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「あるある」納豆疑惑どころではないブッシュ政権
2007/01/31(Wed)
 友達のブログを見ていて「納豆がない」という話を読み「なんで?」と思っていた矢先の今回の「あるある 納豆データ捏造事件」 そうだったのか~。と。

 あるあるといえば、以前は割りとみていたのだけれど、最近は別番組を見ているのか見たことがなかったので知りませんでした。

 納豆やレタスなど食べ物の件の報道を見ながらpon1と、「やっぱりそうだたのか~。毎回健康に良いという話題でありながら、出演者が誰一人として変化がないからアヤシイと思っていたよ」などと話しました。 ま、血液ドロドロかどうかは見かけではわかりませんが。

 ところで、「あるある」といえば、運動も妙な運動が多かったような記憶があります。 記憶に残っているのはペットボトルを口にくわえてぐるんぐるんまわすという運動。あのインパクトは映像としてすごかったけれど、あれも捏造だったのでしょうか。製作会社の人は 大真面目にペットボトルを口にくわえて運動する人たちを想像して噴出したりしてなかったでしょうね!

 と、この話題の話を書き忘れているうちに今日の夕刊にすっごいニュースを発見してしまいました。

米国:ブッシュ政権が気象学者に圧力 民間団体が調査公表

 ブッシュ米政権下で連邦政府機関に勤務する気象学者のうち150人が、過去5年間で延べ435回にわたって「気候変動」という言葉を報告書から削除したり研究結果を政権の方針に合わせるよう求められるなどの「政治的介入」を経験していた。



ということ。記事詳細はリンク先(毎日新聞)サイトでどうぞ。

 ブッシュ政権は温暖化防止対策を定めた京都議定書から離脱し、最近まで地球温暖化と経済活動の因果関係を疑問視する姿勢を維持していた。



 約300人の政府関係機関の気象学者のうち、46%が「気候変動」「地球温暖化」という言葉を削除するよう圧力を受けたことがあると回答。43%が、研究結果の科学的意味づけが変わってしまうような内容の変更を強いられていた。25%が、介入の結果、科学者が辞任したり研究への参加を辞退した例を知ったり経験したりしていた。



 いやはや納豆どころではない、とんでもない国家規模のデータ捏造が行われ、それを世界にむけて発信していたということでしょうか。
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辞めるべき
2007/01/31(Wed)
 柳沢厚生労働相の「女性は子どもを産む機械」発言が波紋を呼んでいますね。

「女性は子どもを産む機械」発言が波紋 野党が辞任要求


「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れつつ、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」



 「人口推計の話をした時、(聴衆が)よく分からないようだったので例えて言った。



だそうで、まあ、突っ込むとすると、
その会見の全部は知らないけれど、分かりやすく言うのであれば、
 「子どもを産むことができる15~50歳の女性の数は決まっている。」だけで機械にたとえる必要はまったくないと思うのだけれど。

 私としては、少子化問題については以前もちょっと書いたけれど、「少子化だから女は産め産め」というのはちょっとなあと思っている。 それは子どもに「あんたは、少子化対策で生まれたのよ」というのと同じで人格を否定されているような気がする。 あくまでも子どもというのは 年金がどうのとか、これからの国がどうのとか。親の老後を見てくれないと。。とは別物として捕らえるべき。別問題だと思う。

 頑張ってもらわないとというのもピントはずれ。少子化の原因のひとつとして将来の不安や、生活の問題がある。これらの問題点を解決していくのが政治の役目であるけれど、それを「一人頭でがんばってもらうしか」とは何たること。 「産めよ増やせよ 地に満ちよ」とは聖書の言葉らしいのだけれど、「産めよ増やせよ」「富国強兵」というほうが世の人には知られているのではないかな。(ここに来てくださっている方は、よくご存知だと思いますが、私は特定の宗教に帰依しているわけではありません)。

 こういう発言を聞くと、「お国のために子どもを産め」という話を思い出すのは、私だけではないと思うのだけれど。

閑話休題。
 
 会社などで、いくつか部門の統廃合があると、その部門のカラーというのが良く表れます。 その中でも、「たたき上げ」だったり「男性ばかりの部門で、女性は雑用しかしない」部門にいる人たちは、やはり 男尊女卑が身にしみついています。
 たとえば、地方からの出張者と一緒に会議をするとき、部門の担当責任者が私であったとしても、往々にしてメンバー紹介が始まるまえに、私に「お茶」「コピー」を要求するのがこの人たち。
 この人たちには悪気はありません。 この人たちが生活する社会が「例外なく女性は格下」という社会に住んでいるから、そうだと思い込んでいるのです。
 
 また、男性社会で生きてきた男性との飲み会など。女性として不快な話題でもりあがっていることもよくあります。これも、自分たちが楽しめる話題は他の人も楽しんでいるだろうと思っての話題提供だと思いますが、女性はその話題を同じように楽しむとは限りません。どちらかというと 「気持ち悪い」「不快」という言葉を良く聞くことになります。 

 こういう現象は、若い世代で男女半々くらいの比率で構成されている部門には割りと少ないのです。 つまり、ちゃんと女性と向き合って仕事をしている人たちは、女性の能力もきちんと判断し、マナーもわきまえていることが多いのです。

 さて、政治の世界でこういう話題は後を絶ちません。実際私としても「ああ、またか」と思いました。 たぶん、柳沢厚生労働相は 本当に悪気がなかったのだと思います。 つまり、機械にたとえることは、内内では誰もとがめることがないたとえ話であったのだと予測しています。
 政治家同士で話すときに、誰からもとがめられることがない論として存在することだからこそ、大勢の人たちが集まる場でそのような発言をするわけです。

 しかし、悪気がないということと、それが正しいかということは別物です。

上で書いた飲み会。女性として不快な話題や不快な行動を取る人たちが多数の飲み会に出席した女性の多くは数に負けたり、上下関係や出世欲に負けて たとえ不快であったとしても 同じ話題を楽しんでいるフリをします。 影で愚痴っていたとしても表向きは 盛り上げようとします。 これが悪循環を生むのです。相手からしてみると、女性も嬉しそうにしているからなんら悪いことはしていないと思ってしまいます。
 
 まず、政治の世界が男女平等でない世界であるということ。そうしてかなり年を取った人たち主導の男性社会の論理がまかり通っているということ。このあたりが大きな問題だと思います。 だからこそ、「こういう発言はすべきでない。その考え方は間違っている。」とその男性社会にわかってもらうためにも、柳沢厚生労働相は辞めるべきだと私は思います。 「悪気はなかった」ということで留任をみとめていたら、そういう考え自体が政治の世界で改まることはないと思うのです。

 さて、私の身の回りの話ですが、女性として「ああ、この人は人対人で接してくれているな。」 「この人は、女性を格下としてとらえているけれど、取り繕い方が上手いな。」「まったく女性は下だと捕らえているな」 などなどを感じることがあります。  実際、ある大学教授に聞いた話ですが、その研究室では 男女差はほとんど感じないし、あえて言えば女性の方がさっさと新しい道をみつけ研究の道を去っていくことにもったいなさを感じることが多いとおっしゃっていました。
 実際、体力差など身体能力の性差というものは存在するのでしょうが、pon1も人の能力を見たとき、「性差よりも個人差の方が大きいと感じている」といっていました。

 もし、今回の発言が政治の世界で(世間に騒がれたからではなく)本当に問題だと捉えられていないのであれば、今、政治の世界は、実際に女性と職を同じくし、きちんとした仕事をした経験のない人たちで構成されているのだと思います。 
 まずは、政治の世界では女性がマイノリティであるということが問題であり、政治家と呼ばれる人たちが女性と一緒にきちんとした仕事をしたことがない人、ちゃんと考えを持った女性たちと対等な視点で話し合ったことがない人たちであるということが、彼らの考え方に影響しているのだと思います。政治家にはもっと世間を知って欲しい。まさにコレに尽きると今回のことで思ったのでした。
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ここ数日
2007/01/31(Wed)
 友人もそんなことを書いていたけれど、3日日記をためると書くことを忘れちゃう。。アレも書きたい、コレも書きたいとおもっていたのに、さて、キーボードの前に座ったら「あれれ?なんだっけ?」状態の pon2です。

 とりあえず、思い出したことを書く。
土曜日、久々のぴーの予定のない土曜日は、私の方が弛緩しちゃって、だらだら。 それでもどこかに行こうかと思っていたのだけれど、息子は友達と出かけてしまって pon1と私は取り残された状態。 とりあえず、お互いやりたいことをやりつつ、エアチェックしたテレビ番組などを見て消化しつつすごしました。

 デスパレートな妻たち(とりあえず デス妻)このドラマ、やめられなくなってしまった。
 シリアスめいているテーマだけれど、あくまでもコメディなのと「絶対アリエナイ」という筋が 日常生活から100%離れて見ることができて しばし頭を別次元に開放してくれるという感覚が、病み付きになるんだと思います。
 最初は、私がpon1に「ブリーがこうなっちゃってね。」「リネットがあーだこーだ」という話をしていたのだけれど、pon1も最近は一緒に見てくれることも多くなってきました。

 そうそう。今「デス妻1」のページを見てみたら、4月から総合テレビ土曜深夜枠でやるみたいです。

 そういえば、今おもいあたった。
一昨年、不登校になった子どもたちに関するNPO代表から話をお聞きする機会があったけれど、その方はその中のひとつで、

「子どもと日ごろから雑談できる関係を築くことが必要」とおっしゃっていました。 私のデス妻の話題なんか 「その話はテレビの話でしょう。くだらない」と片付けることもできるのに、「うんうん」と聞いてくれたpon1に感謝。こうやって話題を共有するということがお互いの関係にはとても大切なんだなと今はっと気がつきました。

 最近息子は説明が長くてちょっと辟易することもあるけれど、私もpon1を見習って辛抱強く息子の話に付き合おう。それが信頼関係を生むんだなあと実感しました。

 さて、日曜日。私は100円ショップで買いたいものがありました。ボ用の文房具やら、飴やらなんやら。 息子は紙飛行機に凝っていてそれを買いに行くことにしました。 模型を売っているお店にあたりをつけていくと沢山ありました。クリスマスプレゼントでもらった商品券の残りを使うことにした息子は大喜び。何機か買い込んで次はその2軒先にある100円ショップへ。そこで買い物を済ませ、ついでに息子の運動靴も買いに行こうとしたときに、歩道をスキップして駆け出そうとした息子が バターンと大きな音を立てて転んでしまいました。手には先ほど買った紙飛行機を持っていたので、手をつくのも遅くなったみたい。 顔面を打ったかな。。とあわてて駆け寄ると、顔が苦痛でゆがんでいて動けない様子。膝を打ったらしいのですが、長い間動きません。あわや骨折??と膝を見たりなんだりしていても痛みが取れない様子。たまたま転ぶのを見ていた人も 心配そうに立ち止まってくださってました。
 痛みがどうにか治まったようだし、打ち身のまわりを触っても激しい痛みではないようだし、腫れも普通のようだし、歩けるようだしで、単なる打ち身だと思い、とりあえず靴売り場まで行ったのですが、息子「痛くて帰りたい」とのこと。
結局売り場まで来てももう待ったなし状態だと判断してタクシーで帰ることにしました。
 タクシーの中でうとうと眠りそうな息子をみて、「やっぱり痛かったのかなあ」と。
 次の日、すっかり元気になった息子は日ごろ作る青あざと同じようになった膝で平気に動き回っていました。

 今考えると、彼は自分の足も痛かったけれど、飛行機が壊れていないかというのも心配で一時も早く帰りたかったのではないだろうか。。。と、思ったりしています。

 そんな土・日でした。
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推理好き
2007/01/26(Fri)
 この間終わったドラマ、「役者魂!」の 烏山瞳美(松たか子)は、目の前で見た人たちの生活を色々 妄想して楽しむクセがあった。 pon1は、「ママみたいだねえ」と言った。そう。私は彼女ほど突拍子もないストーリーは作れないけれど、目の前にいる知らない人たちがどんな人か想像したり、その人たちが登場する話を作るのが結構好きなのだ。

 たとえば、家族で外食をしようとトンカツ屋に入ると、向かいの席の家族連れを見ながらこの家族はどういう家族かなどを想像して楽しむし、自分たちの会話の合間に、何気なく先方の会話を聞いてその想像に肉付けしていったりする。
 たまたま出くわした男女のカップル。男性がすたすたと先に歩き、女性は伏せ目勝ちで少し間を空けてそれでも着いていく、そういうときはすかさず女性の顔を見る。目が赤かったり鼻が赤かったら(あー。泣かせたなー。)とココロの中でつぶやく。
 ファミレスに座っても、同じ席についている人同士がどういう関係か、など推理しながら見ていたりするので、退屈することはない。男女で一緒のテーブルにいても、仕事関係だと思える二人もいれば、単なる会合の流れでやってきたと思える人たちもいる。

