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考えない方がうまくいくことも多い
2005/05/31(Tue)
 先日、バラのお宅を訪問した際に、苗の交換もあるとのこと。 今うちのベランダにはどなたかに差し上げられそうな苗がない。(かなり荒れているから)。
 おまけに、バラに丹精込められているような方々の好みにあうものは手元にないような気がした。

 悩んだ挙句に、「引き取り手がなかったら家に持って帰ってもいいや」と、以前オフで購入した黒葉系のゼラニウムの枝をいくつかと、丁度花が咲いていた野ばらの精という多肉の子株をきったものを持っていくことにした。下のほうのは 苦肉の策のシャレ。

 ところが、その枝は目先が変っていたのか大人気で、ゼラニウムも、野ばらの精も欲しいとおっしゃる方多数のためじゃんけん大会もあるということで、私はとてもうれしかったのだった。
その場で、ゼラニウムの挿し木についてことこまかく質問があったので、「そんなに神経質にならなくてもすぐつくのになあ」なんて思いながら、あ、そうだ!と思い出した。

 園芸を意識しはじめたばかりの頃、ゼラニウムが好きだった。手間をかけずに一年中咲く、ゾナル系ペラルゴニウム と呼ばれるものだ。今の家に移る前は 大型の通称「ペラルゴニウム」という名で流通しているお気に入りのぺラルゴPelargonium grandiflorum hybrids も数年持っていた。こちらは春だけに咲く。 ところが、なぜか挿し木がまったくうまくいかなかった。

 ネット検索してみたところ、「ゼラニウムは、挿し木で株の更新をしておくと便利です。挿し木は簡単なので是非」のように書いてあるページにヒットしたけれど、まったくうまくいかない。
花で友だちになった人に「ゼラニウムの挿し木がうまくいかないんだけど、どうやるの?」と聞くと
「ゼラニウムはちょんちょん切ってその辺にさしておくとほぼ100%つくよ」との返事。
言われたように ちょんちょん切ってその辺にさしてもうまくいかない。あきらめていたことがあったなあと思い出した。

 園芸の本などと首っ引きで「用土はコレ」「管理はコレ」とやってもうまく行かないときにはうまくいかないもので、うまくいくようになると 何も考えずに「ホイホイ」とやってうまく行く事も多いようにおもう。 たとえば、昔あんなにできなかったゾナル系のゼラニウムの挿し木成功率は今だったらほぼ100%だもの。たぶん 押さえるべきコツがあるんだとおもうけれど、それは何かひとつだけではなくて私のやり方やらなんやらふくめた すべての環境が影響しあった結果なので私が気がついたものだけを伝えてそれだけをやってもうまくいかないということがあるんだろうなあと思った。

 植物は生き物だから、資料主体で対してはダメなんだろうなあ。たとえば「一週間」と書いてあってもそれは目安であって、本来ならばその様子をみながらそれにあわせてやる事が必要なのだと思ったりした。

 子育ても。最近考え込んでしまうことが多いのだけれど、もっと本能を信じて力を抜いてやる方がよいかもしれないな。

アブラムシに好かれています。野ばらの精。
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「脳みそがウニ」って今でも言うのかな
2005/05/31(Tue)
「脳みそがウニ」になってますよ。 言葉がでてこない。物事を考えていないわけではないのだけれど、文章にして書こうとおもったときに、深く考えられないし、一つ一つの考えが砂粒を団子にするようにさらさらまとまりなく落ちて行っちゃうんだよねー。

 体はそこそこ元気みたいなので、きっと気持ちが行動の方に行っちゃっているのだとおもいます。  

 昨日はハハ友だちにさそわれて3時から子連れファミレスデザートの予定でした。
実はこういうのはじめて。朝から比較的激しい雨だったので、「出たくないような気がするなあ」と出不精の虫がささやいた昼過ぎ頃に、相手のお母さんから電話をいただいた。

「今日雨だけれど、どうする?」
てっきり、私と同じく出不精の虫が動き出したのかと
「うん。雨結構降っているねー。出るのが面倒だね」とへんじしたら、
「あらそう~?」と返事をもらって 彼女は楽しみにしてくれていたということが判明した。結局息子の習い事などの時間の算段もあるので 2時から行こうとのことになった。

出かけて、世間話などをしているうちに気が晴れてきたのを実感。 なんだ。体力的につかれていたんじゃなくて 前日のサッカー応援で気を使ってストレスたまってたんだなあ。
 サッカー関係のお母さん達の中にサバサバした気持ちの良い人達も多いのだけれど、噂や情報を一手に握っている人もいて、そこを経由してつたわってくると かなり話が大きくなっていたり、場合によってはすごく悪い方向に伝わってくる場合も多くて、私自身が 一挙一動を「悪く取られないように、できるだけ相手の気にさわらないように」とはりつめているからきついのだと思うのだった。 彼女から他人への文句も聞くことも多いので、それを聞くたびに 「私も別の場でこんな風に言われているのかもしれない」と思ってしまう。基本的に「私とは考え方やら基本的な部分がどうもあわなさそう」と感じているのも原因かな。

 息子は元気をもてあましていて、そのファミレスデザートの相手の兄弟と遊びたくてしょうがない様子。 習い事の後にうちに来ていただくことにして 解散した。

習い事から帰ってきてまたお母さんとそのお宅の子供さんたちと合流。一時間くらいだったけど汗をかいて遊んでいたので彼もストレス発散できただろうとおもう。

 昨日かきかけたことは 冒頭にもかいたように頭がウニなのでもうちょっと後に伸ばそうとおもうのでした。今週は2日が山です。(午前・午後とも予定が入っている)

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今日は代休
2005/05/30(Mon)
 昨日はサッカーの試合。 昨日まででグループ2位確定だそうで、相手は以前勝ったことのあるチーム。ここで勝って1位を狙うとのこと。
 残念ながら息子の出番はなかった。 2チームらくらくできるだけの人数がいるのと、息子の様子をみていたら「勝ちに行く」試合には出してもらえないだろうなあとおもってはいたけど。

 息子は「出なくても見に来て欲しい」というので、応援にでかけていったけれど、どんよりとした運動会疲れは残っているんだよなあ。トシだね。

 試合は前半かなり押していた。息子チームはほとんど自分達が入れるゴール前にボールを持って行き通しだったのに、なかなか1点が入らない。 相手チームはここで負けると、もう敗退になってしまうそうで、その底力が発揮されているように思えた。
 ゴール前までボールが行っているのに、ゴール前に壁のように全員でたちはだかって執拗にボールをとろうと狙ってくる。
 「団子」になると抜けるのだが「団子」でなくて まさに「壁」なのだ。

とにかく1点先取を。と思っていたら、前半終わり。 あっという間だった。
後半、皆の動きが悪い。 いつもなら取りに行っているボールなのに、 ボールが落ちて自分に都合のよい場所に止まるまでボールの行方を目で追っているような行動が増えた。
 その隙に相手チームにボールをとられてしまう。
チャンスと思えるゴール前。 点数を入れたいという思いがそうさせるのか、自分の体制を万全に整えようとしているうちに相手チームがまた壁をつくってしまう。

 そうこうしているうちに、息子側チームは 団子になってしまい、 がら空きになっていたゴールにコロリコロリというボールが入ってしまった。 まさに入るわけがない点が入ったという感じで、見ている方が「え?」という感じ。ふとみたらゴール前に誰もいなかった。
 そうして追加点もとられてしまう。

結局負けてしまい2位残留。 息子が出て負けたのでは、また、いろいろ息子が言われるとつらいから「よかったかも」と思うのも親心?。息子たちは一生懸命応援していたけれど、後半はやっぱり元気がなかった。皆、運動会疲れが残っているようにもおもう。

 相手のチームは、コーチもすごく怖そうだったけれど、子ども達がきちんとしていて素晴らしかった。 見ていて気持ちよいくらい統制がとれていた。 ソレに比べて息子たちのチーム。
2年生とはおもえないほどの「赤ちゃん」ぶり。 言う事を聞かない、言われた事ができない子も多い。 

 コーチの言葉「今日は、コーチの作戦も失敗しました」。正直だけれど、この場合は「オレは悪くない。お前ら自分で考えてうごけ」の方が良いような気もする。
たとえ作戦が失敗したのだとしても、その作戦通りに子ども達はうごけていないのだもの。
責任はコーチにはあまりない。
 子どもの頃の引率者は神様でないとダメだとおもうんだ。 皆があこがれてついていきたいと思う気持ちがパワーになる。 引率者はもしかしたら常識家で良い人というよりはワンマンで癖の強い人のほうが向いているかもしれないとおもう。

 運動会の前の日、息子は調子の悪さ全開?でポカミスだらけだった。
学校の中で終わる30分前くらいに 念を押したにもかかわらず、私と学校で待ち合わせをしているのをわすれて家まで帰ってしまい、誘われるままに友だちのうちにあがりこんでしまった。
 おまけに、先生の指示(たぶんあったとおもうのだが)も聞いておらず、学校に置いてくるはずのものを持ち帰ってきていた。 先週の調子が出ない様子の頂点を極めたという感じ。(--;)

息子が起きてきたので、続きはあとで。(で放置されているものも多いけど)

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運動会終了
2005/05/28(Sat)
昨年は最下位だったので、今年は最下位だけにはなってほしくないなあと。(毎年組は変りますけれど)。
 午前中は1位だったのに、午後から不調で2位に落ちてしまった。でも、最下位脱出でよかったよかった。

 ふときがつくと今日は10年目の結婚記念日でした。すっかりわすれていましたよ。

写真は、夫と結婚前に行った植物園で夫が購入した 錦晃星。
「そだててくれる?」と聞かれ、「自分の植物は自分で育ててね」と突っぱねました。(^^;)ゞ。結局結婚して私が世話をしています。(^^;) 強い植物だから枯らす心配がなくてよかった。 大株になったものを、先日株の更新をかねて小さな苗にわけました。
丁度10年だものね。 新たな気持ちで。
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とりあえず
2005/05/28(Sat)
昨日は色々事件?(おおげさ)があってむちゃくちゃ疲れた一日でした。
考えたこともいろいろ。
今日は運動会。朝から弁当つくっています。明日は息子代休。書くことがあるけれど、時期をのがして書くことわすれてしまいそうな気も。
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こんなところに、ポーションが?!
2005/05/27(Fri)
 タイトルがお分かりになる方は、多分私とおなじゲーム経験者だと思います。

今朝知ったニュース。
文化庁、アイコン無断使用認める アップルに謝罪
文化庁の著作権関連Webサイトに表示されていたイラストが、Mac OS Xで表示されるアイコンにそっくりだった件で、同庁は5月26日、無断使用だったと認め、サイト制作の委託先を通じてアップルコンピュータに謝罪した


著作権関連のサイトでということは、ニュースにすることで、著作権を広く皆に浸透させる目的だったのかな> んなわけなーい!  いつもながらにオソマツ。
 委託先の担当者。ばれないと思ったのかしら?イタズラ?シャレのつもり?いやがらせ? どういう思考過程を経てこういうことをしたのかちょっと知りたいと思った今朝でした。

どんなアイコンかというと。
文化庁サイトにMac OS Xのアイコンが?
ここにも書いてあるけれど、 そっくりというよりも おなじに見えます。私も。

見つけた人は「こんなところに!」とさぞびっくりしたことでしょう。

■ところで

 昨日、ベランダの片付け中にみつけたものはまさに驚きでした。なんと こがねむしの幼虫。
鉢の中から出てきたのではなかったのが、「こんなところに!」とオドロキ。
殺虫剤を長年使ってないからいてもおかしくはないんですけどね。ゴロリと出てきたときには「キャア」というより「当たり」という感じでした。 
 (一応虫は平気なので まずキャアということはないですけれど)
 害虫ですが、とっさに「息子が見たら絶対飼いたいっていうだろうなあ」と悩んでとりあえず隔離。

 帰宅した息子に聞くと「飼いたい!」だそうで。ベランダに飛んで見に行きました。
幼虫を見た息子に「多分こがねむしだとおもうんだよ」といっても、カブトムシやクワガタムシへの期待がまだ残っているみたい。
 私もこの手の幼虫はかったことないからなにになるか見届けたい思いもあり。
多分飼うと思います。


ここに幼虫の写真を載せようかと思ったのですが、苦手な人もいらっしゃるかと。
リアルで遊ぼうに載せましたので ご覧になりたい方はリンク先でご覧下さい。

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五月病?
2005/05/26(Thu)
 とりあえず元気に動いている私だけれど、今度は 息子がいまひとつ調子が出ていない様子。
丁度、クラスが新しくなったのが4月。慣れてきたときに 五月連休。そうして一気に運動会へ突入(今週末) 。運動会にむけて毎日練習。 おりしも、サッカークラブも公式戦。 公式戦となると練習も休めない。(試合に出る出ないは別にして)  疲れているんだろうなあと思いながらも、今年は担任の先生もやる気まんまんで宿題も毎日たんまり出る。

