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ゲーム機の化石
2008/03/30(Sun)
 ドリームキャストというゲーム機を最後に、SEGAが家庭用ゲーム機から撤退すると聞いた時、その当時評判を聞いたソフト 「シェンムー」というのに興味があった。 ちょうど最後の投げ売り状態のときに、ゲーム機を購入し、安くなっていたソフトを少し購入した。 家にもちかえり、シェンムーの最初の部分のみ再生したけれど、そのころも息子が小さくてゲームなんぞやっていられる時間がなかったので、我が家ではそのまましまいこんだままになり、今に至った。

 息子は春休みになってから ゲームをすることが多い。 花粉の季節になったので、外に出たくないというのもあるだろうし、友達があまり暇じゃない(春期講習やらなんやら)というのもあるみたい。 私が出勤の日は時間を持て余すようだ。 外で遊んでいてもよいのだけれど、兄弟がいない息子は基本的に一人で遊ぶことになるから、「何かあったときの連絡」がうまくとれるだろうかというのが気になる。 たとえば、帰宅途中で誰かに連れ去られても いなくなったことさえ分からないということになるのではないかと もう小学校5年生になろうというのにやはり親としては心配になるものだ。  だから、「外で遊ぶな」とは言わないけれど、家の中でゲームをして過ごしていたと聞いても 半分は「そんなのでいいのかな?」と思いつつもう半分は 「家の中ならばある程度安心」と思う自分もいる。

 ゲームはお正月に買ったものはすべてクリアしてしまっていて、今はすでにクリアしてしまったゲームの何回目かにトライしている状態だった。 なんとなく 「春休みなのにつまらないだろうな」と思ったときに、 ドリキャスのことを思い出した。 ドリキャスを出し、E.G.GというアクションRPGを出してみたら、新しいストーリーにワクワクとしながら始めた息子。
 あまり長い時間ゲームばかりというのは良くないと、途中で別のことをして、pon1が会社から帰宅したころに、「お父さん、ドリキャスをやってみてるんだよ」とちょっと見せようとしたところ、最初の画面がちょっと出たきり チェック画面になるようになってそれから先に進まなくなってしまった。 それからはどうやってもディスクを認識しない。  せっかくストーリーに興味を示し、次にどうなるかということが気になったところでこんなことになるとは。
 
 今のところのストーリーはこういうの。

 

遺跡から発見された卵型のロボット。そのロボットの操縦席には眠った男がのっていた。 何年の間も年を取らずに眠り続ける男。どうすればその男の目が覚めるのかわからない。 ロボットは当時の技術では解明不能なテクノロジで作られていた。 しかし、長い年月が過ぎ、わからないなりにもその技術が模倣され現在では個人用の乗り物や作業用ロボット、果ては兵器にまで利用されるようになった。 ある日、その遺跡を作動させたものがいた。 そのとたん遺跡は生き物のように周辺の都市を破壊し植物のように根をはり、花のようなものを咲かせ始めた。 そうして、眠り続ける男が目覚めた。



 どうやっても動かないドリキャスを昨日息子はpon1と一緒に開けてみたのだが、どうやらディスク読み取りがうまくいかないみたい。 ハード的には動いているようだけれど、その後認識できないようで、お手上げ状態。 残念なことになった。 投げ売りだったとはいえ、結局数時間しか使わなかった高い買い物となってしまった。 

 息子は、「もっと早くに使っていればよかったね」というのだが、シューティングゲームと RPGの差はたしかにある。 息子は小さい頃からゲームもやっていたのだが、複雑なストーリーを理解する必要のあるRPGを本当に楽しめるようになったのはやはり ある程度本でも長い物語を理解できるようになってからだ。 RPGはゲームでありながらストーリー運びは文字で説明されることが多い。 だから、小学校低学年のころは チョロQのように すべてのセリフが ひらがなのものでないと、読めない漢字がたくさんあって進むのが大変だった。 今は息子も本も読むようになったので、習っていない漢字含めほとんどの漢字が読める。そうなってきてはじめて、 RPGを楽しむことができるようになったと思う。 シューティングゲームやアクションゲームとRPGゲームはたぶん脳の使う部分が違うように思う。 

 息子にも 「うん。それでもRPGしかソフトがなかったからね。 昔は漢字も読めないのがあったし、なかなかストーリーも追えなかったでしょう」というと、 「あ、そうかー」と。

 それにしても、まさか壊れてしまうとは。 オークションではかなり安値で落札されているようだったので、近所のリサイクルショップへ出かけてみたのだけれど、倍くらいの強気値段がついていたようだ。 すでに修理もやっていない本体。 でも、もっていたドリキャスが壊れてしまった人で、思い入れのあるソフトを持っている人は それでもそのゲーム機がほしいと思うのかもしれない。
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便利ボケ
2008/03/28(Fri)
 メガネを作ると度が進むとよく聞く。 私も最近「う?前よりも見えなくなった?」と思うことが多い。 自分の行動をじっくり観察するつもりで見なおしてみると、 以前は見えないものだからムリしてでもピントを合わせようと努力を繰り返していたわけだが、メガネを作ったとたんに 「メガネかければ見えるから」と そういう努力をしなくなったことに気がついた。 こういうところが目の筋力の衰えにつながって度がすすむんじゃないかな?なんて素人考えをした。

 以前介護用ロボットの開発でもそういう難しさがあると聞きロバミミに書いたことがあったように思う。
失われた筋力などを補助するようなロボットで動きを介助すると人間はだんだん力を出さないようになるのだとか。

 そういえば、パソコンで打つ文字のこともそうだ。私が文字を書くよりもずっと早く、候補となる漢字をみつけだしてくれて「これじゃないですか?」と表示してくれるので、私はその中から 「そうそうコレ」と選ぶだけになった。 その結果、漢字を大量に忘れた。おまけに、最近はコレと選ぶのさえ間違うことも多い。

 会社の仕事で いくつかの条件をあわせて何パターンかのフラグを記入するという仕事が大量にある。 こういう仕事、ものすごい単純作業なんだけれどとっても苦手。 わかっているのに間違ったフラグを記入してしまう。(こういう仕事はパソコンに任せていたので、 プログラムを作るときにじ~っくり考えたら、あとはパソコンが自動的に選んでくれるのに慣れていたためだろうな)

さて、昨日の昼。私は最近 目とおなかのために、昼に 「ブルーベリー入りのむヨーグルト」を飲むことが多い。 昨日も一口飲んだのだが、妙に苦かった。  ヨーグルトなどは前に食べたものの味が影響して苦いことは前にもあった。「うゎ。ニガっつ」と思ってつづけて飲もうかと思ったのだが、「いや、待てよ」と思いなおした。 こういうとき、売られているいるヨーグルトが苦いわけがないという先入観で私は生活してないだろうかと。 先日の餃子事件のとき、変な味がしたのになぜ皆が食べたのだろう?と不思議に思った(中にはすぐに吐いたり対処した人もいるかもしれないのだけれど) 。でも、実際私みたいに「苦い」と感じても 「苦いわけない」と自分の方を疑う人もいるんじゃないかとやっと思い当った。  考えすぎだとは思ったが、突然 東野圭吾だったか、宮部みゆきだったかの毒入り飲み物事件の物語を思い出して、 「とりあえず、いったん飲むのをやめておこうか」と。飲むのをやめて1時間、2時間時間を置いてみた。 もちろん何事もなかったのだけれど、 安全に提供されることが普通だと思っていてそれに甘んじていると 何かが起こったときに無防備になってしまう可能性があるなあなどと思った。  便利な生活にどっぷりつかっている自分を見直してみると その便利さに頼りっきりになっている部分が結構あるもんだと反省した。
 
 
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やつあたりだらけ
2008/03/28(Fri)
 「だれでもよかった」なんてやつあたりを、納得しちゃダメだと思う。世間が納得すると それを正当な理由として行動する人が増えるはず。 もともと自分の思った通りの人生を歩んでいる人は何パーセントくらいいるんだろう? 私から見たらさぞ思い通りの人生だろうと見える人でさえ、たぶん自分の人生に満足しているわけではないであろうとも思う。
 人はみな自分の与えられた環境で自分の理想を求めて生きているわけで、何の障害もないと見えていてもそれなりにみな悩みやら不満やら不安やらあるものだ。 たとえ他人から見て「そんなものは些細なことだ」と見えても、本人にとって悩みや不満、不安であることには変わりがないし、他の人の悩みと重みを比べられるものでもない。

 悩みは、やつあたりでは解消しない。解消するわけがない。 やつあたりでは、その鬱積した思いを別のものに向けるだけだから。 

 閉塞感はだれしもいつも感じているものだと思う。 たとえば、今の私であれば、「もっと良い仕事があればよいのに」と思うけれどもなかなかそういう仕事が見つからないという思い。 「もっと若い頃のような体力がほしい」けれど、重ねた年齢というものは自然の摂理であり受け入れるしかないという思い。 また、自分のことではなくて、世には 自分の子供や配偶者が自分の思うようにならない閉塞感を感じるひともいるだろうし、視点を変えてみると、たとえば日本の社会について も閉塞感を感じている人は多いかもしれない。 でも、それらをやつあたりして、はたしてそれが治るのだろうか?      

