてないんだよ」なんて本当のことを言っても相手は 「つまらない冗談を」という表情だったということだ。 そこで、父は 「うんうん」と生返事をすることにしたとのことだった。 そうしてその方が、回りが納得したのだそうだ。

 なかなか「本当のこと」というのは難しいとおもう。 その人その人によって 「本当のこと」というのは経験に基づいてあるとおもうから。 そうして、お互い経験は自分のものしかないので、自分にとっては「あきらかなこと」と思えることも、人からみると 「とんでもないこと」だったりする。 本当はそれぞれありのままを認め合うことができるとそれが一番幸せなのだけれど、そううまくはいかないことも多そうだ。 ま、白髪程度のことだったら、別に「どうでも良いこと」だと思うけれど。

 白髪の話。 白髪体質だった母はことあるごとに 「苦労すると白髪になると昔から言うのよ」と言い、父は苦労していないのだと何度も言っていた。 もちろんそれは冗談だったのだけれど。今考えてみると たしかに母にも苦労があったとおもうが、 どちらかというと性格的に苦労性は父の方だったのではないかと思ったりもする。

 私の顔は父に似ているそうで、髪にもほとんど白髪が出なかった。きっと60すぎるまで白髪が出ないと踏んでいたのだけれど、ちょっと白髪が気になるようになり、そろそろ染めどきか?とそめはじめてから はっと気づくと すごい白髪の量になってきたように思う。 pon1は結婚したころから白髪体質だったけれど、今はたぶんpon1に負けないほどの白髪があるように思う。 染めているので全貌は把握できていないけれど、染髪後 伸びてきた部分をみるとあまりの白の度合いの多さに驚く。

 白髪三千丈というように、マリー・アント・ワネットのように、「苦労が白髪になったんだよ。」。。 と、いってみたいところだが、たぶんトシなんでしょうなあ。

 ということで、白髪染めはかかせない。

マリー・アント・ワネット の、一晩にして全部白髪というのはありえないという説が多いそうだ。 もともと髪の色を染めていたり、かつらをかぶっていたりしていたものが、牢獄での生活で 髪の手入れをしなくなり白髪として伸びたのではないか。。ということらしい。(あちこち検索した結果)

 なるほど。それならばわかる。 たぶん私も 数か月入院などすると 白髪だらけでびっくりするほど老けこんでしまうだろうなあ。 トホホ。 まあ、これも普通のことといえば普通のことだけれど。
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外国語と一緒
2008/04/25(Fri)
 会社で余ったファイルをもらってきたものを、学校に持って行ったらお母さんたちにすごくほめられた。
「使いやすそう。」「欲しい~」だそうだ。 会社にはまだまだ余りがあって、もう持ち帰る人たちもそれなりに持ち帰ったようで減りもほとんどない。 このままいくとせっかくのファイル(新品)がゴミになる。

 それで、「まだまだ余っているみたいだから持ってこようか?」というと、「欲しい欲しい。車で迎えに行ってもよいから欲しい~」と数人に言われて持ち帰ることにした。 けれど、たかがファイル、されどファイル。 通勤時に持ち帰るのも、まとまった数となるとそれなりにかさばる。息子と話をしているときに、「このファイル、便利だからって欲しいという人がたくさんいたんだよ。 持って帰るって約束したけれど、中には車で迎えに行ってもよいからと言われたよ。でも、本気で 『来て』っていうわけにもいかないしね~」なんて言うと息子、ニヤリとして、「ファイルがほしけりゃ、迎えにきやがれ」(おもいっきり巻き舌で、表情付き)って電話したら~。なんていって笑い出しそうになっている。

 そうか、そいう風に使うのか。 若者言葉もそこそこわかると思っていた私も、 ヒアリングはそれなりにできても、会話はまだイマイチか。こういうものをどのように言ってよいかというのがわからないというのは、外国語と一緒なんだなあ。と、勉強させていただいたという感じになった。(いや、こういう言葉づかいはできなくてもよいものだけれども(^^;))

ちなみに、息子がこういう言葉づかいをしているのを見たことがないので、割とおどろきつつでもあった。


 そうそう。外国語つながりで。
多くの友達が英語の塾に行っている中、息子は英語塾にも行っていない。これで中学生になって大丈夫なのかなあと少し不安に感じてはいたのだけれど、 またもや会社から いらなくなったもの(新品)をもらってきた。 中学1年生用教材で、英語単語を 機械がしゃべって ゲームをするというもの。 「使うわけないよね」とおもいつつ持ち帰ったのだけれど、それを触っていた息子は意外と正答率が高いことに気がついた。「思ったよりも聞き取れているじゃない?」 学校では多少英語の授業もどきがあるけれどそれもそんなに体系だったものではないらしいし、どうしてだろう?と思ったら 使わないのでとうにやめてしまった 隔月刊英会話教材にちょっとはまっていたからのよう。 (ゲームの中で自分のお店がもてたりしゃべったりでき、それがパソコンで認識できる。継続をやめたころからときどき遊びで使っていた) こうやって、「勉強」としてでなく、できるようになっていることがあると、頼もしいなあと思ったりもする。 

 
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ドッキリ
2008/04/23(Wed)
 午前中はボに出かけてきました。今週は力仕事週間。 月曜・火曜は仕事で倉庫にある書類を片づけてリサイクルやら焼却やらに回す仕事を1時間ずつやりました。 今日はボで本の移動をしました。ホコリがたちそうなので、マスクをして手袋をして頭にはバンダナ。
 だって、月曜・火曜の作業のあとで、なんだか顔にポツポツ吹き出物がでてしまったのは、埃のせいではないかと思ったので。

 準備しながら、そういえば昔は「お母さん」のシンボルだった 「かっぽう着にてぬぐいをかぶるというのは見ない」なあと思いました。 とはいっても、私の母もかっぽう着にてぬぐいという格好をしているところを見たことはありません。 でも、掃除をするときに 手ぬぐいをかぶったりかっぽう着を着るというのは、ものすごく理にかなったことなんだなあと思ったりしました。
 
 さて、帰宅してこの日記を書こうとしていたら、突然 「火事です。避難してください」と放送がかかりドッキリ。 そうでした。金曜まで工事が続いているのだそうです。 これで火事が発生してもよくわかるようになったな。。とおもいつつ、これからは 設備点検のときは全戸数何時間かこれが聞こえるわけで、うるさいだろうなあ。。
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緊張の
2008/04/22(Tue)
 今日は歯医者。 私にとって歯医者はできるだけ避けて通りたい相手なのだが、悲しいことに、歯質が弱く、歯医者にお世話にならないわけにはいかない。 物心ついてから今まで、はたして歯医者にかよっていない年があろうかというほど、いやというほど歯医者とつきあってきた。 
 
 今日は、歯磨きのチェック。本来だったらいやでもなんでもないはずのものだが、私にとっては恐怖。なぜかというと、ここで何かが見つかるとまた治療。 おまけに年をとるとともにちょっとした気の緩みが医者通いに発展することも多くなってきたし。   そんなこんなで緊張の日だった。

 チェックのあとは 「おおむねよくみがけているけれど、2か所磨きが足りないところがあります」とのことで、無罪放免だったので、ほっとした。 ところが、私の場合磨くのも難しい。歯質がやわらかく、歯茎が薄いのだそうで、磨きすぎや力の入れすぎで歯が削れたり、歯茎がさがったりするという。磨かないといけないし、磨きすぎもだめという パーフェクトな磨きを目指さないといけないようだ。 世の皆さんはここまできちんと磨けているのかな。 私は「きれいに磨けているだろう」と思って臨んでも、やっぱりどこか歯ブラシが届きにくい場所があるので。
 
 まあ、他の人がみがけていなくても、それによって問題に発展しなければオッケロなわけであって、私の場合はトラブルに発展するので、完璧をめざしてみがかなければいけないんだな。

とにかく、今回はなにもなくてよかったー。 次回は連休明けだ。
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大変焦る
2008/04/21(Mon)
 昨年?一昨年? うちのマンションで火事があって、それから管理組合で危機管理のやりかたの見直しが行われました。 マンションで火災が発生した場合、別の部屋には火災の発生が聞こえないということが判明して、各戸でもそのアラームが聞こえるようにしようということになったのです。

 その工事が今日でした。 あいにく今日は出勤だったのですが、工事個所は居間だったので、帰宅してからどうにかなるかと思いムリに他の日に変えてもらうことはしなかったのですが、工事が始まってしばらくしてから、 「奥さん、ここ以外にどこか電話の差し込み口がある部屋がありますか?」と聞かれて 「???」 他の部屋で電話を利用していないので、どこにあるかわからない。 子機は置いてあるものの、それは電源だけだし。。 「あそこかな?」「ここかな?」と探し、結局工事会社の方で図面をみて、「どうやらこの部屋にあるらしい」という話をいただいたのだけれど、そこは寝室。 