 息子はへたり気味の様子。  大人でもへたるときがあるからと思ってはみるものの、大人ならば自分で持ち直そうと思うけれど、へたったままになってしまっても困るなあと 親の悩みはつきない。

 よく考えてみると、なんでこの時期に運動会やら公式戦やら重ねるんだろう。季節は良いことは良いけれど、子どもへの負担は大きいような気もする。今週は運動会の次の日が試合。
元気をもてあましている子ならそんなの「へでもない」かもしれないけれど、もともと 「虚弱体質の丈夫」の息子にはきつそうだなあ。

 そんなときには勉強の方にも力が入らなくて「だらだら」する事もおおく、私も小言をいうことになる。ふー。 子どもの体力やら気力やらをみながら調整をとるのが親の仕事だと思うけれどこれは結構難しい。 

「教育の結果はすぐには出ません。」と先生がおっしゃってたことを思い出しながら、今すぐに結果をもとめないように私が気持ちを落ち着けて接しないとなあ。
 効果に対して意外にせっかちだった自分に気がつく。 のんびりやだと思っていたのだけれど。

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外に向かう
2005/05/25(Wed)
 気持ちが内にむかっているときは、いろいろと考えつくしていたのだけれど、今丁度気持ちが外に向かっているので、 思いついたことなどを言葉にしてここに書き出す前に次にやりたいことに気が向く。

 じっくりと気持ちをおちつけて掘り下げる時間がとれないという感じ。 そうこうしているうちに「あ!」と思いついた話題は どこかに消え去っているような気もする。

 先日から、2,3度衣装ダンスの近くで 小さな甲虫を見かけることがあった。マズイ。衣類に虫がついているかもしれない。 今日やっと防虫剤をみてみたら、1年有効の防虫剤に「おわり」のしるしがついていた。 いつ取り替えただろう。 日々の生活に精一杯できがついてなかった。
 とにかく、防虫剤を購入することと、 衣装ダンスの中身を総点検する必要がありそう。

こんなことが今やらなければいけないこと=最優先事項としてある。 虫に喰われてなければいいけど。。。orz

■おいおい書きたいとおもっていることをかいておこう

先日はPTAの研修会で ADHDの理解と対応という講演にいってきた。ADHDだけでなくいろいろな面で子育てに参考になることが多かったので、今の最優先事項が終わったら書きたいとおもうところ。

 というところでふと気がつく。

この「やりたいこと、やるべきことが気になって思考する間がない」という感じ。
これがADHDでいう多動性というのに似ているのかもしれない。 通常はこういう状態がずっとは続かないし、自分である程度コントロールできるのだけれど、 このコントロールができなくなった状態であるといえるかもしれない。

 もっと身近な例をあげると、例えばあがり症の人が 数百人の人の前で壇上でしゃべらなければいけない。その直前にごちゃごちゃしたことをはなしかけても、たぶん日頃のような答えは返ってこないのではないかとおもう。 それは意識がしゃべらなければいけないということにむいているからだと思う。   

 たとえば、落ち着いて話がきけない子がいたとして、その子の気持ちをどのように「今やるべきこと」に向けていくかというのは この辺にヒントがありそうにもおもう。

さらっとだけ。 では、家事にいそしみます!
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空(くう)
2005/05/24(Tue)
 先日、区民館でPTAの集まりがあった折に、空いた時間があったので同じ建物の中にある図書館に寄ってみた。ネットをふらふらしているときに、みつけた本「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を書架に見つけた。 陰陽師で売れに売れた? 夢枕獏の本である。
 とはいっても 図書館には一巻はなく2・3巻があるという中途半端な状態。

てっきり、陰陽師のように中でエピソードが別れているものとおもい、あるときにかりておかないとなくなっちゃうかも。 とおもいつつ 2,3巻を借りた。 

 持ち帰り読んでみると、話が中途で始まっている。失敗。 しかし読み進むうちにそれはあまり気にならなくなってしまった。(多分、今後1巻を読むことはなさそうに思う)

唐の国にわたった空海と逸勢が、怪異を追ううちにひとつのエピソードに行き着くという話だ。
空海と逸勢の 阿吽の呼吸が つい陰陽師の晴明・博雅とかぶってしまうところがちょっと気になったけれども、それはそれで良いのかもしれない。

 なによりも、豪華な顔ぶれが良い。「あの人も」「この人も」というまるで 映画リーグオブレジェンドの東洋版とでもいうような 歴史や古文漢文で有名な方々がこれでもかというほど出てくる。それがまるで「知り合いの冒険談」を読んでいるかのようでとても楽しい。

 分厚い本で、漢詩などが出てきて一見とっつきにくいかとおもいきや、内容はアニメ 犬夜叉 を思い出すような 冒険物。(犬夜叉のように妖怪が出るわけではなく 呪詛が主なところは 陰陽師と似ているのかもしれない) 展開を待ちきれずにさくさくと読みすすめることができるので4巻といえどもあっという間に読み終わることができるとおもう。

検索してみると
沙門空海唐の国にて鬼と宴す夢枕獏氏インタビュー(楽天ブックス)
1987年の執筆開始からここまでなんと17年。原稿用紙2600枚の量を費やし、堂々の完結である。

とのこと。

 3巻の中ほどで空海が逸勢に「お前は誰だ」と尋ねる。 お前を逸勢としているものは何か?という話になり 体が逸勢であれば 屍体があるとそれは逸勢かとのやりとり。
「そうだ。人は、おまえの魂のことを橘逸勢と読んでいるのだよ。」というくだりがあった。
先日このロバミミの日記をつけるという記事を書いたときに考えたことと妙に符号していることに 偶然の妙を感じた。
 この中で語られている思想というのは 日本人の私にはとても受け入れやすい思想だなあとつくづく思ったのであった。

 ネットで4巻の予約を入れていたら、昨日「予約本の準備ができました」というメールが来た。
近々最終巻4巻目をとりに言ってこようとおもう。

■余談

 蠱毒(こどく)という呪詛が出てくる。 沢山の小動物をひとつの壷なりなんなりに入れて共食いをさせ、生き残ったものを術に使うという。 「こどく」を初めて知ったのは 犬夜叉で。 本当にこういう呪詛があるのだとは知らなかった。 高橋留美子のすごいところはこの辺にあるんだなあと妙に納得した。

 もちろん、夢枕獏さんの力量を「なるほど」と読んだ場も多い。これだけのものを書くときにどれだけの予備知識が必要なのか。また文献の調査も大変であったろうと思う。文字通り大作であるとおもう。 そういうストーリーを作る部分以外にも きめ細かな表現力も忘れてはならない。 たとえば、病にふせっている順宗皇帝の描写に 豪奢な金糸銀糸の刺繍の入った衣服につつまれてはいるが、かえってその肉体の精気のなさがよく目立っている。とある部分、やつれぶりが衣服との対比で生き生きと描かれているように思う。
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捨て鉢
2005/05/23(Mon)
 気持ちの良い朝です。なんといってもベランダが先週とは違う。 まだまだ空いた鉢がころがっているけれども、ベランダの端から端まで歩いていけるようになりました。

 そうなんです。いままでは歩けないくらい鉢でうめつくされていたんです。
そうなってくると水をやるのさえ一苦労。そのうちにベランダは開かずの間もとい開かずのベランダとなり果てていました。

 そう、私なら書きそうな題で「またかよ」とお思いでしょうが、題の捨て鉢は 「やけくそになる」の意味の捨て鉢ではなく、 本当に沢山の鉢を捨てたから 「すてばち」

そもそも、捨て鉢の鉢は、 植物を植える鉢ではなくて 層尼がもっている托鉢などににつかう鉢でしょうね。 おはちが回るっていうのも植木鉢ではなくて 上でいう鉢なんだろうな。
と植木を回している図を想像してふふふ。(^^)

 そうです。大量の鉢を捨てました。思えば園芸から気持ちが離れる少し前の頃が一番意味不明な行動をしていました。 もう置き場がないのに植物を購入したりその植物を植えるために鉢を買ったりしていました。 昨日壊れてもいない大量の鉢を捨てながら「あの頃はなんであんなに欲しかったのだろう」と不思議に思います。 ベランダや自分の「分をわきまえず」にただただ熱病にうかされたように興味を持った植物が欲しかったんだと思い起こしました。
 その頃に購入した鉢をほとんど捨てました。 全部捨ててもまだうちのベランダには多すぎる鉢の数が残っています。 これもどうにか折り合いをつけてこれから捨てていくつもりです。

夢からさめたように冷静に植物に接することができるということは 私にとってはすごく嬉しいことのように思います。 

 とはいっても昨日は100%あるうちの10%くらいしか片付いていません。 だからよく気をつけてみないと「どこが違うの?」と間違い探しのような状態。 それでも自分からみるとどこが変ったかわかるし、「じわじわと片付ければいつかは片付くぞ!」という気持ちになったことが何よりも大きいと思っています。

 今日は朝からハイシャ。これについて つらつら考えた事があるけれどおいおいまとまったら書こう。

画像はカランコエ・プミラです。 ところで、最近エキサイトさん、画像UPしようとすると小窓が出て、そこでログインが必要なことって多いのだけど。。。私だけ?
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サイリウムに翻弄される
2005/05/19(Thu)
■発端
 先日、私が留守をした日に息子と夫は「カップやきそば」を食べたということだ。一年に1,2度カップやきそばの 「いかにも」という作り物の味をたしかめてみたくなることがある。
 私も「やきそば」たべてみたいと思った。

「カップやきそば」は、食べてみると決しておいしいものではなくて、とてもジャンクな味がすると思うのだが、そのジャンクなまずさ具合というのが妙に癖になると思うのだった。その時に、「最近はインスタントラーメンはおいしいのだろうか?」という話になった。 インスタントラーメンはここ数年食べていない。 進化しているだろうか?それとも お湯をそそいでというつくりなだけにやっぱり「それなり」なジャンクな味なんだろうか。そんな話をしたのだった。

■インスタント麺
二三日前に、夫がインスタント麺を2種類かってきてくれていた。昨日昼はなんとなくそれをたべてみようかという気になった。丁度ご飯も切れていたし。
 早速お湯をわかしてどちらをたべようかと物色してみたら、やっぱり気になるのはカロリー。
カロリー低めで いかにも健康によさそうな 健多郎という名前のラーメンにすることにした。
 作り方を見ると 乾燥した具を乾麺の上におき、お湯をそそいで4分。最後にスープを入れてできあがりらしい。

 食べてみると、麺はしこしこしていて 私が思っていたインスタント麺とは違うような結構おいしい食感だった。ダシは私にはしょっぱくてとんでもなかった。ほとんど口をつけずに具と麺だけたべておしまいになった。
 
 作り方を読もうとしてカップ外面を見たときに気になる記載がちらりと見えた。「サイリウムに直接触れる事のある方はアレルギー云々」という記載だった。

 サイリウムって? アレですか? 薬剤を混ぜると 蛍のように光る?
あれに直接触れる人はアレルギーになるってなんで、なにがどうしてそんな風になるの?
私は直接触れないけれど。

■サイリウム
気になって今朝 検索してみました。 
健多郎というのは、低カロリー&健康をウリにしたカップ麺らしいのです。 さらっとカップを見たときにはわからなかったのですが、「不足しがちな食物繊維」とあるのがどうやら 「サイリウム」と関係があることがわかりました。
 ここでいう「サイリウム」とは 最近ダイエット関係では常識?となるものかもしれません。ネットでも沢山ひっかかります。
 オオバコ科の植物 らしく 種皮が水を含むと膨らむ性質を利用して、食物繊維として摂取し、満腹感を得るという効果も期待しているらしいのです。
サイリウム説明
サイリウム
サイリウムの入ったダイエット食品例
サイリウムの説明が下部にあるダイエット食品

同じく日清食品には 健多郎よりももっと直接的に「サイリウム麺」なるカテゴリーもあることがわかりました。

ここでいう オオバコ科の サイリウムは (Psyllium) と記載するらしいです。
日本で売られているオオバコダイエットと名うったパッケージは 日本のオオバコの絵が描かれているものが多いのですが、検索してみたところ どうやら見かけもちょっと違うみたいじゃないですか

Psyllium

こちらの写真はオオバコの面影をのこしているように見えます。でも、ほかの写真をみてみると、この写真ももしかするとサイリウムの写真ではないかもしれません。

こちらの写真は別物に見えます。

こちらの絵と上の写真は似ているように見えます。

とにかく、サイリウムの正体は 「オオバコダイエット」として知られている サイリウムという植物の種皮であったことがわかりました。

■それじゃあ 光る方のサイリウムは?