 やつあたりされた人にもやつあたりした人と重みは同等なんだ。 つまり、やつあたりする人は自分大切さのあまり、相手にも自分と同じ重みがあるということを忘れてしまっているのだと思う。 自分のワガママでやつあたりしてよいわけがない。

 最近この「やつあたり的犯罪」やら「○○さんがやっていたから(模倣)的犯罪」がものすごく多いようにも感じている。 やつあたりがどのようなものか、やつあたりは良くないということは教えれば小学生だってわかる。 (実際、友達からやつあたりされた息子が 「それって、ボクが悪いんじゃなくてやつあたりなんじゃないかなあ。ひどいひどい。」というと、「最近いろいろむしゃくしゃしていて、ついあたっちゃったよゴメン」と友達があやまったそうだ。) 

 もしかしたら犯行の詳細よりも 「それはやつあたりです」という定義をきちんと知らしめることから始める必要があるんじゃないかと思ったりもした。

 やつあたりをしちゃいかん。
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しかられつつの美術館
2008/03/26(Wed)
 先生方とのお別れ会に出席してきた。息子の担任だった先生は、退職という形ではあるけれど試験を受けなおして新年度から他の学校で勤務されることになったのだそうだ。ほっとした。 つい最近まで「戻ってくる」と子供たちに伝えていらした先生だけに、いろいろあったのだろうとお察ししたけれど、まあそれは私の想像の範囲なので詳しくは書かない。 「卒業式には来ますから」とおっしゃって、自宅の住所や電話番号を子供たちに教えてくださった。(「最近は」か、「うちの息子の学校は」かわからないのだけれど、住所や電話番号は子供に教えないことになっているらしいので学校では教えてくださらない)
 とにかく、先生が希望を失っていないことがわかり、本当に良かった。

 午後からは息子と友達と(お母さんも)で、車で最寄の美術館へ行った。企画展でインタラクティブアート含め、現代アート?がたくさん展示されていた。 ヘン?なものも多いというのが感想。 最近のアートって子供の考えることやお笑い、ネタ、キャラクターデザインなどなど と限りなく近づいているような気がする。(私は素人だけれど)

 とりあえず、どんな雰囲気かというのはこちら 大賞の作品は、中央の部分で自転車をこぐことにより 周囲につくられた自転車に乗った人々の模型がくるくると動くというもの。 ところが、当日は動かせなかったため、作品としては半分しか鑑賞できなかったことになるのでは? 私としては ナゼかキンタウルスが気に入った。 写真二枚目の一番右側。 ただし、芸術としてというよりは キャラクターとして。 こういう登場人物がゲームキャラに出てくるといいな。とおもいつつ、陶器の緻密な作業にびっくり。(素晴らしい作品)

 ALIMOもよかった。1枚のキャンバスの上に絵を描き、消し、書きを途方もなく繰り返し、それを映像に1枚1枚とり、アニメーションのように作り上げたもの。暇があればずーっと見ていたい感じ。
 

 息子たちがサイン入り写真をもらったのが、のびアニキ。
美術館の中で布団にくるまり寝ていた人。 枕もとにベルがあり、ベルを押したら起きてサインしてくれたらしい。  のび太そっくりの格好をしている。

のびアニキ(いただきの楽園)

中には天井からつりさげられた ビュレットと砂時計がドッキングしたようなものの中に、綺麗な海の砂のようなものを 鑑賞者が園芸用のステンレス土入れで注ぎ込みそれから出た砂がまた下に山と積み重なるというものがいくつか高低差をつけて展示してあるものもあった。 照明の関係で、砂は時々鈍い金色にも見えて綺麗だった。  退屈な展示の多いなか、こういうインタラクティブアート的なものは少なかったので、何気なく息子たちは砂をそそぎいれていたのだけれど、座って展示を見守っている女性が近づいてきて 「すみません。何かたべていらっしゃいますよね」と息子をさす。 え? と見ると息子は口を動かしていた 「あれ?何食べてるの?」と聞くと 「ガム」 「美術館の中では飲食はお断りしているので」とのこと。 ごもっとも。私が気付かなかったのは悪かったスマン。と、息子の口からガムを出させた。 それにしてもいつ食べたのだろう。ガムは持っていなかったのに。。。(あとから聞いたら、家をでるときにすでに口の中に入れていたのだそう。。(--;))  まあ、そこまではよかったのだが、  落ちた砂を土入れでさらに受けるように置こうとした息子がこちらを向いたので、 (ああ、そういうのも面白いかもね)と思い、「いいんじゃない?」と言うと、喜んで1つそのように置き、他のも置き換えに行こうとした。 すると突然先ほどの人が「これはー。こういう風に使うんじゃなくてー。」と怒って 当初 (美的?)にななめに気取って砂山にさしこんであった土入れと同じような角度に直してしまった。(あらら、怒ってしまったな)と。 

 インタラクティブアート
というのは、私の感覚としては、見る人が自由に参加して新たなものを作り上げるところに意味があるものだと思う。 展示物を破壊するわけではないし、その形体を多少変える程度のかかわり方であれば十分展示者の意図の範囲だとおもっていたわけだが、(もしかすると、破壊されたとしても、それもアートととらえる人もいるかもしれない) その担当の女性が 「そんな風にするんじゃなくてー」と怒っているのがなんだか (ちがうんじゃないかなー)とおもいつつ、なんとなく白けた気持ちでその場をさりつつ、つい一緒に行ったお母さんに「しかられちゃったね」と声をかけた。
 ちなみに、一緒に行ったお母さんは美大を出ている。 するとそのお母さんも 「あれは、あの人が勘違いしていると思うんだけれどなー」と。 やっぱりそうか。。 まあ、ガムを食べていた時点で 彼女の頭の中には 「要注意の非常識親子」という刷り込みがなされ、 「美術品は静かに鑑賞するもの」という彼女の観念から逸脱している私たちの行動は目に余るものがあったのだろう。

 実際、その中に展示されていた 「のびアニキ」などは彼女としてはどのようにとらえていたんだろうか?彼の芸術性を彼女は理解していたのか?(いや、私も理解できていないけれどね 

 ま、とにかく叱られたわけで、私たちは美術館を後にした。
しかし、のびアニキにしても、そのほかの展示物にしても、なかなか芸術性というものは理解がむつかしいものになってきているんだね。 「のびアニキ」のパフォーマンスにしても、「ネタ」なのか「お笑い」なのか芸術なのか その境界線が本当にわからない。と いう話などをしながら、公園というにはあまりにも起伏の激しい道を ハアハア息切れしながら子供ともども登ったりしたのだった。  彼女いわく、アンディ・ウォホールあたりから芸術の流れが大きく変わってきているのだそうだ。 美術に疎い私にしてみれば、どのあたりからかはわからないけれど、 たしかに、アンディ・ウォホールは昔は 単なる写真の色付けをし直したものであって、芸術だと思えななかったし、 いまだになぜあんなに高値で取引されるのかもわからなかったりしているので、わからないなりにも 「芸術性というのはわからない」というのがわかったような気になった午後だった。

 いや、ほとんどの人が芸術性の境界線を見失っていて、そのあたりが今回のことにつながっているのかもしれないとも思う。 実際何が芸術なのか。 いや、芸術とは何なのか ってわからない。 
 
 
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やめちゃうんだって
2008/03/24(Mon)
 息子の担任だった先生、辞められるそうです。 残念だなあ。 才能とやる気にあふれた新人さんがやめて行かれるのは本当に残念。 息子もがっかりしていました。  
 
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もらいもの
2008/03/23(Sun)
 今のパートはあまり時給も高くないので、お得感はそんなにないけれど、時々「うれしいなあ」と思うことがある。実は、先日息子と行ったコンサートチケットは会社からいただいたものだったのだ。
 そうして、この夏にもコンサートチケットをいただいた。 今度は3枚!。

コンサートの値段がかわるわけではないのだけれど、会社勤めの独り暮らしのときは、別段何にお金がかかるわけでもなく、1万円くらいの劇も、まあちょっと決心すれば見に行けるという感覚だった。別段これから要るお金もなく、洋服を買ったりするお金をそちらに回すだけだったので。 結婚してからも、会社勤めしているころは、 子供が小さいので時間的、空間的な拘束があるにはあったけれど、基本的にダブルインカムなわけであまり「かかるお金」という意識をせずに生活することができたようにも思う。(まあ、私があまりお金のことを考えない性格というのもあり。=お金がたまらない性格)

 ところが、お財布が一つになり、息子にこれからかかるお金を意識しはじめると一気にこういう娯楽への支出が気分的にひっかかるようになってくる。 一回の普通のコンサートでも 3人行けば約2万円はかかるわけで 2万円かけるならば「これは失敗だったねえ」というコンサートにはいきたくなくなってきてそうこうしているうちに、「ま、イカナクテモイイカ」という話になる。 こうやってチケットを頂けると 「わーい」と喜んで家族で行くことができて、本当に助かるなあ~。 うれしいなあ。

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日記をつけていて良かったと思う瞬間
2008/03/23(Sun)
 なんと来週は消防設備点検だそうで、 聞いた私は 「またぁ~?」と。 また片付けだよ。。特に今ヘロヘロ状態なので片づけなければいけないものが家にてんこもり。 
 毎回おなじみの 「我が家にはモノが多すぎる。もっといらないものをすてなければ」という世界に突入だ。 ふぅ。

 ついこの間点検したばかりのような気がするけれど。。とブツブツ思いながら、「そうだ!日記にかいてあるはず。絶対ある。毎回ぶつぶつこぼしているはず」と検索してみたところ ありましたよ。前回は半年前でした。

 消防設備点検って、年1回じゃないの? (そんなにやらなくてもいいよー)と検索してみたら、機能点検・総合点検の2種類があって年2回だそうです。毎回うちでやっているのは、火災報知機の検査だけだからその辺がきちんとなされているのかどうかは私にはわかりにくいけれど、でも年2回なんですねえ。

 下水高圧洗浄と合わせて年3回。 その日をめざしてうわべだけでも片付くということで、とりあえずの目標にはなるということで。。ヨシとするかな。

で、日記をつけていて良かったと思う瞬間は 「あれっていつ頃だったっけ?」「あれはどこだっけ?」などあやふやになってしまった記憶を一発検索できた瞬間ですなあ~。
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最後のおつとめその後
2008/03/22(Sat)
 なんだか今回はつらかったなあ。皆にも不満が残っただろうなあ。なんて思っていた委員会だったけれど、最終日にウルウルしちゃうようなことが。
 雨や風が激しいなか委員さんが一人訪ねてきてくれて、自分で焼いたパンをくださった。 感激。