 松たか子のあの役柄で、「意外にこういうことをひそかに楽しんでいる人って多いのかもしれないなあ」と思っていたのだけれど、偶然つい先日私は私のその習癖のルーツが分かってしまった。

 この間、息子が図書館へ行くのを面倒臭がって「テキトウに選んできて!」状態だったので、私は自分が小学生の頃、はまって読んでいた エドガー・アラン・ポーの本を手にとった。 一つを手に取って中を見てみると意外に字が小さい。「これは息子は嫌がるだろうなあ」と思い、他を物色していると、子供向けの大きな字の本があった。「コレコレ!」と、一緒に出かけていた夫に「どれを選ぶ?」とズラリと並んだ本を指すと、夫は「コガネムシ」なんてどう?というので、それにしたのだった。 なかには「こがねむしの秘密」と「モルグ街の怪事件」の2話があった。 結局、息子は「読んで~~~」などというので、こがねむしの方を読みきって、「ををっつ。そうそう。この暗号で、感嘆したんだよなあ。この後暗号を作るのに燃えたっけ。。」とおもいつつ、次の「モルグ街」の法も読んでくれと息子がいうので、「しょうがないなあ」とよみかけたら記憶がよみがえってきた。

 そうだ、この主人公の友達が、相手の動作やつぶやきを元に、相手が口にださなくとも、相手の考えていることを読むというワザに驚いて、私もそれからそうやって色々楽しんでいたんだった。と思い出した。
 私の「知らない人を見て楽しむ」というクセはモルグ街から延々と続いていたことだったのだ。

 ところで、息子の本、その緻密な推理の過程がすっぽりと抜けていた。書いていないことについて思い出した私は大憤慨。
「なんでこの場面がないの??一番面白いところなのに!!」と。 その本はそこでオシマイ。つまりモルグ街の事件が始まる前に返却決定してしまった。 諦めが悪い私は、別の子供向けの本をみつけて、そちらを借りてきた。今度は 「あの男の背は小さすぎる」というそのくだりがあるのを確認して。
 
 そうして、嬉々として息子に、「こっちの本には書いてあったからね」と読んでみたら、種明かしの部分がドーンとはぶいてあって、「最近は色々と考えることが多いからわかった」なんてことになっていて、二度目のガックリ。
 結局子供向けに書き直した本はどれもこんなものなのかもしれないから、原文をそのまま訳したものが読めるようになるまで、息子には勧めないことにした。

 子どもの頃に強烈な印象を受けた本は、もう筋も覚えていないと思っても 覚えているものなんだなあと改めて驚いた。
 今の私は同じ本を読んでも、推理小説だったとしても、(なんだか、このストーリー知っているような気がするなあ)と、ラストまで読んでから(ああ、この本、読んだことあったわ)と気づくこともある。 トホホ。
 
 
 
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オバサンの証拠
2007/01/26(Fri)
 「次の仕事の相談」は今日の午前中に次の担当の人とした。
心配していた2月からというのは、私に声をかけたひとの勘違いだったことが分かり、3月からそちらの仕事にうつるということでokだった。良かったよぉー。
 今の仕事の好きなところの一つは、会社の人間関係が元いた会社と良く似ていること。妹の話などを聞いていると、妹が勤めている会社は、上から下まで個性の強い人が多すぎて、傍から聞いていても「しんどそうだな」と思う。 思い出しても笑ってしまうのだけれど、妹が勤めている会社には、「○○君、この仕事をやっておいて」と部長がヒラに頼んでも「やりませんたら、やりません」なんて答え、「ヤレといったらヤルンダヨ」「嫌だといってるでしょ」と押し問答の末、やらされたその仕事でミスをして、「だからやりませんって言ったのに」なんていう男性やら、「待遇改善してあげるから」なんていいながら 「パートに頼む仕事ジャナイデショ。」みたいな 労働基準法どうなってるんだろう?みたいな仕事を渡す社長やらがいるらしいし、社長の奥さんが出てきたりと、まるで何かのドラマの話を聞いているようだった。(もう何年も前に聞いた話だからメンバーやら状況やら違うかもしれないけれど)。

 それに比べて、今私が勤めている会社は 「ビジネスはビジネス」という感じで、わりと「こんなのアリ?」的なオドロキは少ない。(けれど温情でどうのというのもない)感じ。
 社員の人たちは今までお会いした方々は皆感じが良い人たちで、意地悪な人がいないし。 今回時給が下がることも「大変申し訳ないけれど、職種によって給料が決まっているので。。」とおっしゃっていた。ま、それは分かっているからイイノデス。 それに3ヶ月後には、今の時給になるとおっしゃっていたし。<だったら、3ヶ月はイイデス。我慢します。

 ところで、私の担当の社員さんは、私よりもずっと若い女性で、明るくて、華奢で、素敵な方だ。 「私が彼女くらいの年の頃はどんなだったかなあ」と思ってみても、自分のことだから良く分からない。 でも、たぶん、彼女の方が華奢なことはたしか。 今日は、彼女が、「昨日スポンジケーキを焼いたのでどうぞ」とおすそ分けをくれた。
 今の私なんて、息子が作りたいとでも言わない限りはスポンジケーキは焼かないぞ。 すっかりオバサン化しているな。。などとおもいつつ、ありがたく頂いた。

 そうやって見ているうちに、彼女みたいな人が独身でいるのは勿体無いなあ。なんて思い始めて、「私に丁度良いような知り合いの男性がいたらねえ」なんて、会社の知り合いの顔を次々に思い浮かべて「いやー。彼らだったら、彼女は勿体無さ過ぎるわ」なんて、自分でダメだと決めたり、<ヲイヲイ。
 実際、彼女に付き合っている人がいるとかいないとか、そういうプライベートなことは一切知らないのに、そんなことを考えてしまう自分にハッと気づき、「ふふっつ。私もヤキがマワッタワネ」などと思ってしまった。

 私が独身のころ、「結婚しないの?」といわれることが割りとうっとおしいと感じることも多かった。でも、おばさんたちはこういう気持ちで聞いてくれたのかもしれないな。今、自分が後輩やら、知り合いやらに「どうして結婚しないのかしら?」と思いつつ見ている人が多いことに自分で驚いてしまう。

 そういえば、学生時代、デパートの催し物コーナーを使った季節物販売のバイトをしたことがあったけれど、突然お客さんに「うちの孫はまだ一人者なので、アナタのような人が嫁に来てくれたら」と言われたことがある。 売り場で物を売っているだけで、商品の説明をしただけなのに、なんで??? と思ったことがあるけれど、今ならそのお客さんの気持ちも分かりそうな気もする。

 やっぱり私も確実にトシを取っているということだなあ。
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尻馬にのっかるひとたち
2007/01/25(Thu)
 紅白のことについて書いたときに DJ OZMA について書いきました。私としては、見た瞬間はアレ?と驚いたけれど、良く見ると裸ではなくて衣装だということがわかったので、「よくNHKがOKしたなあ」と思いましたが、そんなに問題があるとは思いませんでした。 息子も一緒に見て、息子にとって「裸ん坊」は特別な何かではなく、男の人、女の人の違いという日常の延長の事実だったし、「子どもが見ているのに」という指摘はあまりピンとくるものではありませんでした。

 そのときに思い出したのは、 芥川龍之介の河童(リンク先は青空文庫の河童)です。 河童と一緒にコンサートに出かけた主人公は、突然そのコンサートが警官の指示で演奏中止になるという体験をする場面です。

 青空文庫で読み直してみたら、ちょっと的外れだったことに自分で気づきましたが。

 とにかく、人がOK,NGとする許容範囲は人それぞれなんだなとそのときはつくづく思いました。 その後、数日して、「いや。まてよ」と思い当たりました。 うちの場合は息子は小学校中学年ですから今のような感じ方なわけです。でも、もう少し大きなお子さん、中学生くらいの微妙な年頃の子どもさんと一緒にごらんになっていた場合は、茶の間が気まずくなったりすることもあるかもしれないな。。と思いました。やはり、広く国営の放送局として流す映像ではなかったのかもしれないな。と、私は自分の状況でしか判断できていなかったことを反省しました。

 すっかり忘れていたこの件ですが、先週くらいに、ニュースで知りました

OZMA「全裸」演出 氣志團ブログ炎上


DJ OZMAと同一人物とされている綾小路翔のページで、07年1月12日午後時点で書き込まれたコメントの数は合計5,000を超えた。



とのこと。 ニュースの後ちらりと見たそのブログは、メンテナンスをして、過去ログにコメントが移されていたけれど、新しいブログにもコメントが着き始めていたときでした。
 今日見に行ってみると、コメントもトラバも出来なくなっているし、過去ログのコメント部分の閲覧もできなくなっています。

 なにかについて 「良い」「良くない」という感想を自分で表現することは 正しいことだと思います。
 でも、誰かが 何かを批判したり非難したときに、ここぞとばかりに、尻馬にのって「そうだそうだ」と祭り上げてしまう風潮はどうにかならないものかといつも思います。
 特にネットは匿名の世界で、そういう批判をしている人の中の何人か(比率はどのくらいかはわからないけれど)面白がってやっている人もいるのではないかと思いました。まあ、今回のブログの件に関しては、当人はさほど意に介せず気にしていないようですが、ネットの世界でこういう匿名の悪意を日々見ていると、日ごろ見ている世の中がものすごく得体の知れない想像以上の悪意をはらんだもののように思えてくるものだなあと思いました。

 量的にはすごく多いこういうコメントも、良識のある人たちがそれに加わらないだけ(傍観的立場)であって、ネット世界の住人に対する 煽りの人の比率は小さいものであるということを 私も忘れがちになってしまいます。 
 
 いじめの世界には いじめている人間・いじめられている人間・それを面白がってみている人間・知らん振りをしている人間 がいるとのこと。 面白がってみている人間や知らん振りしている人間は 自分は いじめに加担しているつもりはないけれど、いじめられている人間からみると、全ての人にいじめられていると感じるものだということです。

ネットの世界の特質の一つとして、面とむかっていないからこそ、簡単に相手を直接非難できることがあります。つまり、日ごろ面と向かってはいえないことも、ネットという媒体を通してだと簡単にいえてしまう人が沢山いるということです。沢山の非難めいたコメントが一定の人からあり、周りの人が無関心な様子をとると、自分の中で「自分が正しいのか、それとも自分の主張は一般の人からみてオカシイのか」ということさえ分からなくなってしまい、人から理解されていないという思いを強く感じるようになってしまうこともあるでしょう。

 現実世界でもネットの世界でも、尻馬にのって面白がって非難するような行動は卑劣な行為であることはたしかです。でも、ネット世界の住人としては、「ネットと日常生活は全く別のものだという認識を自分もしっかり持っておく必要があるな」と強く思った出来事でした。

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やっと一息
2007/01/25(Thu)
 今日、息子は社会見学。お弁当を作って一息ついたところです。自分で作った玉子焼きを持って行きたいと、朝から息子は玉子焼きを作りました。 お弁当の中身。いつも困ります。皆どんなものを持ってきているのだろう。

 昨日は、午前中図書室のボに出た後、パソコンの授業補助のボに行きました。パソコンの授業補助のボは、他のお母さんたちと気持ちのレベルが多少違うようでちょっとしんどい。 私は「小学校の教育だから、子どもたちにパソコンが曲がりなりにも使えるようになればよい。少しずつで良い。その後は自分でやっていくでしょう」というゆるやかな気持ちに変わってきているのですが、他のお母さんたちは真面目に考えているので、たとえばこのサイトは見せるべきとか見せないべきとか、方針が欲しいとおっしゃっていたりします。一つが解決したら又次という感じで行くたびに 「こうあるべき」ということと先生方の対応についてのギャップの話になります。直接先生に話したりお母さんに話したりするのは 苦ではないのですが、今の状態はちょっと精神的にキツイです。

 おまけに、学校に行っている最中に職員室の前で「息子が喧嘩している」という話を聞き、気が気ではない状態。でも、息子は喧嘩している様子を親に見られたくないだろうと思い、影から偵察しようかと教室近くまで行ってみると 子どもたちには顔が知れている私のことなので、「○くんのお母さんがキター」などという声もあがり、「私が出る幕ではない」と先生にお任せすることにしました。たまたま居合わせた先生に「行かない方が良いと思うのですが」と相談すると「そういうところは親に見られたくないと思う子もいるでしょうから、そのほうが良いでしょう。」とおっしゃっていて、そうだよなあ。学校のことまでつぶさに親が知っていたら息がつまってしまうよなあ。と。
 