気になるのは、では蛍のように光サイリウムは なんなの?
おなじ疑問をもたれた方のページにヒットして、あっという間に疑問が解決
サイリウムの正体

つまりCYALUME  サイリュームという。名前も別物であったことが判明しました。なーんだぁ。

サイリウム
こちらもサイリウム

■意識しているしていないに関わらずオオバコダイエットの効果?

 ここまで調べてはっ!としたことが。
今朝おきてから私「夕べはお腹が痛くて夜中に目が覚めちゃったー」とはなしたことを思い出したのです。

12時から13時頃  カップめんを食べる。しかし、スープがしょっぱすぎてほとんど飲めず。
14時頃  息子帰宅。宿題などを見て 例の黄色いバケツを読んで欲しいとのこと。
       読んでいると息子は寝てしまう。
15時頃  私も眠気を催してきたため、眠気覚ましをかねておやつをつきあいがてらコーヒーを飲む事にする。
16時頃  苦しいほどの膨満感で 「どうしたんだろう?」と。 思い出してもコーヒーしかのまなかったので、調子が悪いのかしら?とただ思い、スイミングの付き添いへ。
帰宅後、宿題の残りやらいろいろー夕飯ー就寝へ。
夜中1時頃。 腹痛で目が覚める。 おなかの調子が悪い。下痢かとおもいきや、違う。不思議な症状。トイレで腹痛に苦しむ。(尾篭な話でごめんなさい) 食べたものを思い出してみたけれど、これといって、原因となりそうなものは思いつかない。それに症状は私だけ。

どうして調子が悪いのか皆目見当がつかないけれど、とにかく落ち着かないお腹を抱えて眠る。 結局今朝まで調子が悪いのを引きずる。


 ということがあったのでした。 これって、もしかしてサイリウムの仕業?

たぶん、カップめんを食べたときにスープを飲んでそれによって膨らむ予定のサイリウムが膨らまず、お腹の中に。 そうして眠気覚ましのコーヒーにて むくむくとふくらみ、第一段階。その後夕飯で水分摂取(お味噌汁も飲んだし) そうしてまたサイリウムがむくむく膨らむ。その後のお腹の調子の悪さは たぶん、サイリウムの便秘解消効果ではないかと。

 私は便秘体質ではないので、余計苦しかったのではないかと思われます。いやーしんどかった。

そうそう、アレルギー云々については
サイリウム種皮、サイリウムシードガム等サイリウムを含む食品又は添加物によるアレルギーの報告について

 アレルギーについては、日常的に接しているものでもそればかりを扱っているとアレルギーになる可能性は否定できないので、とりたてて サイリウムだけを怖がる必要はないとおもう。
 
たぶん、カップへの印刷は
必要に応じ、アレルギーの発生に関する情報提供を行うなど適切な措置を講じるよう関係営業者に対する指導をお願いする。

これが効いているのかと。

しかし、お腹の調子わるさは ちょっとコリゴリ。 やっぱり食べ物は、普通のものの方がいいやー<当社比

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100円マック
2005/05/18(Wed)
おさわがせいたしましたが、事件は無事解決。通常のpon家に戻っています。m(__)m
夫は私がいっぱいいっぱいだったということには気づいてなかったそうで、非難するつもりではなかったのだそうでした。>私が疲れてひがみっぽくなっていたってことかな?

今日は昨日あったことを書いただけでーす。

■午前のミッション

 午前中に件の受け取りに行き、無事完了。  ついでにその近くにある小さなデパートをさらりと見たけれど あまりパッとしない。 欲しいものというのが沢山あった頃もあったのになあ。流行も一回り以上して  どれにも新鮮味がないということかなあ。

 まあ、ムリに無駄遣いする必要はないので、「欲しいものはなかったデス」ということでさっさと帰宅。 この駅は沿線でもかなり人気の駅だけれど、どうしてそんなに人気があるのかいまひとつわからない。駅前も住宅展示場でだだっ広いし、デパートの規模も品揃えも中途半端な気がする。 きっと客も減っているだろうなあ。私鉄路線ができた頃は田舎だったので寡占状態だったかもしれないけれど、今は 近場にもっと充実したショッピングスポットがあるもの。
 伝説の「元祖金妻」のイメージが効いているのかもしれない。

■午後は眼科

さて、帰宅してから息子が帰るのを待ち、今日は眼科へ。
学校から「アレルギー性結膜炎」との紙をもらってきて受診をするようにとの指導。
一番近い眼科はいまひとつなのでいつも電車で2駅徒歩10分の眼科へ行っていたのだが、隣の駅の徒歩3分のビルに眼科があるのを発見したのでそちらに行ってみることにした。 息子は「はやくかえったら遊ぶ約束をしてきた」というので急いで出発。

 ところが、その眼科はとても流行っていて待合室が一杯。 「すごい人気だなあ。長くかかりそうだなあ。失敗したかなあ」とおもいながら問診表を書こうとして、受診理由でつまづく。
アレルギー性結膜炎の 膜の字の 「にくづき」がなんだか違うような気がして、字をどわすれ。結局「膜」とかいてどうにもおもいだせないので 上に (まく)と読み仮名を書くというなんとも 恥ずかしい状態。落ち着いて考えたらあっていたじゃないかー。(--;) 一瞬ひらがなで 結まく炎と書こうかと思ったのだが、それではあまりにも。。なので あやふやな字をそのまま書いたのだけど、あっていたのだったら 読み仮名はかかなくてよかったのにー。と orz
数人後に来た人が「どれくらいかかりますか?」と聞くと「あと一時間くらいは見ておいてもらった方が」とのこと。 息子は「くるんじゃなかったー。くるんじゃなかったー」とぶつぶつ。
友だちとあそべなくなることが気になっている様子。しょうがないよー。

 結局1時間は待って診察。「アレルギー性結膜炎ではありますが、治療するほどではありません」とのこと。 そうだとおもいました。今は花粉もおさまってきているので症状もほとんどないんです。 でも、いままでかかったなかで一番納得できる診察結果だったので、人気の理由もわかったような気がしました。 きちんと診察してくれていたし。 
 待合室で息子は「まあ、かわいいおこさんねー」とおばあさんに声をかけていただきました。教師をされていたそうで、子どもがお好きなのだそうです。そういえっていただけるとやはり嬉しい親心。

■体操服を買いにいくはずが寄り道

途中でマクドナルドが見えて「マクドナルドにいきたいー」というけれど、これから夕飯だからー。「そんなに食べてたら太るよー」というのは本当は私に。息子は多少食べても育ち盛りだから太らないだろうな。 「3ヶ月に一回くらいは行こうよ」と息子。そういえば、マックへは3ヶ月に一回も行ってないかもしれない。

さて、ついでに体操服も買う予定だったので、そちらに回ります。途中で花をみかけたのでちょっと寄り道。 シシリンチウムの青が濃いものが売られていました。以前いただいたシシリンチウムを枯らしてしまったので 「欲しいなあ。買おうかなあ」と思いながら前に立っていると、
そこでも別のおばあさんに話しかけられる息子 「いろいろおしえてくれてありがとうね」などと まるで巣鴨のお地蔵さんのようにおばあちゃん達に人気の息子です。
 180円でした。もうひとつのは200円でイエローストーンとちゃんと名前がついていました。

 最近近所でもニワゼキショウが花盛り。ニワゼキショウよりも一回り大きくて綺麗な青です。その青に引き込まれるように購入。

続いて マツキヨへ。 ネイルシールが見たかったので。ネイルシールを物色しつつ息子はおやつを物色。チョコレートを購入。 昔ながらの明治と森永のチョコレート。


くらがりで撮ったシシリンチウム

■100円マック
それから体操服。 体操服はもうドウでも良くなった息子。私も疲れた。帰りにマックの前を通るとむちゃくちゃおなかがすいてきて、今から夕飯であっても食べたいと思い始めて結局マックに入る。 息子はいつも「テリヤキ」私は噂の100円マックのチキンバーガーというのを頼んでみた。 100円にしては結構イケル。スパイスがきいていて中途半端な調理パンよりはおいしいのではないかと思いました。チキンはちょっと「チキンハム」という感じのものでした。
 飲み物は コーラとアイスコーヒーを注文 これも双方100円みたい。 ところが、アイスコーヒーを飲むと生ぬるい。氷がはいってない。「アイスコーヒーって氷はいってるんじゃないかな」と思ったけれども良くわからないので我慢して飲んだ。 息子はテリヤキチキンを平らげてコーラを飲んだとたんに、 「ママ、このコーラ、ヘンな味がする」という どれどれ と飲んでみると ウーロン茶だった。 レシートをみると ちゃんとコーラになっているので 先方が間違ったようだ。 多分コーヒーが生ぬるかったのも氷の入れ忘れだったのだろうなあ。

 どうしようかと思ったのだけれど、注文が列になっていたので並びかえして取り替えてもらうのも面倒になってしまい「ウーロン茶の方が健康にいいよ」とか適当なことを言って我慢することにした。 息子はガッカリ。

それでも目的は全部果たして帰宅したのでした。 めでたしめでたし。
あ、息子は友だちとあそべなくて ブツブツでした。

荒れ放題の庭(ベランダ)にも今はバラが咲いてます。しかし、皆明るい方をむいてさくので、いつも後姿ばかりをみています。
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うしろめたいこと
2005/05/17(Tue)
 前のエントリーの間接的な原因はコレではないかと思うのだった。

つまり、飲み会やら会合やらがつづいてしまったこと。
5月の第一週は歓送迎会だったし、今週の20日には PTAの顔合わせがあるので、夫に無理をいって半日休暇をとってもらっている。(しかし、この二つは 楽しみというよりも はっきりいってツキアイの飲み会)

気分転換になったのは、先週の土曜日お誘いいただいて 素敵なお宅を訪問したこと。バラとデザートで楽しい時間を午後一杯すごして帰宅した。こっちは、ムリかなあとおもいつつでも、一年に一度しかチャンスがないし、はじめてお誘いいただいたしなどの理由があっていろいろ考えた上での参加だったのだから。 

 楽しかったし、その後いろいろなことにも意欲がわいてきて少しベランダ片付けの意欲につながってきたので、行ってよかったと思っているけれど、でも心のどこかでは後ろめたい感じがある。

 半日私だけのために使ったということもそうだし、こんなに家事がきちんと回ってないときにということもあるし。そのほかにも。

私が 「私一人だけ楽しい思いをしてしまって すまない」と、一抹のうしろめたさを感じていると「これについて、何かおもわれるんじゃないだろうか」と僻みっぽくなるのかもしれない。

 結果的に家族にも自分にも 周りにも良いことだと認識されているのだったら問題はないんだけど。



「家族に悪い」とかなんとかを抜きにしたら、それは素敵な集まりでした。気持ちの良い人達と楽しくて気持ちの良い時間がすごせました。
 普通に生活していたら 多分お会いできなかったとおもう 某雑誌の編集長さんも隣の席でお話を伺えたし。

 「うしろめたい」といっても、迷惑メールにあるような 人妻がなんちゃらとかー。そういう類のことではぜんぜんありませんから!  ただ単に、私だけが息抜きしてきてわるかったなあとかそういうこと。それを期待して検索で来られた方には申し訳ないですが、 残念!