いろいろさがしてみると、ありました。 「ありました。ここも何かしますか?」と聞くと、「はい」だそうで。

 例の如く、片付けるときに、居間にあった工事の邪魔になるものをとりあえず寝室に退避させてしまったので、それを片づけつつもともと人が入る予定じゃなかった寝室をかたづけつつ。

 どうにかこうにか無理やりに、なかばヤケに、工事の人が入れる程度に片づけました。

毎回こんなことを書いているので、「いい加減にすっぱりと全体片付けたら?」と思われそうですが、それがなかなか難しい。 いろいろなモノがあふれていてなかなか捨てられないし。 でも、今度こそ 誰がいつきても 「どーぞどーぞ。どこでもご覧ください」と入れられる家を目指そうかな。。 と書いている端から絶対ムリだと思っている私がいます。

 数年前に、あるお宅を訪問しました。そのお宅はすごかったです。小じんまりとしたお宅でしたが、設計にずいぶんと遊び心があり、フランスの田舎の家でも訪問しているかのような雰囲気でした。 驚いたのは、実際に仕事と生活をしていらっしゃる場なのに、「どうぞどうぞ。どこでもご覧ください」と本当に家全体を案内してくださいました。 そんな風に暮らせるコツってどこにあるんだろう。 すくなくとも我が家よりは物は格段に少なかったようにも思います。
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ディベートとディスカッション
2008/04/20(Sun)
 もう書かれてからずいぶん経ってしまったけれど、いつも拝見しているブログに、「ディベートは転向を許さないからディベートが好きじゃない」とあった。

生きることは不断に自分を解体していくことだと信じてやまない私にとって、転向してはいけないというのはすなわち死んだまま物を語れと言われているのに久しいと思う。



と書いてあって、「ああ、そうだったか。」と妙におさまるところにおさまった気がした。

お互いの立場の正しさを主張して(時には自分のやましいところも白と主張しながら)一歩たりとも相手に譲らない政党同士の意見の戦わせ合いを見ながら 「この人たちに進歩というものはないのか」「歩み寄りというものはないのか。」 と、まどろっこしい思いでいっぱいになり、それがあきらめへと続いてきたように思う。 私は今の自民党の政策は良いとは思えないけれども、だいたい人間がやることで、 「この人がやることはすべてが正しい」「この人がやることのすべては間違っている」ということがあるわけはないと思う。 いや、なかには間違ったことばかりを意図的に選択する人もいるかもしれないが、それでも全部が全部間違っているということはないと思う。
  だから、きっこのブログなどで、 「自民党はどうだ」と書かれていても アジられているような気がして、妙にモヤモヤとした気分が取り払えない。 少なくとも彼女は「党」でものを語っていると思う。

 これは、『「悪い」ことを「良い」としろ』と言っているわけではない。 私は今の政治はどんどん「生き辛く」なっていると思うし、そういう政治をよしとは思ってはいないのだけれど、でも 政策について「何は悪い」「何は頑張った」と評価をしていかないと、単なる 運動会のように 「赤勝て」「白勝て」の世界と同じになり、良い政治をすることよりも「政党」というグループが、数の暴力で勝つことだけがすべてになってしまいそうにも思う。

 勝ち負けを競うディベートでは、たとえ相手の主張に「正しい」と思うことがあったとしても、それを握りつぶし、自分が競り勝つことを目指す。自分が最初に主張したことから一歩たりとも譲ろうとしない。

 会社で行われている会議は少なくとも私はディスカッションだと思ってやってきた。 ディスカッションは相手の意見を取り入れ、それを理解し、自分の考えも微修正してゆく。相手も微修正する。それで合意点を目指すのだ。 以前かいた win-winはそのことだ。これは、討論を通して自分の成長があり、大変気持ちの良いものだ。それによってもたらされた結果の多くは2者の当初の主張よりもよりよい結果となる。

 なぜ政治の世界ではディスカッションが成立しない? 本来は政治こそお互いに考えを修正して行き、よりよいものを目指すのがベストなんじゃないか?と思ったりした。

 でも、そこには「これはディベートです」「これはディスカッションです」という前提がいるのかもしれない。 片方はディスカッションだと思って参加していても、相手はディベートだと思って参加していたら、やっぱり合意点は見つからない。 なぜなら、ディスカッションだと思い、相手側の意見を受け入れられるところを受け入れようとしているとしても、ディベート側は 1か0か、相手が完敗しないと納得しないからだ。 また、相手が主張していることすべてが自分への反論ととらえていると思う。 ということで、世にディベートって本当に必要なのかな?と私は思ったりする。 もし、それが必要なのだったら 相手をねじ伏せるためでしかないような気もする。
 
 
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息子の進路
2008/04/19(Sat)
 さて、息子も5年生。 本当に受験するのであればギリギリ今から準備しても遅いくらいの時間になりました。 実際、5年生のこの時期で受験クラスの募集がなくなってしまう塾もあります。

 塾にやろうか、どうしようか迷いながらずっといろいろな情報を自分なりに収集しました。 まず、公立校の様子。これは学校に深くかかわって自分の目で見てしらべました。(私の住んでいる地区の話です。都市部と地方ではまた状況が違うし、実家近辺に住んでいたら私の選択もまた変わってきたと思います。)
 また、一般からは見えにくい生徒たちの学力については、お気づきの方もあったかと思うのですが、仕事である程度わかってきました。(小学生については分からないのですけれど、中学・高校について)
ここでもやはり、いろいろな実態が見えてきました。 また、自分の選択をもう一度検証するために、何冊か本も読みました。

 先日読んだ 
子どもは公立に預けるな! (ソフトバンク新書 65)
子どもは公立に預けるな! (ソフトバンク新書 65)和田 秀樹

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star一見ロジカルに見えるが・・・
star数年前に出されるべき本でした
star特に目新しい内容は無い

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も、 「公立がダメと言う人はどういう点でダメと行っているのか」という点を検証したくて読みました。

(ちなみに、この本では 「スクールカースト」というものが取り上げられているけれども、こういうランク付けは公立だからあるというものではないと私は思っています。たしかに「おもしろいかおもしろくないか?」という基準で「モテ度」が決まるという尺度ではないと思うのですが、いじめにしろ、何にしろ私立だからといって全くゼロでないことは実際に通っている方からも、聞いたことがあります。 こういう本はいたずらに危機感をあおる書き方がしてあるので、その辺はまるごと信じるということはないのですが、とりあえず私がきづいていない公立の問題点がみえてくるかもと思い読みました。)

他にも何冊か読みましたが、興味ある方がいらしたら、書くかも。まあ、どれも上の本も含めて 「そうだね」と思うこともあれば 「どうかな?」と思うこともあるような本でした。

 受験するとなるとどういう難しさがあるかも少しずつ調べました。 実際、有名校(御三家などの超難関校でなく、そこそこの中堅校でも) の最近の試験問題は小学校の教育範囲を大きくはずれていることもわかりました。 実際にいろいろな高校受験問題を見る機会があるのですが、現代文や理科の問題などは、小学校受験の問題がそのまま高校受験問題として通用するものも多いです。中には 中学校受験用問題の方が難しいのではないかと思えるものもあります。それほど今の中学校受験は特殊になってきています。 つまり、それが「塾なしでは受験できない」という現状なのです。
 息子の場合、受験用の通信教育をとっているのですが、これから先は自己学習ではムリが出て来ると思います。 それは私に受験ノウハウが不足していることや、やはり家庭でやる学習は塾ほどに自分(息子)に厳しくできないということなどです。 

 実際に塾にイキイキと通っている子もいれば、塾に行きそのストレスを他の子にぶつける子もみてきました。 

 よそのお母さんと話をしている際に 「受験するかもしれない」と話すと、「受験するつもりならば、塾は必須よ。 他の子がそれこそ一生懸命勉強して受験する中、息子さんがあまり勉強せずに受験に挑むと、息子さんが勉強すれば入れる学校よりも低いレベルの学校にしか入学できないということもあるんじゃない?」と心配してくださる方もあり、 たしかにそうかも。。と 思いました。

そこで、息子に相談しました。 公立と私立を私なりに調べてきたことで私が出した結論。受験に関しての上のようなこと、 もし、塾に行くのならばもう今決断しないと手遅れになる(入塾にしても、勉強にしてもこれ以上遅いとかなり難しいと思います)ことなど。

