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綺麗な住宅にあこがれて
2005/06/29(Wed)
先日、息子の試合で最近ひらけてきた新興住宅街へ出かけました。 10年前にはたぶんあまり家もなかっただろうと思う私鉄沿線の町。
 とはいえ、我が家も以前新興住宅街だったところです。でも、うちがある路線は1966年に開通したということです。もう、40年前ですね。ここも私鉄が力をいれて開発して売り出したところだけれど、それまでは山や畑だったところだそうです。

 その新興住宅街をぬけて会場の小学校へ行くのですが、その町並みがとても綺麗で広めの新しく整備された道沿いに新しい家が並んでいます。
 うちの近辺は 最近庭もない3階建てでひしめきあっているような家ばかりが建設されるのが目立つのですが、そのあたりは「ああ、家も庭もこれくらいあったらいいな」と思うくらいの家が立ち並んでいました。目だった高い建物もなく日当たりもよさそう。 新しい家に綺麗な花が咲き乱れていることも多くて本当に気持ちの良い町並みでした。 売り出し中の区画があるのを横目で見ながらほとんどが売約済みとなり、2,3軒「商談中」となっているのを確認したのでした。
 丁度その向かいに美味しいケーキ屋があるとのこと、なんという名前のケーキ屋かたしかめるために帰宅後ネットで検索したついでに そのあたりの家を検索してみると、やっぱりこちらよりも比較的安い。 夫に「こっちだとやっぱり少し安いね」と話すと、 都心まで急行だからなあ。と たしかに都心からは少し離れます。

 綺麗に手入れされた新しい町並みがうらやましかったのですが、はっと気づきました。うちの近所にある分譲地の家は築30~40年くらいでしょうか。その頃流行ったであろうという家のスタイルです。 庭木も当初は小さな木だったであろうものが大きく育って 窮屈そうに植わっているのも良く見かけます。 あの綺麗な家々も、数十年たてばこんな風になるんだなあと。

 作っては建て直すことが通常となっている日本の家では普通のことかもしれないけれど、どこか今の日本の生活とかけはなれた「わあー素敵」とあこがれてとびついてしまいそうな作りの家は結局は数年しか使わないことを前提に建てられているのかもしれないなあと思いました。

 最近、蒸し暑い日に たたみの上を歩くと、「ああ、畳とはなんて日本の気候にあったものだろう」とおもうことが多いです。 床を素足であるくと 湿度の多い日はペタペタと気持ち悪いのですが、畳はそういう日もさらっとしていますし、冬場の床はじゅうたんや床暖房がなければ足が冷えますが、畳は暖かです。
 うちのマンションを購入した時には、畳の部屋がないものがかなり多くて、でも、たたみの部屋が一部屋は必要だろうと 探した結果がここのマンションだったのですが、こうやって床とたたみを比べるとやはりたたみは良い。 たたみの部屋があること自体が「ダサイ」ような感じで、捉えられることも多いのか、それともダニのことが問題になっているからか、最近のマンションはじゅうたも、畳の部屋もなくオール床というものの方が増えてきたように思います。
 ところが、畳の歴史の前に竹の床や木の床の時代があったわけで、それ以上に支持されてひろまった畳は日本の気候にものすごく合っていたという現実があったということなんだろうと。 
(※1)

 「今素敵だと思っても、それは、もしかしたらその家や近辺の綺麗さを見た人が頭の中でその映像と豊かな生活を関連付けてあこがれてしまうからかもしれない。でも、本当は家を買うことで豊かな生活が手にはいることはない。購入する家のイメージと生活の豊かさには因果関係はないのだ。 いいかえると、裕福だから高価な家が買えるということはあるけれども、高価だったり見かけの良い家を買ったから裕福になるという関係はない。だから、見かけに惑わされず長年すむ家として環境も含めて何が必要かということをきちんと自分で考えて選ぶことが必要だ。 新しいものが綺麗なのは当然だけれど、問題は10年たったとき20年たったときに自分が愛着をもってそこに住み続けることができるかどうかだな」などと思いなおしたのでした。

 そうやって考えると町並みも。 そういう新興住宅街は映画のセットのように歴史もなにもなくただ綺麗なだけですが、やはり昔ながらの何十年何百年という歴史を刻みながら建っている建物や自然とともにある街はやはりこぎれいな新興住宅街よりもずっとずっと魅力的な気がします。 以前読んだ中島らもの本の中に、生活するに必要なものが欠けている町について書かれていたけれど、 やはり田や畑があり、山があり、昔ながらのたてものがありという、自然に根付いた生活というのが素敵だと思いました。(たしからもさんは新宿で米屋を探したように記憶)そういう生活は古いようで古くない。いつまでも変らない魅力があるような気がします。

※1
喘息関連の話では、フローリングの床はたしかにホコリは取りやすいのだけれど反対にホコリが舞い上がりやすいために掃除が行き届かない場合は逆効果の場合もあるという説もあるそうです。かえってじゅうたんの方がホコリが舞い上がらないということもあるとのこと。

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ふと思ったのだけれども 生体認証
2005/06/28(Tue)
先日テレビで生体認証のことを取り上げていて、ふと。

ALL ABOUT の記事

いくら静脈やら指紋やらDNAやらを認証に使おうとしたとしても、そのデータ自体をデジタルで保存するということはやはり成りすましができるということだよなあと。

つまりは 頭で覚えられないくらい長いパスワードを 体で代用させましょうということだもの。
指紋や虹彩など本体の特徴を保存する時点ですでに特徴は数字の羅列=>結局は 1か0の羅列 として保存されているのだものね。
なんらかの手段でそれを入手ー>使用という手がやっぱりあるような気もします。

こんな事書いたら「もちろんそうだよ。ただ、難しくなるということだよ」といわれそうだけれど、
能書き以上に「すばらしい」というイメージが先行しているような気がして。
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ちょっと教えてほしい スーパーの袋
2005/06/27(Mon)
 少し前のことですが スーパーの袋=レジ袋 問題が報道されていました。

07年度にもレジ袋有料化へ 中環審が中間報告案了承

レジ袋「必要」が大半/弘前で調査

レジ袋有料化の効果はゼロ!?

このレジ袋を有料化する理由は

レジ袋は1枚つくるのに60ワット電球を1時間つけておくだけの石油が必要なのだそうだ。それが年間300億枚以上も使われ、ゴミ袋になり、ジャンジャン燃やされる。環境への影響はバカにできない。


とのこと。しかし、家庭でレジ袋を使っている私としては大きな疑問がむくむくとわくのです。

私は鞄の中に袋を入れて持ち歩いていますが、実際はレジ袋をもらう事が多いです。どうしてかというと、レジ袋を家で使っているからです。主な利用法はゴミ袋として使います。
 うちの近辺ではカラスの害がばかになりません。カラス対策にはゴミ袋を2重にしてやぶれにくくすること、カラスから生ゴミであるということが見えないようにすることが有効であるとのことです。 実際 ごみ収集場で喰い散らかされているゴミをみると、市販の薄いゴミ袋に直接残飯が見えるように入れているものが多いです。 次は、1枚でスーパーの袋に入れた残飯。これは二重にすることでからすの害をさけることができると思うのですが、もち手を結んだ口からくちばしを突っ込んでゴミを散らかしています。 ゴミ袋から食材が見えれば強いくちばしで穴をあけることなどカラスには簡単なことのようです。

ここで、本来はゴミは透明袋に入れてだすことが決められているのだからレジ袋を使うのが間違っているという方もいらっしゃるかと思います。そこでゴミ袋の話しを少し書きます。

 ゴミ袋の透明化は「作業者の安全」「分別収集の徹底」などを目的に推進されたようですが、それによってカラスの害が増えるということは考えられていなかったのでしょう。
 家庭から出るゴミの中には マナーとして目に触れない状態で出すべきものもあると思います。ですからゴミすべてが見えるように透明にしてということは現実は不可能。(もし透明の袋を使ったとしても中心部はゴミに隠れて見えませんし。) 
実際分別収集については、「カンも別の袋に入れて入れちゃえば見えないから大丈夫よ」という人もいます。ゴミすべてを透明にできないのであればそれを利用して分別収集するべきものを混入させることもできるということだと思います。 

実際は、ゴミだしする人のマナーの問題。だったら、もっとマナーを底上げするような努力をした方が良いのではないかと思うのです。 

 レジ・ゴミ袋情報局 ごみ袋を考える

 炭カル袋もふえましたが、上のurlによると、
(炭カル採用は)プラスチックの持つ燃焼カロリーを重量当たりで抑えて、焼却炉の損傷を防ぐということも採用理由のひとつでした。確かに重量当たりでの燃焼カロリーは下がりますが、炭カルを入れることによってフィルム自身の強度が落ちるために厚みを増やす必要があり、結局のところは、ごみ袋一枚当たりの燃焼カロリーに大きな違いがありません。


そうして炭カルは
高コストでリサイクルが困難な製品


かたや昔の黒ゴミ袋は
黒い袋と言えば、プラスチックくずや端切れなどをリサイクルする受け皿として製造されるものが多く、価格も安くなりそのうえ中が見えないことでプライバシーが保護されて、ごみ袋の優等生のように語られ全国に普及


さて、話しがそれましたが、元のレジ袋に戻ります。
私の疑問とほぼ同じものを以下のurlでみつけました。

環境に配慮した販売戦略~生活者から見たレジ袋問題と環境負荷評価技術の方向

「レジ袋をどういうふうに使っているのか」ときいた結果、最も多かったのは「台所の生ごみを入れる袋」で、8割を超えています。水切りかごの生ごみをレジ袋に移してそれを大きなごみ袋に入れたり、レジ袋に小さな穴を開けて水切り袋として使う方法もあります。それから、「ごみ箱の内袋」として使う人も約80%と多い。レジ袋は、使った後にくくれるようになっていますので、非常に使いやすいんですね。
 利用しないで捨てている人は0・8%と、ほとんどいません。マイバッグ運動の中では「ごみを増やすので、レジ袋はやめるべきだ」という意見が強いのですが、利用しないで捨てている人は、案外いないんです。


実際、レジ袋が廃止になった場合、私だったらどうするか。
ビニール袋を使うか、紙袋を使うか、とにかく新たに袋を購入することになると思います。
上のurlでも

「家庭で、レジ袋がもしなくなった場合にどうするか」という質問では、「レジ袋の代わりに小さなごみ袋を買う」という人が約60%を占めています。そして、「新聞やチラシを利用する」とか「45リットルの大きなごみ袋に直接捨てる」という意見は案外と少ないです。
 ということは、「レジ袋をやめればそれだけごみが減る」という前提で、いろいろな運動が進められていますが、たぶん、その目的を達成することはできないのです。


ということは、 レジ袋を有料にしても、結局別の安い袋を購入してそれを使うことになる。
それが石油系の原料であったら、結局は石油資源を使うことになる。それが紙であったら木材はどうなのだろう。 そうしてゴミの減量化という目的は達せられないということになるのではないかと思うのです。