ふと、考えたら 夫も「定例会」なるものがあったりするのだしたまに私がそういう集まりに出てもそれはそれで後ろめたさを感じる必要はないかもー。しかしこう続くと夫にもストレスだよね。 
  私も、夫の「コーチ会」は「勘弁だよなあ」と思ったもの。<こっちはこっちできちんと時間通りに終わるということがないからという理由が私としてはあるんだけど。夫はこれはツキアイの飲み会の方にはいるのかなー。

 ここのところ 外に出ることが多かったことは申し訳ないと思っています。>pon1さんへ
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喧嘩
2005/05/17(Tue)
 夕べは久々に喧嘩?になった。
といってもいつもうちの喧嘩は不発。私がいじけておしまいになるんだけど。発端は、3月に母から送られてきたもの。4月までに手続きしろとのことだったので、あの頃も十分いそがしかったのだが、やっとの思いでギリギリに手続きに出かけた。 そうして受け取りは4月20日頃とのこと。
 4月から5月(先週まで)はむちゃくちゃ忙しかった。まるでマラソンのようだった。皆さんは長い距離を走るときどんな風に走るだろう。 足だけを見て走ると知らないうちに長い距離が走れるという人もいる。 私は、一番近くの電信柱まで行こうとおもう。そこまで走れたら次の電信柱まで走ろうとおもう。 そうやって自分をだましだましはしる。
 何よりもストレスなのは、仕事の全体像が見えてこないこと。自分の裁量で仕事のやりくりができないこと。会社ならば企画があって それにしたがったスケジュールを自分でたてて 多少のことは自分で調節できる。いつまでが一番忙しいかもわかる。 ところが、このPTAとか学校とかいう用事はある日突然 小分けされた「ミッション」として短い期限付きでやってくる。1,2週間先の予定 「○月○日 何時にどこにいきなさい。」「○月○日までに、この教材をそろえて学校へ持ってきてください」「○月○日までに受診してその返事を学校に提出してください」 と、ばら撒かれた雑草の種のように私のカレンダーのあちこちに芽を出す。 そうして「やらなければいけないこと」は一週間単位で 「来週までにコレをしてください」と私をしばりつける。

 コレが終わったら。コレが終わったらと思って次の電信柱まで走ると終わると思っていた道が延々と続いているというかんじ。
さすがに先週くらいに「正直 これ以上続くともうだめかも」と思っていた。

19日から連休前まで私に割り当てられた用事がなかった日は、たしか一日もなかったし、連休中の登校日 2日と9日も学校へいった。家にいればいたで、PTA関連の電話ががんがんはいってきたし、やっとゆっくりできると思っていた日も息子が友だちを連れてきたりという日がつづいて正直くたくた。
連休があけて先週 10日と12日に学校。11日と13日にやっとやろうと思っていた家事の氷山の一角に手をつけたところだったのだ。

 とにかく、私は一杯一杯だったのだ。 その受け取りにまだ行っていないということを昨日はなしたら「どうしていけなかったんだ?」「あんなに近いのにいけない原因は何なんだ」と夫に非難された(とおもった)。 あれだけ私が一杯一杯で毎日学校やらなんやらに行っていたのをわかってくれていると思っていたのに、ただ単にさぼっていたのだと思われていたのかと。「私のスケジュール表をみたらわかるはず」とひとこと言ったけれど。あまりに悲しくてなんと言われたかもうわからなくなってしまった。

今朝まで気持ちを引きずったけれど、私の中には「これはサボっていたのとは違う」という思いが渦巻いていた。

夫からみると、「体調がわるくて動けない」のも「勝手にPTAの仕事を安請け合いしてきて動けない」のも「単にさぼっていて動かない」のも結果的には一緒かもしれないけれど、私の頭の中では断じて「単にさぼっていて動かない」んじゃないという思いで一杯になった。理解されていないという思いがとても悲しかった。 これから少し好転していくと思っていたのに。

■さて
こんなことがあったのだった。 この喧嘩という題名でpingをうつと、その題名にひかれて見に来る人も多いかもしれないなあ。

■過敏になっている私
今朝 上のような私なりの状況(わかってくれてないっぽいなあとおもいながらも)を夫にはなしながら、まあ、夫も私を心配してくれていたのかもしれないとやっと思うことができた。 思い出してみると 「そうだよ。あの列車事故でさえ、夕方まで忙しくて知らなかったんだよ。 そうだよ、先生の自殺もまったくしらなかったんだよ」 だ。 家にいるから、会社をやめたから暇というわけではない。

 先日、頂いた葉書に「今学年もお忙しい生活ですか」と書かれていた。 はっきりいってすごく忙しい。  会社にいた頃の方が忙しいはずだと今朝も夫は言ったけれど、 それは比較にならない。 だって、私は 息子の世話をするために家にいる。 いつも「ひとりでゆっくりしたい」と思うし、「今日は息子が友だちをよばないでいてくれたらいいな」とか「息子が一人で習い事にいってくれたらいいな」とか「息子の勉強やら、宿題やらを見るのは面倒だな。一人でさくさくやってくれないかな」と思う。 でも、それが私の仕事だし、手を抜こうとおもったらいくらでも抜けるとおもうけど、塾に行っていない分、息子が勉強でつまづくところがないか把握して、つまづいていたらそこをわかるように指導して。。。というのを 第一にやってきてるんだよなー。

 私だって、たまには息子ほったらかしで「どこにいったか」「なにしてるか」気にせずに何かしたい。でも、それができないんだよ。

 夫も今とても忙しい。とにかく自分の言いたい事(弁明?)を言ったらやっとそこまで考えが回った。ここのところそのヘロヘロで家事もうまくまわっていなくてその忙しい夫に迷惑をかけているところも反省した。 たしかに私の中では理由があったけれど、それでも 息子のことやら家のことやらがないがしろになるようなPTAでは本末転倒。なんのために家にいるのやらだ。  

  忙しくて追い詰められていた私は、葉書にあった言葉が「もう2年生だし、会社をやめたんだからそんなに忙しいわけないでしょう。」と言われているかのようにとれた。僻みっぽくなっている証拠だとおもう。そんな状況だから、夫の言葉に過敏に反応してしまったのかもしれない。

 深呼吸をして、ゆっくりと自分のことを振り返り 自分でも嫌だと思う生活を 小さなことからでも「快適」なものに戻していきたいとおもう。 引継ぎの時期がもうそろそろやっと終わる。 今月が終われば PTAの仕事も本来の仕事だけになるのだろうと思うから。

■今日思ったこと

※ 自分と比較して「あの人はらくだ」とは思わないでほしい。「あの人にはあの人」の理由があるかもしれない。 「あの人」は「私」ではないから絶対に忙しさの比較はできない。  口にはだしていなくても目にはみえなくても「あの人」には「あの人」の理由があるかもしれない。

 こんな風に思ったけれど、私もそう思いがち。だって、PTAをやっていないお母さんは楽だろうなあなんて思ってしまうもの。 こんな風に思え始めたら要注意。自分が疲れていないかどうかチェックして、まず自分の生活を立て直そう。 
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黄色いバケツ
2005/05/16(Mon)
 ただいまあ。と帰ってきた息子。疲れたといいながらいつものように。
「宿題をやりなさい」と声をかけると音読の宿題に手をつけた。今日は教科書の「たんぽぽのちえ」を読むのが宿題なのだそうだ。 
 一人で読んでから隣に座って パラパラと教科書をめくって

「ママ、これまた読んでくれる?」と。
差し出したのはこくご上巻の巻末にある「黄色いバケツ」。 教科書をもらったばかりのときに一度読んでやったものだった。
「いいよ」と読むことにした。息子はすっかり私の隣によりかかって座って頭を私の腕の付け根のところにおいて神妙に聞いている。
 こんな風に隣で話を聞かせてやれるのはあと何年くらいなんだろう。見下ろす位置にある髪の毛がいとおしい。子ども特有の清潔そうな日向のにおいがする。

 黄色いバケツは何回読んでも、きつねの子の黄色いバケツに対する思いがせつないほどつたわってきて読む声がつまってしまうお話しだ。
 息子はどんな風にこのお話しをきいているんだろう。 きっと「もういちど読んで」というから彼は彼なりにこの話が好きなんだろうなあ。

 お話しを読み終わったときには、息子は眠ってしまっていた。学校でなにかあったのかなと心配しながらも、多分眠りからさめたときには元気な息子に戻っていることだろうと思っているところだ。

検索したらこんなページにヒットしました。
  この物語の絵を描いたつちだよしはるさんについてのページのようです。

 後ろの方に ◇子供から学ぶ作者の謙虚な心◇  ロングセラーの周辺(読売新聞) という記事が引用されています。
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日記をつける
2005/05/16(Mon)
 小学校1,2年の頃pon1は毎日日記をつけていたそうだ。私はといえば、日記が続いたためしがない。日記を書いているという友達の話を聞いて「ことしこそ」とおもっても全く続かず文字通りの3日坊主。しかし、このネットにだらだらとおもいついたことを書き綴るのはわりと続いていることにわれながら驚く。

 なぜ続くのだろうとあらためて考えてみると「無理に毎日続けない」これが第一にあるような気がする。次に 誰かに読んでもらうことができる。こちらが大きいかもしれない。 日記帳に書く日記とはプライベートなもので、自分が読むためにつけておくことが多そうだ。 思春期になると「日記を読んだとか読まないとか」で親ともめごとになることもありそう(それは古い?)ネットでは自分の考えを書いておくと色々な人が情報をくれたり、考えをコメントしてくれたりして自分の知識や考えも広がることが多い。それが楽しい。 (それによって、トラブルになってしまうという危険性ももちろんあるけれども)また、キーボードで打てるのも幸いしているように思う。文字を一文字一文字書いていたらまどろっこしくてそのうちに書きたくなくなってしまうことも多い。 頭から出てきた考えをだらだらと垂れ流しながらキーボードを打っていくという作業はわりと楽だし時間もとられないから。だから続いているような気もする。

 私がネットに日記をつけはじめてもう4年目に入ったところだということに驚く。つけ続けてみると「ああ、なるほどこんな風に考えていたのか」と読み返してみたり、 「以前こういうことを書いたような気がする」と検索して 「この頃に書いたのか」とわかったりと自分にもおもしろいものだ。

■思考を記録する

 人というものを考えてみたとき、「その人」を形づくるものすべてをパーセンテージであらわすと仮にしたら、一番大きな部分を占めるのが その人の「キャラクター」というか「人格」というかその人の「思考」ではないかとおもう。 よくSFなどで物語や映画になっていそうなテーマに「見た目がそっくりでも、相手は人格に違和感を感じて この人じゃない!」と思うというシチュエーションがありそうだ。
 たとえばなんらかの理由で 見た目が大きく変ってしまった人がいてもその人はその人として認識されるだろうし、 思考がまったく変ってしまったら「別人のようになってしまった」と形容する。

 あった瞬間に人は「見た目」や「第一印象」で判断されるパーセンテージも大きいのだが、じっくりとつきあっていくにしたがって 「外見」のウエイトは低くなり 「思考」のウエイトが大きくなるのだろうかと思ったりした。

しかし、この思考というのは 目で見えない。耳にも聞こえない。私が今この瞬間考えていることは、生物学的にはたぶん、微細な電流やら何か物質の流れであったとしても私の考えそのものではない。 私を私たるものとして形作る「思考」というのは私が口に出したり、行動したり、文に書いたりしないとほかの人に伝えられないものであるということ。 つまりそう考えると、この日記というものは、「私が生きて、なにかを考えている」という毎日毎日その瞬間の記録であるわけなんだなあと思うのだった。

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勧誘電話
2005/05/13(Fri)
 勧誘電話がかかってきた。
先物取引ですって。(^^;) こういうのが嫌いな私がやるわけがない取引なので、聞いたとたんに断るのは明白なんだけど、怒って電話を切ったり相手から悪態をつかれたりするといやな思いが残るので、私はいつも私なりに勧誘電話を断るパターンがあるのです。

 そのパターンとは
1)相手がとりあえず話しの切れ目までしゃべるのを待つ。
2)AですかBですか という自分の土俵で選択肢をだされたとしても選ばない。
  (たとえそれが りんごとみかんどちらが好きですか?ときかれても相手の質問のペースを乱して断りやすくするために、それは答えずに、「今回お電話いただいた件については興味がありません。「いりません。」「おことわりします」などとその質問の場で断る。
3)あくまでも言葉遣いや雰囲気は丁寧に

のようなことなのだけど。

これには私なりの考えがある。
たとえ、電話勧誘の相手であっても 話の途中で突然罵倒されたり怒られたりすると気分を害する。 勧誘電話をかけていると自分で意識していてもむっとするので捨て台詞のひとつでも言いたくなる事もあるだろう。 相手は「給料をもらうため」「勧誘電話という仕事」をしているわけだから、私としては「いらない」ということをきちんとつたえて、(相手がいらないというのにそれ以上話を勝手にすすめると法にふれることもある) こちらが迷惑と感じるような勧誘電話の相手でもお互い気分よく電話を切ることができるようにということなのだ。

 人間はAですかBですか という質問をされると 言いなりについどちらかを選んでしまいがちらしい。このセールストークで使われるテクニックは多分その会社のマニュアルに載っているのだとおもう。大抵の勧誘電話は ある程度説明が終わってから、すぐに 「ところで●●さんは、AですかBですか」という質問が入る。 本題と少しだけかけはなれたAですかBですかをえらばせつつ少しずつ本題に相手を近づけていくのが 人の心理をついた作戦だと思うので、 そういう話題がでたときがチャンス。その質問には答えずに 「自分に対して相手が何をすすめているか」という本題へ話しをもどして きちんと断ると 相手も虚をつかれてか、穏便に断れることも多いように思う。

さて、昨日の先物取引の電話は
「いりやばんせいしょうけん」という会社だった。まずは「奥様ですか?」といわれたので「はい」とこたえたて話の継ぎ目をまち、その後は相手がしゃべるままにさせておいたのだけれど、
今日のセールスはしゃべるしゃべる。いつまでたっても話が終わらない。電話の音質が非常に悪かったので多分IP電話だと思う。面倒になってきたのでスピーカーにして 相手の方が話している間にその会社をネット検索してみた。
入や萬成証券」と書くらしい。トップにその会社がヒットした。
もともと先物はやる気がないので、商品などは全く見なかった。興味本位で 決算報告の従業員数などを見ると、現在男性618名女性180名だということ。気になったのは 平均勤続年数。男性で3年8ヶ月だとのこと。
 明治に創業し、ずっと続いてきた会社で歴史が長いのに平均勤続3年8ヶ月っていうのはなんとなくすごいなあ。因みに女性は2年7ヶ月。