 息子が出した結論は、とりあえずこのまま塾には通わずに自分で勉強して受験する。それによって受験に失敗したとしても、それまで勉強したことまでがムダになるわけではなくて、自分の知識は残るのだから、それでよい。 傍から見てランクが高い学校に入れなくても自分が行きたい学校に入れればそれでよいとのこと。

 私も息子からこういう決断をもらって、ハラが決まりました。 もともと塾に通うのに躊躇したのは、子どもの時代に大切な時間を塾と受験勉強だけに使ってしまうことに違和感を感じたことでした。 それと同時に、親としてのエゴも実感しました。 息子の力を信じているがあまりに、「もっと上が狙えるのに」と知らず知らずのうちに息子の意向をさておいて 上を上を見てしまいます。 でも、私が最初に持っていた 「こどもの教育」に関してよりよいと思える方向を見失わないように、 まずは 「通学時間が異常に長くないこと」「息子の性格にあった学校選び(息子が学校生活を楽しめるように)」を中心に今の成績を見ながら(実は客観的な成績を見ることは必要なので 模試は時々受けている)決めたいと思っています。 それで、その条件に合った学校は遅ればせながら今から探す。
 そうして、「ここだったら入学した方が良い」という学校に合格できればそちらに通い、校風や通学時間などの条件に合わないものを「私立だから」とか「偏差値が高いから」という理由だけで選択しないということにしようと思いました。

 一番のテキはアレですね。「息子さんは良くお出来になるから」というほめ言葉です。こういわれて怒る親はいないと思います。 よほど自分の息子の実態とかけはなれていれば「イヤミか?」と怒ることはあっても、自分の子供ががんばってがんばって勝ち取った成績であれば、ほとんどの親は誇らしくそういう言葉を聞き、嬉しくなると思う。 でも、親が他人から息子のことでそう言われたいという思いの方が強くなってしまってはやっぱり違うと思います。 人から評価されたいという思いよりも、息子本人の自分がどうありたいかという思い。そちらを大切にして見失わないようにしなければ。(ここで難しいのは、相手がこどもだということ。ともすれば息子自身も自分の目指すところを見失いそうになることです。親として方向を正すべきか、そのまま進ませるべきか。それを冷静に判断しなければならない。そういうところが難しいと思います。)

  これからの2年間弱、それなりに苦労もする覚悟です。場合によっては塾に行くよりも大変なことも多いかもしれないけれど、この気持ちを見失わないようにやっていこうと思っています。
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備忘的記録、最近読んだ本
2008/04/19(Sat)
 これも、先日の本と一緒についつい本屋で平積みされている中から買ってしまった本。
最近は軽いものが読みたいのかも。

超・殺人事件―推理作家の苦悩 (新潮文庫)
超・殺人事件―推理作家の苦悩 (新潮文庫)東野 圭吾

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star超シニカルな大笑い殺人事件
star最上質の推理小説パロディ

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 私の東野圭吾の本のイメージとは少し違う作品だった。 読んでいてふと 子どものころに読んだ 星新一や筒井康隆の本に似ているな。。という感じ。 

 中でも「超高齢化殺人事件」は、最近「年」を感じることも多くなってきて、我が身を振り返りながらちょっと皮肉で面白いんだけれど、ちょっと寂しいという感じで読んだ。

 そういえば、家でもpon1と「老い」について話題にのぼることが多くなってきた。 先日も いろいろなニュースを見るにつけ 「こんなことでよいのか?」と思うものも多いのだけれど、「どうして?」という気持ちの反面 「これは、どうにもならないだろう」と、半分はあきらめてしまっているところがある。 そういう 何が何でも闘ってでもどうにかしたいという気持ちがなくなるということはいけないことなんだろうか? と話した。
 pon1は いや、そういう気持ちになるのも自然の摂理というかそれはそれで自然でそれでいいんじゃない?という意見だった。  皆が皆、若くて血気盛んな状態だったら もっと世界は戦いだらけになっているのではないかという意味だったと思う。 確かにそう思う。 戦う人ばかりでなく、あきらめる人も 逃げる人も、 人間という種が生物として生きていくなか、多様な価値観で多様な行動をしてこそ 絶滅から逃れられるのかもしれない。 なんて思ったのだった。 だから 元気がなくても多様性という意味ではそれでいいのさ。と思う。 
 
 そういえば、昔誰かのエッセイで読んだ。 私が若いころからは時代がずいぶん変わってきて若い人の感覚も違っているのかもしれないが、 そのエッセイには 「それなりの年の男性というのは落ち着きがあってステキとか包容力があるとか言われことがあるが、おじさんは 怒る元気がなくなっただけなんだ」というの、 なるほどねえと妙に心に残っている言葉だ。
 
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会社の常識、一般の非常識
2008/04/17(Thu)
 前にも同じようなことを書いた気がします。
私よりも数年前に結婚して子供を産んだ会社の同期がいました。 彼女いわく「いろいろあっても、まだ会社の中はマシ。会社は閉じた環境でそこの中での常識というのは多少違ってもだいたい共有できているから。 常識というものが想像もつかないくらい違うというのを、保護者同士の付き合いで実感することも多いよ」と。

 もう会社をやめてから4年にもなるのに、まだまだ私の中には会社の常識がしっかりと根付いていて、一般の常識との差を実感することも多いです。

 昨日の日記に書いた、どうにか決まった委員さんのことです。

 自分はやりたくて委員をやったわけではなく、くじで当たってしょうがなく委員をやる。委員長決めの委員会を欠席するけれど、くじで決めることになっても委員長にはなれないとおっしゃるので、私が「やらなくてよい」と決められるわけでもなく、彼女だけを特別扱いするわけにはいかないので、他の方に説明するために文章で理由をくださいとお願いしました。

 すると、月~金まで働いていること、土日は遠距離介護に行っていらっしゃること。疲れがピークであり、自分の健康も害しそうなことなどをつづって、 平日も2,3日前でないと休みがとれるかどうかわからない。と書いてありました。 こういう状況で、委員としての仕事も 「お手伝い」ならば(できる)と思うとおっしゃったのです。

 この文章を関係する人に相談したところ、この状況で委員をやるのはムリではないかという話になりました。私もそう思いました。 介護や健康上の理由は十分委員免除の対象になるので、相談の結果同じクラスで他の方にお願いすることになったのですが。。。。

 帰宅してからしばらくして電話がかかりました。 「今、委員が変わったということを聞いたのですが、私は委員がやりたくないといったわけではないんです。」とのこと。 土日にだったら少し前に予定がわかるので”お手伝い”できる。とおっしゃるので、「委員の仕事は年に4,5回の土日だけではないことをご存じですか?」と聞きました。すると「知りませんでした」とのこと。 土日の担当のほかにも平日も仕事があり、担当日の前日に突然「明日はできません」と言われても代わりに入る人が必要なことや、土日の担当の前の準備はいろいろあり、それは担当一人で準備せねばならないことを説明しました。 すると、「委員として仕事ができなくてもお手伝いはしたい。別の委員さんとと二人で『がんばろうね』と言ったのに。」とおっしゃるのです。 私はとても困りました。  ピーは委員を何回やったというカウントをしているので、5年生くらいまでだったら、委員をやる、やらないでポイントが変わるため 「どうしてもやりたい」というのがあると思ったのですが、今年彼女の子供さんは6年生。今年度卒業のためポイントは関係ないのです。その方の状況は十分委員免除の対象になることを説明したのですが、「私と他の方の状況が同じだとわかったので、私がやりたい」と。 他の人は、遠距離介護もしていなければ、健康を害しそうということもないのに。  

 ここで、私の会社の常識が出てきて困ってしまいました。

つまり、私の中では 「委員をするというのは、一人前の委員の仕事がこなせること」なのに対して彼女は「委員を受けるのは受けてよい。委員の仕事は他の人に比べてできないが、お手伝いならばできる。」ということなのです。
  私は「お手伝いはいらない。委員の仕事ができる人じゃないと困る」と思うのです。

会社でやるのは”仕事”です。 一人分の仕事がきちんとこなせるかこなせないかが重要です。ひとり分の仕事がこなせなく、いつも周囲の人に迷惑をかける状態であれば、その人はその仕事はできないことになります。いくらその人がその仕事が好きで「やりたい」と思っていても その仕事がこなせてナンボの世界ですから。 担当する仕事がこなせなかったり、休みが多かった場合は、部署を変えられたりペナルティがあるわけです。 とてもわかりやすい世界です。