 いつものことですが 効かないクギを打っているかのような印象もあるこの話。本当に生活している人の実態をしらべているのかと問いたくなるのもいつものことです。

 いままで、「ゆとり教育」やら 「粗大ゴミ収集有料化」やら、そのやり方じゃまずいんじゃないの?と思うことを 机上の空論で決めてこられた。そうして 学力低下やら 不法投棄やらこちらが予測したとおりの影響が出ていたりする。 今回も生活者からみたら 「本当に机上の計算通りの改善が望めるのかしら?」と懐疑的です。

 さて、こういう理由で レジ袋有料化は思ったほどの効果を生まないのではないかと思うのですが、もし、ゴミ捨てなど「コレは画期的」ということを実践されていらっしゃる方がいらしたら教えていただければと思います。 それがわかれば 私がレジ袋を必要とすることも少なくなるかもしれません。 ただ、あらたに購入する必要があるものや、新聞紙や広告を使うというのは、支出が増えたり、水気を含んだものを捨てる場合に不便だったり今のところ私としては少し弱いと思っています。

 参考になるページ レジ・ゴミ袋情報局
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悔しい涙は一生懸命やった勲章なんだよ。
2005/06/26(Sun)
 負けちゃいましたよ。今日の試合。で、一生懸命やった子はやっぱり泣いていた。くやしいよね。 だって、実は私も負けたのがかわいそうで涙が出たので 帽子をまぶかにかぶって目を隠した。

でもねー。息子。試合前からまったくやる気がないというのが態度でミエミエ。(昨日はよかったのに今日はなんだ?)何回も注意を促されたりしてこりゃだめだ。
 見ていて「これはやっぱり休部だな」と思いました。うまいヘタの問題じゃないよ。
 それでもスイミングは集中してやっているので、はなから息子、あきらめているのかもしれない。今の程度だったら一生懸命やったら結構ついていけるのになあ。

案の定息子は負けてもあっけらかーんとしていた。 一緒に応援していた子は悔しさに目に涙をためて口をへのじに結んでいるのに。
 悔しい涙も嬉しい気持ちも一生懸命やればこそえられる経験なんだ。そんな息子を見るのがつらくて、悔し涙の子をみるのもつらくて 一足先に帰ってきました。(電車だったし)。

昨日から、網戸をあらったりカーテンを洗ったり普通 日曜に息子の応援にいくときにそこまでやらないことをやっていたのだけれど、負けちゃったらどよーんと疲れがきて、今日は夕飯さえつくりたくないような感じ。でも、こんな日に外食なんていう気分でもないし、多分何か作らないとね。 つかれたー。 
 
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ベスト16
2005/06/26(Sun)
 ですって。ベスト16。

昨日は私も「お世話係」とやらで行ってきました。到着したら、なんと1試合目から1時間くらい遅れているとのこと。 うちは4試合目なのについたときには1試合目の最中でした。

それにしても暑い暑い。じりじりという日差しでなんとグランドには日影がない。(新興住宅街 「オシャレな町」の新しい学校のようで、大きな木もなく 皆干上がりそう。
案の定 車酔いやら緊張やらもてつだって2人ばかり調子が悪くなってしまう子も。親もドキドキ。 息子は応援担当だけれども、一生懸命応援していました。

 かくいう私も 親子ですねー。「サッカーは休部」なんていいながらも、サッカーの試合にいくと結構もりあがって本気で応援してしまいます。 結局サッカーがダメなわけではなくて 行きたくないとしぶる息子を毎回叱ったりほめたりしながらムリに練習に行かせることやら、だらだらとやる気のない練習をする息子をみて、「これって親がむりやりやらせてるのかなーと悩むこと」が嫌なのかもしれないなー。きっと顔をかがやかせて練習に自分から行くような状態だったらいいんだろうなあなんて思いました。

1-0で勝ち。 相手のボールがゴールポストに当たって跳ね返るという 冷や汗ものがあり、親の方もかな~り盛り上がりました。

 前日に半そでで外に2時間いたら日焼けで帰ってからも暑かったという経験があったので、昨日は最初から茶色の木綿のブラウス(無印良品)で喉のところまでボタンをとめて出かけたのです。 正解正解。 裾から適度な風が入るし、日差しは防げるしであまりあつくありませんでした。 難点は七分袖だったこと。手首と手の甲はじりじり焼けました。 でも手袋していたら子ども達のせわはできないもんねー。

 来ているお母さん達もいろいろ。タンクトップの人もあれば はやりのながーい手袋で完全防御している方もあり。

予定よりもずいぶん帰宅が遅くなったけれど、勝ち試合はやっぱり気分が良いものです。
解散前にちょっと「今日の夕飯は何がいいの?」とその辺にいたお母さんに聞くと、「肉かな」「やっぱりカツじゃない?」「あまりこってりしすぎてもたれてもねー」なんて。

さて、うちは、息子のリクエストで メインは鰹のたたきになりました。 「勝つ」おのタタキだからいいんじゃないかなー(^^) それに消化は良いと思うし良質のタンパク質だし。なんてー。

今日は2試合あります。 


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間違った?
2005/06/26(Sun)
 先日、息子と同じクラスの子のおかあさんから電話があって、
「そういえば、今度の懇親会の会場、うちの子プリントを持って帰らなかったの。出られないんだけれど、一応場所はどこ?」

と聞かれて
「えーと。 シャンハイコンス だっけ?」 と行ってから コンスという読み方が私が勝手につくったものだったのでは?と不安になった。

相手は
「えーと。ああ、シャンハイコウシね。」と返事をくれたので、頭の中では 「ももも、もしかしてー。まちがった?」と 受話器のこちら側で赤面。ひやあせー。
最近 ○○公司 というお店が多いので、 私は心のなかで ○○コンスと読んでいたのでした。

 公(コウ)と司(シ)さえ読めないと思われたなあーとぷち落ち込み。<たいしたことないはずなのに、こういうことができないと結構落ち込むタイプ。

 今日思い出してネット検索してみました。

公司 コンスの検索結果

あってるみたいー。(^^;) ほっとしたー。
でも、今回は たまたま シャンハイコンスと読んでいましたが たとえば仮に 大熊猫公司 なんていうお店があったとしても オオクマネココンス と読んでいたわけですから 残念。
青龍公司 これもセイリュウコンスですね。 私的には。(^^;)ゞ

 そういえば、大学で中国語をとった妹は 「中国語は発音が難しいけれど、だんだんわかってきた。 悲しい気持ちになって発音すると大抵ほめられる」 なんて言っていたのを思い出しました。 信憑性は.... ま、妹のなかで 当社比ということでしょう。
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あちー まるではじめてのお使いだ!
2005/06/24(Fri)
 今日は子ども達がグループを作って校区内の町探検に出かけるとのこと。
わりと遠くに出かけるので コッソリものかげから見守ろうと出かけたのですが、なんせ暑かったー。2時間弱でしたが 汗だらだら。 途中あまりに喉がかわいて自販機をさがしてスポーツ飲料を飲みました。

 道端に自転車をとめて子ども達が通るのをじっと待ったわけですが、傍からみるとまるで不審者です。(^^;) 保護者用のIDカードを下げていたのでそれDどうにかわかってもらえます。

で、ぐったり疲れて戻りました。眠い。。。。。。。

 子ども達は迷いながらもどうやら皆無事にミッションをクリアしたようです。中にはリーダーがいなくなっちゃったーというグループや 公園であそびすぎたーと予定をこなせないグループもあったみたい。

 リーダーがいなくなったといって、リーダーを探しながら学校に帰ったグループは 先に帰っていたリーダーともう一人の子に 「どうして先にいっちゃうのっつ!!!」と 校門を入ったと思ったら叱られて皆きょとんとしてました。

 私は心のなかで、「いやいや。先に帰っていたのは、リーダーだし。。。皆リーダーを探してギリギリまで遅くなったんだし。。。」って。子どもだからこの辺の理屈ってわかんないだろうなー。

リーダーの子は皆が先に帰ったとおもって焦ったのでしょうね。 息子のグループはわりとまとまりのあるグループでまったりマイペースにかえってきたようでした。

 今日は疲れたのでこれだけでスマソ。  
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あらまあびっくり。
2005/06/23(Thu)
 最近とんと見ていなかったアンテナは実は夫が活用しているのです。
で、 今はメモンとなってしまった とあるサイトの旅行記を夫が見ているのが楽しそうだったので、つい先日過去の記事をみていたら 

「ミュージカルバトン」なるものが巷にあるとか。 へえ~。 「こんなん回ってきたらどうするねん。」とあたふたしたけれど、「まわってくるわけないなあー」と 思いなおしたのでした。

ところ がっつつつ マワッテキタアルヨー。(あたふたあたふた。 SCUMさん書くネタくれてありがとうー。)

 一気にヘエーと皆様の熱をさましてしまいそうな結果がミエミエだけれども、いっちょやってみるかぃ。

今コンピュータに入っている音楽ファイルの容量
今聞いている曲
最後に買ったCD
よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
私からお誘いする5人


 つーか。5人も誘えるだろうか。。それが心配だったりする。 ま、それは後悩むことにして。

1)今コンピュータに入っている音楽ファイルの容量
入ってないっす。ノートパソコン愛用。外付けスピーカーはつけてないので、音質わるすぎ。
 パソコンでは音楽聴かないですー。

2)今聞いている曲
今聞いてないっすー。音のない日常。映画は見るんだけど。
最後に聞いたのは、 先々週バッハのブランデンブルグ協奏曲 4・5・6 (ToT) こんなんでゴメン。

  結構映画などに使われているような気もするんだけど、思い出せない。

映画で使われたクラシック音楽 さんではこんな感じ。 うーん。これ以外にもありそうなんだけどなあー。

3)最後に買ったCD

これがですねー。がらりと変わって、多分

ザ・ベスト デヴィッド・リー・ロス (エキサイトは アフェリエイト不可なので、画像見えなくてごめんなさい。リンク先はアフェリエイトではないアマゾンページです)
 
ロック界の偉人のひとりであるデヴィッド・リー・ロス。彼の不謹慎さは、本人のアホさ加減を知っていればすべて許してしまえる。
だそうです。

 昔見たMTVの 楽しげ能天気な 「Just A Gigolo」がまた聞きたくなって。 「あははー。バッカダネー」と親しみ持っていえる(良く知らないのに)というそういうところ=多分才能が好きかも。 あのプロモーションビデオの おねえちゃん達一杯でウレシイゾーという顔が忘れられない。 実際はファンというよりも通りすがり的な感じなんですけどねー。

4)よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
最近あまり聞かないです。今好きだな。又聞きたいなと思うのは