 昨日は4時間授業なので、私の帰宅後すぐに帰ってきた息子に詳細を聞いてみると、休み時間に他の友達と二人でコマをまわして遊んでいた息子を その子が邪魔しに来たのだそうです。 それで、「辞めて。邪魔しないで」と言ったところ、相手は「皆の場所だから」と言ったらしいのです。そこで、息子が「皆の場所だからこそ邪魔しないで」と言って喧嘩勃発だったらしいです。今回息子は相手から髪を引っ張られても何をされても手を出さなかったそうで、偉かった。良く我慢したと言うと、「悔しかった。」とボロボロ涙を流しました。(相手が暴力を振るっても、とにかく手を出さないように。手を出したとたんに相手が悪くても自分も悪いということになるよ。という話を以前しました。でも、暴力振るわれてそのままされるままにしていると、息子の怪我がひどくなっちゃう。どうすればいいんだろう。うまく逃げられないものかな。)

 息子も相手に対してトドメの一言を言ってしまったのが悪いのですが、正論は正論。息子には「相手の子は、一緒に遊んでいる人たちの間に入って邪魔をすること自体、何か言われることを分かっていてやっているのだと思う。その子は相手と喧嘩になることも分かっているはず。もしかすると、邪魔をして相手が嫌な顔をすることがわかっていてやる場合もあるかもしれないよ。息子だって、『これをやったらお母さんにしかられるな』と分かっていても自分を止められない時ってあるでしょう。だから、気をつけて、喧嘩にならないようにしなさい。痛い思いをすると嫌だよね」と言いました。

 周りの皆は 相手の子が暴力を振るうので相手の子を止めたりしていたらしいです。「息子が最後まで暴力を振るわなかったことが良かったけれど、怪我をする前に暴力を振るわれる前に逃げなさい」と言いました。 だって、頭皮の毛穴部分が赤くなっていたから、かなり髪を引っ張られたのだと思います。(ハゲたらどうしてくれるんだ!!!)相手の子は、大人も扱いが難しい子です。先生だろうと保護者だろうと言うことを聞かないときは聞かない。 だから息子が相手を納得させようとしてもムリ。 それは分かっているのだけれど、やっぱり息子の親としては 喧嘩はどちらも5分5分で悪いといわれるのは納得いっていません。 息子の目から見た状況と相手の目から見た状況が違うであろうこともわかっているけれど、ヤッパリ今回のことは 相手の子のほうが悪いと思えるのだけれどなあ。 

 それと同時に、皆どうしてるんだろう。息子に対してだけでなく他の子に対してもそういうことをする子だけれど、皆どうやって逃げているんだろう。その辺を息子には回りを見て学んで欲しいと思います。 「他の子と相手の子は喧嘩にならないの?」と聞くと「よく△さんと喧嘩している」と言っていました。 そこそこ口が立つもの同士だと喧嘩になるのかもしれません。(△さんは大人もタジタジの理屈っぽい子)今回喧嘩相手の子も算数で物を買う問題をやると「消費税はどうするんですか?」と先生に言うような、口のたつ子です。 口は災いのもと?  ふぅ~~ (--;)

そのほか、学校では色々ありました。ある委員会の委員長が転勤になるのですが、「今度はpon2さんが委員長の代理もするんですって?」と聞かれ寝耳に水。 代理の委員長が出なかったので、pon2さんがやってくれるという話になった。といわれたので、ソレはムリ。(今だってこの調子なのにこれ以上請け負えません)委員長さんに連絡をとってみるとその人が誤解していたようなのですが、現会長が「pon2や他の人がどうにかするから」とその人に言ったらしいです。 私はこれ以上ムリだってばさ。(--;) 

 前回、役員会で検討し忘れていたことについても、こちらで文章を作り、あちこち根回しして、昨日印刷し各校に配布したばかり。そういうこと、一つ一つは小さいけれど私一人に負担がかかっていること、皆気づいているのかな?? 思い出してしまうと知らん振りできない性格はホント損だなあ。

 とりあえず、今日は久々の一日予定がない日です。溜まった家事と疲れをとりまーす。 明日からまた元気にやっていくために!!(^^)vファイトー
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次の仕事
2007/01/24(Wed)
 月曜に、仕事に行った際、「次の仕事についてお話が」と言われて 「あと1ヶ月あるのに早いなあ。」とおもいつつ話を聞いた。 前に試験を受けた部門から早く来て欲しいといわれているとのこと。やっぱり試験成績はそれなりに良い点が出ていたのかな? と、ちょっぴり自己満足。 今の部署でも勤務態度はまじめだし。

 帰りがけに、「お先に失礼します」と挨拶をしたら他の人によびとめられて、「2月からあちらの部門にいらっしゃるんですってね」と言われて 急いでいたので 「へえへえ」という具合にそこそこに挨拶をしてさっさと帰ったのだけれど、電車にのってから え?2月??? 3月からじゃなくて???
 今のパートは職種手当てというのがついていて、もう一つの職場は今よりもさらに時給が落ちる。 ま、パートなのでしょうがないと思うのだけれど。
 今取り組んでいる仕事は 「多すぎるので終わらないかもしれない」といわれたけれど、順調に進んでいる。もしかして、2ヶ月で3か月分と見込んでいた仕事をやってしまったということなのかな。 だとしたら、時給が落ちて別の仕事にうつるということはとっても損しているような気もするのだけれど。
 うつっても良いから やった分だけの給料が欲しいというのがホンネ。でももらえないのがパートなのだなあ。

 テレビドラマハケンの品格の大前春子(篠原 涼子)さんの時給は3000円のスーパー派遣だ。3ヶ月働いては3ヶ月休むという生活をしているらしい。彼女ほど時給がもらえたらいいなあと思うけれど、私はホッチキス止めも上手くないし、大型免許も持ってないから、まあ大まけにまけて1500円くらいはくれないかしら。(なんちってね。)※1

 大前春子さんにことあるごとに突っかかるのが、全く別の部署の主任、クルクルパーマこと東海林武さん(大泉 洋)、この役ははまり役。まったく憎たらしい役をしっかりとこなしている。 それに、こういう人はあちこちに居そうだ。

 さて。私の話。昨日は、発見したバグについて<バグ探しが今の私の仕事なのです>報告書を印刷処理してプリンターに行ったら、私が出力したページは程なくでてきたけれど、手にとってみると、トナー(インク?)切れっぽく画面のハードコピーや、文字が全くかすれて見えなかったのでついヒトリゴトで無意識のうちに「イヤーン」とつぶやいてしまった。
 すると、突然横から「この印刷の中ですか?」と大量の印刷物のなかから自分の印刷物を探しているらしき、恰幅の良い男性がいた。どうやら、私が印刷したものがその大量印刷物にまぎれているかと思ったらしい。 私は無意識につぶやいた冗談交じりの「イヤーン」が他人に聞かれていたことにギョッとして心中赤面。(冗談以外でこんな言葉遣いはしないから) でも表面は取り繕って、「いえ、私のはコレです(と今とった印刷物を指し)。トナー切れみたいですね」と言ってその場を去ったのだけれど、席についたところで、ハタ!と考えてしまった。

 先方は正社員の名札だったようだし、相手が派遣の品格の中の東海林さんのようなヒトだったら??大変なことになってるかも。

 私の頭の中には、たとえ 少ない時給で働いているパートだったとしても、自分の仕事と自分に対する誇りは持っているのだなと思った。そうして、マナーは守るけれど、相手がどんな役職だったとしても、卑屈になったりしない。相手と私は基本的に同等だという感覚があるように思う。そこにあるのは役職の差と時給の差だけだと思っている。

 1回目の派遣の品格の中では、定年後嘱託として来ている男性 小笠原 繁(小松 政夫)は 昼食をとりに行った定職屋で大前さんと偶然会い、昼食代を奢ろうとして断られる。
 「派遣の安い時給で昼食代を出したらいくらも残らないことを知っているから出してやろうと言っているのに」と言い、「結構です」と出て行く大前さんの後ろで、引っ込みがつかなくなり「派遣のクセにナマイキに何を言っているんだ」と毒づいた。(後から 時給3000円のスーパー派遣だと知ることになる)。
 わりとありそうなステレオタイプだ。

 ふと思うと、東海林さんは 他人を顎で使い、いいなりにすることを繰り返さずには居られない。そうでなければ自分に自信がもてない人なのではないかと思う。 小笠原さんは、自分より下の人を見つけることで自分の自信を維持している。

 役職が上だとか下だとか、年収が上だとか下だとか、男だとか女だとか。年齢が上だとか下だとか。家柄が良いとか悪いとか。見た目が美しいとか美しくないとか。学歴が上だとか下だとか。そういうものを尺度にして人を貶めようとする人たちは 自分の中に確固とした自分(の誇り)を持っていなくて、人との関わりの中で格付けをして相手を負かすことで自分を維持しようとしているのかもしれないなあと思った。
 (数年前流行った勝ち組・負け組と分けようとするその考え方も同じように思えてくる)

 先日行った「いじめ関係」の講演会(このテーマを書くには気合が必要なので書けないでいるけれど)でも、実際 いじめに加担していた子どもたちの言葉として 「すっとした」などという言葉が聞かれることがあるのだそう。
 彼らも、自分自身がないからこそ、他人の困った顔、悲しい顔をみて、そういう顔をしないですむ自分が優越感を持つのだろうかと思った。 いじめている方もまた自分の身の置き場を持たない居心地の悪さに突き動かされているのだろうか。 

※1大前春子さんの時給は3000円で一般のパートの時給ではありえない。 しかし、単純に計算してみると、
 3000円×8時間×20日=480000円/月
 480000円×12ヶ月=5760000円/年
ボーナスのない派遣の身というのはこの程度にしか収入にならない。 年金やら保険やら派遣はどうなっているのかよくわからないけれど、いろいろな面で弱い立場なのが派遣だ。
(物語の中では、「会社がつぶれたらどんなに仕事ができてもオワリ。私は私の力で食べていく」というのが大前さんの言い分なのだけれど)
 
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現実世界の「のだめ」たち
2007/01/22(Mon)
 先週は忙しくて、おまけに、週末外に出る用事のときに、とても寒かったから、足腰が冷えてしまったのか、日曜は腹痛で苦しんでおりました。 といっても、ロバミミを1つ書いたのですが、家事は大幅に見送るものも多く、洗濯物を干すのさえも「しんどい」。 手伝ってくれたpon1が「今、ため息ついた?」と聞きました。 自分ではため息をついたつもりはないのに、おなかが痛くて知らず知らずにため息をついてしまうというのは。。(ToT)
マジ。痛かったんですよ。ホント。

一日足腰暖めてうとうとしていました。今日はほとんど治ってきてよかったー。ちゃんと仕事にも行きました。

 さて今日の本題。少し前に「のだめ」のアニメの1回目を見ました。予約ミスで毎週予約したつもりが、1回分しか予約していませんでしたが、うーん。 マンガそのままだから 却ってつまらない。マンガは面白いのにアニメになるとつまらない。(現在3巻まで購入しました) 結局、先週撮りそこなったけれど、今後のアニメの方の録画はやめてしまいました。

 じゃ、何の話で賞味期限が切れそうな「のだめ」を引っ張ってきているかというと、たぶん、音楽の世界には「のだめ」のような人は大天才からそこそこのスゴイ人まで一杯いるんだろうなあと思った出来事があったからです。

 1月19日にチャンネルを回していたら、たけしの「誰でもピカソ」にピアニストが出ていました。名前は ファジル サイ。(顔はリンク先の写真と随分違います)誰でもピカソは、ほとんど見ていない番組ですが、何気なくピアノを聴いて ビックリ。 自由奔放。大胆で繊細で、いたずらっ気に満ちていて。家族で魅了されてしまいました。
 即、アマゾンでCD購入。 アマゾンだから来るのは早いです。
トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルト
トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルトサイ(ファジル) モーツァルト

ワーナーミュージック・ジャパン 2004-03-24
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starなんと驚くべきモーツァルト
starファジル・サイの原点
starもしかしたら一番モーツアルトに近いのかも?