 そんなことをしているうちにも電話相手の方はしゃべるしゃべる。あっという間に一人で10分を超えた。その辺りから 「横浜には奥様いらしたことがありますか?」なんていう問いが間に挟まってきているのだけれど、スピーカーを切り替えて返事するタイミングを失ってそのままに。

 実況風に
「横浜には奥様いらしたことがありますか?」
返事ナシ
「あははー。そうですかー。やっぱりあまりいらっしゃいませんかー」
・・・
「三田明のCDをさしあげているんですが、三田明おすきですか?」
返事ナシ
「そうですかー。やっぱり、あまり欲しくありませんかー。」

と返事がなくても、相手がコチラが話しているがごとく流れるように話が進んでいくのにびっくりして、約20分。私も「もしかしたら、これって録音テープをそのままに流しているのかもしれない。それにしてもよくできた録音テープだなあ。こちらと話がかみあわなかったらどうなるんだろう」と
思い始めた頃に相手が
「それでは、資料など送らせていただきますので・・・」といい始めたから「マズイ!」と。
資料を送ってこられても捨てるだけなのだけれど、その後また電話がかかってくることになるので、ここらできちんと断っておきたい。
あわててスピーカーから受話器にきりかえて
「あの、もしもしっつ」というと。 さきほどとおなじセールストークの声で「はい」と返事があって、本当にビックリした。 「あの。失礼しました。テープではなかったのですね。」というと「はい。」と返事。「大変失礼しました。あまりにもなめらかにしゃべっていらっしゃるので、てっきりテープを流されているのかと思い、お返事せずにおりました。大変もうしわけなかったですねー。」というとあくまでもさわやかに「あははーそうですかー」 だそうで、 もうビックリです。
20分間もあれだけずっとしゃべれるなんて。ねえ。

 「奥様インターネットなどはご覧になりますか?」と、たずねられましたので、断る姿勢というのを印象付けた方が良いかなととっさに思い、
「はい。よく利用しております。今もお話くださった間に検索させていただきました。」
「あ、当社のホームページをご覧になっていただけましたか?」
「はい。そちらもですが、いろいろとネットには噂のほうもあるようですねー。(^^)」とあくまでもソフトに。

 そこで、先物には興味がないため資料送付はいりませんときちんと断りました。
相手の方も「それでは、またご縁がありましたら・・・・」などと紳士的な対応でした。

 帰宅した夫に「今日のびっくりしたできごと」を話したところ、「近くに上司がいるんじゃないのかなあ」なんていわれて「そうかもしれないなあ」と。

 勧誘電話ひとつにしても、相手の会社の様子などをいろいろ想像してみると結構楽しめるものですね。(ネタにしてしまってごめんなさいですが)
私が、やむにやまれず 電話勧誘の仕事をしたとします。(絶対私の性格上電話勧誘はできないとおもうのですけれど仮にということで)。時給でもらえるのだとしたら、沢山の電話をかけるよりも気持ちよく電話がかけられるほうが楽。 制約件数の歩合制でない場合は きちんと断ることで こちらも嫌な気分をひきずらなくて済むし、相手も捨て台詞を言わなくて済みますから その商品自体に興味がない場合は、きちんと伝える正攻法がオススメです。


 ※ 先物取引。 「儲けている人がいる」というのはウソではないと思います。 もちろん何人かは儲かるでしょう。でも「儲けている人がいる世界には損をする人もいることを忘れずに。 また、手数料というのを会社にとられるわけですから その手数料分も忘れずにね。 チョットの儲けが出たとしても手数料を差し引くと かえってマイナスになることもあるとか。そこからずるずるとはまり込んでいく人もいるということ。最初ちょっと儲かってその後ずるずる・・・ ということも世には多いらしいです。

 普通に考えて、100%儲けが出る話だったら、電話勧誘する人自身がムリをしてでも枠一杯に自分で加入したりしませんか?自分だけでなく親類縁者に教えて勧誘電話する必要ないくらいの話になったりしないのかしらー。と思えたりします。絶対に100%儲かるのだったら 多分電話勧誘はいらないと思うのです。
 
※ ヒットした「やってはいけない 商品先物取引」 
 こんなページがネット上で2番目にひっかかってきました。

※ 紳士的だった電話の勧誘員さんには申し訳ないのですが、私は勧誘電話で物の購入を決めることはありませんし、電話での無料モニターなどすべてのお誘いをおことわりしています。
20分もの熱弁の内容もほとんどなにも聞いておりませんでした。(覚えているのは 「横浜」とか「三田明」「インターネット」という単語くらいです。) どんなことをどんな風にすすめていただいたのかというのはさっぱり記憶していないのです。 だから、その勧誘内容についてはウソとかホントとかそういうことはわかりませんし、このロバミミではそういうことを言っているのではありません。ただ、私はその取引を申し込む気がまったくないということで、おことわりしたという経緯です。 ペコリ。
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今年はオクラよ!
2005/05/12(Thu)
 息子の学校では、昨年アサガオを作った鉢に今年は個々が好きな野菜を選んで苗を植えることになっている。
野菜といっても、こんなに小さな鉢で育つのだろうか。パセリじゃだめ?と思ったりしたのだが、実がなったりとつくって楽しい方が良い。
 昨年はなぜかクラス全員のアサガオの成長が悪かった。そんな風に育ちが悪いとやはり悲しいので、簡単にすくすく育つ方が良い。昨年野菜を植えた先輩お母さんにお聞きしたら、「ミニトマト」や「オクラ」が成績がよかったとのこと。オクラがこんなに小さな鉢で育つとはビックリだけれど、オクラは息子の大好物。花も綺麗だし、コレがいいな!と昨日苗を買いに行った。

 近所の苗物店にいくと大きく育った苗が売られていたがどうもオクラが見当たらない。物色しているとミニトマトが目についた。 ミニトマトにしようか?と息子と相談してミニトマトに。息子はミニトマトも大好き。
 スイカやカボチャ、キュウリ、ナスもあったけど、ナスは息子は唯一苦手な野菜。 キュウリは息子は大好きだけど、この鉢でつくれるかどうか収集した情報では出てこなかった。
 おみせのおばあさんにお聞きすると、バケツくらいの大きさの鉢だったら大丈夫とのこと。でも、アサガオの鉢はもう一回り小さい。 

 下の方に出たわき芽をプチプチとなれた手でちぎって渡してくれるおばあさん。「この芽からは花が咲かないから」と教えてくれたのだけれどその差が良くわからない。一番上にはもう花が咲いているので早く実がならないかと待ち遠しい。 ちぎったわき芽からは青臭いミニトマトのにおいが立ち上って「ほんとうだ。ミニトマトのにおいだ」と息子と二人でかいだ。(青臭いトマトのにおいも 息子も私も大好き)。
 喜んで持ち帰ろうとしたときに、次のお客さんが来た。

「おばちゃん、オクラの苗はないの?」おじさんだった。
「オクラの苗はね。苗で出すとあまりうまくいかないからうちでは扱わないんだよ」と。
「気温が高くならないと苗にならないし」と説明していて「種ならあるよ。丁度今頃が蒔きどきだから」と説明。
 「それなら種をもらっていこう」とおじさんが言うのを聞きながら 息子に「タネ買う?」と聞いたら「ウン」とのこと。

オクラが咲いて沢山のオクラの収穫のことを想像したらそだててみたくなったのだった。

オクラは子どものころ家の花壇に1本だけ生えていたことがある。あれは両親が植えたのだろうか。お月様のような黄色の大きな花はびっくりしてとても大好きだった。

今年は家でもオクラを育ててみよう。我が家は南向きベランダ。夏場は真上から日が当たって日陰の庭になる。
暑くて蒸れてちょっと過酷な条件。でも、収穫できるといいなあ。
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先ず隗より始めよ(まずかいよりはじめよ)
2005/05/11(Wed)
もう本当に長いこと、逡巡していたベランダの植物の整理に昨日手をつけることができた。
リンクにある ヨルトアサさんの 私の生活の指針を読ませていただいて、わすれかけていたことを思い出したかのように、とりあえず手をつけてみることにしたのだった。

 おもったよりも沢山のことができてこれから少しずつ取り組んでいけそうな気持ちになってきた。嬉しい。 案ずるより産むがやすしとはこのことだ。

■成功のイメージ

 なかなかやる気が起きないものと、面倒でもやる気の起きるものの差はどこにあるんだろうとつらつらと考えた。仕事もあったのに寸暇を惜しんでベランダのせわをすることが第一だった頃もあるのに。 この心の障壁ってどこに原因があるんだろうと考えたとき、やる気の出るものは常に 「うまくいったときのイメージ=成功のイメージ」が頭にあることに気がついた。

 知らず知らずに自分で「コレがうまく行ったらこうなる」という理想を頭でえがいているようだ。

反対にやりたくないものは、そのイメージがない。目の前にある労力にばかり目がいってしまう。

「やりたい」と「やらなくてはいけない」の差だとおもった。

やってしまえば、そうしてうまくいけば「やりたい」も「やらなくてはいけない」も結果は似たようなものかもしれない。たとえば、やりたくなかったのに、息子の友人がくることになって部屋の掃除片付けをした。綺麗に片付いた部屋はやっぱり気持ちよい。 そんな感じ。

 たとえば、ここのところ夢中になっている刺繍だけれど、さしているときにはいつも「できたときのこと」を考えている。額にいれてどこかに飾ろうかとか、何色の額が似合うだろうかとか。
 大好きだった編み物もそうだ。ちまちまやりながら鏡の前であててみてできたときのことを考える。仕事でもそうだ。「これができたらあんなふうになる。皆が喜ぶだろう」とおもっていた。

 うまくいくときには何もしなくてもどんどんと良いイメージがわくのに、ここのところの私は特にベランダに関して良いイメージ、もしくは理想をすっかり忘れていたことに気がついた。
じっくり見ているとベランダにはかわいい花も沢山咲いている。 もっとせわをしてやりたい花もある。 少しずつ前進できそうにおもう。  (ヨルトアサさんきづかせてくれてありがとう)




ベランダでは良い香りのバラが咲き始めた。嬉しい季節だ。

■子どもにもイメージ

ふと、息子のことにも考えが及んだ。

 少し前に聞いた話だけれど、大学入学とともに家庭内暴力にはしってしまい、御両親がNPOに相談にいらしたという子どもさんのことを思い出した。勉強はすごくよくできて、皆がうらやむような大学に入学なさったとのことだった。

NPOの方の話では 彼は「勉強は 母のキーキー言う声に追われるようにやっていた」と言っていたそうだ。 その声を聞きたくないばかりに彼は勉強をしたとのこと。

 同じことをやるにしても、自分から成功のイメージを抱いてするのと、キーキー言う声が聞きたくないばかりに追われるように、逃げるように勉強をするのとでは結果は同じでも、本人の気持ちの上で違うのではないかとおもう。 最終的に本人がそれでよかったという結論に達したらそれはそれで良いのだけれど、もし不満足な結果がまっていたら。それまで溜めていたストレスがあふれ出してしまうのかもしれない。

 息子に家庭学習をさせようとするとき、やはり「勉強」と言われるだけだと息子は気がのらないことも多いようだ。これから先、彼自身が自分の成功のイメージをもつことができるように親のほうは工夫していきたいなあと思ったりしたのだった。 

 もちろん学習だけでなく、スポーツでもなんでも。おなじ。

子どもにも、私にも、成功のイメージは大切なものだとおもう。
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タンパク質の音楽
2005/05/10(Tue)
 雑誌に著者の深川洋一氏が書かれていたことから知ったのだが、「タンパク質の音楽」というのがあるらしい。

本 タンパク質の音楽

 タンパク質の音楽とは、人間が作曲した音楽ではなく、フランスの物理学者ステルンナイメール博士が理論的研究中に発見したもので、それぞれのタンパク質にはメロディが備わっていてそのメロディが体に作用を及ぼす

ということ。

 まだ、そんな効果があると博士が知らない頃になにげなく聞かせた ヘモグロビンのメロディで「元気が出てきた」と感じたヘモグロビンの数値が低く貧血であった女性は4日後の検査でヘモグロビンの値が完全に正常値に戻っていたのだそう。