(1)プッチーニ ラ・ボエーム リンクはDVDにはっちゃった。

 ラ・ボエームの筋はさておき イタリア旅行したときに、移動中にずっとこれを聴いていたんですよねー。懐かしい。
 
 映画では、 月の輝く夜にで効果的に使われています。 この映画は少し変っていて面白い映画。

(2) マスカーニ カバレリア・ルスチカーナ こちらもリンク先はDVD
 midiを公開されている方がいらっしゃいました。tadasi's homepageさん
 映画では ゴッドファーザーpart3  や レイジングブルで使われているようです。(私は双方未見)
 間奏曲を小学生のときにクラブで演奏したことが 記憶に残っている曲です。もちろん大好き。

(3)セレナータ カリオカ 小野リサ
 一枚はボサノバを入れたいと思ったところ、どれにしよう。 アストラッド ジルベルト、ナラレオン? 日本人の 小野リサさんのこのアルバムに。
 楽しくて明るい良い雰囲気が出ていると思います。ちょっと梅雨空にこの太陽一杯の雰囲気は似合わないかもしれないけれど、ボサノバから受けるイメージのように明るく幸せに生きたいと思う。 太陽の子どもたち 子どもの声がとてもかわいい。今聞いてもイイナ!と思いました。 

(4)MONTAGE YEN TOWN BAND
CHARAのかすれたようなささやくような声が好きで、この舌足らずな雰囲気も好き。
 swallowtail batterfly ~あいのうた~ 
 「この空の青の青さに心細くなる」なんて歌詞も聞かせます。 今聞きなおすと おじさんのカラオケ定番 MY WAY がとてもよい。 カラオケのマイウエイはいまひとつだけれど、 CHARAの MY WAYは何度も聴きたい雰囲気。 

(5)あれ、もう五曲目だ。ほかにも雰囲気の違う曲あるのになあ。でも、この人を入れないと。
紅雀 松任谷由美  ユーミンだなんていうと結構いろいろな反応が返ってきておもしろいのだけれど、彼女の詩には本当に才能を感じる。
 このアルバムのような 古くて素朴な雰囲気の頃の歌が今好きですねー。

5)私からお誘いする5人
とうとう5人。うむー。
 
 ココを読んで気づかれたら、もしよろしければ、書いてみてくださいね。勝手にお誘いしちゃいます。皆さんお忙しいかなあ。無視しちゃってokですよー。(リンク表示順ですの。エヘヘ)

 まず、Komachi Days のリコリコさん

みずママの雑記のleezzzさん

ヨルトアサの つぶらさん

baku's dayの獏さん

もし、記事を書かれたら トラバお願いいたしまする。

それから、多分お休み中の、お二方、もしご負担でなければ。※ムリしないでね。

のたりのたりの日々の geko_pinさん
心のままにのpopoyakiさん(こちらのブログはそういうものを書くブログではないっぽい。?(^^)違ったらごめんー。)

 ※えいやっつと書いてみたけどつらつらさかのぼってみたら、「あ、そうだよ。これあった!」という曲を見かけたりして楽しいもんですねー。うむー。
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外からの刺激は大切だ
2005/06/21(Tue)
 先日朝のNHK番組に角田光代さんが出ていた。
私は彼女の本を読んだ事がないが リアリティに定評がある人のようだ。

 彼女は常時30くらいの締め切りを抱えて、自宅近くに借りた事務所へ「出勤」しながら著作活動をしているらしい。 最初は家事をしながら「へえー」と何気なくみていたのだけれど、街頭で、
(食事をしているときに)「隣にいる人が、今日のオススメは何があるの?とたずねて、 アマダイは食べるのが面倒臭そうだなあ と答えていた。そういう日常のふとした言葉を頭に留めている」ということをおっしゃっていた。
 向田邦子さん?の本の中に 娘が父親のつんだ爪をふんでしまい「男の人の爪って固いのね」というそのセリフがすごいと同じ番組でおっしゃっていた。

 会社をやめて一年たって最近気づくのは ロバミミが息子の話・学校の話し・教育の話し一色になってきていること。 自分で読んでいてもつまらないなあと感じることが多い。
平和な日常の話しなど、書く必要もないような気もしてくると ここに書くことがみつからない日もある。 今日もそんな感じ。

 沢山の人と関わるということは、それだけ疲れるし神経も使うことも多いけれども、そういうものはやっぱり無意味ではなくなんらかの良い影響も私に与えているのだとふと思う。人は結局自分の範囲でしか物が考えられないのであれば、ほかの人の考えを見聞きすることが大切であるということはなんとなく理解できる。
 
ただ、ここで大切なのは、角田さんのように同じように世に出ていても、目をひらき普通に生活していても、聞くものを聞かず見るものを見ず、ただ自分の尺度だけで生きていくことではそういう経験を栄養とすることができないということだと思った。 たとえば、私たちは同じように隣の客が「エボダイは食べるのが面倒だな」とつぶやくことにさえ気がつかないかもしれない。
聞いても、「魚を食べるのが苦手なのね」とただ思うだけかもしれない。 魚を食べることが得意な人は「あらまあ、エボダイさえうまく食べられないのね」と 自分勝手に相手を値踏みしてしまうかもしれない。 それを自分に生かせるかどうかはその人本人のありかた次第だとおもう。

まず、外に出る。そうして自分の価値感やら自分の生活やら自分の常識やらそういうものは別の場においておいて、批判の目を通さずに 相手をありのままにみて それを養分とする。
そういうことって必要だなあと思った。 それをするためにはまず、自分で自分を追い詰めない事。ひとつのことに必要以上に一生懸命になりすぎないこと。肩の力を抜く事。
億劫でも人の考えや生活に触れることはその閉じこもった自分の価値感を大きく広げて育ててくれる機会になると思うのだった。 

 最近副会長としてのツキアイではないのに、個人的に副会長としての学校に対してPTAに対してのコメントや意見を求められる事も多くていささか参っていたのですよ。そういうのってしたくないなあと。 それで、もうあまり人と関わる場所に出て行きたくないと思ったりしたのですが、それは違っていた。 私はPTA関係以外の関わりでもう少し凝りをほぐして 気持ちを楽にする必要がありそうだな。

 気持ちを楽にしてとはいっても、やっぱり世には「合わない人・気になる人」はいるような気がする。たとえば、私は、『自分の嫌いな人の不運・不幸だけをかぎつけようとばかりしていたり、自分のことしか考えてなかったり(人にいろいろするのは自分に有利にことをはこびたいからかな?とか)、少し仲良くなると 実は○さんは△さんと仲が悪いんだよとか、人に毒をふきこんだり』=つまり性格がわるいっていうのかな。。(^^;)こういうのは苦手。 でも、そういう人が嫌という気持ちだけにつかまってしまうと結構大変。 「ああ、世の中にはそういう人いるいる!そういう人なのよね。」と切ってしまって一歩はなれた目線っていうのは自分に必要だなあと思ったりしたのでした。  気をつけよう。
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ブックカバーを広告媒体に
2005/06/20(Mon)
 今朝のNHKで 都内の書店に無料のブックカバーを置いてそれによる広告発信を行っているという話があった。
いい考えだと思う。 綺麗なブックカバーは電車の中で本を読んでいるだけで目につくものだし、新聞折込チラシよりも長い間使われる。気に入っていればかけかえて何回も使われると思うし。

 最近都内の大型書店というのにとんと足を運ぶ機会がない。本を購入するなら、書名がわかっていればネットが便利だし。でも、ネットで購入する場合に本当は「はずす」ことも多々ある。
 噂先行で購入してみたら、どうも自分と合わない本だったとか。

書店へ出かけて行けば、ブックカバーを選ぶ楽しみもあるとするとこれは置いている書店側にも嬉しいサービスとなるのではないかしら。

 と、どこの本屋においてあるのか、あわよくば近郊の店にもないかしら?と検索しようとしたらそちらはヒットせず、ダウンロード版のブックカバーリンクにヒットした。

書皮のインターネット・リソース ダウンロード書皮

その中で 私がイイナと思ったもの

福音館 ブックカバーダウンロード 福音館らしい、かわいらしいブックカバー
不二家 デザイン的にはあと一歩という感もあるけれど、ペコちゃんポコちゃんファンにはこたえられないのでは。

フレンテスパイラルピンキーやポリンキーのブックカバー 

ROSSAROSSAおしゃれな感じのブックカバーネコ好きにもオススメ

リカちゃんブックカバー(エプソンプリンターのみ対応)
これもマニアには嬉しいのではないかと。

RICA'S BAR オシャレなブックカバーが沢山で好き!

他力本願ばかりでは申し訳ないと自力で検索してみると結構な数ヒットします。

BOOKWRAPPERS さりげない雰囲気がいいかも。

nagoo design factory 「デザイン」というかカッコイイ系です。


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忠臣蔵外伝 四谷怪談
2005/06/20(Mon)
 怪談物は結構好き。
以前とっていたものを整理して消すために見た。 高岡早紀がお岩さん。
とりあえず、深作欣二 の話題作だし、一応見てみたいという気持ちから。

見終わって 娯楽大作という感じかなあというのが感想です。見所は 高岡早紀の胸でしょうか。<おじさんみたい?

と、思ってアマゾンの評を見たら、そういう人多かったみたいですね。

 高岡早紀の胸が見所といっても、彼女の役柄そのままの ダーティーさというのがなくて、やわらかい笑顔とさわやかな雰囲気が残るこの映画で一番好印象を残した人と言っても良いくらい、彼女の魅力が出ている映画だと思いました。もう別れてしまったわけですが、保坂さんも気が気じゃなかったでしょうなあーなんて。思いました。

 はまり役の配役は、佐藤浩市、津川雅彦、こういう役なら任しとき!という役柄。

血のりもどばどば出ていますから子ども向きではありません。
ただ、血の色など含めて色合いやら映像は美しかったと思います。 

これも園丁には書こうか書くまいか~。
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喉が痛かった
2005/06/20(Mon)
 土曜日は、PTAの懇親ボーリング大会だったのだけれど、こういう集まりがあまり得意でない。同じ役員さんの中でも、「ボーリング大会、行く行く!」とまったく抵抗なく行ける人もいらっしゃるし、その会費はPTA予算の中から出されるみたいで、まあ言って見ればタダ酒のわけだけれど。

 今回は私も出席することになっていたと知らなくて(連絡がなくプリントだけ配られた。そのプリントに出席者の名前を書いてくださいとあったので、自分の名前を書いていない私は出席になっているとは知らなかったのだった)都合が合わなくて前日にドタキャンをしてしまった。

主催校の担当の方に電話を入れて、
「会費はお支払いする形で結構です。大変御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言ったら ムッとした口調で 「はい」という感じで、なんだか私としても割り切れない。
 幹事さんが面倒なのはわかるけど。。。。

 その夜から喉が痛くて夜中に目がさめた。 イソジンやら以前もらったうがい薬やらでうがいをして次の朝も、つばを飲み込むのさえきつい状態。
「どちらにしても、ボーリング&飲み会にはいけなかったなあ」とちょっとホッとする。
ホッとするのもヘンな話だけれど。

 月曜になったら絶対医者だと思っていたのだけれど、今朝は幾分調子がよくなってきているような感じ。 医者にいかなくてもよさそう。 
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リアルさがないのも 気になったり
2005/06/15(Wed)
ひとつ前の記事とペアで読んでいただけると嬉しいです。