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モーツアルトの天真爛漫な雰囲気<勝手にそう思っている> があふれ出すような、大胆で楽しい音楽でした。ところどころピアノ1台で弾いているとは思えないほどの力強さを感じるかと思えば、宝石がこぼれ出るようなキラキラした音の洪水あり。なんて新鮮なんだろう。
 
 トルコ行進曲を聴いていたとき 「なんか。音が多い」と感じて、手持ちのCDと聞き比べてみました。 やっぱり音が多い。(たぶん、装飾音符を増やしているような気がします。目立っているだけかな?)。
 
 千秋だったら「勝手に作曲するなー」と叫んでいるかも。

手持ちのCDを聞くとまさに「優等生なトルコ行進曲」ファジル・サイのトルコ行進曲は何が出るかわからない。ドラマチックでとても楽しい。。という感じ。

 ファジル・サイさんはテレビで拝見したところ何でもこなす本当の天才。という感じでしたが、同じく「のだめちっく」な人のコンサートに夫と一緒に行ったことを思い出しました。

望郷のバラード~ベストコレクション~
望郷のバラード~ベストコレクション~天満敦子

アート・ユニオン 2003-11-01
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starわび、さびの表現されたヴァイオリン演奏
star美しく切ない音色のアルバムです!

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 天満敦子さん。 望郷のバラードで有名な方です。CDではなくコンサートの感想なので、そのコンサートの時の天満さんの体調などにもよるのでしょうが、やはり、望郷のバラードが飛びぬけて上手かった。 他の曲に比較して こんなに違うとは。。というのはご本人の思いいれの差があったからではないかと思っています。

 プロというと、「なんでもソツなくこなす」というイメージがあった私にはある意味忘れられないコンサートになりました。 彼女も たぶん、異色の天才なのだと思います。

 のだめは、プロになる前の状態。だから、今プロの方と比較するのは大変に失礼な行為だと思いますが、マンガの中の登場人物だし、ふと、音楽を志す人の中には 多くの「のだめちっく」な人がいるのではないかな。。と思ったりしたのでした。

 たとえば、「めっちゃ、上手い」と思った次の瞬間「あ、ダメになった」というような ムラのある人。でも、そこには限りない才能を感じさせるような人。 楽譜どおりに引かないのだけれど、音楽のセンスが抜群な人。などなど。

きっと音大生や、オーケストラのメンバーのように、日々そういう人たちと接している人たちがあのマンガを読むと私よりももっともっと楽しめたのではないかなあなどと思ったりもしました。
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おとしだまで買ったゲーム
2007/01/21(Sun)
 息子は今年のお年玉で、ゲームソフトを2つ購入した。まだお金は残っているけれど、まず一番先に購入したのが、コレ。

ラクガキ王国2 魔王城の戦い
ラクガキ王国2 魔王城の戦い
タイトー 2004-09-22
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star今作では描いたらくがきを「動かせる」
star前作とは違う世界観
starラクガキだけで十分。

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前作のらくがき王国(スタジオ ギブリ監修<ジブリじゃなくてギブリなんですって)が面白かったので、次のが欲しいとのこと。
 前作のらくがき王国は
ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国 PlayStation 2 the Best
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タイトー 2003-01-16
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starそれなりに楽しめる
starアイディアはよいものの…
star描いた絵が動く!

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こちら。
 ゲーム機のコントロールスティックで絵を描くというのは、マウスで書くよりも難しくって、それが3Dともなると、私にはお手上げ。まったくわけのわからない物体になってしまう。
 息子も当初は石ころを積み上げたものが動くようなキャラを作って遊んでいて、「ぶったい1」「ぶったい2」などと名前をつけていたのだけれど、遊びが進むごとに、自在に3D画像が書けるようになってきて、私が「植物のモンスター作って」などとリクエストをすると、素晴らしい3Dモデル(と言えるか?)を作ってくれた。 子どもの習得ってすごいなあと感嘆しながら見ていた。
 前作の方は RPG そのもので、自分の作ったキャラをジャンケンのようなルールで相手のラクガキと戦わせて強くしていくというもの。それなりに相手の手を読まなければいけないので、「わー。ウラのウラを読んだらやられたー」などといいながら楽しんでいた。ストーリーは簡単なので、あっという間にクリアするのだけれど、ラクガキはずっと継続して作れるので、その後もラクガキをしては楽しんでいたのだった。

 近所のブックオフに立ち寄った際、そこで、2があることを発見した息子、2も欲しいというので、お年玉で買ったら?というと、すぐにその気になった。
 今度は前のとはストーリーも全く違い、ギブリは絡んでないようだ。(前作は 有名な漫画家が作ったキャラが満載だった)そうして、遊び方もまったく別になった。 アクションロールプレイングという感じ。 前はコマンドを選択して戦わせる「ポケモン」のような感じだったのが、今回はキャラクターを自由に歩かせたり、走らせたり、飛ばせたりして 逃げたり戦ったりする。 ゲームに興味のない方には分からない表現かもしれないけれど、似ているといえば「スーパーマリオ64のキャラクターを自分で作れるような感じ」とでも言えるかも。 スーパーマリオ64が古すぎてわかりづらかったら、サルゲッチュでもなんでも、とにかく自由に歩きまわれるアクションRPGをおもいうかべれば、かなり近い線だと思う。

3D画像の書き方も前と変わってしまい、羽をつけて飛ばせたいと思っても、当初はなかなか飛ばすことが出来なかったり苦労していたのだけれど、そのうちにコツを覚えたら、まあ、書くわ書くわ。 コレクションとして、登場したキャラも自分が使えるキャラクターとして増えてくると、今度はそのキャラを描画スペースに読み込んで 「あ、おかあさん。これは透明の車輪がついている」などと分析して、それを真似してどんどんキャラクターをつくりはじめた。

私がお気に入りのキャラクターを紹介すると、以下。
テレビ画面を携帯で撮影したので横縞が入っています。
PEN193610012007.jpg

 ペンギン。短い足でチョコチョコ歩くカワイイヤツだが、性格は油断ならない。口からレーザーを吐いたりする。
 因みに、ワザも自分でエディットすることができるのだ。

fusicyo193810012007.jpg

 不死鳥(だそう)。パタパタと空を飛び、なかなか強いキャラクター。 口からレーザーを吐くところはかっこよいが、私のお気に入りは キック。 足でキックするときに、ちょっとオマヌケな感じがしてかわいらしい。

 動画も携帯でとってみたので、テレビ画面ほどスムーズではないけれど、これでイメージがわかるかな?

avi(2Mちょっと)はこちら。
3gp(66K クイックタイムのプラグインで再生可能)はこちら。

 今は、先日エラゴンをみてから、ドラゴンライダーのキャラクターを作って動かして遊んでいるところ。
 こちらも、ストーリーはあっという間に終わってしまったけれど、繰り返し繰り返しキャラクターを作っては遊んでいるテレビゲームです。
 
  
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知らない人
2007/01/19(Fri)
  息子がほぼ毎日遊んでいる相手は、5年生の男の子。日によって、それに近所の子が加わったり、2年生の子が加わったりしている。毎日飛行機を飛ばしたり、枝を削ったり、ラジコンを走らせたり外で遊んでいる。

 昨日は、息子のクラスの友達二人から「一緒に遊ぼう」と言われ、それではいつも遊んでいる5年生の子とも一緒にと言うことになったらしい。 場所はいつもの空き地ではなく、チョットはなれた公園まで行くというので、5年生の男の子は家に戻ってお母さんのokまでもらってきたというのに、息子の友達が突然、

「そういえば、知らない人と一緒に遊んじゃいけないってお母さんが言っていたから遊べない」と言い出したのだそう。

 息子が
「子どもだし、ボクのともだちだからいいんじゃないの?」と聞いたのだけれど、

「よくわからないからダメ」といって、二人だけで公園に行ってしまったのだそう。 

かわいそうだったのは5年生の子で 随分しょんぼりしていたとか。
息子が残って一緒に遊んだのでその後は楽しく遊べたらしいのだけれど。

 子どもにとっての知らない人というのは。。。という出来事。
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理想と現実
2007/01/19(Fri)
 昨日は結果的にはよかったと思ったと思っていたのだけれど、なんだか嫌な夢をみてしまいました。

ひとつには、ぴー卒業の件がひっかかっているのかも。やっぱり私もやめたいという気持ちはなくなっていないみたいです。少し前まで「あと少しの辛抱だから」と思って取り組めていたことが、「まだまだ長く続く」という意識に変わったとたんにちょっと息が上がってきたという感じ。

 もうひとつは、昨日話したお母さんたちの要望があまりにも私からみると正論すぎて、その正論以外を受け入れない姿勢のお母さんの要望は、現実ではどうしようもないことであることが分かっていて、でも、現実を受け入れられないお母さんたちの気持ちも理解できて、という ジレンマが残ったせいかもしれません。

 「こうあるべき」という理想はもちろんあるべきでそれに向かって努力するべきだと思いますが、「犯罪はダメ」という当然のことがあるにもかかわらず 罪を犯す人がいるということは、罪を犯す人をゼロにはできないと同じように、教育についても理想と現実のギャップというのは必ずあると思うのです。
 
 たとえば、「教師たるもの、子どもひとりひとりの教育にこころを砕くべきだ」というのは間違っていない。でも、どうしても世の中には、教育に情熱をもてなくなってしまっている教師もいます。 私もその教師がそのままで良いとは思わない。
 でも、そういう教師を全て排除できるかというとそれは難しいです。また、排除できたとしてもその人に代わる「理想的な教師」が皆が要求している分だけいるのかどうか? そういう現実があります。 未熟な教師に当たるより、老成した理想的な教師だけに当たりたいとおっしゃいます。 でも、それってムリじゃないかな? 今になって思うのですが、学校というのは、教師も子どもも双方成長する場であるのが望ましいのだと思います。先日友達から 

教師は集団の中で自分を育て回りから育てられていくのが理想だと自分は考えている。ところが、今は、新米の教師は周りに育てられることなく、一人で自分を育てなければならない(状況に陥っている)。



と聞きました。 昨日の話はまさにそこに根ざした問題で、お母さん方は「教師相互でどうして教えあえない?」という話だったのです。たしかに、私もそう思う。でも、昨日の授業は特殊な授業(情報教育)だったので、先生方にもスキルの差が大きすぎるのです。もともと、それぞれの教師は、学校卒業時には教えることを想定していなかったし習っていなかったことなのではないかと思い、少し気の毒に感じてしまいました。 それを補うための授業補助として私たちが行っているのに、問題点ばかりに目が行って、先生批判だけになっていてはどうしようもないと、先詰まりに感じてしまったのでした。 また、パソコン操作くらいならば、こちらは手伝えることは手伝うから、基本教科の腕を磨いて欲しいという気持ちもありました。 でも、お母さんたちの言うこともわかる。
 パソコンだからというのではなく、「教える」というテクニックが不足していたり、「授業をうまく進めるために自分自身が準備をする」というステップが欠けているように感じたことも確かです。 でも、先生方の忙しさ、時間のなさも目にしていてわかる。 ソレに対してお母さん方は「事務処理に追われるよりも、教育に力を注いで欲しい」と。 理想は理想で私もそう思う。でも、現実そうできる環境にあるかというと、環境もないこともなんとなくわかっている。 つまり、私は双方の気持ちと状況の板ばさみ状態に自分を追い込んでしまったということかもしれません。

 これは一朝一夕には解決するはずがないと感じています。私は教師ではないので、教師としてするべきことはできない。でも、一保護者として関わって先生方が授業がスムーズにできる方向に少しでも役に立ちたい。

 すっきり解決するわけではないから、気持ちもスッキリ晴れるわけではないのですが、私に与えられ、できる範囲で良いと思うことをしていくしか 私のモヤモヤを片付けていく方法はないのかもしれないなと思いました。 たぶん、これは息子が学校を卒業するまでには解決することが出来ない問題かもしれません。
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怪しいアクセス履歴
2007/01/19(Fri)
 子どもと私が読んだ本の感想を書いているブログに昨日怪しいアクセスがあった。
深夜秒単位(ときには0.1秒単位)で、韓国から連続アクセスがあり、その総数たるや120アクセスを超えているのだった。
何?? コメントスパムやら、トラックバックスパムを送ろうとして失敗しているのかな? 通常、スパム系でアクセス履歴が残っていることは少ないのですが。

 とりあえず、コメントにもトラックバックにもそういう類のものはなかったので、実害はなかったのですが。。

何をしているんだろうなあ。 友達のページにも怪しいアクセスがあるという話が書いてあったのを思い出して「これなのかな?」と思ったりした。
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今だからこそ「男の子」を認めよう (3)私の場合編
2007/01/18(Thu)
 誘われて「どうしようかなあ~」とおもいつつ行ってきたファミレス。話を聞くと、いろいろと思うところがあったりして行ってよかったと思うのだけれど、いかんせん、この煙臭さ。ファミレスはタバコの煙だらけです。丁度喉を痛めていたので、咳き込んでしまったり大変でした。そうして、タバコのにおいをつれて帰ってきてしまいました。
 自分に消臭剤かけてみました。