 でも、ぴーは違うのです。 ぴーは やった仕事によって報酬をもらうわけではありません。皆善意で労働を提供しているわけです。 しかし、委員会という集団で何かをやろうとした場合、 「できないこと」があってもそのままにしておくわけにはいきません。これは仕事と同じです。 でも、一人当たりの労働量が決められているわけではないし、ペナルティもないので、できる人、やる人が多く分担することになります。 そうして、当初皆で分担した量だったらできると踏んでいた仕事量が、「ひとり分の働きをしない人」の分の仕事までできる人が分担せねばならなくなり、どんどん膨らんでいきます。
 本来「きちんと働ける人」ばかりで働いた方が皆がハッピーなんです。 「状況次第で手伝える場合と手伝えない場合がある」という人は、いないものとして考えないと仕事が滞る原因になります。 しかし、ここで、「私はひとり分の仕事はできないし、どれだけ手伝えるかはわからないけれど、手伝いたいんです。」と言われてしまうとその人を外すわけにはいきません。
 これって、本当はその集団を管理する側にすると大変きつい。 いつもいつも代替案を考えてやらなければいけないので。

 私としては、「そういう不確定要因はプロジェクトから外すのが仕事がスムーズに行く」と経験上わかっているのですが、 会社ではないため、本人がやると言っているのに、他の人に変えるわけにはいかないので、「この後どうなるんだろう」ととても不安です。
 とはいっても、私はもう委員じゃないわけですから、あとは野となれ山となれと考えていれば、あとから「意外にうまくいった。」となるかもしれないとも思うのですが。

いや、彼女が「お手伝いなら」と言うのが「謙遜?」なのかもしれない。。この辺もよくわからないなあ。

 - うまく書けてないなあ。 -

 一般だったら 「心情的なもの重視」:できることならやりたいと思っている。お手伝いしたいと思っている。  仕事だったら 「仕事ができてナンボ」の世界で、 ある一定の成果を狙うのであれば 後者の方がずっと問題も少なく、運営も楽なんだけれど。。と、どうしても会社風の考え方になってしまうんですよね。  
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どうにか決まる
2008/04/16(Wed)
 いろいろあったけれど、結局収まるところに収まった。 活動ができない人はクラスに戻して別の委員を選出してもらった。 新委員長・副委員長もどうにか決まった。 みなも協力的な雰囲気だった。

 やっぱり案ずるよりもなんとやらなのかもね。 動き出すまでちょっと気にはかかるけれど、肩の荷が半分おりたところだ。
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とは言ったものの、やっぱ前途多難?
2008/04/16(Wed)
 昨日は前向きの日記を書いたけれど、寝るころには「大丈夫かなあ?」と心配で一杯になってしまった。というのも、今日(昨日の時点で明日)開かれる、新しい委員会の委員長決めの欠席連絡電話が次から次にかかってきて、現在連絡があっただけでも委員の3分の1が欠席となった。(もしかすると連絡なしのドタキャンもあるかもしれないと思うと今日何人来るか怖いものがある) おまけに、その電話(前回委員長だったので便宜的に私が連絡先というだけなのだが)の内容で疲れてしまった。
 委員長が決まらないときに決まって出るのが 「今日ここに来ていない人がならなくてよいのは不公平だ」という苦情。 たしかにもっともな話ではあるが、実際そういう「できない人」「やる気のない人」が委員長になったら委員が困るのも確かだ。  とりあえず、保険として「当日欠席の方ももしくじ引きで決める場合は委員長・副委員長になる可能性があります。ご了承ください」と伝えているのだが、これがまた伝える私があいての不満のやり場になってしまう。 それを聞く方の気持ちにもなって欲しいぞ。(--;)私だって、私に責任のないことについてぐちぐち文句を言われるよりは、「どうなってもしらん~。なんでもオッケロオッケロ」とお気楽に対応できればどんなに楽なことか。

 一人の方の欠席の理由は「こどもの習い事があるので。」ということだった。遅れて出席などできませんか?と聞いても「ええ、できません」と。 

 他の多くの人は会社だった。 これはありそうだと思う。実際私も一週間に2回も休むというのはなかなかスケジュールを組みにくい。今は週3回の仕事なのでどうにかなっているけれど、これが週5回出勤だったら、おまけにパートだったら難しいだろうし、もし前の会社にずっと勤めていて正社員だったら「なんでこんなことで休まなければいけないんだろう」と思ったに違いない。 でも、学校運営は今やピーがかかわらずに進めていけないという部分もあって、安い教育料で子どもを預けている分保護者がなんらかの手伝いをやっていくのが当然という考え方もあるとのこと。たしかにそういうことかもしれない。 たしかに、私がかかわってきた委員会はやらなくてもよいようなことかもしれないけれど、それがあることによって、地域や子供たちによりよい環境を提供できるものだと思う。

 一人の人からは「だいたい、今日決まって明日も休みなんて突然言われても休めません。」と、くってかかられた。電話で逆切れだ。 聞いている私としても (それって私が決めたわけではないんだけれどな。それはわかっているはずなんだけれどな。)と思いながらも、すでに日程に無理があるという話は会長に伝えていたため、「はい。今回の日程についてムリがあるというのはすでに会長の方には伝えてありますので」と返事をしたのだが、先方は そう言われても振り上げたこぶしを下ろすことができなかったようで、結局私がものすごい剣幕でまくしたてられることになってしまった。 自分の責任でもないことの文句を言われる方の気持ちになってみたことがあるのかな?この人。 あ、今になって気づいた。 あのとき「そうですね。日程には無理がありますね。日程は私が決めたわけではありませんので」と言えばよかったかも。電話の相手が予想しないことで怒っているとこちらはとっさにどう対応するべきかがわからなくなってしまうもんだな。

 一応、今年の役員さんからも電話がかかってきたので、その様子をお伝えしたのだが、「そうですよね。だから、今回の委員希望記入用紙には、委員会は16日になりますと一筆入れておいたのに」とおっしゃっていて、「ああ、そういえば書いてあったような気がする。私は前から知っていたから気にしてなかったけれど」と思いだした。 あのときにそのことを思い出していたら「でも、プリントには16日になると書いてありましたよね」と言えたのにな。  ま、そんなことで相手をやりこめても何の問題の解決にもならない。 それに、そういう文句を言うひとは、たとえ一週間伸びて来週になったとしても言うことは同じで「突然言われても1か月以上前でないと予定が組めない」と言うと思うし、プリントに書いてあったと言ったとしても「自分が委員になるかどうかもわからないのに予定は空けていられない」など言うだろうなと思う。 とにかくいろいろもっともらしい理由は言っているけれど、結局は「集まりたくない」「自分の時間をこういうことに使いたくない」というのが根っこの部分だと思うので。

 こういうときに困るのは、どういう態度で相手に接すればよいのか、ある程度事情は想像できるけれど 「はいはい~♪ おやすみですね。(^^) そうですねー。やっぱりこのスケジュールには無理がありますよね。お仕事、大変ですね。ホント。”ピー”ってどうしてこうなんでしょうね」なんて休むことを正当化するような愛想の良いことは言えないよ。 そうすると「休んでいいって言われたから」ということにしてしまっては先々皆が困ってしまうもの。

 一人の方は、「クラスで決まらなくて、くじで決まりました。でも、私は委員をやること自体が無理なんです。」という人だった。私はもう委員長でもなんでもないので、決定権がない。だから委員会にその言い分を持っていって皆に納得してもらうしかないので、無理な理由をファックスでおくってくれと頼んだ。 いろいろな事情があってムリだということが綿々とつづられたファックスが届いた。

 これって。なんでクラスでこういうムリな人を委員に選出したんだろう? くじで決まったといっても、仕事ができない人を委員にしてしまうと、その人が頭数いることになってその人の割り当ての穴埋めが却って大変になるのは分かっているのだが。 電話で聞いたことしかわからなかったのだが、委員を決めるときに、この状況を皆に話したのか?委員決めの司会はそれも関係なく選んだのか?  