仕事が終わってから最後のメール連絡を流したら、それに対しても何人か 暖かい言葉の返信をくださった。 うれしかった。

 人が行動をおこすきっかけにはいろいろなものがあると思う。 一番直接的なのは 自分の欲求を満たすため。 他にも、やらないと悪いことがおこるという消極的な理由。 中には憎しみだったり 悲しみだったりすることもあると思う。 

 その中で 自分の得になったわけではないのに、それでももう一度やってもよいかと思うきっかけの一つは、人のためになったと感じたり、人から喜ばれたりすることではないかと思う。 
実際、ヘロヘロになったし、本当につらかったし、へこたれてしまったけれど、でも最後までまがりなりにも頑張れたのは利用者の方々の喜びの声があったから、それが支えになっていたという部分も大きい。 そうして、委員さんからねぎらいの言葉や、また一緒に活動したいと言っていただけたということは私の中では最大のご褒美だったのだと思う。 これがあるからやって行けるんだよな。 

 先日、息子がとっている新聞に 鎌田實 さんの言葉が出ていた。 最近「あきらめない」とか「投げ出さない」とかそういう本が取り上げられているのは知っていたが、どんな方だか存じ上げなかった。

 鎌田さんは医師であるが、医師になった理由は育ての母が心臓が弱かったことがきっかけなのだそうだ。鎌田さんは1才のときに、実の親から捨てられて まずしい父と心臓の弱い母が育ての親になったのだそうだ。育ててもらった親への感謝の気持ちがあるのだそうだ。 小さくても良いから人に対してやさしくすることの大切さを説いた記事だと読んだ。
 上のリンクのウエブサイトにもあった言葉だが、「憎しみや恨みの連鎖は暴力の連鎖をつくるが、小さな優しさは、平和と友情の連鎖を生む。誰も見ていない、誰も気がついていない所に、小さな優しさの芽をつくりだしたい。」 というような話だった。心にしみた。

 本当にそうだ。パンを焼いて持ってきてくれた人がいる。喜んでくれた人がいる。そういう人がいるとわかっただけで私はまた頑張れるし、誠実にやっていきたいとまた元気がわいてくる。 ちょっと疲れていたので、本当にありがたいと思った出来事だった。  私もまた、人に元気になってもらえるような行動がとれると良いな。大きな力でなくても、小さなその心づかいがたしかに人の心を救うことってあるような気がする。  
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マカロン
2008/03/22(Sat)
 ここのところずっと マカロンを目にすることが多かった。最初に 「最近よく見るなあ」と思ったのは手芸関係の写真で、 「マカロン作りました」と 食べられないマカロン。

これは手作りじゃないけれど、こういうのとか
http://woman.excite.co.jp/life/kawaii/sid_25260/
もっと前にも見たかもしれない。

 私は「マカロンはそんなにおいしいものじゃない」という先入観があったし、私が食べたことがあったマカロンは色は茶色だったし、メレンゲの親戚みたいなものだったから、ピンクや緑や黄色という色鮮やかなマカロンは 「うわ~。大味そう」という印象だった。 いままで着色料っぽく色が鮮やかなお菓子でおいしいものを食べた記憶がなかったから。

 そのうちに、あちこちで 「紅茶を買ったら。。」と写真を目にするようになり、オマケについているのかしら? と思ったころに 息子が学校から マカロンのアクセサリーを持ちかえってきた。聞いてみると学校で公園に出かけた際、一人一本ずつ配られたペットボトルについていたそうだ。ピエールエルメ。。きいたことあるようなないような。

キャンペーン詳細はこちら。
たしかに、この赤いソースのかかったマカロンはなんだかおいしそうに見える。

 ピエールエルメのマカロンとは?? と気になってしらべてみたところ、
マカロンmania(食べ比べ)
というページにヒットした。 ここでもピエールエルメの評価は高い。

 ピエールエルメのサイトを見に行ってみると、 20個で 5250円。 これ、もしいただいてもこのサイトを見るまでは私には5000円を超えるギフトだと思えないだろうなあ。

 しかし、上の食べ比べページで見ると、私が過去に食べたマカロンは、マカロンではないかのような少数派。 大変気になる。 おいしいのであればものすごく気になる。 しかし、高い。1個250円だったらケーキが買えそう。  

 妙に気になる今日この頃。 かくなるうえは、都会に出かけたときにでも1個買いしてみるか?。。。(と思っているうちに忘れてしまうかもしれないけれど)
気が向いたら息子が持って帰ってきたマカロンアクセサリーの写真でもとって後でupしてみようか。(公園で遊んで帰ったものなので、薄汚れていてあまりおいしそうじゃない感じなんですが。洗ってから写真撮影するべきかな?)
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とりあえず週末
2008/03/21(Fri)
 風邪ひいた~。のどが痛い~。体がだるい~。 昨日は帰宅してからのどが痛くて腰も痛くて少し寝てしまいました。 で、今日もだるかったのですが、私担当の仕事があるはずなので、がんばって出勤。 会社に行けばどうにかなるのは、昔から経験済み。 で、疲れはしたもののどうにかかえってきました。

 息子は給食が終わってしまったので、お昼はうちで食べます。今日は息子用におにぎりと残り物ながらおかずを置いてでかけました。 ついでに私の分のオニギリも作り、お昼は買わずに済ませようとしたのですが、今日は今月でやめるパートさんの送別会で昼食会でしたよ。 おにぎりは無駄になってしまいました。

 帰宅したらもう疲れて眠いです。
アレルギーで夜中に目が覚めるのも影響しているのかな~。

 そうそう。お釜、届きました。昨日さっそく使いました。 息子とpon1がかわるがわるに台所をのぞきに来てワクワクと蓋をあけて炊きあがったご飯を見るのがとても面白かったです。 コシのあるおいしいごはんが炊けました。 今度は割らないようにしよう。

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買ったのはコレです。 ポイントも少しあったし。


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最後のおつとめ
2008/03/20(Thu)
 今日は、委員最後のおつとめです。 例年の如くすっかりと疲れ果ててしまって 元気もしぼりだせるかどうかという状態ですが、でもこれで今年最後だから頑張っていってこよう。

 来年はなにもしないことを望んでいますが、これが軌道にのるまではやっぱりただ働きだと思います。
しょうがないかな。 ま、先のことを考えても疲れるばかりだし、とりあえず目の前のことをかたづけるぞ。
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アグリーベティ 最終回???
2008/03/19(Wed)
 アメリカのドラマってこうなのか?それとも人気がなかったのか?

アグリーベティが最終回となってしまった。 ところが、 「これが最終回?」という話。 いままで全く展開しなかった話がラスト2回くらいで駆け足で展開しまくった挙句に、 以下でっかいネタバレ



うまくいくかとおもっていたヘンリーとはとつぜん彼女の妨害工作で彼女と二人で彼女の実家へ帰省途中。
気づいたベティはおいかけようとしていたが、姉と今度こそ式をあげて、良い父になろうとしていたサントスが強盗にでくわして撃たれた(亡くなったっぽい展開)。で ジャスティンの劇を見ていた姉に知らせに駆けつけ中。
ダニエルとお兄さん(お姉さん)は、突然兄弟愛に気づいたけれども、事故で意識不明中。
ウイルミナは フェイの部屋にアマンダと一緒にとじこめられてしまって日記をみつけるが、その重要性に気づいていない。(というか二人で酒盛り中)
お母さんは、映画「逃亡者」そっくりに脱獄(中)。

と、なーんにも終わらず、(中)ばかりの最終回。結局今まで以上に「この先どうなるの」てんこもりで放送終了。これってナンダヨ~~~。 
 
 
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かまわれる
2008/03/19(Wed)
 かまわれる => 構われる ではなくて 釜割れる。

まだ買ってからそう経っていないご飯炊き用の釜がひび割れてから1か月以上たったと思う。釜の底をみると「どうやってくっついているんだろう?」と思うほど割れている。 大きく丸く割れた中を ちょうどその中の字のように1本亀裂が走っていて釜の内側から見ても、外側からみてもきちんと割れている。

 とりあえず使えなくなるまで使おうと思って使っていたのだが、とうとう水も漏れるようになってしまい私も観念した。 しかし、この釜のいのちは短かったなあ。 落としたわけでもなくなげつけたわけでもなく何がいけなかったのか? 焦がしたのがいけなかったのか? 外側がぬれていたままご飯を炊いて割れたのか? 思い当たるフシがないような気もする。

 とうとう釜が割れたという話をしたら 家族皆が「おいしかったのにねえ」と残念そうなコメント。 炊飯器に戻ろうかとも思ったけれど あの炊飯器はおいしくなさすぎるので、みな乗り気ではなさそう。結局ネットで検索して今度は「土鍋よりもおいしく炊ける」という鉄釜を買うことにした。 やっぱりおいしいごはんが食べたいから。 

 今日も仕事。年度末は忙しい。明日も委員会で学校。 ちょっとうんざりしてきた。 息子も 「おかあさんまた会社?」なんて言っているが、週3ペースしか会社に行っていないことに気がついた。後は学校の用事だった。  そんなこんなで、今から 「今年も夏休みがもらえるのかなあ」なんて指折り数えて待っている。
 
 今日は仕事と歯医者。
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のびのび
2008/03/17(Mon)
 今日は息子が2時間で帰ってくるので、勤務変更してお休みにした。 ボにもピーにも出かける用事がないので、すご~~~~く解放された気分。 うれしいなあ。
 もし息子が友達と遊ぶ約束をして帰らなければ息子と一緒に午後から近所のデパートに芸能人を見に行く予定。(お笑い系ではないので息子は退屈しちゃうかもしれないけれど~)
芸能人は土曜と今日来る予定。私はどちらかというと土曜の方が見たかったのだけれど、でも土曜は体調不良だったから お手伝いがなかったらやっぱり出かけなかったろうと思う。 まあ、その程度の「見たさ」ではあったのだろう。。 (^^;)