 さて、この文は その(1)
 その(2)
の続きです。

 その(1)は息子をとりまく学校環境によって、母親の私の気持ちの中に「受験」という選択肢が見え隠れしてきたこと。そうして、それに付随して「塾」というものの存在について考えざるをえなくなったこと。そうして、だからこそ親の迷いが生じていることを書きました。

 その(2)学歴はその人の能力を表すものではないと実体験する機会がありながら、でも学歴社会をまのあたりにしてきた親として、子どもの将来について不当な差別も困るという思いもあるジレンマについて書きました。

(1)で紹介した本、(この本が絶対だというわけではないのですが、私の読んだ本の中では、この本の説明がものすごくしっくりするものがあったことは確かです。もし図書館などで目にする機会があって、興味をもたれたらご覧になってみてください)
男の子を伸ばす母親は、ここが違う!
男の子を伸ばす母親は、ここが違う!松永 暢史

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star男子の突飛な行動を理解し、伸ばすための指南書
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 著者は、教育コンサルタントですから、学校にも塾にも寄らない論になることは読む前から分かっていますが、私が言葉にならない思いでモヤモヤしていたところが、すっぱりと言葉になって説明されているところはとても気持ちがよかったです。妄信は危険だと思いますが、この本の良いところはぜひ取り入れて生きたいと思いました。 ここでは「男の子」と限定されていますが、本を読んだ感触では 「小学校低学年で保護者が悩むことが多い子」と捕らえると良いように思いました。

 たとえば、早期教育について、著者は遊びの大切さについてといています。 今は幼児教育、早期教育がはやり、そういう場では、子どもの興味をひきつけるために「遊び」の要素を多く取り入れている。 大人から見ると、 「どうせ遊びに行っているようなものだし、勉強にもなれば一石二鳥。」「子どもも喜んで通っているからいいんじゃない?」と思ってしまいがちなことを指摘しています。

 教育・教室は

すべて大人が決めたルールに従ったものであり、予定調和的なものである。

ということを忘れてはならないと。 そこには安全はあるかもしれないが、子どもたち自身の対応力、思考力を伸ばす 突然のアクシデントがないということにもっと目を向けるべきだと言っています。
 子どもたちは、遊びを通した経験が何より重要だ。そうして、そういう経験こそが、自分が本当に学びたいと思ったときに生きてくるものだと言っています。

 先日コメントで頂いたお手伝いについて、著者も「責任をもってさせるべき」と言っています。 将来大人になったとき、自分の好きなことばかりやってすごせるということはない。必ずやりたくないことをやらなければならない時がある。そういうとき、助けになるのはやりたくないお手伝いをどんな風にやってきたかという経験である。というような話でした。(たとえば、さっさと片付けて自分のやりたいことをやったり、できるだけ効率的にやる方法を考え出したりなどなど)
 なるほどそういうメリットもあるんだなあと納得した出来事でした。

そういう細かいアドバイスなどが色々と載っているこの本ですが、私の一番のジレンマについてもなんとなく方向性が定まってくる内容のことが書いてありました。

 先日いろいろとコメントで、多くの方がやはり私立を目指し、塾を考えているということを知りました。私自身も先の二つに書いたように迷いのさなかにいますが、今は塾に行かない、私立も妄信しないという決断をしようとしています。 公立に行くと将来いばらの道が待っていたとしても、ラクなレールを親が敷くのではなく、自分で切り開いて歩いていける子を目指したいと思っています。 いや、うまくいくとは限らないと思いますが、今はそう思っているのです。

 (1)(2)のような状況でありながらなぜそういう選択をしようと思ったのか? やはり息子に幸せになって欲しいからです。 幸せというのはどこにあるのか?と考えたとき、スゴイといわれる学校を出て、一流企業やひとかどの人になり、皆からうらやまれる人になることか?と考えると、なんだか私の求めているものと違う。

 理想としては、自分で自分の道がみつけられ、自分の頭でしっかり考えることができ、パートナーを探すのであれば、お互いがお互いの考えを理解し、尊重しあえるパートナーと出会えることではないか?と思ったのです。
 極論してしまえば、 abe氏は幸せだろうか? sorryになったことはもしかしたら彼の中での一つの目標だったかもしれないが、彼はたぶん私よりも幸せではないと思っています。モチロン資産も知名度も彼が上ですし、彼にしてみれば、私なんて そこいらの石ころほどの存在感もないことでしょう。 ほかにも たとえば、horiえもんに対してもそう思います。

 将来一生懸命育てたとして、abe氏やhoriえもんのような大人にそだってしまっては、私はやっぱり悲しい。学歴や収入につられて息子によってくる女性が息子のパートナーになってもらっても悲しい。 息子には考える力と人を見る力を身に着けて欲しいです。

 うまく書けていませんが、だから、私自身が「近所の公立が荒れているから」とか「とりあえず、学力は私立にいれておけば公立よりもよさそうだから」という理由で、息子自身が私立に行きたいという思いがないままに私立を選択するのは止めようと思いました。
 受験勉強をさせる前に、息子にはやらなければいけないことが沢山あります。遊びやお手伝いのほかにも、小学生時代に習うべき勉強をしっかりと身に着けること。知ることの喜びを自分で見つけられること。自分の成長や能力の向上を自分で評価してよろこぶことができること。
 
 「息子がしっかりしていないから流されてもとりあえず安心な私立」というのではなく「しっかりしていないのだったら、今は少しでも自分の考えを持てるように、ひとり立ちできるようにサポートする」というのが今の私の目標です。

 先日、高校の生物の参考書サンプルを見せていただく機会がありました。丁度息子が興味を持っている内容があったので、息子も興味しんしんで見ていました。「小学生でも興味を持てば高校生の参考書でも読もうとするんだ。おもしろいとおもうんだ」という驚きもありましたし、私にとっても、受験勉強を離れたソレはとても面白いものでした。 pon1と一緒に「ねえ、教科書ってこんなにおもしろかったっけ?この教材がいいの?」と話しました。 100点をとることに燃えたり、一番をとることに燃えたりすることも一つの目標。でも、社会に出て、テストのような評価がもらえなくなってしまってから、一気にやる気を失って、ドロップアウトしていく人たちも多く見てきました。
 二人の結論は「テストだとか、受験勉強だとか。こんなに沢山の文を読まなければいけない。おぼえなければいけない。」という思いが強くて、本来の教科の面白みに私たちが気づいていなかったのかもしれないという結論になりました。 必要十分な情報だけを覚え、その周りの興味のある部分はテストに出ないから無駄と自分で切り捨てていたのかもしれません。

 息子には、モノクロの世界のような私がたどってきた「やらなければいけないお勉強」はしてほしくない。 フルカラーのようないくらでも知りたいことが自分の中から沸いてきて、次から次に知識を得る喜びを沢山感じることができる子になってほしい。
 もし、そういう子になったら、傍からおしつけられなくとも、おのずから知識を求めていくはずだと思ったのです。

 一生懸命「良く育て」と思いつつ育てた息子の持つ力を母がダメにしてしまわないように。 そんなことを思いながら、私が息子の勉強をみてやれる間は じっくり小学生の勉強を身に着けて、学ぶことの楽しさが伝えられるようにしていきたいと思ったのでした。

 それから、こと、子どもに関しての選択を親がする場合、逃げの選択は止めようと心に決めました。 たとえば、「あの公立に行きたくないから私立」という選択は止めようと。
 ○○は嫌だからと逃げているよりも、息子自身が目標を持つことが大切だと思いました。 もし、息子が心から何かをしたいと思っているとします。その道のりが公立だったとしても、私立だったとしても、多少の雑音が他から聞えてきても、息子さえ自分の目標を見失わなければたぶん前向きに進んでいける。 でも、後ろ向きの逃げの選択を親がきめてしまっては、結局息子は下手をすると自分の目標をみつけられないままに次々に逃げ道を見つけなければならなくなってしまうかもしれません。 まだ目標のない息子(小学生くらいで目標があるのもスゴイです)だからこそ、自分で目標が見つけられる子になる素地を磨く手助けができればなと思っています。
 
 あまりにも理想に走りすぎているかもしれないけれど、今の私はこんな風に思ったのでした。 いや、できるかどうかもわからないのですけれど、とりあえず、私の目標ということで。大風呂敷をひろげてみようかと。
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子どもたちから元気をもらってきました。
2007/01/18(Thu)
 子どもたちから元気をもらってきました。 授業補助って楽しいな。
一緒のお母さんたちの話を聞いていたら、こっちも課題多しと言うかんじでした。
 最初、そのお母さんたちの要求がすごく厳しいと思って聞いていたのですが、色々お話を伺うと、お二人とも別の悩みがあって、その思いがあるからこその今回の要求なんだとわかり、納得しました。
 でも、一朝一夕に解決する問題ではないことだと私も思ったしそのお母さん方も思っていらっしゃるということでどうやったら解決できるのか、課題は残りますが、できることからやっていくしかないと思います。
 ただ、お二人の状況と思いが聴けて、私にも「ああ、そういうことがあるのか」と認識できたことはよかったと思いました。

 詳しいことは書けなくて、意味不明な文だと思いますが。。(^^;)ゞとりあえず、子どもたちと過ごす時間は疲れても楽しくて、お母さんたちとの話は意義があったということでした。
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昔の記憶
2007/01/18(Thu)
 今日は、いまから授業補助ボランティアに出かける予定です。でも、なんだか疲れちゃって今日はいまひとつ元気が出ない。アンパンマンだったら、「顔が汚れてちからがでない」状態かも。(^^;) 沢山ボランティアがいたら休むところだけれど、私を入れて今日いける人が3人しかいないということで、やっぱり行かないとダメかな?

 先日4,5年ぶりの方から別のブログにコメントを頂きました。メールアドレスを書いて連絡くださいと書いてくださったので、メールを差し上げたら、お返事とmixiの招待メールが来ました。 噂のmixiです。<もう当然のごとくのもので、私が今入ったというのも、「遅っつ!」と思われる方も多いかと思います。
 気持ちとしては、会員でないと見えないところではなくて、誰にでも見えるところを主体にやっていきたいという気持ちもあったし、今のこの調子だと、放置することが目に見えていたので(というかすでに放置している)とりあえず、入って、マイミクのリクエストを下さった方にお返事出して、私も数人の方にご挨拶のメールを送ってという状態です。(が、アレ以来見ていない。コメントが来てもメールが来ないのか?ミクシイ?? それは不便だ。) 入った理由のひとつとしては、招待メールを頂いた方は以前ページもおうちもお引越しされて、今はmixiしかやってないというお話だったからです。
 私もすごくお世話になった方ですし、「ずっと気になっていた」と言ってくださったのも嬉しかったです。

 ということで、mixiの会員になりました。私がmixiに興味があると書いたらすぐ「招待メール送りましょうか?」と書いてくださった方々も中で探したのですが、いまひとつなれてなくてわかりませんでした。ごめんなさい。
 私はmixiでなく、こちらを主体にやっていくつもりですので、これからもよろしくお願い致します。

 さて、中に入ってみると昔MLでお話した人たちが沢山いて、浦島太郎のようでした。 そうして、昔の楽しかった記憶やちょっといやだった記憶もよみがえってきました。

そんなこんなの2,3日でした。

別のことで 書きたいことがあるんですが、また後伸ばしです。 ではー。
 

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先入れ先出し、まさかが本当だったとは。
2007/01/17(Wed)
 今朝、不二家の賞味期限切れのニュースを見ながら、pon1に、「まさか先入れ先出しをやってなかったわけじゃないよね」なんて話しかけた。今、息子と一緒にクタクタになり習い事(スイミング)から帰ってきてテレビをつけていたら、そのまさかが本当だったことがわかった。

 なんで、私みたいなその業界に関わっていないシロートが知っていることを、企業がやってないんでしょう。 企業の実態なんてそんなものなのか?

と、書いて閉じようとしたら、他のことも頭からあふれ出てきちゃった。

 朝、「家だったら賞味期限切れは 大丈夫そうだったら 食べるけどね」と話した。だからといって、不二家が賞味期限切れたものを原材料に使って良いと言っているのではないけれど。(いや、「賞味期限切れは絶対に棄てます。ソレを食べることが出来るなんて信じられない。」というお宅もあるだろうから、我が家の場合ということで)
 しかし、細菌が基準値を超えていたのはpon家としては気になるところ。食べ物業界として、絶対にやってはいけないことだと思う。 どうしてそういうものを知っていながら売ったのか。老舗の誇りというものはなかったのか? 