息子はときどき 親の真似をして童話についてぶつぶつ言う事があります。「だいたい、こんなことあるわけがないよね。」と。
 私は「お話というのはね、『こうだったらどうだろう』とか 『こうだったらいいのになあ』 ということを書いたものもあるんだよ。 だからそれはそのまま読めばいいんだよ」と返事をします。

 さて、先日テレビ放映された 解夏を録画したものを駆け足でみました。(ハードディスクが一杯なのでいそいで消さないと)

 映像が綺麗。長崎の言葉がきちんと再現されているかどうかは出身でないからわからないのですがやわらかい言葉遣いが映画の雰囲気とよくあっています。
大沢たかおの、どんなに大変な状況でも幸せそうな顔。 やっぱり人は苦しそうな顔をみるよりも人の幸せそうな顔をみて暮らしたいなあなんて思いながら。 やわらかい優しそうな良い笑顔だと思います。
長崎の坂の魅力。長崎の夏の魅力。サルスベリの花。とても綺麗でした。

 この映画、好き嫌いが大きく分かれているようです。映画として、淡々とした綺麗なラブストーリーとして見る場合は 息子に言ったように「こうだったらいいのになあ」と その美しさに感情を任せてみれば良いのだと思いました。

しかし、私は古いのかもしれません。そんな風にこの映画のよさをみとめながらもやっぱりこのストーリー展開は気になって、これは男性のための御伽噺ではないかとやはり思ったのでした。
ハウルの動く城と同じように、 主人公の男性は運命に翻弄されて行く道を見失いそうになります。そこに出てくるのは、研究者 石田ゆり子。彼女の献身的なサポートに支えられる物語。
 
 昔の少女漫画など 運命に翻弄される美貌の主人公が王子様に助けてもらう物語の逆バージョンではないかなあと。

 家庭をもち、家族という守るものがいる立場の私、pon1に何かがあったときは 石田ゆり子演じる美貌の研究者というわけではありませんが、精一杯支えになります。それは誓っていえる。 でも、そういう立場の私からみると、 二人して水面にゆれる木の葉の船にのったごとく(それも社会人として二人とも生きているくらいの年齢で)運命に身を任せて流れに翻弄されるままにというのがいまひとつだと。

 たしかに、優しくて綺麗なお姑さん。気に入られるお嫁さん(になるひと)。皆暖かくて優しいひとたち。 それが描きたかったのだとはおもうけれど。 あまりの生活感のなさが気になったのです。私が主人公だったら、焦燥感にさいなまれながらも きっと何か少しでも良い方向へともがくだろうと思うのです。 仕事をやめて解夏を待つ期間に美しい景色だけを目に残すのではなくそれからの人生をどのように過ごすかというそういうことをもっともっと考えその準備を始めるとおもう。 

 恋人の昔の教え子からの 「先生助けて。きてください」という手紙を読んで 恋人が泣くほどに「行きたい」と思うのであったら 私だったら、「私が手伝うから一緒に会いに行こう。できるところまでやってみよう。」と言うとおもう。

ということで、今の生活に全力投球のの私には 御伽噺をそのまま まるっと受け入れて映画を鑑賞するということができなかったのでした。イコールそれだけの余裕がないということなのかしら。(^^;)

 リアルさを追求するものあり、夢物語を追求するものあり。 

リアルすぎる描写は殺伐としてしまう場合もあるし、綺麗な夢を追い求め、それを物語とし、映像とするということも必要。 どちらが良くてどちらがわるいという事はないと思っています。

さて、この辺は園丁には書かないかもしれないなあー。どうしようかなあ。
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リアルすぎるのも 結構しんどい
2005/06/15(Wed)
 図書館から借りた本 第二弾は 乃南アサの未練
凍える牙で活躍した 音道貴子の話だと表紙裏を読んで借りました。読んでみるとこの本は 短編で音道さんの身の回りの出来事を書いたものでした。

 乃南アサの描写力は本当にリアル。凍える牙を読んだときにそういう印象を持ち、今回もまさにそう感じたのですが、この本はそれがつらかった。結構しんどかったです。
特にブックレビューにも多く書かれている「聖夜まで」 これがもう。。。。

 ふと先日野球延長で途中までしか録画できてなかった映画 「ボーンコレクター」を見たときのことを思い出しました。(といっても録画できているところまでしか見ていない)

 これはデンゼルワシントン主演の刑事物です。相手役は アンジェリーナ・ジョリー。
不気味な連続殺人事件のナゾをといていきます。

 以前はこういう映画をわりと見ていたのですが、今回はつらかった。 なんといっても最初に犠牲になる女性の怯えきった顔があまりにもうまくて、そういう不可解な殺人者に対する恐怖というのが「虚構の世界」ではなくて もしかしたら現実に起こるかもしれないという恐ろしさを感じてしまいました。 自分はなにもしていなくても、ある日突然被害者になってしまう恐怖。

最近その手の報道が多いからか、「悪いことをしていないから、恨まれることはないし、犯罪に巻き込まれることはない」ということは最近では成り立たないのではないかという意識が私の深層に刻み込まれてしまったのかも。

  そう考えてみたら、血がドバーと出ていた時代劇などでも、犯罪にはきちんとした理由があり、その相手はきちんと裁かれるというストーリーが多かったわけですし、今は、「理由が想像できない犯罪。被害者に心当たりのない犯罪」で、「犯罪者がつかまらない」ということも多く報道されると同時に 映画のような虚構の世界でも主流です。
 たしかに、勧善懲悪だとストーリーがミエミエで評価されないということでしょうが。

 血が見える見えない、シーンがあるないという問題よりも、ドラマや映画などでリアリティのある怖さを追求するがあまり やっぱりなんらかの悪影響を与えているということってあるんじゃないかなあ。 ドラマを現実にしてみたいと思ってしまうことってあるんじゃないかなあ。
 たとえば、恐怖を演じる女優さんが本当にうまかった場合、動物としての人間が持っている「弱いものをいじめたい」という本能を押さえきれない人がいたとしたら、そういう表情を現実にみてみたくなったりすることはないんだろうかとか。。。ふと想像して本当に怖かった。

 たとえば、怖さというのは、「想像もつかない」ものが怖いわけで、「そんなことするわけない」ということ それを映像なり文章なりにしてほとんどの人は 「虚構」として受けとめるわけだけれども中にはそれを 現実に置き換えてみたくなる人ってもしかしたらいるんじゃないかしら。。。と。

とても怖く感じたのでした。 今日はヘンな話題ですね。
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愛別離苦 怨憎会苦
2005/06/14(Tue)
 すっごい題名(^^;)ゞ  四苦八苦の 八苦にあたるものの2つです。
高校のときに倫社でならったんです。妙に説得力があって覚えていた。

 先日書いた記事の本、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」 4巻目を読み終えた。

図書館からの連絡がきて(ネット予約)取りに行ってから当分読まずにいたのだけれど、読み始めると さくさくと読みすすめられる。

 3巻までは怪異を解決、魔物退治という様相が強かったのだけれど、 4巻目あたりからこの物語の核心にせまってくる。

 あっとおどろく 「愛別離苦」「怨憎会苦」があるわけで。 なるほどなあー。 <物語だってば。

夢枕獏氏の同時期にかかれた陰陽師のように、恨みがわかりやすいところと、最後にその場の最良の解のひとつではないかというような救いのある結末があるから読めるなあなどと思ったりしたのでした。

 読み終わって(とはいっても一巻は読んでないのだけれど)氏が「傑作を書いてしまった」と軽い調子であとがきを書かれているのがわかる。史実やらいろいろなことを綿密に調べてあらたに自分なりに編み上げていくのはやはり大変でなおかつ楽しい作業だったろうと思うし、読み手にもとても楽しく読めたと思う。

 月刊SFアドベンチャーなど誌をいくつか変えながらに 88年から04年まで連載されていたものだということだ。

 わすれる前に園丁に感想かこう。かけるかな。
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おどろいた
2005/06/14(Tue)
 昨日はとりあえずどうにかという感じ<意味不明(^^)

息子の習い事の送り迎えについていくと、つい時間をつぶす為に本屋へ行ってしまう。
そうして毎週なんらかの本を買ってきてしまう。
ところが、息子はその本を読むときもあるけれどほとんどの場合はあまり読まないんだよなあ。
もっと飢餓感があったほうが良いのかもしれない。 ものがありすぎるのも良くなさそう。

 とにかく、昨日買ってしまった本は子どもの本としても侮れない感じだった。

双方、あの福音館の絵本だ。

一冊目は 月間「たくさんのふしぎ」7月号
ウナギのふるさとを探して。

 pon1に得意になって話したら、pon1は知っていた。 orz がっくり。
これって常識だったのかな。 ウナギってまだ生態がナゾだということ。

養殖ウナギがあるじゃない!とおもうけれども、この養殖ウナギは 卵から育てているわけではなく河口付近で捕まえた稚魚をそだてているんですって。
 丁度今頃調査航海に出ているのでしょうね。 これで産卵場所がわかったら新聞に出るかもとのこと。まだ新聞にもニュースにもなってないから 今年もまだナゾのままなのかもしれない。


 もう一冊は かがくのとも。7月号 からすうり

 カラスウリの実も花も知っていた。けれど、蔓の先が土にもぐって 子イモを作るなんてしらなかったよー。 スゴイ。 今年の夏はカラスウリの観察だー。 
5~6歳向きの絵本らしいけど、内容は濃い。 息子が興味をもってくれるといいんだけどー。

昨日は「絵が子どもの絵みたいだからヤダ」なんていって見向きもしないんだもの。 クレヨンで書いていたけどとてもよい絵だったんだけどなあ。

 絵が気に入ったウナギのほう(結構写実的な感じ)は、習ってない漢字にふりがながないから読めないとのことで、私が読んでやりました。  こうやって読んでやっていて2年先にでも自分から読みたいという気持ちになってくれればいいと思いながら。

なんでうちの子本が好きじゃないんだろう。 ちょっぴり悲しい。
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感想はすぐに言葉にしないと陳腐になってしまう
2005/06/13(Mon)
 土曜日に、家族でピアノコンサートに行ってきました。 息子ははじめてのコンサート。大人向けのクラシックコンサートです。映画をみるときの様子からみて、静かに聞くことができるだろうと連れて行ってみることにしました。 心配だったのは楽しめるかどうか。

 途中、気持ちよくなって寝てしまったようです。夜だし、昼間はサッカーの練習に行ったし、ホールの照明は薄暗いしで、眠くなるのもわかる。 来ていた大人の人も多く寝ていました。
寝ること自体は 個人的にはわるい事ではないと思うし、音楽を聴いた結果気持ちよくなったという鑑賞の範囲に入るとおもっています。