さて、ぐずぐずしていると息子が帰ってきちゃう。洗濯しよう。

そうそう。PICT1681.jpg


これが初メガネ。 できあがってきてみるととっても気に入ってしまった。

 
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春が来た
2008/03/16(Sun)
 今日は、子供会の手伝いがあるんだけれど、昨日一気に頑張ったのでどうもエンジンがかからない。
ムリすればいけると思うし、行ったらどうにかなるとは思うのだけれど、こういうとき、本当は休んだ方がいいのかもしれないなあなんて思う。 実際、今回は担当は割り振られていないので、「絶対に行かなきゃいけない」ということはない。でも「手伝わないと悪い」とか「来なかったと言われるのがいや」というのが心の中にあって今シーソーをしているところ。
 
 昨日はとても暖かかった。実は、昨年秋にケロンをもといたところに帰そうとしていた。というのもネットでしらべたら、春先冬眠から目が覚めたヒキガエルは自分が生まれた水場を目指すというようなことが書いてあったので、このあたりに戻したのだったら迷子になってしまうんじゃないかと思って。そうこうしているまにある日、動きが鈍っていたケロンが土にもぐったきり出てこなくなってしまった。 家で冬眠準備に入ってしまったみたいで、あせった。 家の方があたたかいから、いまさら屋外においてきて生きていけるのだろうか。 その辺がさっぱりわからない。 結局 ビクビクしながらケロンはうちで冬を越させることにした。 なんといってもプラケースの中なので土も浅いし、冬場の乾燥した空気であっという間に土が乾いたり、雨がふってなんとなくジメジメ状態になったりケロンにとってはあまりよい環境じゃないと思われた。 息子はすっかりケロンのことをわすれているかのようで、どんなことがあっても死ぬわけがないと思っているみたい。 でも、私はケロンが春に目をさまさなかったらどうしよう?と冬の間心配することも多かった。 気づいたら土が乾いていたりしたし、その湿り具合もどの程度が良いのかよくわからなかったので。

 昨日の朝、ふと「今日は暖かいけれど、どうかな?」とケロンのケースをのぞいたら、 いた。 土の間から顔を出していた。 丸くて大きな目。 ケロンは生きていた。よかった。 さっそく昨日の帰りに息子に餌を採ってってくるようにたのんで、息子は何匹か虫をいれてやっていた。プールの水替えもした。 息子は「食べた!」と大きな声を上げていた。 今朝みたらケロンはまた土にもぐっていた。 また寝なおしたのかもしれない。  よかった。 ケロン。

 春が来たね。  もう少し暖かくなったら今度こそケロンのふるさとに帰してやろうと思っている。 でも、内心わかれがつらいなあ。 1年間ずっと飼えたのだからもっと飼いたい気持ちも本当はあるんだ。
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元気度30%
2008/03/15(Sat)
 昨日は会社帰りにとりあえず パンと牛乳くらいは買って帰ることにしたのだが、その冷えた牛乳を抱えてバスに乗ったのがいまひとつだったようで、夕方から超体調不良に突入。 結局夕飯作れず。
 ホワイトデーにリクエストしていたケーキをpon1に買ってもらったものを食べ、夕飯はなんとカップ麺になってしまった。 あとはヨタヨタ先に寝させてもらった。  息子は喜々としてカップめんの作り方をpon1に指導?してもらって手伝っていた。 子供からすると 「お湯をかけるとたべられる」というのは手品以上のミラクルだものなあ。

 一晩明けて今日。とりあえず元気度30%に復活。普通だったらゆっくり過ごすところなんだけれど、今日は学校で手伝いがある。  卒業生にptaからおもちを配るということを決めたらしいのだが、その餅の丸め手がいないし、丸め方がうまくいかないと先々週聞いた。 私の実家あたりではモチは丸い。子供のころに 餅をもんだことがある。(モチは丸めるというよりももむという) でも、このあたりは 「のし餅」の地域なので、もみ方がわからないのかもしれない。 丸められないから ガチャポンのケースの中にラップをしいて丸めると聞いたので、 とりあえず家族で行って手伝うしかないか。。ということ、もともと手伝い手も不足しているのだそうで。
 私のモチの記憶は小学生くらいまで。 一家総出のイベントで祖母の家に行き餅つきイベントをやった頃までだ。その後は父だけがつくのを手伝いに行ってできた餅をもらっていた。 親戚づきあいが面倒臭いと思う年頃になってからはできるだけ避けていたし。

 さて、その記憶がどの程度通用するものなのか。 自転車のように何年たっても思い出すものなのだろうか。 私の人生で 「もちもみ」をしたのは1,2回かもしれないのだけれど。

 午後からは 近所のデパートのイベントに芸能人が来るということで、ミーハーな私は見に行ってみたいという計画をたてていたのだけれど、たぶん今日はもちだけで元気度0%になりそう。 午後の予定は変更かな~。  (いや、もちなおして元気度100%という可能性もないことはないぞ)

ではいってきます。
 
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鉛筆見つかる
2008/03/14(Fri)
先ほど、息子の友達から電話があって、息子のバトエンが1本校庭でみつかったとか。 とりあえず よかった。 息子は 「どうしようもない」と自分でわかっても、 「誰かが自分のものをとった」というのは、やっぱりショックだったようで、今朝はあまり学校に行きたそうではなく、ぐずぐずしていた。
はやく立ち直ってほしいと傍からは心配していたので。
 
 今日は息子の方が早く帰ってきたので、電話で様子を確認しつつ帰宅したら 「つかれた」と昨日と同じ言葉が帰ってきて 「もう眠い」なんて言うので、 「ああ、まだまだ忘れるには時間がかかるな」と思ったばかりだった。 (ちなみに昨日も息子は 私やpon1の隣にぴったりくっついて座ってずいぶん早くにそのまま目をつぶって寝そうになっていたので、精神的にはそれなりに参っていたんじゃないかと思う)

 鉛筆が校庭でみつかったのは、息子が名前を書いていたからわかったことだ。名前を書いていたのは良かった。 持って行った子は名前が書いてあるから校庭にすてたのかもしれないし。 なによりも、使える状態で見つかったのは本当に良かった。 息子には言わなかったけれど、最悪な展開を予測すると ゴミバコの中から折れた鉛筆でもみつかるんじゃないかと もしそういうことになったらどうしようかと考えていたところで、 帰宅した息子に「まだみつからない」と聞いて半分はほっとしていたところだったので。


 今日、会社でちょっとその話をしたら、私立中学生の娘さんがいらっしゃるお母さんが、「6年生くらいになると(そういう出来事は)もっと増えるわよ。」とおっしゃった。 中学生になると、定期券が盗まれたり、今度はお金が盗まれるのだそうだ。  そういえば、隣のクラスでは ある子の教科書がビリビリに破られて校庭で発見されたこともあり、携帯や鍵がゴミ箱に捨てられたりしたこともあったりしたとのこと。 誰がやったかわからない、心当たりもないのにそういう目にあってしまうと人間不信になりかねない。  「ストレス」という名のもとだったら何をやっても見逃されるというようなことがまかり通りはじめた感もある昨今だけれど、 ストレスがあったって誰のものも取らずに過ごしている人たちも多い。ストレスがあったからといって、人を傷つけてよいわけはないんだけれどな。。なんて思う。

とにかく、週末にむけて 息子が明るく過ごせる状態になってよかったと思う。
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成長はいったりきたり
2008/03/13(Thu)
昨日は、学校。 そこで聞いた話。

なんと、解決していると思っていたのは間違いで、今の担任にも苦情電話が行っていたらしいのだった。
電話の主は、ここにも書いたとおもうけれど結局担任が体調を崩してしまった原因だと多くが思っている事件の発端となった(?)人。 (あまり詳しくかかないけれど)

 今回は、子どもさんにアレルギーがあって食べられないものがあるのだが、給食のときに、それがその子にも配られてしまって、 「「いただきます」と言ってから返しに行けば?」と言われたことに対して「いじめ」だという苦情だったのだとか。  どうだろう。これはちょっと過敏すぎるんじゃないかな?と。  私から見ると、たとえば、その子のおかずに 牛乳をかければいじめだとおもうけれど。。。

 うっかり配ってしまうこともあるだろうし、給食当番がひとりひとりのアレルギーを把握して配膳をするというのがはたして正しいのかどうか? うちだったら、そういう苦情は言わないと思うので。(いや、いろいろ考えがあるのだとは思うのだけれど) 

 そんなことを考えながら会社から家に向かった。 そうして、考えはいろいろめぐりめぐって、 「そういえば、前は息子もよく泣いて家に帰ってきていたけれど、最近はすっかり泣いて帰ることがなくなったなあ。気付かないところで息子もしっかりしてきているんだなあ」なんて思っていた。

帰宅して少したってから息子が帰ってきた。いつもよりも少し遅い。 ただいまの声が元気がないので、「忘れ物をしたからかな?」などと思って玄関を開けたのだが、開口いちばん「つかれたー」だそうで、 「どうして? 叱られたの?忘れ物したの?」なんて適当に話をしていたところ、突然、 「バトエンがなくなった」とのこと。 そう言ったとたんに息子は目からポロポロと涙を流してわあわあと泣き始めた。

 バトエンとはバトルえんぴつ。 鉛筆でゲームができるようになっているもので、最近学校で流行っているらしいのだ。先週末に 「クラスでバトエンを持っていないのば息子とあと一人くらいだから買いたい」という話があり、「学校に勉強と関係ないものを持って行ったらいけないんじゃないの?」などと聞いてみたら 先生にはokをもらっているのだとか。 それで買いに行って、やっと今週からウキウキと楽しそうに出かけていたところで、1週間もたなかったということだ。

 「どういう風になくなったの?」と聞くと、 袋入りのまま持って行っているのだが、袋の中から強いものだけが抜かれてなくなったのだそう。 結局クラスで探しても見つからなかったのだそうだ。 「だから言わんこっちゃない」と。 前に宝物の黄鉄鋼を持って行った時も見事になくなったので。 (こういうのは昔も今もお決まりなんだなあ) もちろん、息子はマジックで名前を書いていたようなのだけれど、そういうのは何の役にも立たなかったということで。