そういうこともあるのか。へえー。とおもしろく感じた。

 正規の医療機関としては、東京女子医大の自然医療クリニックが世界で初めて1月からとりくみはじめたとのことだ。

 ここを見て、自然医療というものへの取り組みをはじめて知ったけれども、身近なところでは園芸療法なるものもあって妙に納得した。自然に触れることで気力が充実することは多かれすくなかれ皆感じたことがあるとおもう。
 
 この件に関しては、雑誌の記事程度しか私には知識がない(この本も未読)けれど、いつも思うことを思い出した。

例えば 「医薬品として認められていないものだから効果がない」と言い切ってしまう人がいる。

 身近な例では「アロエが火傷に効く」など。 今では アロエの成分が火傷に効くというのは立証され広く知られてきたけれども、長い間 「効くわけない」といわれてきたものである。

 「効果がない」 と 「効果があるとは立証されていない」あるいは「効果があると思われる成分が特定できていない」というのは違う。
自然界のものを測定するときに 人間がいままで作ったもので測定できていない、確認できていないものがあるということ。 
 測定器にしても試薬にしても 期待する成分を見るためにつくられたものだから、それにひっかからないものは 期待する成分はないにしても、「どれにもひっかからないか=なにもない」ではない。つまり 期待する成分として分離できていないものの存在の可能性があるということのような気がするのだが。

そんなこと、本来ならば皆わかっていそうなものなのに、結構お医者さんの中には 「そんなもの効くわけありません」と鼻で笑う人も多いんだよなあ。 もちろん、間違った民間療法により治癒が困難になっている症例を沢山見て困ったりしているからこそのコメントかもしれないけど。

 でも、自然に対するときに 今現在での人間の知識や科学力の限界というものは絶対に意識しておくべきものだと思うのだった。 いろいろなことが解明されてきて、世のすべてをしっているかのように思うことも多そうだけど、人間自身を含めて自然というものの中のナゾはもっともっと深くて広くて、もしかしたら人がわかっているのはその中の本当の一部だけかもしれない。

 見えないもの、立証されていないものは ないわけではないということ。 <当然だよと思われる方も多かろうともおもうのだけど、ついつぶやいてしまいました。

 ちょっとまとまりがないことを書いているけれど。 
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世間話(ランド ウォーカー  ポップアップ メーカー ほか)
2005/05/10(Tue)
 今日は午後から区PTAの会合があって息子に鍵をもたせなければいけなかったはずなのに持たせ忘れて orz あとから学校へ鍵を持っていこう。

 しかし、なんで午前中にしてくれないんだろう。午後2時ってすごく中途半端午後1時からにしてほしい。<こういう発言は 子どもが低学年だからこそのものなのかもしれないが。少数派なのかな。子どもが低学年で役員って。

ま、それはおいといて、

■ガンダムみたい

昨日朝日新聞の夕刊に
ガンダム気分、乗用ロボ 3600万円、群馬の企業開発というのが載っていてうけた。

  約2年かけ完成したロボットは、高さ3.4メートル、幅1.65メートル、重さ1トンで1人乗り。250ccのガソリンエンジンを搭載し、時速1.5キロで走行できる。左右2門の銃砲を装備し、圧縮空気でスポンジボールを連射する。


サイトはこちらだが、昨夕はアクセスが集中したのでしょう全くつながらず、今朝やっと見ました。動画もあって「すごー」とちょっと感動します。多分マニアの中には買う人も出てくるような気もします。

 ランドウオーカー LAND WALKER (榊原機械)

■ポップアップ コンピューター

 これも発売当初全く知らなくてああ、残念!と思ったもの。

ポップ・アップ・コンピューター POP UP COMPUTER
どうやら飛び出す絵本のようなソフトらしい。 飛び出す絵本の方がたのしいんじゃないかなあとおもいつつも、どんなものなのか知りたいなあ。
 94年度 マルチメディアグランプリ通産大臣賞受賞だそうだ。

 こうやって見ると画像は少し荒いように見えるけど気になるなあ。

これは、すでに絵本状のものらしいけれど、自分でポップアップ絵本を作れるというソフトもあるそうだ。

 ポップ・アップ・メーカー POP UP MAKER

なんだかとっても楽しそう。ほすぃ。 プレステのTHE BEST シリーズのように 廉価版で出てくれると嬉しい。 

 なんといってもネックはコレ  OS: Windows3.1,95,98  

*Windows2000、及びWindowsXPでの動作について
「POP UP MAKER」は、未対応OSであるWindows2000、及びWindowsXPでは動作しない事が分かっております。本ソフトウェアのマニュアル、パッケージ等ご確認下さいませ。OSのアップグレードやパソコン買い替えの際はご注意下さいます様お願い申し上げます。


98かろうじて我が家で動いているのですが、遅いしねー。 リメイクされないのかな。

■おまけ

ポップアップメーカーとか ポップアップコンピューター という名前で検索すると キーワードがあまりにも一般的すぎて まったくヒットしにくかった。
 そのおかげでヒットした、ちょっぴりかわいらしい絵本のページ。

 ヘリウムの絵本

文字リンク以外にも表紙をおすと絵本が見られます。

■ちょっと見たい映画

海を飛ぶ夢   見にいけないだろうから DVD発売をまつか。
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歓送迎会
2005/05/08(Sun)
 昨日は朝から 役員会・運営委員会・昼から歓送迎会 で結局夕方6時すぎまでかかりました。 もうそろそろこういうのから解放されたい気がするのですが、今月一杯はまだまだ忙しいです。
  
歓送迎会、お酒を飲んで一緒に食事してというだけですが、会社の飲み会よりも私にとってはかなりの情報が収集できる会でもあります。
 
 学校の先生方と「業務?」以外のお話しをする機会はほとんどありません。こういう場でいろいろ話しを伺うことで、先生の物の考え方や性格などを垣間見ることになります。
もちろん委員さん・役員さんについてもそうです。


さて、まだまだ当分バタバタとすることになりそうなのですが、

ひょうたんその後 と ゲーム・マンガについて(新設) のページを更新しました。

当分あまり考えない記事をUPする事になると思います。 
比較的楽に文が書ける 「映画や本の話」「マンガの話・ゲームの話」「日々の雑感ページ」などのページの更新中心になるかもしれません。

(なんて書いておきながら大抵 舌の根も乾かないうちに記事を書いたりするのが常ですが)
 
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総会と歓送迎会
2005/05/07(Sat)
 話題の?総会が昨日ありました。 出席は100名ちょっと。そのうち教職員の方が30人チョットなので、保護者は70人程度ということでしょうか。

 そうして、今日は朝から役員会・運営委員会・歓送迎会と続きます。 雨で寒いので出不精の虫が「いきたくないよー」といいはじめていますが、来週の区PTAの打ち合わせまでがひとつの山なので頑張って行ってこようと思います。

 いってきまーす。
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誇りと想像力(創造力)
2005/05/06(Fri)
尼崎脱線事故 ボウリング問題:13人は重大性認識で出席

福知山線脱線事故発生の約3時間後、懇親目的のボウリング大会を開いていた問題で、同社は5日、参加した43人のうち13人は、事故の重大性を認識しながら出席したことを明らかにした。

 同社の会見によると、13人はテレビや知人らからのメールなどから、事故で死傷者が出ていることを知った。しかし「まずいと思ったが、目上の人に物を言いづらかった」などと上司にボウリングの中止を求めなかったという。「自分がしたことを恥じている」と釈明する社員もいるという。


 いろいろな考え方があることは認識しているけれども、やはりあれだけの重大事故があったときに懇親会や飲み会は自粛するべきであったと私は思う。私の身内や知り合いが被害を受けていたらそういう行為はやりきれなさを感じるであろうと思うし、もし社員だったら やはり「取りやめないのか」と一言上司に言っていたとおもう。もしくは、「自分は懇親会への参加を自粛したい」と意思表示をしていたかもしれない。  この考えを(古い浪花節的に感じる人ももちろんあるだろう。しかし、人間の考えなど絶対にひとつにまとまることはない。)

 「まずいとおもったが」それを言い出せなかったというのは JR西の体質がどんな意見であっても上の意見に異議を唱えることができないという体質になっているのだろうか。
 それとも、被害者の立場になってものを考えてみるという想像力が欠如してしまっているのだろうか。


 昨日もつらつらとこのことを考えていて、ふと、今の日本、自分の仕事に「誇り」をもっていると感じられる人があまりにも少ないことに気がついた。 また、自分の行動が他人に及ぼす影響というのを想像できる力が極端に衰えてきているのではないかと思える。
 つまり、お金を稼ぐ機械になり、自己評価ではなく、外からの評価で動く。言われたままの行動をし、その対価としてのお金を受け取る。  

 サラリーマン・資本主義が体の隅々まで染み付いた結果、日本人は 「儲かる」「儲からない」「資本の多さ」「少なさ」という尺度以外のウエイトがあまりにも小さくなっているのではないだろうか。 「ものづくり」重視ではないけれども、昔は「職人気質」というのがあり、自分の納得のいかないものは世に出さなかったということもあったというのはよく聞く。 家では「家長」は家族を支える「大黒柱」としての責任と誇りをもっていたのではないだろうか。

それが、「とうさんの稼ぎが少ないから」というセリフが出始めた時代から様変わりして、「お金をもうけて来れない人の価値は低い」となったのではないか。 世のお父さん達奥さん達は 「ビルゲイツ」やら「ほりえもん」やらと収入を比べているのだろうか。
 欲望は限りない。上を見ればいくらでも上がある。もちろん向上心は必要だけれど、それと同時に社会生活を営む上で、平和に暮らすためには「足りる」ということもわすれてはいけないとおもう。

 もし、自分の職に誇りをもち、責任をきちんと感じていたら、そうして自分の職に愛着を持っていたら 先日ロバミミに書いた 「予断」発言などありえないと思えるし、今回のような懇親会も 誰から指示されることがなくても違う展開になっていたのではないかとおもう。

何より「人から言われないとわからない」「人が気がつかなければ平気」という風潮にいつから日本はなってしまったのだろうかとなさけない。

■子どもたち

先日先生方との対話会で、 子どもたちの特徴というのがいくつかあがった。
「自尊意識が薄い」 どんなに成績の良い子でも自分に自信がない子が多いのだそうだ。「想像力(創造力)に欠ける」 塾などでおしえられたテクニック、計算テクニック・漢字が書けるなどのテクニックに長ける子は沢山いるのだけれども、論理的な思考にまで発展させると理解できていない子ども達がおおいのだそう。 たとえば、 三角形の面積はナゼ底辺×高さ÷2かということを理解できていなかったり。 また、「読む力・表現する力」がものすごく落ちてきているのだそうだ。

 会社でも、「自分で考えて業務が進められる人」というのが減ってきている。一から十まで指示しないとできない人もめずらしくない。 命令されたことを命令されたように(もしくはそれ以下に)しかできない人も多い。そういう人達は 命令されないことを自分からやることが苦手だ。 こんなロボットみたいな人間では困るんだ。

 上に立つ場合もそうだ。下からの意見をきちんと自分なりに評価できないといけない。上司はそのまた上の上司の顔色をみるようでは最悪。 はだかの王様のように、数字の上で達成した目標やらなんやらをもてあそんでも、いっこうに現実はよくなっていなかったりということが日常にもあったりする。

 自分に自信を持つ。自分の考えを発展させたり、修正したりすることができる。 そういう力が日本全体として落ちてきているのではないかと思う。 

 加えて、先生方の印象として、保護者の価値感の多様化というのを上げていらした。たしかに一保護者として私が見ても、価値感のばらつきは大きい。 これは保護者だけでなく日本全体がそうなっているのだとおもう。価値感がばらつくのは当然のこと。しかし、もし、「自分の基準」というものが確立してなく、他人の評価によって自己の行動を決める場合その価値感に翻弄されることになる。 

 息子には、誇りと創造力を身につけて行って欲しい。そのためには、お膳立てをして親がしいた最短距離のレールを走らせるのではなく、できるだけ自分で決めた道筋を走らせ、それたときに親がアドバイスするようにしたいと思っているのだが、子育て真っ只中の私。これが正しい子育てかどうかはわからない。また、私の行動が狙い通りの効果を生むかというのも試行錯誤が必要だ。

 でも、「自分がこれが正しい」と思ったことをする。そういう「親が一本通った意識を持ち続け、必要に応じて自ら考えた上で修正する」ということが何より大切なことだとも思う。(もちろんいろいろな情報が入ってくるのでゆれるのだけれど。) 親が情報に翻弄されて、根無し草のようになってしまっては子どもに良い影響があるわけがないと心に言い聞かせているところだ。