 なんだか、先行き不安真っただ中。 今日の夕方くらいにはすっきりしたいものだ。
今日は 午前中・午後ともに学校です。


あ、今、ものすごく後ろ向きの対応を考え付いてしまった。(^^)

委員長決めのための集まりは行いません。委員長・副委員長は無作為に選びます。それで困ると思われる方は何月何日までに委員が集まって決めてください。 っていうのはドウヨ。 限りなく平等じゃないでしょうか?   なんてね。 これじゃうまくいかないんだよな。 だって「やりたかったわけじゃなくて、くじで決まったわけだから」ということで正当化して仕事しない人っているもんなー。


 
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今年は楽になるか?
2008/04/15(Tue)
 いや~、今日はすっかり初夏ぽい天気。 暑かった。

昨日は学年はじめの懇談会。 そう。ピーの委員決めがありました。 昨年立ち上げた仕事をずっと私が持っていては長く続けていけないので、今年は新しい人に任せるつもりではあったのですが、一応委員として働きつつサポートしようかな??なんて思っていました。

 ところが、その委員を希望する人がもう一人いらして、その人はまだ1回も委員をやっていないのだとか。土日しかあいていないので、どうしてもその委員をやりたいとのことで、そう言われるとその方にやってもらった方が良さそうな気がして譲ってしまいました。  結局息子が小学校入学してはじめて、委員や役員をやらない一年になりそうです。 委員会の方はたぶん何らかの形で手伝わないとまだ軌道にのっていないし、かなりの労働量があるし。。。なんですが、心配ばかりしていてもはじまらない。

 会社でも、自分がいなくなったら仕事はどうなるんだろうと思う人は多いようで、私も産休のときにそんな風に心配したものですが、意外にいないならいないなりにどうにでもなっていくのがこの手のもののようです。 どうにかなって動いていければ それに越したことはないというか。

 委員にならなかった人は係があります。私の係は決まったあとで、あと2つ係が決まらないものがあり、司会者が困っていました。 出席している人が少ないからか、誰もやるという人が出ないので、「だれかいらっしゃいませんかー」というのを何度か聞いたときにもう面倒になってしまって「二つやってもいいですよ」と立候補してしまいました。(またやっちゃった)それでどうにか会が終わりそうになったところで、隣に座っていたお母さんが 「一つ私がやってもいいですよ」と声をかけてくださって (その人は一つも担当していなかったのだそうです) その方に譲る?ことになりました。 めでたしめでたし。

 帰宅後、息子と一緒にレンタルビデオを返却しに歩いていたら、別のクラスのお母さんとばったり会いました。 そのクラスは委員が決まらなくて最終的にくじ引きまで行ったのだそうです。「会が長引いて今までかかっちゃった」「結局くじが当たってしまった」とか。 「いつもそういうくじを引き当ててしまう。これで3回目」とおっしゃっていました。 そうなんですよね。 くじ運って本当にあるなあと思うことは結構あります。

 たとえば、保護者主催の催し物でくじ引きを出店したら、同じ子が何度も何度も当たりくじを引く反面、何回ひいても 一番悪い商品しか当たらないとか。 息子はどちらかというとくじ運がない方。
こんなことを言うと本気にするので息子の前では言わないようにしていますが、くじ運がないのは私もです。今まで当たった覚えがありません。 よく、くじ運は遺伝するっていうけれど、本当に遺伝するんじゃないかと思うことも時々あります。

 とにかく、今年は息子が入学してからはじめて、1か月に1回以上の打ち合わせがない年です。
楽になるかな? 少し期待しています。
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仕事に行ってよ
2008/04/14(Mon)
 春休みの終わりの1週間頃のことです。 居間で「明日は出勤だから」という話をpon1としていたら、横から話に入ってきた息子が、「お母さん、明日は仕事休み?」と私の目を見て いたずらっぽく聞くので、私としては、出勤だと言っていたところにたたみかけるように聞いている様子からも、てっきり掛け合いを楽しんでいるのだと思い、「そうそう。休み」と答えを返しました。 すると、「え?そうなの?」と顔をかがやかせる息子。「違うよ。さっき言ってたでしょ。仕事だよ~」と返事すると、「せっかく喜んだのに、そういうことを言うのをやめてよね」と怒ってしまいました。 そんなことで怒るとは思っていなかったので驚いてしまいました。一人っ子だからか留守番はやはりまださびしいのだそうです。

 私の小さい頃を思い出すと、妹がいましたから「私がしっかりしなければ」という思いがあり、さびしいとかそういうものを感じるよりも責任を感じていたし、一緒に話をしたり遊んだりして過ごすことができたけれど、長い時間の留守番はやっぱり心細かったような気もしました。そうして、子どものころの1時間は今の1時間の数倍の長さに感じていたようにも思います。 世にはフルタイムで働いているお母さんもいらっしゃるし、その子どもさんは息子くらいの年になるとすでに自分ひとりでいろいろなことがやって行けるようになっていることだと思いますが、私としてはフルタイムで働いていた頃もっと息子にかまってやればよかったという思い(過ぎてしまった時間に対する思いはどうやっても書き換えることができない)があり、私がいることをうれしいと思ってくれるのであればありがたいことだと思いました。 

 さて、今朝「さあ~。今日行ったら仕事がほとんど片付くぞ。あと1日の頑張りだ!!」と自分に気合を入れて準備していたらpon1が「お母さん、今日出勤?」と聞くので「うん会社だよ」と。するとカレンダーを見たpon1が 「今日は参観って書いてあるけれど」と。 アレ??そうでしたっけ?? そうだったそうだった。 それで、シフトを変えたのだった。 あやうく会社に出てしまうところでした。 行く気まんまんでしたよ。

 息子を起こしに行ったついでに、「おはよう。ねえねえ、お母さんはねえ、今日てっきり仕事だと思って会社に行きそうになったよ。今日は参観日だね。何の教科なの?」なんて言うと息子 「え~~~~。仕事に行ってよ。来なくていいよ」ですって。 (--;) 「お母さんが来ると緊張する」ですって。  懇談に出るのはいいけれど、参観はくるなということみたいです。 はいはい。わかりました。いつものように物陰からこっそり見ます。

 でも、私の方も、見に行くと気が気じゃないというか、発言したら発言したで「そこのところはこんな風に言った方が良い」など、アラが目につくし、気にかかるし、緊張して見ていられないので見に行かない方が気が楽かもしれないんですよね。
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ゲームブーム
2008/04/13(Sun)
 ここのところ息子はゲームにはまっています。 というのも、前にも書いたけれど、花粉が飛んでいるので外で遊ぶのが嫌なこと、(キツイのだそうだ)。友達と遊べる日がかみあわないこと、クラスが変わってまだ新しい友達と慣れていないこと(息子くらいの年齢の子どもは結局は身近にいる子と遊ぶことが多いように思う。席が変わっただけで一緒に遊ぶ子が変わる)などが原因だろうと思います。
 それにプラスして、授業が本格的に始まっていないので学校から早く帰って手持無沙汰な時間が多くあることも原因の一つだと思います。

 
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 今家族で楽しんでいるのがこのゲーム。 これは、wiiならではのゲームで、wiiリモコンを色々に使って楽しみます。 例えるならば 自分がなぞを解いて ピタゴラスイッチを作るような感じ。最後までうまく行ったときには 「やったー」という気持ちを家族で共有することができます。 もちろん一人でやっても面白い。
  もうそろそろ全部クリアしてしまうので、息子は「宝島zⅡがでればいいのに」と言っています。

 それに、キャラクターがすごくかわいいんですよねー。 やってて楽しいゲームです。

とはいえ、そろそろ来週から通常授業に戻りますから そうそうゲーム漬けになる時間もなくなってくるかな。
 
 
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謎なコメント
2008/04/12(Sat)
 今日来た謎なコメント。
名前は 柔道で有名な人の名前。 urlは wikipediaの モルガン&スタンレー コメントは会社の名前を並べてずらりと 600文字程度。 どういう目的でコメントを残しているのかさっぱり不明。何かのまじないか? 会社は良く名前を聞く会社の名前ばかりなので、そんな会社がこういうコメントスパムを依頼するわけもないだろうし。 たくさんある会社名の中に一つだけ目的の会社の名前があるのかとも思ったが、それって意味があるのかな?  とりあえず 即消し。
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春だねえ
2008/04/11(Fri)
ケロのえさを採りに行ってきて。。と頼むと 「うん」と言って出て行った息子は ダンゴムシやらハサミムシやらと一緒に つやつやのニホントカゲを捕まえてきた。 脱皮中。 息子が脱皮皮を手ではがそうとしていたら、嫌がってしまってそで口にもぐってしまって「キャー。はいるな~」「あ~。背中にまわっちゃった。お母さんとって」だって。

 普通の母だったら大騒ぎだぞ。 私はトカゲを手掴みできる母だから大丈夫だけれどさ。 とトカゲを背中でつかまえて ホイと渡した。 「ベランダにはなそうか?」というけれど 「食べ物がないからダメ」というとさっさともといたところに返しに行った。
 トカゲは爪があって背中を歩くとひっかいて痛いんですと。 へえ~。 私は子供のころにトカゲを捕まえたかったのに、その極意を知らぬままに大きくなったので、トカゲをはじめて手でつかんだのは実は大人になってからなのだ。 子供のころに一度背中を歩いてほしかったものだ。とかげ。
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やっと一週間
2008/04/11(Fri)
 先月から今月は結構たくさん働いて疲れた~。 ここのところ仕事の方も山盛たっぷりで、毎日ぐったりして帰宅する。 やっと今日で今週も終わった。 仕事の方もどんどん雪だるまのように膨らんできたものが、片付く兆しが見えてきて「がんばれば終わるもんだな」と。 来週には少し落ち着くだろうか。