 演奏はとても楽しむことができました。 グランドピアノから流れる音が 使い尽くされた表現だけれども、キラキラコロコロとあふれ出るようで久々のコンサートをとても楽しむことができました。
 このホールにも大きなパイプオルガンがあります。いつかこのパイプオルガンを聞きに来て見たい。 最後の曲はバッハの曲をピアノ用にアレンジしたものでした。
バッハは昔は音のおっかけっこでわりと退屈だと思っていたのです。もっと感情を揺さぶる曲が好きでした。今はバッハが心地よい。トシとったんだなあと実感しました。 
 重厚で荘厳な音の重なり、多分当時の人は日常生活からはかけはなれた立派な教会でこういう音楽を聴くことにより 多分神を感じたのだろうなあと思いました。
それは不思議に落ち着いて心をひらくことのできるようなそういう音楽でした。

 全体としては、ショパンやモーツアルトのピアノの魅力を十分に引き出した明るくて軽快で幸せに満ちた音楽が聞き所だったように思います。

全体の構成は、前半にイタリアの曲(大好きな曲が2つも入っていて大喜び) スペインの曲(いかにもスペインという音楽だったけれども低めの音でリズミカルな繰り返しが続き、息子はねちゃうんじゃないかなあーと思っていると すっかり眠くなってしまったみたい)
その後、ショパンやらモーツアルトやらレスピーギやらゴッドファーザー 愛のテーマやら、
一般になじみのある曲を選択してあったので 最初のコンサートとしては最適だったと思いました。

 ただいつも少し不快に感じるのは、クラシック音楽を鑑賞するとき、たとえプログラムをめくる音でも耳障りに聞こえるときがあるということを知らない人が多いということ。
 音楽の種類によって鑑賞の仕方は違いますが、特にこういう曲目の時は楽しむと同時に人の迷惑にならないように聞くことが大切だと思うのです。演奏がはじまってから 鞄のファスナーをあけしめして 隣にアメを渡したり ゴミをやりとりして映画なみのマナー(映画のときもうるさいなあと思うんですけれど)の人がいるっていうのは そういうことを知識として知らないんだなあと悲しくなりました。 演奏の合間にやってほしいなあ。

 また、反対に音の余韻の最後が消え去るその前に 一番に拍手しなければ気がすまない人。
この曲を知っているというアピールをしたくてたまらないのでしょうが、せめて 演奏者が最後の音を聞いてほっと息を吐き普通の姿勢に戻るまでは余韻を鑑賞し、手を叩かないで欲しいなあと思いました。
 音楽に限らず絵画でもですが、鑑賞しに来るのではなくて 自分の知識をひけらかしに来るという人はかならずいるようです。 (アピールしたくてたまらない人はぜひ歌舞伎を見に行って 「おもだかや」とかそういう掛け声?でアピールしてほしいなあ)

 と、上で一応要望を書いたのですが、これはものすごく不快だったとかそういうことではありません。でも、もしかして検索でいらしたかたで、こういうことを御存知ない方が「そうだったのか」と思ってくれたりしないかなあと一応書いてみました。私も子どものときに習って知っていることなので知っていることは偉いわけでもなんでもないと思っています。

 また、曲目の種類によっては「日本人はおとなしく聴きすぎる」という評があるということですし、ケースバイケースだとおもいます。

 コンサートについて本当はもっと表現したいと思ったのですが、感想というものを時間がたってから書こうとするとなんだか陳腐で気恥ずかしくなってしまって。(^^)

そうそう。息子はすごいと驚き、そうして楽しかったようでした。 子どもが最初に出会うコンサートは、できれば発表会でないほうが良いと思っていました。 
 たとえば、3歳の頃から20年以上習っている人でも 趣味は趣味。とても上手に弾かれる方もいらっしゃる事と思いますが、プロはプロで格段の差があります。
 本当のプロの音楽を聞いてなにか感じて欲しいという思いがあったので、このような経験ができてよかったと思っています。
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ひそかに楽しみに
2005/06/11(Sat)
 この家に越してきてから息子が生まれてあっという間に2年生になったわけだ。
その間に 駅前のセンニンソウの花が見られたのは今までに1回。
大抵、駅近辺の草はマメに刈り取られて センニンソウのつるがのびた頃に丸刈りにされてしまう。

 今年はセンニンソウのつるが伸びてフェンスにからんでもまだそのまま置いてある。咲いているところを見たいとひそかに楽しみにしているところ。
センニンソウなんて書いちゃうと「なんだそれ?」だけれど、知っているひとは知っている。
ガーデニングで人気のクレマチスの仲間だ。Clematis terniflora たしか香りが良いクレマチスのはず。 咲いたら 香りを確かめたい。

上のサイトの書き出しも
The beautiful sweet autumn clematis is
だし、
Vines can be so laden with billowy masses of white flowers that they look like they're covered with snow!

雪で覆われたみたい! のビックリマークが 手放しの褒めようだとおもう。

The sweet smelling flowers are beautiful, and the interesting seedheads, with their plumose "tails", are useful in dried floral arrangements.

この種の形状が仙人のひげのようだということで「センニンソウ」という名前がついたとか。
 毒にも薬にもなる薬草だと聞いた。

 駅を利用している人も、草を刈っている人も、これだけこのクレマチスが褒められているものだとは知らないだろうなあー。なんて思っていたところ。今年は花が咲くまで刈らないで欲しいなあ。

 その草の生えた線路沿いの斜面には今 綿毛が沢山飛んでいる。
センニンソウのつるにもたくさんひっかかっている。
今年は私の背丈くらいまで草がのびていて、穂が見えた。いつもここに伸びているイネ科の植物が何だったのかがやっとわかった。(とおもう)
 たぶん チガヤ。 白い尻尾のような穂タンポポのような綿毛になってそこいらにとんでいるのだ。さわるとふわふわしていて タンポポの綿毛の数倍やわらかくて気持ちよい。
これをおふとんの中に入れたら最上のふとんになるんじゃないかなあと思うような手触り。

 先日買い物帰りに息子とふたりで綿毛をとりながら帰った。

これは、いまのところ私のひそかな楽しみ。

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だらだら予告
2005/06/10(Fri)
 ふぅ。 今日は息子は遠足。

ところが、昨日「学校で嫌なことがあった」と息子が言っていたのだけれど、そのせいか蒸し暑さのせいか(息子は大変蒸し暑さに弱い)夜中に息子がうんうんうなされていて、私の方も何度か目がさめてしまい、寝不足。

 そんな寝不足ですっきりしない頭痛の朝。弁当つくってもたせました。 「終わった」という感じでございます。

ということで、今日は だらだら過ごしますという予告です。
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「見えそうで見えないものは気になる」から「迷惑メール」へ
2005/06/09(Thu)
 見えそうで見えないものが気になるというのが人間の本能みたいで、その本能をくすぐるしくみはあちこちで見る事ができます。

 たとえば、無料の情報がもらえるニュースメールの配信など。見出しで気になってクリックすると 記事の前半がウエブ上で閲覧できるけれども、結論のところは、「コレ以降は会員専用ページです」となっていたり。
 私は女性なのですが、男性の立場からすると 女性のお腹がちらちら見えそうで見えなかったりとか 女子高生のスカートの中が見えそうで見えなかったりすると気になってしょうがなくなる人もいるでしょう。困った行動に出ていろいろとニュースになっていたりします。
 女性としては「流行」であると同時に、多分その格好をしたときに男性からの注目度が上がることをある程度意識している人も中にはいそうです。(お間違えのないよう。多分彼女達は”注目して欲しい”だけであって痴漢にあいたいわけではないとおもう)

 長い前髪で顔が隠れそうなファッション。顔全体が見えるよりも美人に見えることも多い。
これは見えそうで見えない効果。
 そういえば、サングラス・マスクなど 顔の一部を隠すと美人に見えるという話もあるし。
(うまい人はその辺をよくこころえていてファッションにとりいれていたりします。つまり一番自分が隠したいところを隠して一番自分が自信をもてるところを出してしまえば、効果倍増)

 そこに何があるか見てきた人がいたとしても、自分の目でたしかめたいという本能もあるように思います。

 見世物小屋というのは一度も体験した事がないのですが、 「おおいたち」と書いてあって大きな板に血がついている と聞いても 多分一回はその大きな板に血がついているところを見てみたいとおもう。

 気になるのは前に書いたけれども SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)というシステムのミクシィ mixi ですね。 ネットをあちこち放浪していると「ミクシイで」とか「マイミクで」などと書かれていて でもその内容は mixi に入っていないとわからない。 mixiにはmixi会員からの招待がないと入れないというハードル付。

 これだけmixiが広まってきたということは「皆知り合いしか入ってないから安心」なんていう図式はだんだんと危うくなってきていそうだなあとは思うのですが、この「特別扱い感」と入っている人と入っていない人を区別する 仲間はずれ感というのは なかなか人間にとっては気になるもので、うまいところをついていると思います。

 実際同じような SNSの Greeというのに入れてもらったものの、そちらを使いこなすほど暇がなく、いまのところやりたいことは ネット上の閉じたコミニュティではなく開いた世界でやりつくしている感もあるので入ったきり放置状態がもう何ヶ月(もしかしたら何年?)も続いているのです。だから、mixiに招待してもらっても多分使いこなせず放置する事になりそうな予感はあり。
 でも、気になる。見えそうで見えないものは気になる。

なんてことを思っていた先日。
迷惑メールを受信しました。

佳代さんの誕生日にお祝いメッセージを送$j$^$7$g$&

(題名が文字化けしているところが、痛いです)

佳代 さんの誕生日です。

誕生日をお祝いして、佳代さんに、メッセージを送りませんか?

■佳代さんへ、メッセージを書く■
http://あやしげなurl/
↑のURLより無料登録して下さい。

みんなが誕生日をお祝いして、メッセージをよせています。
ぜひメッセージを送って、誕生日をお祝いしましょう!
http://あやしげなurl/

まだ、メッセージを書いていない場合も、
こちらからメッセージを書くことができます。
http://あやしげなurl/


私はurlが入っているときは そのurlにこころあたりがあるかどうかを見てからクリックします。
「ああ、また新手の迷惑メールか」と気にしていなかったのですが、それにしても次から次によくいろいろな手を考え付くなあと。

検索してみました
すると 上で書いた Greeのサービスにほとんど同じような文面で誕生日の友人を祝う仕組みがあるのだとか。

なるほど。この迷惑メールを考え付いた人はグリーのサービスを真似たわけね。

そうして、Gree のサービスに登録している人が勘違いしてクリックする率は他のひとよりも高いかもしれない。

 と思うと、 引っかかった方もいらしたようです。 やっぱり!