 ※ まあ、資本主義?の観点からみると、 そういう価値感を持ってそだったとしても、それがすぐに大きな儲け=成功 につながるわけではないというのがジレンマだけれど。
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これも貴重な経験
2005/05/05(Thu)
 「子どもの日には こどもの国にいきたい」と息子。リクエストに答えて朝からこどもの国にでかけました。 久々に電車にのると酔いそう。<電車にのらなくなったので、すぐに酔うのです。 一時電車にのって感覚を鍛えても、のらなくなったらすぐに酔うというのは 克服が一時的なものなんだなあーとつくづく思いながら、駅に到着。

広さ約100ヘクタール(約30万坪)、外周道路4キロ、内周道路2.4キロをはじめ、雑木林をぬうように散策道路が縦横に通じています。遊具広場、芝生広場、ミニSL 、横浜一長いローラー滑り台、湖、ミニアスレチック、せせらぎ、つり橋、サイクリングコース(1.6キロ)などがあり、湖ではボートやドラム缶いかだで遊べます。牧場には乳牛約60頭、ヒツジ約40頭が放牧され、ウサギなどを抱いてふれあうことの出来る「こども動物園」があり、ポニー乗馬も楽しめます。搾りたての牛乳を製品化した「特別牛乳サングリーン」やソフトクリームが評判です。


■こどものくに
 地図が読めるようになってきた息子は 自分で地図をもち出かけたいところに出かけていきます。親はついてあるくことに。
 自転車などの乗り物が有料であるのでそちらにいくかとおもいきや、まず一番やりたかったのはおとうさんとのキャッチボールだったみたい。 広々とした芝生で思い切りボールを投げることはあまりないので嬉しかったらしくずいぶんうまくなりました。


 その後は、ウシをさがしに。ウシにはえさをやることができます。ヨダレダラダラのウシにえさを与えた後はきちんと石鹸で手を洗うように。(小さい子に手の洗い方をおしえていて、自分のすすぎがおろそかになっていたので、もう一度すすいできなさいと列の後ろに並ぶことに(^^;))

■ところが
 こどものくにの良いところは、体を使って遊べる遊具も多いのですが、雑木林や竹林そのままの場所も多くのこっていて、そこを自由に楽しめるところ。 別に滑り台がなくても 土の出た斜面がそのまま子どもの滑り台になっているようなところです。(滑り台もありますけれど)。
 子ども達は自由に斜面を登ったりおりたり 山の中を探検気分で歩く事もできます。
牛にえさをやってから 斜面になった芝生の上は笹林、竹林になっている場所にきました。
この林は子ども達が通る道がけもの道のように、迷路のようになっていて背丈よりも高い植物をかきわけかきわけくぐったり滑り降りたりするのがとてもおもしろく、ぴょこんぴょこんと子ども達が林の中に吸い込まれていき、飛び出してくるような場所です。
 以前来た時は私も一緒に中に入ったのですが、今回はだいぶ大きくなった事だしと一人で行ってきて良いよ。。と息子一人で中に入りました。
 なかなか出てこない息子を心配して見に行ったら中で小指ほど太さの枯れた竹?と格闘していました。折りたかったらしいです。 一旦外にでてまだ未練がありそうなので、(まるで 隣のトトロで メイが トトロにはじめてあった藪のような雰囲気で本当にわくわくするのです) もう一度行ってきても良いよというと喜んで飛び込んでいきました。


 芝生に夫と座って当分あれこれ話しをしていたのですが、なかなか戻ってこない。今度は夫が探しに行きました。 少したって藪から出てきた夫は「いなかったよ」と。もう一度携帯をもって探しに行きました。 そんなに大きな藪ではないし、子ども達が皆子ども達だけで出入りしているので安心していたのですが、かかってきた電話は 「藪を抜けて上まで来たけれどいない。戻ってない?」とのこと。 息子はまだ戻ってきていないので、突然不安になりました。折れた竹は危ないです。どこかで転んで動けなくなっているのではないだろうか。 心配して見回していると 坂の少し下に息子を発見。 名前を呼ぶと あっという間に泣き顔に。
 「楽しいから、どんどん進んでいたら 知らないところに出てしまった」とのこと。戻ろうと思って戻ってみたけれど良くわからなくなってしまって、その場で泣きべそをかいていたら 大人が通りかかって声をかけてくれたとのこと。 その二人が地図を持っていたので、「お父さんお母さんはここにいる」というと つれてきてくれたとのこと。
  夫はまもなく藪から出てきて合流。 つれてきてくれた方を探したけれどもう姿が見えず、息子がお礼を言ったとのことだったけど、私からはお礼がいえなかった。心の中でありがとうとお礼を言う。

 なきべその息子も、こういう経験をすることは都会ではほとんどない。
道がないところの歩き方も教えておいた方が良いだろうかと思ったのと、この経験を克服しておかないとこういう状況が怖くなるのではないかと思い、「おかあさんとお父さんと一緒に藪にはいろう。さっき通った道を案内してくれる?」というと「うん」とのこと。
まず、周囲をよく見ておくことを教える。右手には針葉樹、上には広葉樹が見える。左手にはどうやら竹の葉が見える。 斜面の様子も教える。のぼり、くだり。

 子ども達が遊んでいる場所から登る。最初に藪に入ってくぐった後すぐに、息子に来た方向を振り返ってみるように言った。 行きと帰りは見た目が全く違う。 ときどき目安となるところで振り返っておくことも大切なんだ。広葉樹が見えてきた。そこを少し左にそれると太い竹が生えている竹林に通じていた。竹林を歩くのは息子は初めて。わくわくしながらどんどん道なき道を通っていたのだそうだ。 倒れた竹をバキバキと音をたてて踏みしめて進む。(保護者によっては危険と言い、やること自体を禁止されてしまいそうな場所だけど、私が子どものころは実はこういうことはやっていた。何がどんな風に危険か自分で判断できる子になって欲しい。特に私有地には足を踏み入れることは良くないのでこういう場があるのはすごく良いことだとおもう。)
 竹林に入ってから斜面を下り始めていた。 さっきと同じところを通ったといっているので、道を覚えているようだ。 私もこんな竹やぶをバキバキと進むのは久々。子どもがいなければ絶対にこんな場所を通ることはない。 スポンと抜けて出たところは たしかに見知らぬ場所だった。人通りもほとんどない道に面している。これは心細かっただろう。
 そうして、そこに出たときに「ここは違う」と思ったので、息子は息子なりに元来た道を戻ろうとしたらしい。けれど戻れなかったので、この場に下りてないていたということ。

 ともあれ無事でよかった。藪の中にいたら見つけるのも大変だったとおもう。

■もちなおし



 一緒に行ったことがよかったのか、息子はどうやら気分も持ち直したよう。すぐそばの溝にゆらゆらとした赤いコケのようなものを見つけ、「これなに?」と。 コケだろうか?と見ているとふと「イトミミズ?」と。多分イトミミズ?。 コロニー状にイソギンチャクの触手のようにゆらゆらとのびている赤い塊は、棒でつつくと なくなってしまう。そうして時間がたつとまたゆらゆら出てくる。「おもしろい」とのこと。その後も遊具で遊んだり、せせらぎへ足をつけたり ディスクゴルフをしたりと 親の体力の限界まで遊んで一日過ごしたのだった。
 親はとうに足腰が痛い。(^^;)ゞ  これだけ疲れているのによく走れるもんだと驚嘆していたのだけれど、 帰りの電車に乗ったとたんに目をつぶりそうに。 ストンと寝るのも子どもの特徴。それだけ一生懸命遊んだということだろう。

 遊具の近くでは友だちを作っていた。なぜかその子が「22歳のときに名古屋で会おうね」といって別れていった。(なぜに22歳?なぜに名古屋?その子は名古屋出身というわけでもないらしい。息子とおなじ7歳だそうだ。)

 楽しかった。こどもの国はいつ訪ねても楽しい。また今度行って見たい。 

帰ってから宿題の作文を仕上げた息子。てっきり迷子のことを書くのかとおもいきやそれは内緒だそうだ。なるほど。彼には彼のプライドがあるのだろう。

 写真:フジの花が満開。あたりに良いにおいが漂っていました。
     アジュガの仲間だとおもうのですが、なんでしょう?ジュウニヒトエ?
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久々?にポカミス
2005/05/04(Wed)
 4日のことは4日の日付で書いておこう。

■ザリガニの里親2軒決まる

朝8時15分に公園集合。サッカーの試合の付き添い。車で相手校まで移動し、試合を終えて午後1時過ぎ(たぶん)に集合場所の公園に戻ってきた。
 先日から大きくなったザリガニの子をどうしようという話を家族でしていて、この連休にでもどこかに放流するか、友達にあげるかしようね。。。と言う話しになっていたので、息子に「どの子が欲しいって言ったの?」と聞くとどうやら新たにチームメイトに声をかけたみたい。
 急遽、チームメイトと、お母さんが我が家にザリガニをとりにくることになった。一緒に帰宅。
私を入れた母3人はゆっくりマイペースで歩き、息子とチームメイトと夫が先に家についたのだが、はっと気がつくと、チームメイトも家に上がっている様子。
 そうだった。そうだった。子どもはそうだった。 そうして朝出かけるのがはやかったので、家は朝のままだった。(--;)もうしょうがない。
 
 無事10匹ずつお渡しして、残ったザリガニを数えると多分30匹強というところか。だいぶ淘汰されているみたい。でも、個体数は減っても体積の総和はおなじくらいという印象。
あとの30匹はどこかに放流かなー。親ザリガニ2匹以上我が家で飼うのは大変だし、親を放流して子を育てると兄弟での子になるのでよくなさそうな気もするし。(ちなみに 親の出身地は
かなり離れている) でもチビちゃんは我が家で生まれたので 愛着があるのもたしか。かわいらしい。

■つつじ寺へ

 午後から時間があるし、天気も良いので、通称「つつじ寺」へ行って見ることにした。バスで出かける。どのあたりにあるかというのはぼんやりと知っていたのだが、出掛けに夫に「地図見るのわすれた」と言うと「大丈夫、わかってるので」との返事をもらい、大船に乗った気分ででかけたはずなのだが、バスに乗ってふと路線図を見ると夫が言っていた停留所よりもひとつ手前の停留所のほうが近いようだ。 つい降車ボタンを押す。
 降りてみるとやはりどうやら夫の方が正しかったみたい。反省。「だって路線図にそうかいてあったんだものー(--;)ぶつぶつ」<心の声。

 少し時期が遅かったようで、盛りをすぎていた。満開の頃だったらさぞ見事だったろうな。残念。 山一面を花が覆うようなイメージだったのですが、いや、そんなことはなく裏山は雑木林になっていました。 試合疲れで渋っていた息子は雑木林を歩くのが大好き。「楽しいので来てよかった」と大喜び。そこからは息子お気に入りの森林公園が近いはず。
地図も持っていないけれど、方向を頼りにそちらまで歩いてみる事にしました。風がすずしく気持ちよい日でした。 

■森林公園
雑木林を抜けると民家の私道にゆきついたようで、「あら、こんなところに出てしまった」ときまりの悪い思いをしながらふと民家の庭を見ると驚いたような顔の御主人が。
つつじ寺から雑木林を抜けて人が出てくるなんてこと多分めったにないのでしょうか。 少し遠かったので挨拶というのも変だし、庭一面にいろいろなビオラが芝生のようにそれも植えたのではなくて自然にこぼれ種から育ったような雰囲気で咲いていてとてもかわいらしいのを拝見しながらなんとなく会釈っぽく頭を下げ気味にそそくさと道に出ました。
 さて、「多分こちらの方向」という方向へ歩いていくと高速に出会いました。この向こうなんだけどねえ。くぐるか上をまたぐかどちらかの道があるんじゃない?と夫の勘は当たっていて、高速をまたぐ橋がありました。
案外車は流れているようです。 こういうスムーズな流れを見ているとなぜかボーッとしながらじっと見ていたい気持ちになるのはどうしてでしょう。「何かの本能なんだろうかねえ。」と夫と話しながらわたったらもうすぐに森林公園の入り口でした。息子は大喜び。
 花の季節には中途半端な様子でしたが、緑はやっぱりいいです。息子は虫を探すといきごんでいましたがもうすぐ日暮れ。今日はさっくりと歩く事にしました。
すぐにみつけたのがものすごいトゲの植物。 カラタチ。 「カラタチのトゲは痛いよ」ですこれは痛いだろ うなあ。急いで歩くと虫をさがすどころではありません。 途中シダをみつけたので、ちょっと早いかなあと思いながらも「でも、きっとこういうなにげないときに話したことは興味を引かれていれば何かの折に思い出すかもしれないし」と葉裏の胞子のうを見せる。「虫の卵みたいにみえるでしょう?でもこれはちがうんだよ。シダは種で増えずに胞子で増えるんだよ」とちょっとだけ。
今日は虫が気になるようなので、無理強いはせずその場でおしまい。
 夫がキリギリスかなにかの幼生?(詳細はわかりません)を見つけると喜んでいたけれど、連れ帰るのはやめて観察だけに留めて。そのほか見かけたのは 尺取虫の類。春になって幼虫の季節なんですね。「ママ、触れる?」と聞くので「さわれるよー」と返事。「んじゃとって」と息子。
「はい」とつかむと「うひゃーきもちわるーい」と言うので「イソメが触れる人は触れるよー。イソメは噛むけど尺取虫はかまないし」というとおっかなびっくりつかまえた。「平気だった」と。 「毛虫は毒があるものも多いのでめったに触らないようにね」というとなんとなく了解した様子。