 そうそう、ずっと以前小言を言われたハケンさんが最近私に本当にやさしいので、昨年のことを思い出して「あれは何だったんだろうな」と思うことが多い。 あれも、お互いがわからない同士だからこそ起きたことだったのかもしれないな。 今日なんて、私の担当の仕事を 「(私が忙しそうだから)、このくらいだったら私もできるからやっとくわよ」とやってくれたりした。 なんだ。いい人じゃん。

 そうだ。会社の話で少し前のことを思い出した。

アルバイトの人が辞めることになり、送別会があった。その時、その人が料理の写真をとって、「ミク××用」と言ったら 他の人が「ID教えて。。」と。「いいよ。会社のことは『みんないい人ばかりだ』って書いていると思うし。。」というのが聞こえて (--;)ゞ 私はそういえばぐちが多いな ロバミミのurlなんて知り合いには教えられないぞ。反省。でも、今日は違うぞ。 あの時は いわれのないことで非難を受けて嫌な思いをしたので愚痴ってしまったが、今は心底 「いい人だな」と思っていたりする。 
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「はずれ」も楽し
2008/04/11(Fri)
 学校図書室が一般用の本を貸すようになってから、うちではブックオフにも行かず、せっせと本を借りてきた。 もともとブックオフを利用していたのも、図書館までが遠いことも理由にあった。時間もかかるし、バスを利用したら往復400円もかかってしまう。借りたら返すためにもバスを利用するから徒歩で行けるブックオフに行けば800円も出せば欲しい本が買えてしまうという考えからだった。

 ところが、図書室の本は話題の本、読みたい本がたくさん揃えてあって、人気本も競争率が低いため借りやすい。そんなこんなで、最近読んだ本はほとんどその図書室から借りてきた本だったのだが、ちょうど学期の切り替えで数か月図書貸出が休みになった。 なまじっか読みたい本を次から次に切れ目なく読んでいたので、一気に「本がありません」状態になるとさびしいというか手持無沙汰というか。 で、ふらりと寄った本屋でついつい本を買ってしまったのが最近。 禁断症状だったのかな。

 本を買うときはここ数年 気になる本をアマゾンでチェックしてから購入することが多かった。本屋をうろつく時間もあまりなかったので、そのままアマゾンで買うこともあるし、 e-bookoffで買うこともあったし。 でも、久し振りの本屋に行き「やっぱり本屋はいいなあ」と。 山積みにされている本・pop。あ、これもこれも読んでみたいと手が出る。 気になったら頭の部分だけでも読んでみることもできる。 最近はアマゾンでも内容を少しだけイメージでみることができる本もあるけれど、文庫本などはまだまだその対象外だし、イメージで見るのと本を読むのってやっぱり違うんだよな。 何が違うか明確にはわからないけれど、イメージで見える本は手に取ったときの色合いや大きさ、紙の質感、重さ、本の厚みなど イメージだけでは表現できない”何か”が情報として足りないんだろう。

 購入した本は、アマゾンのレビューなしに行き当たりばったりに購入した。 たしかにアマゾンレビューを読んでから買うと本の 「はずれ」に当たることは少ないのだけれど、今回は「え?こんな話だったの?」と読みながらまったく予想を裏切る話に驚いた本も多かった。最近前提知識なしに本を読むことが少なかったことに気づき、やっぱり本の「はずれ」がまったくないというのも つまらないもんだなと思った。   まあ、あまりにも「はずれ」な本を買ってしまうと、読む気も出なくてつらいものだけれど、本屋でちょっとだけ読んでから買うとそういうはずれは少なさそうだものな。。

 といいつつも、先日書いた アヒルと鴨は 個人的には「はずれすぎ」だったか。。。

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しゃぼん玉 (新潮文庫 の 9-36)乃南 アサ

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starベタさがいいのかも

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乃南 アサの本は読むたびに雰囲気が違っていて、驚く。
ラストに救いのない本は最近辛くて読みたくないのだけれど、この人の本は良い意味で水戸黄門的にラストに救いがあるように思う。 そこが好きだ。


精霊探偵 (新潮文庫 (か-18-9))
精霊探偵 (新潮文庫 (か-18-9))梶尾 真治

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starさすがカジシン

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 想像していたのとまったく違う話で読み進みながら 内心「え?そういう話だったの?」と驚いた。
軽い話。 たぶん小学校高学年くらいから楽しんで読むんじゃないかと思う。 大人には「軽すぎる」と思われる方もあるかも。 でも疲れた時にはこのくらい軽いものも良いものだ。
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便利な生活
2008/04/10(Thu)
 息子の件はやっぱり 「ちょっとだけ知っているヤツ」への牽制だったようで、息子がクラスで他の子たちと楽しく遊んでいたら1日目は何か言いたげに、2日目は向こうから話しかけてきて、今日はまったく普通に過ごせたとのこと。 とりあえず落ち着いた。
 今日の息子は、 「でもね。授業時間の空気がヤバイよ」というので「どうヤバイの?」と聞くと、「いくら授業でも静かすぎる。」ですって。 (いや、本来授業というのは静かなものなんだって。いままで息子のクラスにはたいてい何人か授業中に注意をひこうとする子がいたからそれが普通だと息子が思っているだけだってば。。(^^;))

 ところで、今日は朝から夕方まで断水。 私は出勤で息子が昼頃に帰ってくるので、とりあえずミネラルウオーターを準備して、「トイレは流れなかったら流さなくてよいから」などと注意点を言ってから息子を送りだした。 夕方帰宅して無意識に洗面所へ行き、手にせっけん(泡の出るヤツ)をつけてから蛇口を開けたら 出ない。。。そうか、断水だったんだ。(--;)  そのまま 風呂場へ行き湯船の湯を汲んでで手を洗った。  その後もトイレに行ったら風呂から水を汲んで流し、手もまた風呂場で洗い、、とても面倒。 それに、こんなに何度も手を洗っていたんだなあ。。

 息子は 「水の設備のない国の生活の大変さが少しでも実感できた」と言っていた。 たしかにこんなものじゃないけれど、蛇口をひねって水が出ないと結局手を洗う回数も減るし、衛生上このましくなくなって病気も増えそうだよねとおもったりした。 さて、工事終了予定時間になっても水が出る気配はないけれど、今日の夕方までの断水だと思っていたのでさほど準備もしていなかったのだが、このまま何らかの不都合があって明日まで断水だったらどうしよう。 料理はミネラルウオーターでできる分だけを作ることになるのかな。風呂はムリ。 なんだか一気にさびしい気持ちになってしまう。

ポンプで水を汲む生活は、たかだか数十年前のことなのに 便利になれてしまうと人はこんなにも頼りっきりになってしまうんだなと思ったりした。 まあもちろん、私も 手漕ぎのポンプで生活していたわけではないのだけれど。
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四月の 「し」は 「支払」の 「し」
2008/04/09(Wed)
 今朝は朝から交通安全の旗をもって横断歩道に立ってきた。今日は雨は止んだけれど、風が強めで「しまったもう1枚着てくるんだった」と後悔しながら 腕をこすりながら立った。

ところで、支払の4月。

 独身のころは、あまり「何月だから」という支払はなかったのだが、子どもが学校に通うようになってからは 3,4月は支払が多くて アバウトな私は 「ありゃ!これもあったか」とあわてることも多い。
 なぜ支払が多いかというと、だいたいなんでも1年払いや半年払いが多いので、それを一括納入というのがこの時期なのだ。

  とはいっても、通信教育やらなんやらの費用は別会計なのだが、(余談だがこれも通信教育と侮れないくらいお金がかかるもので、我が家の場合は年間30万を超えている。)4月はそれ以外にも年間予約の息子の雑誌のお金やらなんやら 「こんなところに伏兵が!」という状態のものがピョコピョコ出てきて、毎月同じ額もらっている生活費があっという間に底をつき、寒い懐になってくるのだった。

 昨日、支払を忘れそうになっていた息子の年間予約の雑誌の支払を済ませたばかりなのに、私の支払がまだあったことに今日気がついて、朝体験した寒さが懐の中にピュウとよみがえってきたところだ。 
 
 このあと、税金やらなんやらがまたやってくるんだなあ。ふぅ。 今日は家計簿をつけるかな。
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春の嵐
2008/04/08(Tue)
 「春の嵐」という本があったな。たしか。 剣客商売の巻の一つだったような気がするけれど、内容はどんなだったか忘れてしまった。