 かわいそうではあるのだけれど、他にもたくさん持って行っている中、なんで息子のものがとられたのかわからなくて状況を聞いてみると、 どうやら2時間続きで特別教室で授業があったときに、急いでいたので、その鉛筆を袋に入れたまま机の上に出しっぱなしにしていたらしい。 (ほら~~(--;))  息子の場合、どんなに出しっぱなしにしていても家の中ではものはなくならないからこの辺の危機管理がなってないのだ。

 もちろん取る子が悪いのは決まっているのだけれど、私としては悩んでしまう。 こうやってなくなってかわいそうだからと また新しいものを買って与えたとして息子は自分の大切なものは自分でなくならないように管理しようという気持ちがわくのだろうか? と。 鉛筆の質に対してキャラクター料などもろもろが加算されてバトエンは幾分割高ではあるけれど、しょせん鉛筆なので数百円しかしない。 大人からみると次を買うことも簡単ではある。 でもなあー。
  と、悩みながら、 「取られたことはとてもかわいそうだった。 とった人が悪い。でも、お母さんが子供のころから学校に大切なものを持ってきて、なくなってしまった子はたくさんいる。 自分の気持ちを抑えきれずに人のものを取ってしまう子は昔も今もいるんだと思う。それは大人になっても何パーセントかの人はいる。同じようにバトエンを持っていてもとられなかった子もいる。どこが違うだろう。 お母さんは、大切なものなのに机の上に出しっぱなしにして特別教室に行ってしまったことも関係すると思うのだけれど。 たとえば机の奥にしまったり、かばんの中に入れることで被害にあう確率を減らすことができたかもしれないと思うけれど、どう思う?」 と聞いてみた。 それと 上で書いたように鉛筆を取られてかわいそうだと思う気持ちがあって、新しく買ってやりたいと思う気持ちがあること。でもそれが息子のためにならないのではないかと思う気持ちもあり迷うことを正直に話してみた。

 息子は、なんとなくあきらめがついたみたい。 「話をしたらすっきりした」とだいぶ機嫌もなおって元気に風呂に入っている。 もうバトエンはやめる。なんて言っているけれど どうだろう。来週になったらやっぱり買いに行くというかもしれないな。 買いに行ってもよいから、大切なものはきちんと片づけることを身につけてほしいと思ったりした。

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そろそろ年度末
2008/03/12(Wed)
 懇談会は何事もなく、あっという間に終わった。出席者も少なかった。

以下は少し前の話。

実は、息子のクラス担任は先月から療養休暇に入って今は 教科毎あちこちのクラスの先生方が受け持ってくださっている。 「3月末までどうにか。」と思っていた私だったが、望みがかなわなかった。後から聞いた話だが、その決定がされた打ち合わせで、先生ご本人も 「このままつづけて担任したい。」と涙を流されたとのこと。 その話をしてくださった先生の目がうっすらと赤くなるのに気づいて私まで涙が出そうになった。
 でも、先生の症状を傍から拝見していると、微妙なところだと思っていた。 つづけてうまくいく場合もあるけれど、すでに自分の意思とは裏腹に体の不調が出ているところは良くない兆しだと思う。 その原因となったであろう出来事もなんとなく感じることもあり、 詳しくは書かないけれど。

 クラスの中の大半の保護者が先生をサポートしようとしている中、やはり数名は、質問するわけでもなく 水面下でぶすぶすと不満がくすぶっていたようだ。
先生の私生活など、ありもしない憶測も飛んでいたようだ。まったく。(--;) 初任の先生はほとんど自分よりも10歳以上年下の人なんだから、もりたててうまくいくようにサポートしようと思わないのかなー。そういう立ち居振る舞いが結局は先生をつぶすことになるのに。

学校の説明の仕方のうまい下手というのもあるのだろうけれど。
 数日してから知ったが、うちのクラスよりも他のクラスからの方が不満が多いという話もあった。「迷惑を被るのは(担任がかりだされる)自分たちのクラスもだ。なぜ説明のひとつもない」という不満だそうだ。  たしかに、「もう少し説明しても良いのかもしれない」とおもいつつ、 kチョーには「説明がほしいとおっしゃる方もいらっしゃるようです」とお伝えしたけれど、追加の説明はしない方針だとのこと。 どんなことでも文句を言う人は言うのだそうで。確かにそうではあるかもしれない。

一番の心配だった子供たちのことは、思ったよりも大丈夫だった。クラスはまとまって、子供たちから先生にお見舞いの手紙を出そうなどいろいろと意見が出て、それを実行に移したようだし、学級もうまく運営出来ているようだ。 それは毎日の息子の話のはしばしからもうかがえる。 親が思っているよりも、子どもたちはしっかりしていたということなのかもしれない。成長したなあ えらいなあと思った。

ということで、昨日は臨時の担任からの説明だった。担任を受け持ってくださっている先生も、学校内で別の仕事を持っていらっしゃる先生。おりしも年度末。 疲労も頂点に達しているご様子。 なにかあったときの対応が取れるくらいに、また 先生は子供たちを教えることに専念できるように、教員の数や 事務職員の数などもっとどうにかならないものかと思う。 今、教員は担任をもちつつ膨大な雑務もこなさねばならなくて、傍から拝見していても 「よくこれで学校がまわっているな」と思うことも多い。 うちの学校はそれでも 雑務のほんの一部をボランティアが担当することでサポートしようとしているが、それでサポートできる部分なんて ほんの少しだ。

 来年4月、元気に先生が戻っていらっしゃることを息子も私も心から願っている。
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30品目その後
2008/03/11(Tue)
今日は、朝から良い天気だし、暖かいし、気分もよいし、体調も良いし、学校にも仕事にも行かなくてもよいし、家事はすでに手をつけているし(洗濯機さんと食器洗浄機さんが働いている)すごくいい調子だ。
 午後からは学校へ行く予定があるけれど、きっとこういう日はうまく一日過ごせるのではないかと期待していたりする。 ただ、心配は花粉。 たぶんたくさん飛ぶだろうなあ。 帽子をかぶっていった方がよいかもしれないなあ。 とはいえ花粉症も以前ほどひどくない(体のあちこちが斑になってかぶれている以外は) 。

 さて、先日の30品目について一応息子に伝えることは伝えた。

●30品目というのは、バランス良く食事をするための指針であって政府が提唱したこと。
●しかし、いろいろな面でムリがあって、(たとえば食べすぎてしまう、おいしくないなども含み)現在はその指針はなくなっていること。
●実際はタンパク質・脂質・炭水化物・ビタミンなどのバランス良く食事することが望ましいこと

などの事実と

●とりあえず、品目数を増やすために15穀を使ったけれど、白米にこの程度の穀物が混じっていたとしても、たぶん成分的にはかなり微量になるため、誤差範囲ではないかと思うこと。
●授業の際に30品目とるのが望ましいという話になったとしても、そこで現在の話をあえて主張して話の道筋を変える必要はないこと。(たぶん、先生も授業として困るのではないかと思い)
●あまりにも品目が多いということで聞かれた場合は、雑穀ブレンド米の種明かしをすればよいということ。

など、その他もろもろ。 まあ、こんなに堅苦しく伝えたわけではなくて 「とりあえず空気を読んで」という雰囲気で伝えてみた。 私が子供のころはたぶん空気が読めない子供だったのだけれど。(^^;)

 帰宅した息子に 「30品目どうだった?」と聞いてみると、 息子は「みんな同じようなものを使っていて30品目になってたよ」とニコニコしていた。 「へえー、じゃあ先生はどうおっしゃっていた?」
「『意外に皆多くたべているんだなあ』なんてびっくりしていたよ。」 だそうで、ふふふ。そりゃ驚くよね。 うちの学級の保護者って みな似た者同士なのかもしれない。
 「タンパク質・脂質・炭水化物・ビタミンの話も聞いたよ。」

とのことで、無事に授業は終わったようだった。

息子には「学校で習うことだけに真実があるわけではないこと」など学ぶこともあったのではないかと思う。
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人のことはひとのこと    なんだろうけれど。
2008/03/10(Mon)
 出勤時によく見かける子がいる。 年齢は3~4歳くらいか。男の子だ。
自分の息子がそのくらいの年齢だったら微妙な年齢差もよくわかったものだが、最近さっぱり小さな子の年齢がわからなくなってしまった。

最初に気づいたのは、冬本番の頃。赤とグレー2色で仕立てて4つボンボンがついたまるで西洋のカーニバルかなにかのような帽子に目がとまった。 可愛いけれど、個性的な服装だなと思った。 その子は誰にも手を引かれるわけでもなく、会社最寄の駅の階段をてこてこと上っていた。 「こんな小さな子が一人で電車にのるわけないけれど、お母さんはいないのかしら?」と思ったのがきっかけだったと思う。 階段をのぼりきらないうちに 子供が後ろを振り返り誰かを待っている様子だった。 子供と一緒だとは思えないほど表情を変えない母親と思える女性が子供が待っていても声をかけるでもなくマイペースで階段を上っていた。 子供の帽子はとても目立つ。ある時は引きずられるように手を引っ張られ、ある時はとても一緒に歩いているとは思えないほど 後ろに子供がいるという状態で、とても不思議な気がした。 息子が小さかったときは、一緒に出かけるというのは私にとってとてもうれしい出来事であるとともに、息子にずっと意識を集中している時間だったし、よく話しかけていたから。

 そのうちに子供が楽しそうな目をして話しかけるのに、母と思える人が返事をほとんどしないし、したとしても必ず楽しそうでないどちらかというと仏頂面なことにも気がついた。  どうしてなんだろう。