 最近食べた不二家のお菓子といえばルックだ。昔から好きだったお菓子。4種類の味のどれがおいしいか食べ比べるのが好きだった。今はたしか、どの味かわかるようにプリントしてあったと思う。不二家の行為は子どもだけでなく、大人の思い出にも傷をつけちゃったんだな。
 
 それだけ経営が厳しいということなのか。不況の風かと思っていたけれど、内部の材料管理にもこんな初歩の初歩の問題があったなんて。旧体制の悪いところが出たのかもしれないとも思った。
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疲れてきました
2007/01/17(Wed)
 半分は自分が播いた種だけれど、土曜日からでずっぱりで疲れてきました。
今日は午前中ボ。午後ぴー。そうして、いまから息子の習い事についていって、その後私は歯医者へ。息子と一緒に帰って来る予定です。 
 今日学校へ行ったら、明日の授業補助も3時間、私も行かないとどうしようもないとか。 行くしかないよね。
で、金曜は一日学校の用事が入って、土曜日は、ぴーの用事。 先のことを考えると元気がなくなるので、当面目先のことだけ考えてしのごうと思います。

 学校時代長距離を走る(マラソン大会とかの)とき、もうダメだと思っても、次の電柱まで次の電柱までと繰り返して思えばそのうちにどうにか走れていました。 今は先をみてウンザリしてしまうよりも、次の電柱までを見るのがよさそうです。

 あ、他のことも思い出しました。
私は学生時代洞窟探検をしたりしていました。十メートルを超える竪穴をワイヤー梯子を使って降りたり登ったりしたわけですが、不思議にその梯子はあまり恐ろしくありません。
 どうしてかというと、洞窟の中は暗いので、頭につけたライトでは数段先までしか見えないからなのです。 
 くじけそうになったり、無駄だと思ってもチョットずつ自分をだましつつ進めばいつかできることもある。 小さなことからコツコツとが好きというのは、その辺の経験から学んだものなのかもしれないなあとおもいました。

マズは目先の息子の習い事に 元気を出していってきます。 
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自分の考えは伝えようと思ったできごと
2007/01/17(Wed)
 先日、ぴーの新年会に出たときに、委員長さんから聞いた話。
そのクラスからは委員長さんが二人出ています。懇談の際に、ひとりの保護者が「宿題が少ないのでもう少し宿題を増やして欲しい」と先生にお願いし、他、2,3人も「そうだ」と同意して、「じゃあ、宿題をもう少し増やしますね」という話になったのだそう。 さて、懇談会が終わって、教室を出た先生に一人の保護者が駆け寄って行き、「宿題は増やさないで欲しい」と言ったという話でした。

 私は、自分の考えは人前でも述べるし、相手の言い分に納得したら、「なるほど」と自分の考えを改めることにやぶさかではありません。それが、会議やら会合の意義だと思うから。そういう考えを持っているから、人前では自分が違う意見を持っていると、伝えることができない人の気持ちは分かろうとしてもきちんと分からないんだろうと思います。 でも、懇談会って何のためにあるの?と考えると、お互いどういう考えを持っているか知るためにあると思うのです。 「宿題を増やして欲しい」と言った人は、その場で反対がなかったのに、増えないことに疑問を持つでしょうし、個人的にそういう話をされた先生も困るんではないでしょうか? 「宿題を増やして欲しい」という意見と「増やさないで欲しい」という意見双方が出ていれば双方納得する結果が導き出せたかもしれないのに。 

 打ち合わせに望む際、「自分の考えはきちんと述べる」「相手の考えを理解することに勤める」「双方の考えを考え合わせたうえで、双方が満足できる解決方法を模索する」という基本中の基本が世の中では機能していないことが多いように思います。

 話はいつものように、少し変わります。
先日新聞を見ていたら、気になる映画広告がありました。
ダーウィンの悪夢」という映画です。 「世界のことに興味をもつきっかけになった。絶対見たほうがいい!!(10代)」「私たちもナイルパーチという魚を食べていると思うと、もはや他人事ではなくなりました。娘にも見せたいです。(40代)」というコメントが気になって、検索してみました。
アフリカのヴィクトリア湖に研究目的ということで放されたナイルパーチ(私たちが口にする白身魚フライなどはこの魚を使っていることが多いらしいです。)それが増殖し、在来種を駆逐し、どのようにその地域を変えてしまったかという、ドキュメンタリーだということがわかりました。
 さらに検索してみると、タンザニアの映画 DARWIN’S NIGHTMARE その1(うるわしのブルターニュ)で、その映画の詳細が説明されていて、以前NHK BSでも放送されたことがわかりました。 ああ、そのときに見たかったとおもいつつ、さらに検索。
 すると、今度はこの映画に懐疑的なページも見つかりました。ダルエスサラーム便り(ダーウィンの悪夢)このページの管理者である 根本利通さんは

映画の中で描かれている事実は、総じて事実である。首を傾げるような場面はいくつもあるし、案内役の役割を果たしている水産研究所の夜警のセリフは、かなり意図的である。それは措いておくとしても、さまざまな事実をどう選択し、どう羅列するかは、製作側の意図である。ドキュメンタリー映画とはいえ、監督の主張、作品であることを忘れてはいけない。


と。

 ネット上にあるこの二つの文章を読み、まず、うるわしのブルターニュの 市絛 三紗 さんの潔さを見習いたいと思いました。根本さんの主張は正論。もちろん、ドキュメンタリーは作品だということは、時々見ている私も忘れそうになります。また、それについて「これは本当なのだろうか?」と思ったとしても、なかなかその情報の正当性を検証する手立てはありません。根本さんの情報はなくてはならないものだと思います。ドキュメンタリーが現状からはなれて一人歩きし始めてしまっているということを伝えるということは非常に有益なことだとも思いました。 では、市絛さんについてなぜ?見習いたいと思ったのか。

 市絛さんの文章は、ドキュメンタリーを見た感想を素直に書き綴ったものです。だから、その映画を見たときの感想としては、これもまた真実であるのだと私は理解しました。とてもよく映画の内容を伝えてある文だと思いました。アクセス解析などを見ると、リンク元情報などから自分のページがどこかにリンクされていることは容易に発見できます。たぶん市絛さんは 根本さんの文をご存知だと思ったから、根本さんの文章が存在してもその記事を消さずにそのまま残しておいたという行動が「偉いな」と思ったのです。 また、根本さんの情報も市絛さんの情報も、私からすると「伝え聞き」という点では同じです。二つの文を読み比べることによって、私の思考の幅も広がると感じました。つまり、私にとって、根本さんの情報も市絛さんの情報も双方必要な情報であったと思うのです。 もし、片方が情報をネット上から消してしまったら、私の得られる情報は半分になってしまう。
 ちなみに うるわしのブルターニュではその後 タンザニアの日常生活というエントリがありました。その後、なんらかの情報があり、補足されたのかな?と読みました。

 さて、話は私の話に移ります。

 ネットに自分の思ったことをかきはじめてからもう5年になります。(昔のロバミミが読みたいと思われるような珍しい方がいらしたら、こちらに過去ログがとってあります)
 こういう場所に自分の考えを書くときに、やはり一旦「こういうことを書いても問題ないだろうか?」と考えてから書きます。というのも、政治関係の話などを書いているページが、俗に言う「炎上」しているのもよく見かけるからです。でも、私も保護者会の宿題を減らして欲しいと皆の前で言わなかったお母さんと同じではないか? とふと思いました。 なにも自分から好んで「炎上」させる必要はありませんが、自分の考えの範囲内で、こういう場に自分の考えを載せることができるということはもしかしたら素晴らしいことではないかと思ったのです。 というのも ホワイトカラー・エグゼンプションの記事を書いてすぐに、検索ワードで私のブログに来ている人が何人かありました。 その後、この制度は今期は見送りになろうとしている様子です。私のブログがそれに関係しているとは思っていませんが、でも、私ひとりの意見ではどうしようもないものだけれど、ネットの中に生息するひとりの意見として、もし、政策に関わる人が、世論調査をネットでもやったなら、その記事があれば私の考えは一票としてカウントされるかもしれない。 とあれば、「私はこうおもう」ということを少しずつでも書く努力をしていくことが、何かを変えることもあるかもしれないなどと思ったのでした。(
あ、だからといって、トラブルは好みませんから、書き方や表現はこれからも気をつけていこうと思っています。また、何か言いたいけれど、それがきちんと言葉になって出てこないとき=頭がはたらいていないときは やっぱり記事はかけませんね。)

 そうして、私の認識がもし違っていた時、それを指摘することはとても勇気がいることだと思います。違うのではと思っても、なかなか言えないことも多いです。でも、それを指摘していただけることは、私にとってはありがたいことだと思っています。 ブログに垂れ流しただけでは自己完結でしかありません。間違ったことをそのまま放置しておくのでは私の進歩はありません。「pon2の認識はちょっと違うようだけれど? こういうことを言っているの?」と指摘や確認していただけることは、私にとって宝物であると思ったのでした。
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食欲暴発 
2007/01/16(Tue)
 アチラがメンテナンス中なのでこちらに。

 勤め始めて約一ヶ月以上が過ぎて、契約期間の半分が終わった。で、最近の私。 ちょっと疲れ気味で、甘いものや炭水化物が妙に恋しい。
 昨日も帰宅してから、ドラ焼きやら柿ピーやらなんやらバクバク食べて夕飯に突入。食後の満腹なところにケーキまで詰め込んでしまった。

心なしか最近ウエストがきついです。(--;)いかんいかん。
会社をやめてから少し肉が落ちたと思い込んでいたのに、またもや お徳用に増量してしまいそう。

 今日、白セータ&白パンツという全身白でオシャレに出勤したパートの奥さんがいらしたけれど、私がそれをしたら 雪だるまだわ。
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エラゴンを見てきました。
2007/01/16(Tue)
 日曜にエラゴンを見てきました。誰から聞いたか忘れたけれど「おもしろかった」と聞いたので見ようと思ってわすれていたものです。
 
 そのため、「ドラゴンが出てくる」というのは知っていても筋は全くしらないまま映画を見ることになりました。帰宅してから、原作は作者が17歳のときに書かれたと知り、ビックリ。
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因みに本はこちら。

 映画館に入ってみてビックリ。「ガラガラやん。。」あっちもこっちも空席だらけで、最近近くに新しいショッピングセンター兼、映画館が出来た場所だっただけに「こんなに人が減るってマズイんじゃないの?」とpon1と顔を見合わせた。そういえば、外を歩いているときからこころなしか人が少なかったし。。。 数日前に公開されたモンスターハウスはお昼の時点で、16時からの回しか予約できなくなっていたので、気のせいかしら。
 まあ、随分前からやっていたから、皆冬休み中に見たのかもしれないし。

 さて、映画について。原作本を読んだ人の中には、物足りなく思われる方もあったようですが、(ネット検索してみました)でも、テンポもよいし、中だるみもなく、ぐいぐいと話の中に入っていくことができました。 ハリーポッターや、ロードオブザリングが好きな人はきっと楽しめると思います。(似ている部分もあるけれど、あまり気になりませんでした。)

しかーし! 上映時間を知らないまま映画館に入ったpon2,いつまでたっても、一番の悪の根源と戦う話にならなくて、その子分と戦っているから、「これはもしかしたらものすごく長い映画なのか??」と心配になり、「一番のクライマックスでトイレに行きたくなったらどうしよう」と心配になってしまって、途中中座してしまいました。 あわてて戻ってきたら、なんと! この話は続きものだったようで。。。

 パイレーツオブカリビアンの2 のような予告編のような映画ではありませんでしたが、最近こういう映画、多いですよね。

 別の話になりますが、予告編で気になった映画。実写版「どろろ」(公式サイトにリンク)。どろろは、ちゃんとよんだことがありませんし、ストーリーもいまひとつ。でも、有名なマンガなので、名前を聞いたことがあります。 
 予告編を見たら、絶対見たくなってしまいました。おもしろいといいなあ。 時々、「予告編がすべてだったね」という映画もあるから、あまり期待しすぎないようにしようと思います。
  公式サイトには、予告編があります。興味がある方はどうぞ。 大きな画面での予告編はかなり迫力のあるものでした。
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こどもの世界でも
2007/01/14(Sun)
 子どもの世界では、いかなる理由があろうとも 先に手を出した方が悪いというのは常識になっています。が、

 武器先制使用において、読売新聞へのリンク

 子どもの話では、大抵相手が悪者です。そうして、相手の子どもも大抵けんか相手が悪いことをしたといいます。それは、嘘でもなく、子どもの立場からするとお互い真実なのです。
 そうして、それが子どもだけでなく喧嘩の真実だと思います。ほとんどの善人が喧嘩するときは、大抵相手に非があるとお互い思っているのです。つまり、自分から喧嘩を見ると、いつも自分より相手が悪いのです。