話は別の方にいってしまいましたが。今日はこんなところで。
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アリと...
2005/06/09(Thu)
少しずつベランダの整備をしています。 数年単位でさぼっていた植え替えをしたり株分けをしたり。
株分けが困るところ。 鉢が増えるので処分に困ります。

 ところで、今年気になっていたことがひとつ。バラのフレンチレースの調子がものすごく悪いのです。植え替えをさぼっていたからといってもあまりにも調子が悪い。癌腫病かなあと心配しながらふと茎をみると、アリがとことこと歩いています。 よく見るととげにまじって カイガラムシがびっしりとついています。 気づかなかった。
かなり接近して他のバラも置いてあるのですが、なぜかカイガラムシが蔓延しているのはフレンチレースだけ。
あわててこすり落としました。 気がついたのが遅かったので手遅れでなければよいのだけれど。 カイガラムシだけでこれほどまでに衰弱するのかどうかもわかりません。手入れをサボっていたツケが回ったという感じです。
 
 カイガラムシはアブラムシ同様、甘い汁を出すのでアリとの共生関係があるみたい。(うちの場合アリがカイガラムシを飼育しているかどうかまでは観察しきれてません。)

発見した日にとりつくしたと思ったのですが、数日後、バラの茎を登るアリを発見。アリの行く先をみると取り残した大きなカイガラムシがいました。 早速駆除。

 さて、昨日、少し遅めかとも思いますがサボテンの植え替えを行いました。 鉢からサボテンを抜くと わんさわんさとアリが出る出る。 そうして中には白い小さな米粒のようなものがたくさん。 あわてふためいたアリが白い粒を持って右往左往しています。

繭の画像をさがしてみましたこちらです
最初の働きアリが羽化するまで

今になって カイガラムシも、アリも写真をとらなかったことに気がついた。とっておけばよかった。

アリは身近な昆虫。 アリさんと呼んで子どもの頃から親しんできた昆虫だけど、園芸をするときには彼等は困った活動をすることが多いのだよなー。

実家近辺では アルゼンチンアリの被害も大きいとか。
 
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人間は もっと痛いところがあると小さな痛みを忘れるらしい。
2005/06/08(Wed)
 数年前にもロバミミに書いたことがあると記憶しているのだけれど、「学校の人間関係は大変よぉ~。会社の悩みなんてわすれてしまうわよ~」と言われたと母友から聞いたことがある。
そのときに「人間はちょっと痛いところがあっても、それ以上痛いところができたら前の痛みがわからなくなるんだって」ということをペアで聞いたのだった。

 ま、その話はそのときのロバミミで終わったということで。なのだけれど。

 扶養者控除を見直すらしい。今の私には大きなニュースだ。
奥さん達を働きに出して安い労力として使い搾取(だいたい時間に制限があり年齢がある程度いっていて、子どもがいる人という制約があるとつける仕事というのが限られてくる)。
 それ以前に仕事口があるのか?。世には仕事に就けない人がたくさんいるのに。大黒柱でさえ仕事を失うことがあるこの御時世。

 今の息子の状況を見ていると会社を辞めて家にいることを後悔はしてないけれど、収入やらその他の面では 仕事にかじりついていた方がよかったとつくづく思う。ま、そりゃそうだ。

しかし、こういう状態で少子に歯止めをかけるには子どもに対してかなりの優遇を決め込まないと難しいはず。 だって、dinksの方がラクラクなのは明らかだもの。 dinksよりも子どもがいる方が得だという図式にしないと少子化には歯止めはかからないのではないかな。

今の子どもはお金がかかる。息子は習い事だけでもすでに月何万もかかっている。塾はこれまた子どもを持たない人からすると想像もつかないほどの金額がかかると聞いた。

 本当にここのところ思うのだけれど、ここ数年の政策は「富めるものだけを優遇」という形に末に結びつくものが多いように思う。 教育をまんべんなく行き渡らせて、日本国民全体の生活がゆたかになると同時に 政治のあらも良く指摘されるようになった。
 たとえば、「今日のオマンマ」が食べられるか食べられないかという瀬戸際の人は、自分にとって一番大きな痛みが最優先事項となり、首相が靖国参拝しようがしまいが そんなことよりも今日を生き抜くことの方が最重要課題になる。

 もしかしたら、瀬戸際にたつ人を増やそうとしていないか?と思えてきたりもする。
国立大学も民営化され、これからは「もうかることしかやらない」ということになってきたら。
だって「民営化」ということは利益追求が主になるのがミエミエだもの。
 教育はその時に富めるものだけの特権となってしまうのかな。
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私も悪い
2005/06/08(Wed)
 先日、洗濯物を片付けているときに、ばりっと何かを踏んだ感触がして、はっと床をみると。



例のひょうたんが。。。。 あああああああ。orz

私の声を聞いてかけつけた息子の顔が みるみる泣き顔に。
大粒の涙をぽろぽろとこぼす。

だから、床にものをおかないようにって毎回言っているのに・・・。 大切なものは片付けなさいって言っているのに・・・。

 「だから大切なものは床に置かないでっていっていたでしょ」という言葉が「ごめん」より先に出てしまった。 その後「ごめんね」。心の中では「どうしよう」とうろたえていたのに。相手を非難する言葉が先にでちゃうとは。息子は「ちゃんとかたづけてなかったじぶんがわるい」と ぽろぽろと泣く。

そういわれると、でも、私も本当は足元を良く見ずに歩いたこと、(癖)そういう非もあるんだよね。 本当は私も悪いんだ。という罪悪感がます。 もっと「踏んだお母さんがわるい」と駄々っ子だったら楽なのかもしれない。

 片付けて欲しい、床にものを置かない癖をつけて欲しい。
これがひとつ苦い経験となって片付けるようになってほしい。。と思ったり。

 昨日もわれたひょうたんをみて悲しそうな息子。 買ってもらったおもちゃよりもずっと大切だったみたい。 それを壊した私。 すっごい罪悪感。

そうして、やっぱり片付けずに 床にものを置く息子。 ぜんぜん経験になってない。ふぅ。

せっかくのひょうたん。リコリコさんごめん。息子ごめん。
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もうひとつのお話しー園芸って
2005/06/07(Tue)
 落ち着かない原因のもうひとつは、ベランダのことだったのです。こちらも決着がついてほっとしているところ。

先日小冊子の編集をしていらっしゃる方から連絡を頂いたのです。私のページをご覧になって取材ができないかとのこと。

 お花のデータはまだ、ベランダが荒れ果てる前に残したものも多く、現在はとても冊子に載せられるような状態ではないことをお話ししました。その際に、ふと「うちは、たとえベランダのコンディションが最高のときでも、ガーデニング雑誌にのっているようには、ならないなあ」と気付き「我が家のベランダはまさに狭いところに沢山の種類の花を詰め込んでいます。全体をみると うっそうとしているという雰囲気なのでガーデニングのお写真には向かないかと思います。」 「以前は外から見ていただいて綺麗なベランダを目指していたのですが、今は自分が楽しむために植物をそろえていて数もあるので、まとまって花が咲かないし、地味なものも多い」と。
すると先方は
「そういう情報がほしいんですよ。コンクリート壁のベランダは最近多いし、皆狭くてシェードガーデンですし」というようなことをおっしゃってくださったので、 「綺麗に飾るベランダという視点ではなくもっと自分で楽しむという視点でのベランダで良いのかしら?」と なんとなく自分の価値感をわかってもらえたかのようなうれしい気持ちになったのでした。

 「片付いてなくて荒れているので写真にもならない」と書いた返事に「今のままで良いので写真を送ってみてほしい」とおっしゃる先方。
「ベランダの広さや様子をご覧になりたいのか」と思い写真をお送りしたところ「やっぱり冊子となると色が欲しいのでお花が少ないですね」というお返事をいただきました。

 私としては、「だから、荒れてるって言ったのに。花が少ないから写真に向かないって言ったのに」と やっぱり、「花だらけの庭」をもとめていらしたのかと一度わかってもらえていると思っただけに落差でガックリ。

■pon1は

 pon1に少しそのように話すと、謙遜して庭が散らかっているとか花が少ないという人は多いので、うちが本当にそういう状態だとおもわず、謙遜だとおもっていたんじゃない?と。
そうかもしれない。ありえます。 ま、そのまま散らかって花のない写真を臆面もなく送ってしまう私も私だけどー。

 もうひとつは、ウエブ上に載せた花の写真は紛れもなく我が家のものではあるのだけれど、それから想像できるようなベランダではないのです。つまりpon1でさえ我が家のベランダの花の写真をみて「今、この花どこにさいているの?」という状態。 つまり、皆1本ずつしかないから。(^^) 一本ずつ100種類の花としても実際は100分の1のわけです。私は写真をとった本人ですから 庭の現実と写真の関係を一番把握しているわけですが、庭の花の写真だけを集めている自分のページをみると 「意外にさいているもんだなあ」なんて思ってしまうわけですし。

■園芸について

やはり自分が良いと思ったものは人に見てもらいたい。ほめてもらいたいというのは人の本能で、それは普通のことだとはおもうけれど、派手に咲くお花をあつめて綺麗にレイアウトして、万人にほめられることを楽しみとするという園芸もあれば、 自分が興味を惹かれる花をあつめて その花ひとつひとつをめで、多数の人にわかる良さでなくとも、人が見逃したようなよさを同じ思いが分かる人と楽しむという園芸もアリだと思うのです。
前者を、流行のファッションに身を包み多くの人にほめられることにたとえれば、後者は同じ趣味を持つ人だけにわかる小物などを楽しむという感じ。 後者は他の人にはわかりにくい趣味だろうから やはり雑誌には向かないけれども、たしかに園芸を長く続けていると 本当はこちらの方も、深い楽しみがあるようにも思うのです。

 そういう楽しみを わかってくれて 伝える機会になるかと一瞬思っただけにちょっと腰砕けという感じでした。今考えればそういう楽しみこそ ネットでほそぼそと興味を持つ人だけに伝えていくことが望ましいように思います。 

  今は、もし冊子に載ってしまったら そちらによるデメリットもあったかもしれないから、落ち着いて自分の価値感で園芸に取り組める状態に戻った事を喜ばなければ。と思っているところです。


大好きな バイカウツギ ベルエトワール とてもよい香りがします。
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やっぱり実体験が不足している
2005/06/06(Mon)
 友だちが、多分ニンジンの花を「この花はなんの花でしょう」とクイズを出していました。
最初は 「セリ?」と思ったのだけどちらちら見える葉がちょっと違う 「根菜」とヒントがかいてあったので、あ、そうかニンジンかな?と。レースフラワーのようでとても綺麗。 と、ここではっと気がついて調べたのですが、レースフラワーもセリ科の植物だったのですね。 似ているはずです。
  ニンジンは店に並んでいるときにすでに葉がなく私も花を見た事はいままでにあったかどうか。

昨日は下にも書きましたが、息子の宿題で午後から公園へ行きました。公園といっても例の火を焚いたり 穴をほったりできる 自由に子どもが行動できるあの公園です。
前にいったときもそうだったのですが、やるだけのことをやった後の息子は 火を焚くことに夢中になってずっと帰るまで火に付きっ切りでした。