 それから少しの間私は利用する電車が1本遅くなりあまりその子を見かけなくなった。

数日前、電車に乗っていると、一人でドアの前にぽつんと立っている男の子がいた。 鼻のまわりに黄色のガビガビがついていて、野球帽のひさしを後ろ向きにかぶっている。 キョロンとした目でくるりくるりと回りを見回して、今にもにっこりしそうな顔。 ところが、母親らしい人がいないのだ。 たぶん一番近い女性は私なので、見ようによっては私が母親とも見えるかもしれない。 「こんな小さな子が一人でこの時間に電車に乗るわけないんだけれどな」と思っていたら降りる駅についた。
 どこからかすっと女性がやってきてその子の隣に立った。 子供はうれしそうに女性に話しかけるのだが、女性はあまりちゃんと返事をしない。そのうちに、人の背の高さを long という子にlongじゃない tallだと日本語で話しかけていた。 子供の発音がこなれていたので、もしかしたらハーフなのかしら?と思ったりした。 二人は英語と日本語を混ぜて話していた。そうして階段を上るときになって、 「ああ、あの子だ」と気がついた。 女の人に引きずられるように連れて行かれる姿を見て思い出した。

 今朝、私がのった車両にまたその子がいた。 またドアの前に所在なげに立って 回りの人をキョロリキョロリとみている。  お母さんは? と目で探すと、座席に座り 英会話の本を読んでいた。子供と母親は一言も言葉を交わさずに 私と同じ駅で乗り換えた。
 またもや、母親がひきずるように子供の手を引いて階段を下りて行ったのだが、子供が母親のスピードについていけず、手を引かれたまま転んで何段も引きずられた状態になった。 私は、「なんで、もう少し気をつけてやらないんだろう」と思いながら隣を通り過ぎた。 でも、子どもはそれで母親としゃべるきっかけになったようで、本当に顔を輝かせてにこにこして嬉しそうに母親の顔ばかり見ていた。

 子供の育て方にはそれぞれ信条というものがあるのだろうし、うちにはうちの、よそにはよその事情というものがあるのだろうけれど、私の目からみるとその子がとても不憫に思えて仕方がない。
 まだまだ小さくてお母さんと一緒にしゃべりたいことがたくさんあるだろうに、あの時間帯に出かけるということは、その後たぶん保育園に行くのだろうに。 この時間話さなかったら、次は夕方に会う時まで話せないのだろうに。 子供は、自分がどういう扱いを受けてもそれが不当なものだとわからないのではないかと思う。 なぜなら 見える世界がものすごく狭いから。
 その子の人懐っこい笑顔を見ると、 もっともっと喜ぶ顔をさせたいと思う。 でも、私が話しかけるのはたぶん越権行為だろうし、彼女には彼女(母らしき人)の考えがあるのかもしれない。 私は笑顔を胸の奥に隠して 花粉用マスクの内側で素知らぬ顔をしている。

 我が家の子育てこそが正しいなんて誰も言えないというのもよくわかっている。 10人いれば10人の子育てがある。 でも、今日は、階段で引きずられて転んでも泣かずに 母親らしき女性の顔の表情の変化を見逃すまいといわんばかりに、回りを見回すでもなく、その場にその女性しかいないがごとくにこにこしながらじっと女性の目だけを見ていたその子の顔が忘れられない。
 
 
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30品目においつめられる
2008/03/09(Sun)
 息子が週末に私にみせたプリント。久々の宿題。(今まで宿題がないと思っていたがそれは私の誤解だったようだ。息子は休み時間に宿題プリントを解いているらしい。それでも学校に行くと勉強している姿よりも遊んでいる姿の方を多く見受けるので、昔のようにボリュームのある宿題が出なくなっただけなのかもしれない。 昔は漢字書き取りや計算問題を嫌になるくらいやった思い出があるのだが、あれもこの程度だったのか? いや、そんなはずはない)

 話を元に戻して。

そのプリント。「おかあさん、土曜日か日曜日に食べたものを書いていくんだって」という。見ると、朝食、昼食、夕食とあり、それに使われていた素材を書くようになっていて、

「いくつあったか数えてみよう」だの、「30品目食べるためには、あと何をつけ足したいですか?」のような言葉が書いてあった。

 ハッキリ言おう。我が家は日々30品目も食べていない。はっきり言ってムリだ。
息子に向かって「かつおだしだった場合は、鰹節と入れてよいのか?」とか「調味料は書かないの?オイスターソースとか?」と 「バナナはおやつに含まれるんですか?」とクラスで手を挙げる子供のようにダダをこねてみたが、そんなこといっても息子が書く内容を決めるわけではないことを私もよくわかっている。

 朝は息子リクエストで温そうめんだった。 温そうめんは 我が家の手抜き料理の中の一つ。しかし、とってもおいしくてなごむ味なのだ。 体調が悪い時や小腹がすいたときに人気のメニュー。 
 カツオだしをとったつゆにそうめんを入れてゆでる。ゆで汁は捨てない。 その中にオイスターソースを入れてダシ味増強。 その時の気分により、塩や醤油で味を調えるがたいていは、あまり味を加えなくてもおいしい。 それとは別に上に乗せるものをフライパンで作る。 ニラを油で炒め、ダシ味の卵を加えて ニラタマを作る。  お椀に そうめんをとり、ニラタマを乗せてつゆをそそぐ。 おいしい~。

 しかし、品目数となれば、 ニラ・卵・そうめん  たった3つ。 (ToT)

午前中は委員会だった。午後2時前に帰宅すると、pon1がいなかった。どこへ行ったのか聞いたところ、お昼が遅くなったのでコンビニ弁当を買いに行っているとのこと。 pon1ありがとう。この状態で昼に30品目をクリアするための昼食など作れるわけがない状態。 帰宅したpon1「今日は近所の学校で催し物があったらしく弁当がなかった。とりあえず品目が多そうなものを買ってきた」とのこと。 コンビニ弁当で一気に品目数をかせいだ。  それでも朝と合わせて12品目くらい。

  いや、ありのままの我が家の食事を書かないと意味ないだろうと皆さん思われるだろうか。 たしかにもっともだが、こういう日に私が作る食事は たとえば焼きそばとか ご飯とみそ汁と卵焼きなど はっきりいってショボイ。 いや、いつもしょぼいと言った方が良いのかもしれない。 いくらなんでもそんなにショボイ食生活を皆の前にさらせないよ。恥ずかしいよ。という変な見栄?なのか?

 さて、午後からは息子の買い物と私のメガネを取りに行った。 帰宅してから夕飯を考えた。そういえば金曜に会社の人からパン粉をもらったなーと思っていたら、突然「コロッケ」が食べたくなってコロッケにすることにしたが、ちょっと待って。  コロッケってジャガイモ、玉ねぎ、ひき肉、ニンジン、パン粉。はたしてパン粉は数えてよいのか?朝食べたそうめんもパン粉も原料は同じ小麦粉だ。ひき肉は合びきなので2つと数えてもまったく30にはとどかない。サラダをつけても無理がある。 それに、コロッケはいろんなものを入れるよりも私は一番シンプルなコロッケがすきなのだ。

 そんなときに、掟破りの技におもいついた。 そうだった。我が家には一気にご飯で15品目とれるという人気の雑穀ブレンドがあったのだ。 安直にそれを使うことで 「ヒヒヒ。30品目クリアだぜぃ」と。

いや、たしかに雑穀には白米にない栄養が含まれていることは含まれているだろうけれど、こういう一気に15品目的なものって本当はいま一つ意味なさそうだと思ったりもする。 白米に食感を損なわない程度にぱらりと入っている雑穀じゃなくて日替わりに「今日はモチキビ」とか「今日はムギ」などと食べないと誤差範囲じゃないのか?


 

しかし。この30品目取れというこの無理やりな指導って~。(--;)と持ち前の屁理屈が爆発。

(注:以下は屁理屈であり、何の知識も根拠もない状態でただダダをこねている状態です) 

 pon1に向かって、 ねえねえ。はっきり言って30品目毎日食べている家って世の中にどのくらいあるんだろう? 毎日30品目食べても食材がおんなじだったら意味ないし、3日なり一週間なり平均してまんべんなく栄養を考えて食べていればそれでオッケーなんじゃないの?と。 ぶつぶつ。 
 はっきり言って毎日30品目食べようなんて 主婦に対する嫌がらせじゃないかとも思えてくる。 (そういう自分が毎日30品目の料理を作ってみろよ!だ。) そのうちに、 30品目ってどこから来たのかしらないけれど、昔 タンパク質・脂肪・でんぷん・ビタミン など栄養素を学んでそれをまんべんなく食べようというのが(難しすぎて?)指導要領からなくなっちゃったから、オバカ(とおもわれている)な国民にわかりやすいようにとりあえず数は数えられるだろうと 一日30品目食べようなんていう目標を出したんじゃないの? とか、悪態はとどまらない。

 そんなことをpon1に言ってもしょうがないのでこの辺でおさめたけれど、 心の中では「30品目っていったって、 たとえば ハクサイとダイコンとキャベツとレタスと。。。と白色野菜ばっかりで30品目だったらバランス良いのかよっつ!!!」とか やり場のない不満がぷすぷすくすぶっていたのだった。 

さて一夜明けて。

とりあえず検索してみたらすぐに引っ掛かったのがこちら。

まだ数えますか? 「1日30品目」が消えた!