 喧嘩を大きくしたい人、喧嘩に乗じて自分の味方を増やしたい人は、ことさらに相手の悪を言い広め、自分の正当性を主張します。 

 それがわかっているからこそ、そうして、喧嘩が大きくなればなるほど双方のダメージも大きく回りのダメージも大きくなるからこその 「先に手を出したほうが悪い」という慣例ベースの取り決めがあるのだと思っています。
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どっどど どどうど どどうど どとう の どようび
2007/01/14(Sun)
どっどど どどうど どどうど どとう の 「どとう」は 「どどう」の間違いではなく、怒涛とよんでくださいまし。(リンク先は青空文庫 風の又三郎)

 ちょっと待ってね宣言をした次の日である土曜は当初から怒涛の土曜日の予定でした。でも、私が当初予定していた怒涛の数倍の規模であることは、朝の打ち合わせに出るまで知りませんでした。

 土曜は、朝ぴーの役員会、委員会、午後ぴーの別の委員会、そうして夕方からは新年会。もともとそういう予定が入っていました。ぴーを卒業する予定の私にも任期があと少しということで元気に取り組めるというものです。そういう明るい気持ちで家を出ました。

 まずは役員会。そこで、コー長から今年学校でやりたいことの説明がありました。この話は昨年末に個人的に伺ったのですが、約1年間休日に必ず学校にボで出る人が最低2人ずつ必要だということで、「私は人数的にボではムリだと思いますが。。」とお返事しました。100日×二人 でのべ200人。それも土日にというのは 今のボの状況を考えて無理です。もともとそんなに大きな学校ではないので、保護者の数も少ないし。

 でも、コー長の頭の中には進めたいという思いが一杯になっているようで、年明けから2回別々の打ち合わせがあった際もそのたびごとに、かなりの時間を割いて説明がありました。

そうして、昨日の朝です、またその説明があったのですが、「ムリだと思います」とお伝えした経緯があったので、何度も聞いた話だし、よもや自分に関わりのあることになろうとは思いませんでした。 そうして、話が終わったときに「で、pon2さん、ボの方はやってくれるんだよね?」と会議の席で聞かれて、てっきり別のボの方だと思い「ええ。ボの方は今年も継続してゆく予定ですので、よろしくお願いします」と言ってから、「え?もしかして、このお話についてですか??」と。するとそうだということ、ボの実情を交えながらムリだという説明をしたのですが、 ついサガともうしましょうか、実現するにはこういうことが必要と実現に向ける話をしてしまいました。(会社づとめのクセで、実現不能なことを持ちかけられると、実現できる方法を模索し、提案して。そうして、タチの悪いことに、新しいことを企画することに対して、自分自身もワクワクし始めているということも。。。)結局 委員会を来年度から1つ立ち上げ、委員を通常の委員と同様に募集。お手伝いは対象が土日であることから他のお手伝いの負担と比較して最大で2,3ヶ月に1回ペースでないと集まらないし、続かないだろうという試算により、大規模な募集をすることになりました。 立ち上げ期間ということで、結局私が委員長にという話になり、 ボの実体や業務内容を知っているということで、内心「やっぱりやるしかないのかなあ」という雰囲気になり、時間切れを迎えました。

 午後は子どもさんが過去に学校に在籍していらした役員経験者が中心となった打ち合わせでした。 実はこちらからも別口で先日から電話がかかってきて、委員にはいってくれないか?と打診があったので、お断りしていたものです。これ以外にも
地域関係の委員も打診があり、「ムリです」とお断りしていたのですが。。。 先方が「来年はどうしても欠員が出るので、現ぴー役員を抜けるpon2さんは。。」とおっしゃり、コー長がその声が消える前にかぶせるように 「pon2さんは、新しい委員会の委員長になってもらう予定だから」と。 1枚もカードを引く予定でなかったのに、いつの間にか、いくつか出されたカードのうちどれか一つを選ばねばならない状況に陥ってしまいました。 私の中でも、外部組織に入ると、どうしても午後や夜間の打ち合わせが増えることから、「どうせ何かをやるんだったら、学校組織の中で自分の都合に合わせて決められる方が負担は少ないかもしれないなあ」などとおもいはじめました。
 1年休もうと思っていたけれど、これはどこかにはいらないで済ませることって出来なさそうだし。 実際、私にと打診があった職はおなじくぴーを卒業する別の人に話しが行き、もう一つの席はまだ欠員です。
 
 そんなこんなの怒涛の土曜日でした。 ぴー卒業計画は頓挫のようです。

 頂いたコメントはちょっとそのままになっていますが、今日は気晴らしに家族で映画に行きたいと思っています。少しずつ書きますのでもう少し待ってくださいね。

 とはいえ、あらたに一つ特殊な委員会を立ち上げ、組織をつくり動くまでにすることに対してワクワクしている自分がいることは否定できません。 昨日すぐに、4月に委員を募集するのであれば、ぴーの承認を得るステップが必要なので 臨時総会で承認を得る。とか、人員を確保するためにお手伝いの割り振りを検討する。。など、残された時間は少ししかないので、もううごきはじめてしまいました。
 

 
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ちょっとまってね。
2007/01/12(Fri)
 コメントのお返事を書きかけたのですが、脳みそのウニ化がすすんできたので、コメントのお返事しばしおまち下さい。
 ちょっとリフレッシュしてから出直しマース。

 脳みそウニというのも最近聞かないですね。死語なのかな。
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邸宅を見慣れる
2007/01/12(Fri)
 今日はなんだかつかれたー。今やっている仕事は簡単な仕事なんですが、ちょっと集中力が要ります。私は、集中するのは割りと好き。やることがなくて所在ないと時間がたつのが遅いのですが、集中すると あっという間に時間が過ぎるので、働くのが全く苦じゃないというか。
 
 でも 突然来週からいままでやりかけたデータをそれなりにカタをつけておかないと。。。という話になって、細かい作業を 「はやく、はやく」と思いながら一心不乱にやっていたらすごくつかれてしまいました。

 話はすっかり変わりますが、私の勤め先は、住宅展示場の中にあります。毎日住宅展示場の邸宅を見ながら通います。平日なので、閑散としています。 広めの住宅展示場なので、そこそこ見ごたえがある棟数のおうちを毎日横目に通勤です。 以前pon家もここに遊びに来たことがあります。 ここにある家は、最近pon家近辺で建つ家の2~3倍の広さがある 「このくらいの家をたてたら、邸宅だね」と思ってしまうくらいの家です。 

 以前遊びに来たときは、「今のpon家の近辺ではこのくらいの家は夢だなー。」宝くじでも当たらないとなあー。と思いながら見ました。たぶん、土地代だけで億超えます。どのくらい超えるかは計算したこともありません。 「このくらいの書斎があるといいねえ」とか「地下室がこんな風になっていたらきもちいいねえ」と部屋を巡りながら そこで生活する自分たちをおもい描きました。 

 ところが、ここに通い始めてから1ヶ月ちょっと。わりと邸宅にも見慣れてきました。なかには、デザインのアクがつよすぎて「見飽きた」ものもあります。 家の中で生活しているわけではないので、生活感のない綺麗な家が立ち並んでいるのだけれど、毎回みているうちに「やっぱり、今の我が家がイイカナ?」なんておもってしまいました。 

 だって、広いと掃除も片付けも大変です。 pon家の面々の性格は、ムダなものやヘンなものを溜め込みやすい(※1)ので、部屋が余っているとなると、ドンドコ物を買ってはそこにつめこんでしまいそうだし。 そうなると、私も一層大変。

 家を建てる場合は、同じ家しかたってなくても、何回も何回も展示場に足をはこんで、「自分が本当にこの家が好きかどうか?」を確かめてみるほうがいいなあと思いました。 展示場にある家はそうそう変わるわけではないので、1度見ると何度も行く必要はないと感じることが多いけれど、もし将来家を建てることになったら、住宅展示場の人から相手にされなくなるくらい足を運んで決めよう。。。などと思いました。

いえ、そんな予定は今のところまったくないのですが。

※1 ヘンなものを溜め込むという実例
 たとえば、pon1が先日購入したアルコールチェッカー。
 うちは車を持っていないので、お酒を飲んで車を運転することは100%に近くありません。 長年ペーパードライバーだった pon1,pon2は 飲んでなくても 運転に関して一抹の不安を自分に持っているような感じです。 アルコールチェッカーは、家でお酒を飲んだときに、「どのくらい数値が出るかな?」とためしてみるおもちゃです。 先日、飲み会でよっぱらって帰ってきたpon1にすぐさまアルコールチェッカーを渡して結果測定してもらって遊んだりという使い方をします。

 
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あらたな番組など
2007/01/11(Thu)
さて、楽しみにしていた「のだめ」も終わり。新番組の季節になりました。

 今日の深夜からアニメのだめも始まるようです。

一応予約してみたけれど、どうだろう??

東京タワーは、見ないつもりでした。もこみち君だとイメージ違いすぎだと思って。 チャンネルを回している最中にちらりとみた 東京タワーは お母さんがめがねをかけて踊るシーンでした。

 申し訳ないけれど、前に見た田中裕子がうますぎて、ドラマの方は見劣りしてしまった。 全体を通してみるとまた違うのかもしれません。

 さて、昨日見たのはハケンの品格。 私は今パートでハケンではないけれど、あそこまで やりたい放題やれるハケンってスゴイです。
 ちょっとうらやましい。 

まだまだ今後も新ドラマが続きます。
前期の連ドラも、途中でいくつか見るのをやめてしまったものがいくつかあったけれど、今期は最後まで残るのはどれだろう。
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今だからこそ「男の子」を認めよう (2)学歴編
2007/01/11(Thu)
んーと。書きたいことはあれど、数日遅れで書いてます。(^^)

 とりあえず一言だけ。 「誰に見せたいのか 某A Show」

さて、この文は その(1)の続きです。

 前回は息子をとりまく学校環境によって、母親の私の気持ちの中に「受験」という選択肢が見え隠れしてきたこと。そうして、それに付随して「塾」というものの存在について考えざるをえなくなったこと。そうして、だからこそ親の迷いが生じていることを書きました。

 次に、なぜ今親たちが、子どもたちの学力(学歴?)にそんなにこだわるのかというお話です。

 学歴や出身校は、その人の能力の全てをあらわすものではありません。もう少し大きな範囲でいうと、テスト成績も然りです。 スポーツ選手などは、「人が見ている場でその演技ができてナンボ」という競技も多いのですが、こと仕事に関しては「実力はピカ一だけれど、極度のあがり症でテストはなかなか良い成績が残せない」という人が仮にいたとしたら、本来ならば、テスト成績が良くなくても 仕事という面であがり症が業務に関係のない部署であれば、大歓迎ではないかと思います。
 しかし、その実力がピカ一というものは雇う前にはわからないからこその試験。
 
 私も、会社勤めの頃に学歴社会の意味のなさを味わうとともに、学歴社会の犠牲者の悲哀もしっかりと体験してきました。

 たとえば、不況になった頃、私の勤めていた会社は大学院卒しか採用しない年が何年かありました。 狭き門になってしまったので、入社してくる人たちの学歴は申し分ない人が多かったです。 有名大学の大学院卒。 さぞかし仕事ができるだろう。と思われるのならば、それは間違い。あまり他の社員と変わりませんでした。 反対に、高卒や短大卒の人の中に良い仕事をする人も多いのです。 私が「彼女はすごい」と今でもある部分尊敬している後輩がいますが、彼女は短大卒でした。 ドコで何を習ってきたか、その成績はどうだったか?
 それは、そのまま仕事ができるできないとはあまり関係のないものかもしれません。 資格も然りです。

 外注さんを頼んで仕事をしたこともありますが、履歴書上、有名大学卒業、資格も多数取得している人だからといって、仕事が出来る人とは限りませんでした。

 しかし、仕事が出来ることがまったく公平に収入に反映するかというとそうではありません。 高卒・短大卒の人はまずは初任給から低いし、職種の制約がある場合も多いです。昇給のシステムが違う会社も多いはずです。少なくとも私の勤めていた会社はそうでした。

 今回の話にはあまり関係のないことですが、会社組織は個人の業績を平等に評価できるかというとコレも疑問です。テストとは違い、個々の持っている業務は別のものです。ですから皆同じ問題を同じ条件でやらせて評価するテストとは条件が違うことは明らかです。 つまり、業績以外の「評価者の印象」も評価には必ず入ってくるということです。  つまり、運悪くネガティブな印象を評価者に持たれた場合は、その印象を払拭できないかぎり、納得できない評価を与えられることになります。

 そういう「日本社会の仕組みの裏表」をじっくりと知っているからこそ、母は悩むわけです。 「みせかけの学歴だけの、使ってみたら仕事が出来ない子になってしまっては最悪だ」と思う反面、「しかし、最低限の学歴がないと、苦労が絶えない。」と ここでも相反する思いを抱くことになります。