最後に、アリジゴクの巣のあるところ(前きたときに発見した)によってアリジゴクの巣をみてから名残惜しそうな息子をせっとくしつつ帰宅の途に。 サルトリイバラの葉を発見。どわすれしてあれだけどーと名前が出てこない。(トシのせいかなー。帰ってきてからやっと思い出した。おばあちゃんが柏の葉のかわりにこれでお餅をつつんでくれていたのが田舎のこどもの日だった。かしわの葉よりもつるつるしていてはがしやすい。)。
 検索してみたら、西日本の地方の柏餅は 柏の葉ではなくて サルトリイバラの葉のほうがふつうなのかも。 おばあちゃんは「いぎもち」と呼んでいた。 多分「いぎ」はトゲのことではないだろうか。

葉は大きく表面がなめらかですから,西日本などでは団子や餅を包みます。これを"かしわ餅"と呼びますし,"かたら"などそれぞれの地域によって呼び名が異なっています。


■バス停にて

途中大きく育ったよもぎを見つけたので息子に「これなーんだ?」と聞くとわからない。ちぎって香りをかがせると「いいにおい」(<息子はドクダミのにおいも好きなのです) 草もちに入っている葉っぱはこれだよ。というと気に入ったようで、ずっとその葉を持って歩いた。
 バスがくるまで 葉っぱで表か裏かゲームをしてやっときたバスに乗車。

ところが、のって座席に座ったとたんに私のプリペイドカードばかりを入れたポーチがないことに気がついた。あわてて次の停留所で家族で降りて走って乗り込んだ停留所まで戻った。停車ボタンを押すのが遅れたので停留所2つ分戻る事に。
 息子と夫が走って先に。私は、中にいくら分のプリペイドカードが入っていたかを考えながら後を追いかける。 バス停で夫がなにかしているのが見えたので、身振りで「あった?」と聞くと手招き。 ついてみるとおじいさんが私のポーチを手にもってあけていたので、
 「あ、それ、私のポーチです。」というと 「あんたのものかい? こっちの人が自分のものだっていうからー。」とあれやこれや言って夫を指差す。 「はい、私の夫です」 おじいさんはそれでも「この人は中に定期がはいっているとかいうから」というので、「中は、バスカードや オレンジカード、パスネットが入っています。まだ使ってない新しいオレンジカードも3枚あるし、このポーチは私が作ったものです。ありがとうございました。助かりました。」といってもなかなか渡してくれない。
 説明をいろいろして、やっと渡してもらったポーチ。ふと「一割渡した方がよかったのかな」と思ったりしたのだけれど 5~6千円分だから600円くらい渡すわけにもいかないしーと迷いながらほっとした。あとから中をみてみたら1万円弱くらいは入っていたみたい。 おじいさんには1000円のカード1枚くらい渡した方がよかったかもしれない。でも、夫についてなんだか「ぶつぶつ」言われたし、いくら説明してもなかなか私にわたしてくれなかったので、内心ちょっと私も気分を害していたから気持ちよくわたせなかったんだよなあー。きっとニコニコ笑って「ああ、拾ったばかりですよ。あなたのでしたか」と渡してくれたらもしかしたらこちらも気分よく渡せたかもしれない。 とにかく大失敗。しょぼんとして家に帰ったのでした。 でも、みつかってよかった。

公園での話しは リアルで遊ぼうに書いた方が良いような話だったかも。

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予断を与えたのであれば、申し訳ない
2005/05/03(Tue)
ニュースもほとんど見られない日々をすごしていたので、この事故もずいぶん後になってから知った。そのJRの事故に関する発言について 少し前になるけれど、

脱線事故置き石原因説でJR西が陳謝 「予断与えた」(asahi.com4/29)

同社が示唆した「置き石の可能性」を国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が否定したことについて、「結果的に予断を与えたのであれば、申し訳ない」と陳謝した。


唖然とした。

だいたいまだこの事故が報道されて間もない頃に 「置石」といったことをテレビで見て開いた口がふさがらなかった。

 多分、彼の頭の中には「たいへんなことになってしまったが、世にいる「悪い人」が犯人であったらいいなあ」 という図式があったのだとおもう。
 でも、それを口に出す事自体、上に立つものの資質がないと思う。 これこそ「予断」であり、

「結果的に予断を与えた」のではなくて、「私がテレビという公共の放送公にコメントしたものは予断にほかならなかった」のではないか?

「~*であれば*申し訳ない」という言葉には 「(私は悪いとはおもっていないけれども、)予想に反して悪かったたというのであればごめんなさい」ということだ。
 公の場において、トップとして個人の予断を口にする事自体が問題であって公私の区別がついていないのではないか?。
 
「~であれば申し訳ない」という謝り方は最近主流のようだ。 一昔前は「責任をとってやめます」というのが多かった。 責任を取ってやめるというのが必ずしもよいとは思わないけれど、今は自分の非さえあやふやに認めず、かえってほかの人の責任となすりつけることも多いように思う。

 誰が見ても責任逃れにほかならないのに、こういう物言いが通るというのは納得いかない。

本来は、非は非として認め改めるところが肝心なのに。

■そういえば、

前に見た映画「私の中のもう一人の私」の夫が「(僕が君を傷つけた)のなら、心から謝る。(君の非難は)甘んじて受ける」というのが口癖だった。 「わー。やなやつー」と。
 主人公は何不自由ないと現在思っている50歳の女性。彼女は哲学の教授で、現在休暇をとって原稿執筆中。 しあわせって「お金があること?」「傍からうらやましがられるような相手と結婚していること?」「名声を得ていること?」「にぎやかなパーティができるほど大勢の友達を持っていること?」と 考えさせられる映画です。 私はこの映画好きですねー。 じっくりご覧になれる環境でないと淡々と話が進むのでながら見はつらいかも。 本当にずいぶん前に見たきりになっているので、いつかまた見直して園丁を書きなおしたいと思っています。

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連休も後半&クレしんにリアリティ
2005/05/03(Tue)
 怒涛の連休前。ほっとしたのもつかの間、昨日は図書室公開の打ち合わせで8時前に家を出て昼過ぎに帰宅。 連休に突入してからどうもやる気が出なかったのだが、それはつい「つくります」って言ってしまった資料が原因だとわかった。原因判明して、がしがし資料を作ったら倦怠感も消えてきて、「あー私。なんでこんななのに安請け合いしちゃうかねー」と苦笑。
 なんでも引き受けてしまう性格をどうにかしないとダメだなー。
自分の限界こえていつも引き受けてしまうから、家族や自分にめいっぱいしわ寄せが来る。

 先日も委員会で口癖のように言っていた人がいたなー。「自分の時間は使いたくないので」って。 世の人皆が自分の時間だけを優先したら世の中は回らない。でも、たぶん 自分の時間を人のためにつかうことなくやっていくひと(人のために使っても見返りを見込んでいる人)って結構いるような気もしたりして。 ということで、私はやっぱり貧乏くじ体質なんだろうとおもう。
 
 「自分の時間をつかいたくない」人の時間をつくるために私は「自分の時間を使っている」という状況ではないかなー。と思ったり。(ーー;) むー。

 ブタもおだてりゃ木に登るわけで、だれかがたいへんそうとおもうとつい「私ができます。やります。」なんていっちゃうけど、本当はその人のほうが楽だったりするのかもしれないなーなんて思いました。  ま、それだけ色々の経験をしたということは知らず知らずに自分の身についているので、良いこともあるし。それに経験を沢山することで 楽しくて充実した人生を送れるということもあるとおもうので、これはこれでヨシとする。<と思わないとやってけないよねというのも真実。

■クレしんを見に行く
 連休のはじめに 恒例の”親が見せたくないアニメナンバーワン”の 「映画クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃」を見に行きました。

 うーん。これは「クレしん」の良さがわかった人でないと「下品」といわれそうな映画だなー。
シモネタだらけだもの。 でも、本当は子どもが「おなら」や「うんち」が好きなのは面白いからだとおもう。だって 誰もが皆しているもので、自分の体からでてくるものなのに、汚かったりくさかったりして、大人も大きく反応するし。 原点にもどって考えてみると、涙とうんちどう違う? と思ったりもするのだけれど、ま、今回はそのあたりが多めにちりばめてあるのでわりと「上品な親」には不評かもしれない。と思った。

  うちは、「下品」になってはいけないとおもうけれど、子どもが感じる「うんち」や「おなら」のおかしさというのは否定しすぎないで行こうと思っている。 人が不快にならないように場所をわきまえるということをわかってもらえれば、それで良いかなーと。
 クレヨンしんちゃんの魅力は、一見オバカで下品なしんちゃんがいうことが大人たちよりも正論だったり、忘れていた正義だったりするから。その辺が理解できるようだったらいいじゃないー。と思ったりしている。

 さて、今回は大人帝国のような感動モノから離れてギャグ方面の比率が多いようなきがするのだが、みていてはっとしたシーンもあった。

ちょっと以下映画の内容に触れてしまうけど

 世界の平和をまもるために必死になっている母「みさえ」(とはいっても、みさえらしく それが楽しいという理由もあるんだけど) 家のことはそっちのけで世界の平和を守ってしまうので、家が荒れる荒れる。 あっという間に家はゴミの山。 食事は毎食カップラーメン。

 映画のはじめの方では、目覚ましで誰よりも早く起き、朝からきちんと味噌汁やらなんやら食事の準備をして ひろしや しんちゃんの身支度をさせる。 幼稚園バスにのりおくれたしんちゃんを自転車に乗せ、バスをおいかけきつい坂もなんのその。幼稚園に送り届ける。
そんな風に「すごい。みさえ。がんばってるなあー」と思ったのと対照的な生活。

 「世界平和を守る」という大義名分が楽しかったから 日々のつまらない生活から逃避してしまった」という感じ。

 あまりのリアリティに、つい笑ってしまった。 うちも係の仕事がたてこんだり、打ち合わせだらけで頭がくらくらするときって家事ができないもんなあー。さすがにみさえほどではないけれど、相手は漫画だから デフォルメされて大げさに描かれているわけで、「みさえよりマシだなー」なんておもいかけて、「みさえと勝負してどうする。」と自己ツッコミ。 (^^;)ゞ

 なんにしても「ダメダメ」そうな しんちゃん一家はなんだかんだいっても情にもろくて正義感がつよくてという なんとなく「下町風」のキャラが愛されるひとには愛されているような気もするのだった。

 映画は 「ギャグ」を求めて、 多少のお下品は覚悟、という方にオススメ。 出てくる怪獣の力の抜け具合が結構面白かったです。

■話しは変るけど
 この連休、多分子どもがいなかったら休みをとって「どこか旅行でも」と思うほどの長さ!ところが、学校は2日と6日は登校日。 こんなとき 皆どうしてる? とお母さん達の間でも話題に。
やっぱり「休ませちゃう」という人もいた。 小学校程度だったら学校を一日休むくらいはあまり関係ないと思える。

 ところが、2日と6日が出勤日となると、学校の先生は大型連休とは無縁ということか。それは気の毒な気もする。 ずっと暦どおりで出勤だし、クラスをもっていたらそうそう休めないだろうし。 会社はそういえば、年次休暇20日くらいあったので だいたい月に1~2日は休みをとっていたけれど、学校の先生って休みとれるのかな? 大変なりー。

 妹とそういう話をしていたら甥の通う学校は 2日は振替で休みなのだそうだ。公立だけれど飛び石のときに代休をいれて連休になることが多いのだそう。「それいいねー」と返事したら「ところがねー。保護者には不評なのよー」と。 パートに通っているお母さんたちは、飛び石だからといって休みをそうそう取ることができない。 かといって一日小学校低学年の子どもを家で留守番させるわけにもいかない。ということが起こるのだそう。
 なるほどなあ。

 今の私にはパートに出るという気がない。PTAが忙しいからではなくて、多分働く気になればPTAは任期の切れ目に断ることができると思うのだけど、「働きたい」と思うような職ってあまりみかけないような気がする。 多分、いままで一生懸命はたらいてた仕事が本当に面白かったから、あれに比べてしまうからだろうと思う。とりあえず、今は今やりたいことをやろうと思っているところ。(たとえそれが 「ブタもおだてりゃ」だったとしても (^^;)ゞ)

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