1日に食べる食品数を日本人が意識し始めたのは、1985年に旧厚生省が発表した「健康づくりのための食生活指針」の影響がありました。栄養のバランスをとるため「1日30品目食べよう」と呼びかけたのです。



だそうで、 なるほど、私のオバカな国民説はそんなに遠いところではなかったのだな。。と。

2000年に改訂された新しい食生活指針では、「主食、主菜、副菜を基本に食事のバランスを」とあるだけです。「1日30品目」は消えてしまいました。厚生労働省生活習慣病対策室は「30という数字を絶対化して食べ過ぎてしまう例もあり、誤解を招かないように、数字はやめた」と説明しています。人によって食品の数え方が違ったり、苦労して食べてもおいしくない。おいしくないから続かない、という意見もありました。



<以下突然いつものように敬体の文章に変わっていますが面倒なのでそのままm(__)m>

 そうして、もうその30品目というのは消え去っているのだとか。 なるほど、やっぱり続くわけないと思いました。 まだその幻想がこのあたりを闊歩しているわけですね。 しかし、学校にイチャモンつけてもしょうがないので、とりあえずこのまま息子には提出させますが、機会があったら今どうなっているかを息子には話そうと思います。

健康用語辞典

ハハハ。こちらにも、私の白色野菜ばっかり30品目食べたらドウナンダヨ?という疑問に答えるような解説がありますね。

 
 そんなバカバカしい指導じゃなくて 私らの子供のときのように食品成分表を渡すのが手っ取り早いと思うのです。 もちろん食品成分表に載らないような 食品固有な成分もあるでしょう。 昔はビタミンQ たとか Kだとか知らなかったし、 ナスポリフェノールなんて習わなかったので、なすは「ほとんど水分でできている野菜」としか思っていませんでしたから。

 しかし、食品成分表は子供にとってとても面白い代物でした。自分が食べている食品にどういう成分が含まれているのか。カロリーはどのくらいなのか。 学校で使っていたものが古くなったので、結婚してから買いなおしましたよ。  理科とあわせてそっちで教育した方がよほど為になるんじゃないかと思ったりしているのです。
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はっきりくっきり
2008/03/08(Sat)
頼んでいたメガネができました。 とりにいってきました。 ハッキリ、くっきりな世界が私に戻ってきました。本当にうれしいです。 メガネひとつでこんなに幸せになるなんて。

 つるの調整をしてもらっている間に 隣に座った息子が 「おかあさん、ここに書いてある字読める?」と聞きました。 テーブルの上に視力検査のように上から順に字が小さくなっているものが見本で置いてありました。

 「うん、そのくらいだったら一番下でも見えるよ」「読んでみて」と言われたので、左から 。。。と読みあげました。すると息子、 1つ違ってた。 シじゃなくて ソだよ。 と。
そうなんです。点々が二つに見えるので ソがシに見えるのです。 3と8の区別がつかなかったり不便なことがこの上なかった。 

 今日から 昔のようにはっきりした世界が戻ってきました。 嬉しい。
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なんとも言えない気持ち
2008/03/08(Sat)
 さて、今日は最後の委員会。 まだまだ来年に向けて積み残したことはたくさんあるけれど、無事に終了してよかった。 誰とも喧嘩になったり空中分解したりせず、みな笑顔で解散できたことは本当にうれしいと思いました。 ちょっと肩の荷がおりた感じかも。とはいえ来年の委員長に引き継いできちんと動くようになるまではまだまだやることがたくさんあるのですが。

 話は180度変わってしまうけれど、最近本当に「なんだかなあ」と思うことが多いです。政治のことになると、人それぞれ立場や考えが違い、なかなか私のように政治に疎いものが意見を言うのもどうかなあとも思うのですが、政治の素人なりに、ものすごくヘンで納得いかないものがあります。

 今朝のニュースだったかで、

年金名寄せ 月内で完了 5000万件の4割特定困難
 

舛添厚生労働相は7日、記者団に、「1200万件に加え、1550万件は死亡していた人の記録などだと分かった。合計すれば6割にあたる約3000万件が、半年程度の名寄せ作業で中身を明らかにできた」と述べ、成果を強調した。

 だが、残りの約4割にあたる1975万件の記録については、婚姻による姓の変更や氏名の転記ミスなどにより、持ち主の特定は困難と見られている。1200万件についても、記録の中身と本人の過去の記憶が食い違うなどの事例が続出しており、2月19日現在で持ち主と特定されたのは17万人程度にとどまった。



 ということについて、野党からは、「公約違反」という声が高まってきているそうです。

 実際私は、ここ数年来自民党を信頼した覚えはなく、投票も自分で納得いく人に投票していたわけで、自民党支持者ではないのですが、 この「公約違反」をタテに責任問題と騒ぎ、その場の担当者を入れ替えるというのは、私からみると泥沼のような感があります。
 
 この年金問題の話、元はと言えば 安部首相が 「やる」「できる」と言ったことだったわけですが、その時点から「精神論で、できるものではない。そう簡単なものではない。」と気づいていた人も多いのではないかと思ったりしています。 私からしてみると、これだけ公約違反と思う人がいるのであれば、なんであの時自民党だったのか?と思ったりもします。(ネットでのこのような投票は平均的にサンプリングすることが難しく、とくに、不満レベルが高い人が多く投票しがちなどという偏りは否めないのかもしれませんが) 公約違反というのは 「自民党」に向けて言うべきもので、それを自民党全体の問題とせず、桝添氏の責任にすり替わってしてしまっては意味がないと。

 いや、自民党を擁護するつもりは本当に毛頭ないわけですが、たとえば会社で、上司ができもしない大風呂敷を広げてトンズラした場合、あとを受け持たされた人は大変な苦労があったと思うのです。
 その苦労は苦労、努力は努力でみとめてやることと、諸悪の根源である、大風呂敷とトンズラについて、いえ、そういう状況になった根本の問題について、(たとえばその作業の質をチェックしなかったその責任と改善策について)もっと語るべきではないのかと思ったりするのです。 反対に 党全体として、トカゲのしっぽ切り的に 「最悪の場合コイツの辞任で本体は安泰」みたいなその体質はどうにかならんものかと。
 それを認めては意味がないと思ったりするのです。

話はまた変わりますが、先日のイージス艦のとき、増田好平事務次官の会見をテレビで見ましたが、あいたくちがふさがらなかった。
 しゃあしゃあと「正式な議事録はとっていない。メモをとっていたかどうかもわからないし、少なくとも自分はとっていない。どんな内容だったか覚えていない」とのたまった場面をテレビで見たので。

 これが本当の話だったら、大変なことです。 何年も前のことならばまだしも、つい数日前、ヘリで相手を呼んでわざわざ聞き取り調査をするだけの必要性があるだけの大事件の事情を、 「メモもとってない。どんな内容だか覚えていない」ような人だったら、もう事務次官をする資格がないと思われます。 即刻その職を退くべきことだと思うのだけれど、テレビを見た多くの人は 「ああ、またスットボケ」と思われたことだでしょう。
 「バカを装えば、なんでも許してもらえる。覚えていなければ平気。」 そういう体質をずっと許してきているから まずいことになると皆 「覚えてない」だの「記憶にない」だの言い出すのじゃないでしょうか。
 なんでそういうことを平気ではびこらせているんでしょう。 しゃあしゃあとテレビの前でそういうとを口にしてはばからないような人は 自ら「私は黒を白ともいう人間です」としゃべっているのと同じじゃないかとも思います。

 そういうことがどうして日々まかり通るのでしょう。 最近政党政治って本当はドウヨ?と思うことが多くなってきて、おまけに、何をやっても腐りきった人たちだと思うことも多く、閉塞感が否めません。こちらもホトホトいやになってしまうことが多いです。

 次に別のお話を 奈良遷都1300年のキャラ、最初に見たときには、私も「うっ」と沈黙してしまいました。あまり素敵だと思わなかったので。 質問サイトのアンケートで取り上げられていたので、その印象をそのまま投票したように記憶しています。 新聞で見たときも、家族に「かわいくない」「ちょっと違和感」という気持ちを口にだしたように記憶しています。

 今日 ときどき拝見しているブログに書いてあった、作者の籔内佐斗司さんがクレームについてきちんと対応されている文を読んで、「ああ、籔内さんは自分の作品ととらえて一生懸命作られたんだな」と ウケるウケないという軽い気持ちで 「カワイクナイ」などと評していた自分の姿勢を少し反省しました。 (籔内さんがお返事を出そうとしたメールの送り先が偽装などされており、きちんと返信できなかったものについて掲載されているようです。)
 
 実際に 籔内さんのページを拝見すると、素晴らしい立体造形の数々で、確かに童子というには、顔がふけすぎている感のある子供たちもありますが、それはそれで 実際の子供を作っているわけではないわけですから、架空の生き物として妙なリアリティがあり、なおかつ、決して柔和な表情ではないにもかかわらず、なぜか心が静かに落ち着いていくような不思議な魅力のある造形だと思いました。  
 クレームのメールの中には、「岡本太郎を引き合いに出しているが、あなたと彼らを同じ物差しで計らないでもらいたい。」というものもあったようです。実際芸術というのは、人に認められるか認められないかという差で語るものでもないようにも思いますし、どんなに岡本太郎が有名でも、私は岡本太郎の多くの作品は怖くて嫌いなのでした。  

 上のように苦情には失礼なものも多いのに、一つ一つに威張るでもなく、怒るでもなく、自分の考えをしっかりと返事されている内容を見て、私は久し振りに 心に響きました。 

 上二つは心に響かず、籔内さんの文は心に響く。この違いはなんだろうと思うと、やはりその文や言葉に現れた姿勢や、人の話に答えようとする姿勢が違うのではないかと思ったりしました。

 なんだか まとまりのない文ですが。。 
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私らのメタボなんてたいしたことないカモ?
2008/03/06(Thu)
 時々拝見しているブログ(ぢごくみみ) で知ったのですが、

トムクルーズって、今別人みたいに丸くなっちゃってるんですね。 いや、人間がというよりも体が。

Usmagazine.com (FROM HUNK TO CHUNK!)