 夕べから暴風雨。ちょっとした台風くらいの雨。 息子は昨日から学校がはじまり、今日が授業1日目。私も仕事。 しっかりしてきた息子の話を書いた直後だが、今度は新しいクラスがいま一つだったようで、昨日は暗い声で帰ってきた。 仲が良かった友達がみな別のクラスになったのだとか。 「仲が良くなった友達とは離されるものだよ。でも○クンもいるし、△くんもいるじゃない。」と名簿を見ながら話をしたら、「■がヤダ。」とのこと。おいおい(--;)ゞ  以前からいろいろ乱暴されたりいろいろ言われた子ではないから、その子の存在は私はノーチェック。 ノープロブレムな子かと思っていたよ。 それと同時に、「息子がいろいろ気にしすぎなのかもしれないなあ」とも思う。 

 実際、私は妹たちがいたし、転校を繰り返していたので、友達を作るのもコツをつかんでいたし、いじめられたら その子がいじめたくなくなるようにするにはという手をいくつか持っていたような気がする。
 それに今まで生きてきた中で一番強気だったのがたぶん小学校・中学校のころだったと思う。
息子は、一人っ子だしなあ。友達もそういうヤンチャ系の子とは合わないので、やさしい子とばかり遊んでいるしなあ。

 花粉症で目がかゆい息子が目をこすっていたら 「泣いてる!」「弱虫、泣き虫」と 始業式の間中うるさくしたのだそうだ。 今の言葉でいうと大変「うざかった」のだそうだが、「おまえウザイ」と切り捨てられないのが息子。こういうときに、「泣いてない」とか「やめろよ」というのは逆効果。やめろと言われるとやりたくなるのがこのタイプの子なのだ。 ほっとくか「お前5年にもなって幼稚園みたいだぞ」と切り捨てるのがよさそうだと私は思うのだが。。実はこの■クンは、サッカーチームに入っている。そうして、そこのサッカーチームの子はこんな感じの子が多くて、式典などのきちんとしてなければいけない時間にきちんと静かにしておくことができず、回りのことが気にかかり 退屈のあまりちょっかいを出し始めることが多い。 以前発表会でいろいろ迷惑をかけられた子も同じサッカーチーム。息子はそこのサッカーチームに短期ではあるが入っていたので、いろいろ絡まれやすいのだろう。 

 サッカーをやっていたころはpon1がお父さんコーチとして参加していたので、 「今度は■がちょっかい出してきて、息子はブルーになってるんだよ。」と言うと、「ああ、あの子はなあ」とpon1。「ナントカSCの子ってなんであんななのかなあ。そういう子供たちが集まったという話だけれど、これだけ皆同じような感じだと指導も悪いんじゃないかなあ」など世間話的に問うと、苦笑していた。
 「それにしても、なんで静かにしなければいけないときに、人のことがきにかかるかなあ。ちょっとの間も退屈するんだよね」というと、「サッカーっていうのは、回りに気を配ることが必要なスポーツだからなあ。そういう子は向いているのかもしれないなあ」なんてこちらも冗談だけれど。 まあ、たしかに、息子は回りに気づかぬことも多いので サッカーには向いていないだろうと納得。

 ふと、情報を得るために飛ばし読みしたばかりの
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子どもは公立に預けるな! (ソフトバンク新書 65)和田 秀樹

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star一見ロジカルに見えるが・・・
star数年前に出されるべき本でした
star特に目新しい内容は無い

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の中に書いてあったことを思い出した。

(この本、内容的には書評にあるようにとりたててスゴイ根拠が示されているわけでもなく、データや出典もあまりちゃんと示されていないので不満の残る本だが、公立の学校の今を見るにつけ、「なんだか私の小さい頃の公立と違うぞ。」という印象がそのままに書かれていて、やっぱり今の世は教育そのものが変わってきてしまっているんだなとおもった。)

 公立教育はたしかに、昔に比べて 勉強でも競わせないし、運動でも競わせない教育になった。昔は漢字テストも計算のテストも嫌になるくらいあったものだが、今はほとんどない。教室の後ろに貼り出されている結果表の金メダルの数を数えていたのが子供のころだけれど、今はそういう張り紙は一切ない。人がどのくらいできているかは良くわからない。 学校は 「発言内容よりも、発言できることが大事」とばかりに 「活発な授業」を目指す。そのためか、間違った答えを言う子も堂々としている(挙手の数は昔に比べると格段に多い。手を上げている子と上げていない子の数が逆転した感じ)し、教師から「それは間違っている」と指摘されることはほとんどない せいぜい「うーん? 他に意見はありませんか?」程度。 発言して目立ちたい子が多いので、人の発言内容を聞いていない子も多く、挙手で当たってみると、さっきから出つくした意見だったりということも多い。 同じ意見を発表しても、教師から「同じですね」と指摘されることもほとんどない。(参観日での印象なので、通常の授業は違うのかもしれないが。)
 運動も、たとえば運動会の短距離走にしても、事前いタイムを計り 同じくらいの速さの子ばかりをまとめて走らせるので だれもが1番になる可能性がある。 そういう状態であることはたしかだ。

 ところが、最近思うのだけれど 人間というのはいつも 「自分より上」とか「自分より下」とか知らず知らずに格付けせねばいられないのではないかと思う。「あの人は私よりも教養・知識がない/ある」とか「あの人は私よりもお金がない/ある」とか「あの人の地位は私よりも低い/ 高い」とか 知らず知らずにそういうことを考えずにはいられないのが人間なのではないかと。 そういう習性があるところに 「みんな一緒」という教育を受ける。 考えてみると最近の子供たちには「みな中間で同じ」という教育を受けることによって、自分の得意と不得意を自他ともに認識することが難しくなり、自分のアイデンティティさえ持つことが難しい状態になっているのかもしれないなあと思う。  昔は勉強ができれば尊敬されることはあってもいじめられないものだったけれど、今はそうではないというのもそのあたりに原因があるのかもしれないと思う。
 
 良く聞くのは 「学校では全く元気のなかった子が塾に通い始めると見違えるように元気になり、めきめき力を伸ばし始めた」 という言葉。これも学校では 「その他大勢」だった自分が きちんと”格付け”=”評価”されることにより、自他ともに自分の能力をはっきりとみることができるようになることで、自分というものの価値を自分も認めることができ、人からも認められるからかもしれない。このあたりの話は上の本でも述べられていて、 たとえば学芸会のとき、誰でも主役状態になるのが今の学校だということ。 たしかに、昔は「よくできる子」がそれなりの重みのある役をもらっていたのに、今はそういうことはない。 

 

このように、なるべく差が出ない、あるいは差がみえにくくなるような方法をとれば、落ち込んだり悲しんだりする子どもは少なくなるかもしれませんが、一方で勉強はあまりできないけど、走るのだけは誰にも負けないといった子供が、得意になれる瞬間を持てなくなるということにもなります。
 勉強の面でも同じで、今の公立学校は、昔のように成績表を張り出すこともないので、だれが勉強のできる子どもなのか、同じクラスの子供でもわからないのが現実です。




 そう考えてみると、最近は塾に通わない子に対しても周辺環境は昔からずいぶん変わった。私の小さい頃はスポーツ選手になりたいと憧れている子はたくさんいたが、それに対して具体的に何かをしている子はそういなかったように記憶している。(田舎だったし、昔はそういう受け皿もないし) でも、今は勉強に対する塾と同じように、スポーツに関しても過酷な「習い事」がある。 もちろん、塾に行っている子たちが 「希望校に入りたい」と本気で努力していると同じくらい真剣に、スポーツの塾に通っている子はかけもちをし、クラブに属し土日も1日中頑張っている。 親も子も本気なのだ。 
 そうして、スポーツクラブでも 「レギュラー」という過酷な競争が存在する。 上で書いたスポーツクラブの子が息子をターゲットにするのも たまたまクラブをやめた息子が 「がんばれなかったヤツ」ととしてその子の「自分以下の人間探し」にぴったりとはまって映っているのではないかと思っているのだった。
 (息子の場合はサッカー選手になるつもりはまったくなく、体力作りのつもりだったんだけれどね。 でも、「体力づくり」という気持ちでは、まじめにサッカーに取り組む保護者と子供の熱意に、親子ともども 「求めているものが違う」と思い、辞めたという経緯があるんだけれど。)

 


さて、このあたりまでが昨日の息子が帰ってくる前に書きかけていたこと。
息子には 「同じクラスになって、息子の状況がみえるようになってきたら ちょっかいは出なくなってくると思うよ」(たいていちょっかいを出されるのは、同じクラスになったことのない「なんちゃらSC」所属の子ばかりなので) と アドバイスしたら、 昨日は■クンは息子が他の友達と遊んでいたら、何か言いたそうにしてはいたが、なにも絡まれなかったとのこと。 