 そうして、前回のお話のように、義務教育である中学校の授業が成り立たないほどの中学校に行くことを余儀なくされた場合、それが原因で息子には多大の苦労を負わせることになってしまうのではないか。。。と 不安になってきます。

 また、中学生といえどもまだ子ども。子どもを 「育もう」という愛情の感じられる教育を受けられないのだとしたら、などと心配は尽きません。
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息子の新聞
2007/01/10(Wed)
 昨年の新聞トラブルの後遺症で、この1月から AでもYでもない新聞をとることになりました。 実際不正をはたらいたわけではないYさんにはちょっと気の毒な気もしないでもないけれど。

 「どこの新聞にしようか?Nをとる?」とpon1に聞かれて、「うーん。Nはヤダ」と私は返事をしました。イメージ戦略に強いN紙は、「デキルヤツはNを読む」路線のコマーシャルで確実にビジネスマンに力を伸ばしてきているようですが、結局は経済畑の新聞なので、1紙だけとるのであれば、「もうかる、もうからない」「企業のうんぬん」中心の紙面だけというのもなあーと思ったのです。

 小難しい顔をして、電車にのり、席に座ったら即座にN新聞を広げる女性もよく見かけます。 それを見て私も通ってきた道だから、「ああ、奢っていたな」と反省の念が沸くのですが、彼女らは本当はNを読みたいのではない。「私はN新聞を読まなければならないような仕事をしている女なの。そこら辺の人とは違うのよ」と周囲に自分の差別化を訴えているのだと思います。もちろん、仕事をする上で、そういうプライドを持つことはとても大切なことです。でも、会社以外の世の中を3年間見た結果、そういう姿を見ることで、「ふっ。私もいつまでもくちばしが黄色かったな。。。」と思ったりもするのです。
 たしかに、仕事をする面で有用な情報はありますが、あの新聞は家庭で1紙だけ取る新聞ではないと、今の私は思っています。

 先日、電車の中で”○○の研究”などという文章を人に見て欲しいというそぶりで、パソコンに打ち込んでいる男性と隣り合わせたのですが、こういう人たちを見ると、周囲に認めて欲しいという欲求を日ごろあまり満たされてないのかな??などと思いつつ見たりします。もし、押しも押されぬ人だったら、たぶん電車の中ではことさら普通の人のような行動をするのではないだろうか。 で、私です。 そんな見たくもない研究をみせびらかされて、その人を尊敬することはまずありません。かといって、彼の認識要求を私が満たしてあげる義務もないわけなので、面倒なので寝たフリしてしまいます<(^^;)ゞ 
  
 と話は横にそれましたが、N新聞はボツになりました。家でとる新聞であれば、やっぱりエンターテイメント系も充実していないと。。。するとpon1「んじゃ、M新聞とってみる? 小学生用の新聞もあるみたいだし」ということで、私もOKし、息子には「今度から、息子用の新聞もとることができるけれど、いる?」と聞いてみました。 息子は目をかがやかせて「ウン」と。

 とはいっても、日常的にそんなに新聞を見るとは母はおもえなかったのですよ。 私の子どもの頃を思い出すと、小学生新聞を取っている子がうらやましくて、一時とってもらったけれど、物語が好きだった私にはいまひとつで、全然読まなかったような記憶があるから。

 ところが、息子、それから毎朝自分の新聞が届くのを楽しみにしています。大抵1つか2つ興味をもった記事を読んでいたりします。 今朝はすごく眠そうでダラダラして寝転んだりしている横に新聞がころがっていました。片付けながら、「これ、読んだの?」と聞くと 「読んだよ。恐竜の骨が発見されたんだって。恐竜一頭まるまま埋まっている可能性があるんだって」と、ちゃんと要点を話してくれました。 ヘエー。見直した。

 赤木かん子さん分類によると、子どもには「リアル系が好きな子」という区分があるそうです。 前からうすうす感じていたけれど、息子もそのタイプ。
 息子と私の子どもの本の読書記録のページにも書きましたが、
 

リアル系がすきな層は本当に起きたことが好きなので、嘘っこの小説は好かないのです。


 
 とのこと。 私は、物語が好きで、息子は本当のことが好き。まさにそうなんだなあと、ここのところひしひしと感じている所です。

 朝も帰宅してからも、ふと気がつくと新聞を読んでいる息子をみて、息子がとても楽しんでいるようなので、新聞をとってみてよかったと思っているところです。
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今だからこそ「男の子」を認めよう (1)私の迷い編
2007/01/10(Wed)
 子育てというのは、すぐには結果が出ない。毎日毎日の積み重ねの結果がわかるのは、子どもが完全に自分の手を離れてから。たとえ、子育ての過程で「うまくいっているはず。完璧だ」と思えることがあったとしても、将来それが成功だったと思えるかどうか。

 この辺が、母親が迷ってしまい、揺れてしまい、悩んでしまう原因なのだと思います。私もここに日々色々と書きつつ、家族や友達や、ブログをご訪問くださった方からのご意見を聞きながら少しずつ自分の行動の方向を定めていっています。一度悩んで解決したはずのことが何度も波のようにぶり返してくるのも子育てだからこそ。 そのたびに新たな悩みとなるし、それを解決するために色々考えてしまいます。

昨年夏ごろだったか、この本の噂をどこかで読みました。
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 前にも書きましたが、私は「ノウハウ本」に対する信頼度というのが割りと低くて、ハナも引っ掛けないものもあれば、まあ、チョット読んでみてもよいかな?くらいに思うものがたまにあるという感じです。 なおかつ、自分はどちらかというと男性っぽい考え方をすることも多いと感じているので、 「男と女はこうな風に考え方が違うのさ!」という本には懐疑的です。 男女差ではなくて経験からつちかった個人差によるところも多いのではないかと思うことも多いです。
 なんせ、私はどう頑張っても男になることはできないから、「男というものは」と語ることはできません。これは、著者のように男性から見て「男と女はこう違う」といわれても、厳密に男女差かどうかはわからないはず。だって、男性が女性になってみることはできないのだから、女性の考え方というのはあくまでも著者からみた女性像でしかありえないからです。

 でも、この本はすごかった。ここのところの悩みで曇っていた空からしばし青空がみえてきて今後の自分がとりたい行動の目安が自分の中でかたまってきたのがわかりました。

 上のようにノウハウ本に対して懐疑的な私。この本は図書館に予約リクエストしたのです。しかし、すでに長蛇の予約まち行列があり、実際に手にしたのが今なのです。

 私の悩みは以下のようなことでした。

 この家の購入を決めたのは、公立小学校と公立中学校が近いことも一つだった。ベランダに出ると、中学校が見える。
ところが、小学校に入り、ぴーの仕事をしたり人脈が増えるにつれて 中学校のよからぬ噂を聞くことになった。ぴーの仕事をしていると、知りたい情報を生できくことができるのがメリット。いろいろと調べてみると、実際に学校が荒れていて、授業がなりたたないらしい。なおかつ、子どもたちは多少ぐれていても中学生。服装が乱れ、タバコを吸いながら登校するような子も、面とむかって声をかけ続けるとそれなりに答えてくれるようになっているとも聞いた。問題は、学校の対応。漏れ聞えてくる学校の対応は、とても自分の子どもを通わせたいと思えるようなものではなかった。

 では、私立か??

それなりの学力のある私立に子どもを行かせるには、受験勉強が必須だという。先輩のお母さんの話では「受験勉強は、特殊な世界。学校の勉強とはまったく違う。受験するのであれば塾通いは必須」という。実際、受験問題などを見ても、「学力」というよりも「雑学」に近いように見えるものもあるし、「応用力」よりも「暗記」という印象もある。
 そうして、塾に通っている「勉強のできる良い子」は私の目からみると「子どもの輝き」を失っている子もいる。
特に輝きを失っていると目につくのは男の子に多い。青白く、おとなしく、覇気がない。 そうして、突然駄々っ子になってしまったり、妙に横柄だったり、いつも疲れていたり。 小学生がこんな風で良いのだろうか。私は息子がそんな風になるのは嫌だ。

 塾の話も聞いた。有名進学塾は大抵「成績別クラス」。塾によっては席順まで成績順になるという。あるお母さん曰く「友達同士仲良く塾に通ってくれればというのは幻想よ」と。塾では成績順の扱いが常識。そのため、お互いがライバルになり、競争に敗れた子の中には深く傷ついて自信をなくしてしまう子も多いとのこと。 息子は、競争に燃える子ではなく、勝とうという気が薄い子だから、そういう塾には向いていないように思う。

 しかし、日々学校の前を通る服装の乱れた中学生たち。彼らを見ていても、この先どうなってしまうのだろうと心配になる。そういう子たちが多数派になったとき、自分をしっかり持って流されずにやっていけるかというと、今の息子の性格では難しいのではないかとも思う。

 息子は頭は悪くないと母は思っている。考えることは出来る。好きなことは人一倍やる。知識も好きなことは突出してある。でも、テストの成績となるとやはり気分が乗らないものは点が悪い。 私が子どもの頃は「100点をとってやる」と思って望んでいたテストだけれど、きっと彼はテストに臨む時にそんなことは考えたことがないんだろうな。私は、子どもだったらそれで良いと思う。でも、もし受験するのであれば、これでは合格できないのだと思う。

これが悩みだったのだ。

さて、これからぴーの打ち合わせに出かけますので、続きは別記事で。 長くなりそうなので、一旦upします。

 その2に続きます
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開放は素敵だ
2007/01/09(Tue)
 会社勤めになると、自分の頭を自分の思考だけで一杯にすることができるという素晴らしい時間をふたたび得ることができた。

 なんて、書いても、「なんじゃそりゃ?」と思われる方も多いことと思います。 会社勤めの頃、私は会社での空き時間たとえば昼休みの合間、何かの待ち時間に ロバミミのこのネタ どんな風に書こうかな?としばし イマジネーションの世界にどっぷりとつかることができたのです。ところが、家庭で過ごすようになり、自由になる時間が多いようでありながら、家事というのは際限のない仕事なので、心のどこかで「アレしなきゃ」と考えたり、そういう「しなきゃいけないコト」を見ないふりして、とりあえずパス!した時間にも、先日録画した映画を見ようか、はたまた読書しようか、それとも手芸をしようかなどと選択肢も多いこともあって、なかなか 頭の中にあるアイディアを こねくり回す時間はなかったのです。

 会社の場合、できることは限られています。就業時間内に突然映画を見たり、本を読んだり手芸をしたりすることは出来ないので、すべて<思考の世界>で遊ぶことになります。また、会社にいる間だけは、家事と育児が追いかけてこない時間です。仕事の空き時間は 100%に近くその思考にかけることができるのです。モノを考える時間があるというのはとても贅沢なこと。とても嬉しいことです。 今後もしもロバミミに 「こねくりまわした」ようなことばかりpon2が書き始め、食傷気味になったら、「ああー。pon2は会社で思考の旅に出かけたのだな」と読み飛ばしてくださいまし。

 さて、下のコメント2000系さん(最近、ご訪問をいただいて、沢山楽しいお話を伺っています。リンク追加いたしました。お二人のお子さん子育て中のパパさんです。)からコメントもいただいておりますが、先日夫の休みの日、私は出勤でした。帰りに クリスマスに夫からもらったお金で今年はフンパツして購入したものがあり、その場では品切れしていたので、予約しました。それを受け取りに行きがてら、他のものも見てきました。

 見に行きたかったのは、以前のだめの衣装で書いたのだめの着ていた青のダッフルコートが私の読みどおりオールドイングランドのものであるかどうかです。
 ブティックを覗くと、たしかにありました。目にやきついたあの特徴的にクリアな青い色でした。 しかし、買う気もないのにお客がひとりもいないブティックに入って商品を見る勇気のないpon2. 値段までは確認できず、遠くから見ながら、それでも、満足して帰宅しました。たぶんこれまでの感じからして、12万円以上すると思います。(なおかつ、この商品は毎年バーゲンでも値引きされないのだとか)

 家に帰って、pon1に「やっぱり買う気がない商品を、入っていって物色するのは勇気が必要だったので、外から確認してきたわー」と言うと「まだまだ、そこまでオバサンになりきれてないんだね」とコメント。 内心ちょっと嬉しかったのですが、本当はオバサンだからこそブティックの中に入れなかったのかもしれないです。

 とにかく、何を買うわけでもなんでもないけれど、そういうムダなちょっとした楽しみをする時間があるということはとても嬉しいことだなあと思ったのでした。

 いろいろな制約からある一時開放されるということはとてもリフレッシュするものだなあと思った出来事でした。

(ここで、重要なのは 一時の開放だと思います。ずーっと開放されると人間は慣れてしまう動物だからー)
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