 はっきりいって別人なのじゃないか。ウケ狙いなんじゃないかと思ってしまう。

NEXTを押していくと、 メタボな人たちの 前 -> 後 を順番に見ることができます。7人目くらいがトムクルーズ。

 こういう写真見てしまうと、私たちのメタボってあまりたいしたことないのカモ?なんて錯覚しそう。

いや、冬眠寸前生活を送っていたので、かなり冬ぶとりした自分を どうにかせねばなあと思っていたところだったんですけれどね。 このくらいたいしたことないかー   <いや、それは勘違い。

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テレパ?
2008/03/05(Wed)
 今日は、午前中ボ。お昼は交差点の旗ふり(ぴー)。夕方からは歯医者。フル回転。 今週は明日と明後日あと二日出勤なのでガンバロー。

 夕べ見た夢は pon1に 「息子が勉強のため北京に行きたいって言っているけれど?」と言われたものだった。 これから先のことをいろいろ考えることが多くなったのだが、夫婦二人のころとは違い、子どもというのは本当にお金がかかる。 これからどれだけかかるか予想がつきにくい。 たとえば、今後息子が私立に行くのであれば私立のお金がかかるのは当然のことだが、公立に行った場合も、日々の授業がなりたたない学校(一番近い学校も)の場合、授業になったとしても小学校のおさらいで授業が終わることもアリなわけで、高校受験のために結局は何らかの学習を個人でやり遂げるしかない。 近くでその公立中から希望校に入られた方の話では塾代がとんでもない金額だった。(途方もなさすぎて覚えてない) 
 夢では そういう中 息子が北京に行く<もう決まっている のであれば、その金額はどのくらいかかるんだろうと考えていた。 (現実ならば、行かせるか行かせないかから検討にはいるわけだけれど、なんせ夢なので、いつのまにか修学旅行のように行くということになっていたのだ。)

 朝食の折り、その話をちょっとしたところ、息子が 「息子も、夕べ北京に行った夢を見た」 だそうで、よかった。夢の中の折り合いは息子の夢でついていたということだ。めでたしめでたし。(なんちゃって)

 息子は 「これって テレパ(シー)?」と喜んでいたけれど、実際はどうだろう? 朝寝室で目ざまし代わりにタイマーでつけているテレビで ペキンという言葉があったのかも。 しかし テレパシーのようで不思議だと思っていた方が面白いし、母としても 息子と気持が通じていると考えた方がなんだかなごむのだった。
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ぼっけぼけ
2008/03/04(Tue)
 会社の出退勤システムの変更があってから、朝はちょっと緊張気味に出かける。同じ時間に出てもやっぱり以前より3分くらいは遅く出勤となるからだ。(行ってからログインして、システムを立ち上げてとなるとどうしてもそうなる。おまけに今までは入口でピだったのに、今度は自分の机まで行ってからピなので。) しかし、こういうのを作る人は、それを使う人が悪用しないと信じて作っているんだなあといつも思う。

 昔勤めていたいた会社がタイムカードを利用していたとき、ある日ギリギリに出社したら驚いた。 2年下の人が自分のタイムカードを打った後に友達のタイムカードを打っていた。 きっと双方で取り決めをしていたのだろう。 
 時は流れて、その会社でも カードで 「ピ」と出勤を登録することになったのだが、 カードだけ通して自宅に帰ってしまう人がいた。(上の人と同期だけれど、別の人。この年度に入社した人たちは妙にそういう人が多かった。) その人は、夜だれもいないころになって帰りのカードを”ピ”しに来ていたという、カラ出勤カラ残業手当を重ねていた。 昼間その人をみることがないので、回りの人はだれも出勤扱いになっているなどとは気付かなかったわけだが、誰が何時間働いているかは管理職あたりでは見えるのではないかと。誰か気づけよ。。。と。 まあ、前にも書いたかもしれない昔の話だ。

 で、今の会社の出勤システム。 上のことを考えると カード 「ピ」以上に不正ができそうな感じでおー怖い。 本人でなくても出勤手続きとれるもの。だれもそういう悪い働き手がいないと思っているんだろうな。 もちろん私はそういう手に気づいても それを使おうとは思わないけれど。

 まあ、とにかく 緊張しながら出勤したら、同じ部署のパートの人に入口のところで会った。 挨拶をして、「暖かい」とか「寒い」とかあたりさわりのない話をし、コートをコートかけにかけたのは私の方が早かったので、先に荷物をもって机に急いでいたのだけれど、後ろから 「pon2さん」と声がかかった。「あの。荷物」と言われて手をみたら、 私の手提げと一緒に彼女の手提げも私は持っていた。(--;)  「あ、なんで私持ってるの?」というと彼女は大笑い。「気を使って持ってくださっているのかと思ったけれど、それにしては後ろも見ずにスタスタ足早に歩いて行かれたので」だそうで。

 朝からボケボケだった。 朝からどこかいまひとつ 頭が働いていなかった1日だったが、3人出勤のはずが1人病気で休みで、妙に緊張感を欠いて調子がでないまま1日過ごしてしまった。
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ベベドア 好き~
2008/03/02(Sun)
 息子が今はまっているゲーム(このお正月からゲームにはまりすぎています)に出てくるのがベベドアという女の子。 私はこのゲームのキャラになるのだったら ベベドアになりたいと思うくらい好き。
 強いし、頭に目がついていておなかに口のついたコスチュームだけれど、なぜか可愛らしい姿にも見える。 ちなみにあの口はドラえもんの四次元ポケットのような仕組みたいだ。術をかけるときの 冷徹な声がステキだ。しかし、 たぶん私がベベドアになりたいなんていうと、一般の人には笑われそうだ。

PICT1658.jpg


話は変わるが、息子は可愛いもの、きれいなものに敏感。 ネットには書かないでと言われているので書かないけれど、一戸建てに住めたら絶対に飼いたいものがいる。 wiiのゼルダをやっていたときも「ゼルダの世界はきれいだよね。あんなにきれいな世界だったら一度行ってみたい」などと言ったりする。 カワイイものといえば、ぬいぐるみも好きだ。 先日も私の会社の人にひょんなことから息子の好きな生き物のことを話したらその生き物の小さなぬいぐるみをくれたのだが、それも大喜びでDSにつけていた。 今DSには小さなぬいぐるみがたくさんぶら下がっている。

 その息子が「おかあさん、今度編みぐるみを作って!」というので、編みぐるみを物色していたところに、フエルトの人形のキットをみつけた。 息子にみせると 「これを作りたい」とのこと。 以前geko_pinさんがつくっていらっしゃったときからフエルトの人形は興味があったので、私も二つ返事で注文した。それが土曜日に家に届いた。 二人でおっかなびっくり説明を読みながら作って、完成。
ちょっと胴体がたよりない感じの柔らかさなので、もう少し刺さないとダメなのかもしれないが、なんとなく完成したのがこの写真。 鼻は一から息子が作って顔に取り付けた。あとはところどころ刺す部分を担当した。キノコは 1から息子が作った。 その後、息子は余った原毛でパンダを作っていた。

 他の男の子たちがこういう風に可愛いものが好きなのかどうかは分からないけれど、息子の従兄弟はずっとぬいぐるみがすきでたくさん集めていた。 落ちていたマスコット人形がかわいそうだからと拾って持って帰ってくると 義姉が笑っていたのを思い出す。 従兄弟でもそういうところが似ているのかもしれない。  

 また、話が変わる。 手芸といえば、もう何か月もやりかけてはおいておいたこぎん刺しの手提げを「とにかく完成させよう」とここ1か月くらい時間があるときに作っていた。 数日前にやっと全部を刺し終わって手提げ袋の形にするばかりになったので、 「この機をのがしては」と今日一生懸命少しずつ縫って袋の形にして、「さあ、あとは裏返して持ち手の部分を補強するだけだ」という段階になって、刺し子の裏を表にして縫っていたことに気がついた。 信じられないミス。 「信じられないー」とブルーになっていると pon1が 「信じられる~」と笑う。 たしかに最近の私にはよくありがちなミスだけれど、
数日分の労力が水の泡になったというのは力が抜けてしまうものだ。
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学校の一日
2008/03/02(Sun)
 昨日は学校で当番。 本来担当は二人組でやって、それの世話を焼く係を私がやればよいのだが、担当をしてくれる人がいないので、担当兼任で出ることになっていた。 ところが、2日前の夜に突然もう一人の担当の人が、「1時半までしか担当できない」と言ってきたと クラスの係の人から連絡があった。 本来は朝9時半ころから準備して、10時から2時まで作業をしてその後片づけて帰るので帰宅は3時前になる。
 残り1時間かそこらというところ。 でも、上から渡された決まりとしては 「必ず2人以上で担当すること」という縛りがあって、その人が1時半に帰るのであればその後はそれを守れないことになる。

 おまけに、雀の涙だが2時間単位で謝礼を出している。 1時半までというと30分マイナスということはできないので満額の2時間分渡すということになるし。 クラスの係の人が代わりに出ようかと言ってくれたけれど、1時間程度のために来てもらい、謝礼も出せない状態だと申し訳ないと断り、 pon1にピンチヒッターを頼むことにした。 pon1ならば謝礼がなくても身内なので文句は出ないと思い。 それを副●●●に伝えたら、そういうことは良くないので、1時半までやる人を午前中までとしてもらい、午後は副●●●が出てくれるということになった。助かった。 これで謝礼問題も半額渡せばよいことになり、解決。

 朝急いで出かけたら家を出たところで、マスクを忘れたことに気がついた。 今日あたりかなり飛ぶのではないかとマフラーで口や鼻をふさぎつつ往路を急いだ。

 他の委員会もバッティングしていたのだが、そちらに副●●●がでてくれて、午後からはこちらに合流してくれるという、彼女も忙しい一日になった。 委員会が終わったところで、伝達事項を聞き、来年への段取りということで担当の人が打ち合わせに。 それから広報に渡す原稿をチェックしたり、瞬く間に時間が過ぎて3時前に帰途についた。
 帰りは副●●●と一緒に歩きながら、今年度の仕事の〆や引き継ぎのことを相談。家について少ししたら頭が痛い。目が疲れたのか?(眼をつかってないのに)と思っていたけれど、夜中まで多少楽になりつつもぼんやりとした痛みが続いた。 あとから考えたら、 花粉のせいだったのかも。

 私は花粉を吸い込んでも鼻水にならないのだ。 その代り気管に来て咳が出る。 昨日はそういえば学校で咳が出ていた。 

 一日あけて今朝は多少楽になったけれどやっぱり少し目のまわりが重い。 目にしろ、花粉にしろどちらにしろ、明日までにはなおって欲しいとおもいつつ、明日はマスク必携。忘れても大丈夫なように、ハンドバッグの中に予備のマスクを入れておこう。

 
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