 最初はpon1とふたりで遠巻きに見ました。 小学校高学年くらいの男の子が ナタを使ってまきを割ろうとしているのですが、 割り方がわからない様子。 木を手でもってナタを振り上げて下ろすと 木の狙いが定まらないし、力が足りないので、今度は木を固定して両手で杵を振り上げるように振り上げて振り下ろし、空振りしています。
 見ているこちらの方がヒヤヒヤ。 ものすごい怪我になるのではないかと口を出したい。
この公園は子ども達の自主性に任せる公園とのこと。サポーターの人も一緒についているけれどもそのような使い方にひとこともコメントするわけでもなく見ていたので口を挟むのもどうかと迷うところです。

 途中用事があって30分ばかり私が中座した間に 夫がナタを使って見せていました。
まずナタを木目に沿って軽く小さくコントロールしながらふりおろして割り込ませ後は先に割る木をつけたまま 杵のように割る木で切り株を打ちます。少しずつ割れ目にナタが入って 最後は二つに割れます。
木に入りにくいときは まずわる木の上にナタを沿えてナタの上から別のもので叩いて木に割り込ませます。

 記憶をたどってみると、私も身内がそんな風にしてまき割りをしているのを見た事はなくて、テレビなどによって得た知識かもしれません。 テレビでは大きな斧を切り株に向かって両手で振り下ろすような映像も見た事があるので、男の子が最初にナタをそのように使うということもそういう映像を過去にみたことがあるからかもしれないと思いました。

 火をくべている場所では2つの火が消えそうになっていてまきが早く欲しい様子でした。
小学校中学年から高学年の女の子が消えそうな火の真上にべったりと大きな木を載せるのをみてつい私も 口を出しました。
「火はね。先っぽのところが一番温度が高いんだよ。それと、燃えるのに空気が必要。だからまきを置くときは火の先端に当たるように置いて空気が通るように山のように置くの」と。

 今は火を焚ける場所というのはほとんどありません。キャンプ場でも焚き火禁止のところが多いです。 都会の子どもが火を焚いたことがない。たき方がわからないというのは普通のことかもしれない。 これがもし 「どうやったら火が効率よく燃えるか」というのを体験的に知っていたら、理科で 「炎の温度」「火が燃える条件」を習う事によって ああ、なるほど。と ヘレンケラーの水のように すとんと知識が落ちていくものではないかと思うのですが、残念ながらほとんどの場合は、テキストに書かれた絵やテレビでの映像などを覚えることによって成り立つ知識が多くなって来たのだなあ。 やっぱり最近の子ども達は生きる力が不足しているのかもしれない。 それは、とりもなおさず 子ども達の安全を追及してきた大人たちのせいかもしれないなあ。なんておもいました。 本当は私も家の仕事でまきをたいた事はありません。 多分、公園にいたサポーターの人も そういう知識を知らずにただ 教科書に載っている知識として実生活と切り離して知っているだけの知識=死んだ知識 となっているのかもしれないと思いました。

 知の翼と一緒に送られてくる小冊子をパラパラ読んだところ、先日大きく報道された日本のPISAでの数学力低下。PISAの主眼は 学校教育で習得した知識が卒業後に生きて働くものになっているかどうかということだということ。

 PISAの結果が落ちたからといって大騒ぎするほどのことではないのかもしれないけれども、でも、それが知識が身についているかどうかを判定しようという試みなのであったということ。私たちが習っている「勉強」はとりもなおさず私たちが生きている世界のことなのだ と認識できることが重要だし、それを生活に生かせてこそ意味があるものだということをあらためて感じ、そういう力を養う機会がどんどん減ってきている今の子ども達に どうやってこのつながりを教えていけばよいのだろうと思ったりしたのでした。 少なくとも息子にはこのつながりを教えていかなければと思った午後でした。
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あっぷだうんであっぷっぷ
2005/06/06(Mon)
 元気に過ごしております。いえ、無闇にパワフルに過ごしているとも言えるでしょうか。
別名「から元気」と呼ぶものかもしれません。 ぶっちゃけていうと 落ち着かないのですよ。
自分でもドウニカシテーという状態です。

 原因は不明。でも細かいことはいろいろほじくってみると ありそう。

ひとつは少し解決の兆しがみえてきました。
運動会が終わってから多少の落ち着きをみせてきた息子。だけれど、サッカーについて。親のほうがストレスに。 ヘタでも一生懸命やっているのだったらそれはそれでいいのだけれど、やる気がまったくなくて ダラダラと練習を過ごす。 習い事の中で一番嫌いと言う。だったらやめさせたほうが良いのかもしれないと、pon1と相談してほぼやめさせようと決断したけれども、「嫌いだからだらだらしてやめる」というやめ方は良くないのではないかということになったのです。とりあえず、春季大会が終わるまで一生懸命やって、その後決めようということに息子と話しました。 親の方としてはやめる方向でほぼ意識統一という認識でした。ところが、練習から帰ってきた息子は「たのしい。今日はうまくできたことが沢山ある。6年生まで続ける」と。大会の終わりを待たずに継続の意思表示をしたのです。

 ところが、問題は私の心。 サッカーはやめさせるとほぼ決めたとたんに、自分がどれほどサッカー(の人間関係)を負担に思っていたかというのを 再咀嚼してしまい、もう これ以上その関係に関わることが嫌で嫌でしょうがなくなってしまったのです。(というのは息子が続けるということ=私が手伝いをすることなので。)
 手伝い自体は、必要だったらしょうがないと割り切れるのです。労力を提供することは惜しまない。でも、私が嫌なのは、陰口やら不満やら噂が飛び交う人間関係が嫌で、疲れちゃうから。
もちろんすべての人がそんなわけではなく、そういう人はいつも一部の人なのですが。その集団と距離をおきたいと思うわけで。その集団からはずれることができると思っていたやさきに、息子がやっぱりやりたいと言うことで 心が板ばさみに。(TT)

 一緒に出かけた夫に練習中の話を聞いたら、本人は2,3うまくできたということで自己満足しているのだけれど、実際はいままでと変わりなく、本気でサッカーを好きでやりたいと思っている子らとはまったく態度が違うということ。 今度はその「6年生までやる」という息子を親の権限で やめさせて良いのかということでも悩んでしまいました。

 午後からは、宿題で息子が紹介した公園へ行く必要があったので、お昼ご飯もそこそこに自転車で出発(だいたい電車のりかえで2駅くらいの場所)しました。
公園で宿題をおわらせて遊んでいる息子を見ながらpon1と話をしました。

結論は
「今は、習い事が多くどれも中途半端になっている。 どれも休みたいときに休み、練習やら宿題やらも当日習い事の直前にこなすような状況。そういう習慣がつくことは子どもにとって望ましくない。 ひとつのことをじっくりと努力する姿勢をみにつけてほしい。」ということ。

私も息子をみていて、サッカーよりも水泳のほうがまだ向いているように思えることから。(勘が良いとか悪いとかという言葉があるけれど、サッカーよりも水泳の方が息子は勘がよいように思える) やはりやっただけ結果が出るものの方が良いのではないかということになりました。

 親子サッカー熱はスゴイのです。もともと土日双方に4時間程度の練習時間があるのですが、それ以外にJリーグサッカーチームのサッカースクールへ入れていたり(入団テストがあるらしい)いくつか掛け持ちしている子もいるとのこと。 
試合でも、相手に点をとられたり ミスをしたりすると 本気でお母さんに叱られている子もいます。 そういう子どもはうまいですし、サッカーも大好き。 練習の後もサッカーを自分でしていたり、時間があればボールをもって外で練習をしていたりする様子。
 そういう子と息子が同じチームで同じように競うことはまずムリだと思ったのでした。

 私は私でまた悶々と。これは私が「自分がサッカーの人間関係から抜けたいからこじつけた理由ではないのだろうか」と悩めできます。私の心の中では、「お母さんは面倒なことは嫌いだからサッカーはやめなさい」とか、いえてしまう母親もいると思うし、それでOKなのかもしれないと思うし。

 帰宅してから、pon1から口火を切ってくれて 今日決めたことを息子に言いました。
「春季大会の終わりまでは一生懸命やる。その後は 休部して、スイミングだけをがんばって級を上げることに専念する」ということです。 級が上がる上がらないというのは私としてはそこまでこだわってないのですが、ここのところやる気をなくしてだらだらと休んだ結果、もう何ヶ月も進級をしていないし、まだ泳ぐ前の段階のコースなので本来ならば トントンと登れる階段のはずなのです。 見学している私からみても、息子は楽しそうに一生懸命やっているし、悪くないので、あと少しやれば進級できるという見通しなのです。

 親の目論見としては、ひとつのことを一生懸命やる。それによって報われるという経験をして欲しいというところ。 

 ソレを聞いた息子はそのままそれで良いと受け入れたのですが、息子の性格上 いやなことも好きなことも大きな感情表現がないので 親としてはものすごくわかりにくい。そこでまたもやもやと。(これでいいのかしら?)と悩んでしまう。

 今朝になって気がついたのですが、それが決まってからの息子はなんだか明るく元気で前向きになった様子。 彼は彼でこの決断を良い方向に受けとめているかもしれないと思いました。

 子育てってなんだか難しい。子育てに手遅れはないと聞きますが、選ぶ道にも大きく正解不正解の分かれ道があるわけではなく、それはそれなりにほとんどが何事もなく続いて行ってしまうように思います。 自分のことだったらもっと簡単に選択できるのに、子どものことですから選択が難しい。 いつもこの道でよいのだろうかと 迷いに迷っているような気がします。
 
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めずらしくまだ起きているの
2005/06/05(Sun)
 めずらしくまだおきているんですだよ。
先日ぶーたれてから当分なかったので「しめしめ」と思っていた例の”コーチ会”  「12時には帰ってねー」っていったけど「やっぱ 12時に帰ってくるってありえない?」と 心の中で思いながら「んでも帰ってくるかもしれないし」と思いなおして やっぱ、帰ってきてないです。

 今日ははじまりが8時半から。

この8時半っていうのは ビミョーだなーと。

おっとココまで書いたら pon1帰ってきましたよ。 ま、12時台、60点ってとこかなー。合格って書くと次がおそくなりそうだしなー。 ま、よかったです 無事帰宅で。おかえりー。

ぶーたれようと思って書き始めたら 「ぶ」 くらいでおわりました。 ぶしゅぶしゅ。不発。

ぶじでよかったです。
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お散歩
2005/06/04(Sat)
 午前中一杯打ち合わせがかかったので、サッカー練習に行く息子とpon1とすれ違い状態。散らかった部屋にぽつんと残されたかんじ。ご飯を一人でたべてとりあえず片付け始めたのだけれど、当分サッカーの試合やら練習やらで ずっと土日はふさがるんだよなあーなんて思い始めたら、先日からやろうと思っていたことをやろうという思いが強くなった。

 突然思い立って隣駅まで行く事にした。
家を出て少ししてから「歩いていこうか?」と思いつく。駅までは10分ちょっと。隣の駅まではどのくらいかかるのだろう。くだりだから楽なはず。幸いお天気は良いし、いつもはタクシーで登る道を 今日は歩いて下る。