 そういえば、大人の世界でも「ちょっとした噂」をされる人というのは、顔みしり程度で付き合いのない人だったりするから子供の世界もそういうものなのかもしれないな。  
 本人が意識している、していないにかかわらず 心の中では「競争」を好んでいる自分 「一番になりたい」自分「格付けされたい自分」がいるところに、 「よいをよい」「悪いを悪い」「できるをできる」「できないをできない」ときちんと格付けされないことにより、本能的に独自の格付けをそれぞれにに行おうとしてしまっているのが現状ではないかなあと 思ったりした。
 
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備忘的記録
2008/04/07(Mon)
プラダを着た悪魔 (特別編) (ベストヒット・セレクション)
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 ここのところ、レンタルDVDはやめていたのだが、先日映画割引がほしくてカードを作ったので、息子用のDVDを借りたついでに借りた物。
 内容的には、普通。 しかし、さすがメリル・ストリープ。 彼女がいなかったらこの映画こんなにいい感じにならなかったんじゃないかなあと思う。 
  ストーリー全体は たぶんまじめな人が見ると「なんじゃこれ?」的。  でも、まあ、ラブコメ?だと思ってみるのがよろしいかと。  アン・ハサウェイの黒目はなんであんなに大きいのか。人間の黒目はどこまで大きくなるのか。 はては牛のように目全体が黒目になってしまうんじゃないかと。

ピンポン
ピンポン窪塚洋介 中村獅童 竹中直人

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starストレートに感動しました
starスマイルの存在感とARATAの演技が良かった
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 ピンポン。息子と一緒に見られるかな?と借りたもの。 面白かった。 ARATA,窪塚、中村、しっかりと個性的な役を堪能させてもらった。 CGも ぐ~  ???

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)
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star軽妙な仕上げ
star真相は好きですが、登場人物に魅力を感じませんでした
star伊坂作品としは上出来

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 チルドレンは好きだったんだけれどなあ。 これは吉川英治文学新人賞受賞作。 展開は予測もつかない。よみながら、絶え間なく不安感を抱く点と 現実離れした感じを抱く点では、私にとっては以前読んだ村上春樹の本とよく似た感じに思えた。 海辺のカフカとか。。。 そういうのが好きな人は好きなのかも。 私はあまり好きでなかったので。
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高学年
2008/04/07(Mon)
 使い古された言葉だけれど、息子も「ついこの間入学したと思っていたら」もう今日から5年生。押しも押されぬ”高学年”になりました。 何度も書くけれど 親からすると 「成長してほしい」と思う気持ちと 「今の可愛いままでいてほしい」という気持ちと双方があります。もちろん、「可愛いままでいてほしい」という気持ちは子供の”今”は一時たりともとどまらず過ぎ去っていくものとわかっているからこその気持ちなんだろうな。もちろん、そんな気持ちだけに親が翻弄されて 子供の成長の足を引っ張るようにはなってはいかんと心がけているところですが、 気分はすでに半分 オバアチャン。 孫を見る気持ちとはこんなものだろうな。。なんて思ってしまいます。

 我が家では、面倒くさがり屋でアバウトな私と面倒見がよくてきめ細かいpon1に対して息子一人。 私はどちらかというと「自分でできることは自分でやって」と思うことも多く、世話も割りと気まぐれ状態ですが、pon1は本当につきあいのよい人で、痒いところに手の届く父親ぶりです。
  先日も息子に対して心配尽きないpon1がいろいろと世話をしようとしているのを、横眼でみて、「息子はね、親の『かわいくあってほしい』という気持ちに応えてくれているけれども、本当は私たちが思っている以上になんでもできるんだよ」なんてpon1に言うと、口の端をあげてニヤリと笑っていましたよ。
 その表情を見て、「ふふふ。大きくなったなあ」とまた成長を実感しました。

 最近息子は、日頃一緒にいる私に対しての矛盾追及などなかなか手厳しいことも多いです。適当なことを思いつきでコメントすると「この間お母さんはこういったじゃない?」とのちに追及されることも多く苦笑することも多いです。 たしかに、私に必要な知識も真剣勝負が必要になってきました。たとえば、 今 息子は植物にも興味があります。 突然 「お母さんイチョウは単子葉植物? 双子葉植物?」などと聞いてきて、ここをご覧くださってる方々の中には植物に詳しい方も多いので、 「その程度のものがこたえられないとは?」とあきれられるかもしれませんが、実はとっさに私は答えられませんでした。 後から 「そういえば、イチョウは裸子植物だよ。」と思いだし、「イチョウは裸子植物だった気がするよ」と伝えた次第。  昨日もテレビを見ていると 「所さんの目がテン」という番組で「松の樹皮をはいだところにある形成層は昔食用になっていた」と映像が映されたとたんに「松の形成層は、習った形成層と違う」というので 「ああ、息子が習ったのは草でしょ。松は木だからじゃない?」となんとなく答えたけれど、実はこのあたりってきちんと知らないカモ。即答するには冷や汗もののことも多いです。 それに、実際このあたりは理科でならったかどうか、すでに私には記憶がないのです。 子供のころは、言われたままを覚えていたので ホウセンカならホウセンカ、イネならイネ、それしか考えてなかったような気がします。それを発展させて、「木だったらどうの」とか「イチョウはどうの」とか考えたことはなかったような気がします。

 そんな風に息子の成長は知識面に対する広がりだけでなく、もちろん いままで 「親は絶対」だと思っていたものが、親の姿を客観的に見ることができるようになってきたようで、「親の矛盾点や親の至らない点」が目につくようです。 特に時間を共有することが多い私に対してアラは目につきやすく、冒頭でも書いたように、私自身もpon1よりもアバウトな性格のため 「お母さんは信用できない」と思い始めた様子が言葉の端々に出ています。 「この間、お母さんはこう言っていたけれど、違ってた」と非難されることも多く、結構脳トレになります。 私の方はその息子の精神面の急激な成長になかなか気づきにくく、しょうもないオヤジギャグを言ってみると 「しけた~。」「つまんない~」と評されたり いままでのポカポカした陽だまりのような生活はいまいずこ。 家の中でも自分の真価を問われるような状態に。。。むむむ。  一昨日も「も~。おかあさんそんなにつまんないことばかり言うんじゃ 今度は一緒にこないで」なんて言われた日には 妙にいじけた気分になり、「もう、最近息子はお母さんに厳しいんだもの。。」などと言ってみても 相手にしてもらえない。 1日たってから、当の息子に 「昨日のお母さんはなんだか被害妄想っぽかったね~」なんて話しかけられると 「ああ、もうじき私の手を離れるのも間近なんだなあ」とひしひしと感じます。 そろそろ反抗期だものなあ。 pon1の予想では、息子の反抗期はそんなにひどくなさそうだとか。それを信じてみましょうか。 ちなみに私の反抗期は結構長くて大変だったといま思い出だします。

 その反面、「大人とおなじように」自分の思いをストレートに話してみると、理解してくれることも多いので、やっぱり成長してるんだよねえと。 親としての自分が思うところは、 私も”できること”もあれば”できないこと”もある普通の人間、勘違いや間違いももちろんあります。 そもそも 人間で 「Aさんの言っていることはすべて正しい」「Bさんが言うことはすべてまちがっている」という状況はありえないし、私は”完璧で間違わない親”にはなれません。 けれど、私が言うことはすべていい加減かというと、そうではないはず。 息子の目からみて、私の言葉に対して 良い・悪い・正しい・間違っている と判断できるようになってきたのであれば、 「母さんは、間違っている」「母さんは正しい」という評価ではなく、 「母さんの言っていたこの部分は間違っている」「母さんが言っていたこの点は同意できる」という部分部分で評価する考えへと進んでほしいと思っています。 この考え方・評価の仕方は将来にも必要となる考え方だと思うので。

 昨日は友達と外に遊びに行った息子に「5時か5時半には帰っておいで」と伝えたのは良いのですが、4時ころから委員引き継ぎの用事ができ、鍵を持って出なかった息子が気になりながらも家に鍵をかけて「5時までなら大丈夫かな?」と出かけました。結局5時になり、あわてて町内会の打ち合わせに出ていたpon1に電話すると「息子はpon1のところに来ている」とのこと。 「ああ、よかった。」と胸をなでおろしました。 締め出されてしまった息子は5時少し前に帰宅し、インターフォンを何度か鳴らしたけれどまったく出ない私を 「何かあったのでは?」と大変心配したのだとか。 ありがとうよ。そんな風に聞くと母も「嫌われてはいないんだな」となんだかほっとします。  

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