 駅から少し行くと、本当の大邸宅が何件かある。 その中のひとつはお城のような作りで 庭には私が両手でかかえても回らないくらいの大木が何本も生えている。その家の屋根にはなんとしゃちほこまで乗っている。 「しゃちほこはしらなかったなあ」と歩く。向かいのお宅もその隣のお宅も大きい。 この辺りは新興住宅地で、この家の人達は皆このあたりの地主さんだったのかなあなどと思いながら歩く。小型のマンションやアパートだったら建ちそうなくらいの敷地。 ゴルフ練習場。お地蔵さん。 駅から少し離れると、今度は 大きめの家だけれども、今は手入れが少し行き届いてなさそうな家がある。サンルームの上にかかった日よけが乱れて黄ばんでいるのが見えて 家を維持するというのは大変なものだなあと 向かいはくぼちになっていて、対照的に 昭和初期という風情のアパートがあったりする。 壁が茶色の塗装がされたちょっとオシャレ気味?のトタン。粗大ゴミが不法に沢山すててあって、「これは粗大ゴミです」という市の注意書きが日に焼けていろあせている。引っ越していった人がすてていったのかな。
 鉢の中に自分がペイントした石をひとつひとつ置いてずらりと並べている家があった。柄はカエル、イヌ、龍、など。面白いのでちょっと携帯で写真をとってみた。



 テイカカズラが 星をちりばめたように咲いている。 

 息子がサッカーをやる前は、こういう昼下がりに家族で歩いていたのに、今は一人であるいているなあなんておもいながら。

そうこうしているうちに 隣の駅についた。 20分ちょっと。 近いねえ。目的は息子の友だちが来たときなどにちまちまさしていた刺繍キットが出来上がったので、それにあう額縁を買うこと。
駅前のショッピングセンターで額を選ぶ。

  先客のカップルがいて、30台から40台という雰囲気の男性の店員さんはあたふたしていた。カップルが欲しいといった額のストックが私が見ている商品のしたにあったらしい。ものすごく恐縮しながら「どいていただけますか?」と。 不安げな目で私を見るので「なんでだろう?」と思ったら 私はチャイナブラウスにジーンズだった。 あ、そうか日本語が通じるかと不安だったのだなと思いながら待っていると 前の客の買い物が終り、店員さんが 「ありがとうございました。 Thank you 」と言っていたので納得。前の客もアジアの人だったので、私も日本語が通じないのかと思ったのかな。
 私はといえば、もう一人の女性の店員さんが戻ってきたので刺繍を取り出して相談。どのフレームが良いでしょう?と一応相談したら 店員さんが出してくれたのは ダークな色合いのフレームだった。 オーク色の家具はうちに多いので、この色のフレームにしようか、それとも明るいミントグリーンのフレームにしようかと迷う。 店員さんに「家具はこのフレームのような色が多いのですけれど」というとヘンな顔をしていた。 結局濃色のほうのフレームにしてもらい、パッドをつけてもらうために30分後に受け取り。

 さて、帰宅。 上り坂を登るから、電車にしようかな。とふと思ったけれども、行きがとても気持ちが良くて楽しかったので、帰りも歩いてかえることにした。 先ほどの道をてくてくと戻る。
途中、素晴らしく立派に ガステリアの花(たぶん)が咲いている。あまりにも綺麗に咲いているので見ほれて、 うちの 子宝にもこんなのが咲くのかな。日に当てた方が良いのかな?などとくるりと鉢の周りを回って写真をとろうとしていたら、通りすがりの人に不審の目で見られているような気がしてやめた。残念。

今度は上り坂。 偶然同じクラスのお母さん&運営委員さん に会う。「こんにちは。」 
こうやって、一人の散歩もいいもんだな。気の向くままに足を止められるし、家族と一緒のときよりも沢山の発見があるかもな。なんて思いながらテクテクといつもの花やを回ってみると まだまだバラが沢山あった。私が枯らした植物もあった。
額縁は意外に重かった。 アクリルじゃなくてガラスなのかな。 なんて思いながら家についた。



額縁はこちら。家に帰ってだしてみたら、額はオークではなくて濃紺だった。 道理でこの色の家具が家には多いけれどと言うと変な顔をしたわけだ。 照明の色で濃紺がオークに見えたのか、それとも私がオーク色だと思い込んだのか。

 まあ、カーテンが濃紺だからよしとすることにした。

 
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貝になった。
2005/06/03(Fri)
 昨日は午前中、学校へ。 行って見ると学校では5年生の子ども達が近くの農家の方がいらしてカボチャの栽培について指導をうけていた。 ラジオの取材もきていたみたい。
 途中図書ボランティアの話があったりしたけれども、さくさく終わらせて 一旦帰宅。 昼食後 市民プラザに区のPTAの会合に出るために出発。

 この時間帯はものすごく私としては都合が悪い。 区Pの会合は2時開始3時頃までが通常のようだ。 でも、息子の帰宅時間がこの間にある。市民館までは少し距離があるので片道20~30分はみておかないといけない。
できれば息子が学校に行っている間か、帰宅後にしてほしいところ。 区のPTAは中学校の保護者が中心で動いているようだし、 区のPTAに出てくる人自体第1子が小学校低学年だという人は少ないんだろうなあと思う。 多分皆、午前中はパートなどに出て、午後は子どもさんが帰ってくるまでに時間があるからこの時間が一番都合が良い人が多いのだろうとはおもうんだけど。私にはすごく困る時間帯。 受けることは一応納得していた私だけれど(断りきれなかった)

 昨日は区PTAの中の委員会決めが一番の山だった。学校でPTAの役員をやっている人達が来ているのに、その人達の中から また 「総務・成人委員会」とか「広報委員会」など決めるのだ。 広報委員会は 区P独自で広報紙を発行する。 私は今でも一杯一杯の感があるので、今度は絶対に広報委員会や委員長に自分からならないぞ!と決心が固い。

 とっとと会合を進めてほしいのに、○○長とか ○○担当とかいうひとたちが 5人もきていてまずその人達の挨拶。 「えー先週から、今週にかけて 運動会のあった小学校も多いかと思います。えー子ども達はみなよくがんばっていました。あのー小学校の運動会というのは子どもが小さいだけになかなかたいへんなものが...」のような 本題とは全く関係のない挨拶が延々と続く。 結局 挨拶と自己紹介だけで30分も経過。 その中で必要なことってあまり?
箇条書きで報告してくれたら全部で2分で終わったのではないか。

あっという間に息子の帰宅予定の時間を過ぎる。「無事帰っただろうか」。かさを持っていかなかったのに 外は雨になっている。 ぬれて帰っただろうか。 洋服は着替えただろうか。

  区PTAでの委員会活動というのが、納得いかない。来ている人達は自分の学校のPTAの仕事も受け持っている。それにプラスして 区のPTAの仕事もその人が受け持つという図式。
区PTAで仕事をする必要があるんだったら、役員以外を選出するべきじゃないのかな。でないと役員がどんどん大変になっていくし、区の仕事を割り振られてもちゃんとこなせなくなってしまうんじゃないかな。
 区のPTAを運営していくのに必要な仕事だったらそれもしょうがないとおもうけれど、委員会の仕事というのは 「たのしそうでしたよ」の一言では片付けられないことを私は良くわかっている。

 昔の主婦は暇だったかもしれないから、もしかしたら主婦の余暇対策としてこういう制度ができたのかもしれないけれど、今の主婦って結構皆忙しくてアップアップしているようにもおもう。

 そんな中、第一の山場。やはり人気薄の広報委員会へ他の委員会希望の人から移ってくれないかとの打診。 「私は請け負わない。私は請け負わない。」と呪文のように自分の心の中で繰り返して 貝になった。

2時から開始だったのにまだ本題に入る前に3時を過ぎてしまった。話の切れ目に家に電話してみるが 誰も出ない。 一気に不安が膨らむけれど、「寝ているのかもしれない。と自分にいいきかせて」

 どうにか希望した総務成人委員会に入ることになった。 ところが今度はそこで 委員長・副委員長・会計決め。 学校と同じような事が繰り返される。 ここでも呪文を唱えて乗り切る。
 様子を見てもう一度家に電話してみると 「はい」と息子が出た。よかった。無事に帰宅できているようだ。 多少ほっとしながらも 今度は4時からの息子の習い事にまにあわなくなってしまうことが気になってきた。 宿題はちゃんとやっただろうか。

 連絡網を作ると言っていたのにだらだらと 誰も指示をださないから ただただ時間が過ぎていくの感がある。 いらない紙の裏に自分の住所・名前・電話番号などを書いて 隣に座っていた副委員長に回しましょうか?と言ってみる。
 もっと現運営委員さんもてきぱき進行してくれたら半分の時間で済むのではないかと 時間がもったいない。 やるべきことが見当たらなくなったので 「この後なにかありますか?」とたずねると 「委員長・副委員長だけ 4時から引継ぎ」だそうで、 「ああ、請け負わなくてよかった」と心のそこから思った。 そういうことは事前に教えてもらっていないと当日対応できないもの。
委員長が決まるまでは「大変じゃないみたいよ」「たのしそうだったわよ」「たいして仕事はないわよ」と印象ばかり伝えて何をやる必要があるかを伝えないなんて、フェアじゃないとおもう。
 なり手がないからしょうがないのかもしれないけれど。

 学校と同じく、委員長・副委員長になった方々は運営委員となり運営委員会に出席する必要があるということもわかった。 つまり ここで委員になった人は、 学校で運営委員会に出席すると同時に 区の運営委員会にも出席することになる。 

 つまり、私たちただの区P担当は 学校の会合+区P会合+委員会出席。
 委員長などは 学校の会合+区P会合+委員会出席+運営委員会出席+α(未知)
もれなく拘束される日が増えてしまうのだ。

 「すみませんが、予定があるので 仕事が終わったらお先に失礼します」といっていち早く場を抜けようとしたら 残った人の表情が固かった。
ああ、私が学校の委員決めのときに思ったようなことを感じているのかなーと思ったけれど、私自身 区PTAの時間にあわせて付き合うのがムリだからしょうがないんだと 自分に言い聞かせたのだった。 


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まーべらす なトマトの苗 
2005/06/02(Thu)
 昨日の題と微妙に韻をふませようと努力しました。 題名。

今朝は学校へ行ってきました。 ついでに息子の育てているトマトの苗も見にいってみたら、背丈はさほどないものの、ミニトマトが鈴なりに! すごい! 早く赤くなって欲しい。
多分、全部赤くなったら ミニトマトの1パックくらいはすぐに一杯になるくらいの数がなっていました。

 わー。こんなになるんだったら、家用にやっぱりもう一本苗を買って置けばよかった。今頃すごく楽しみだったろうに。残念残念。
後悔先に立たずという言葉 人生で何回噛み締めるのでしょうか。

やはり苗がよかったように思います。 来年はこの季節あの苗物屋さんでミニトマトの苗を買う。
絶対買うと思った午前中でした。

 午後からは区のPTAの会合にでかけます。雨ふりそうだなあ。
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