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そうして、昨日もてんこ盛り。息子がいない。Cくんがいない。
2005/04/29(Fri)
 昨日、ピンポーンとインターホンがなって 帰宅した息子だろうと「はいー」と出ると、「Cでーす」と同じマンションでいままでクラスが違っていたからあまり一緒に遊ばなかった子。
 「今日息子くんと遊ぶ約束をしていたので。」と ゲームボーイ持参で遊びに来たみたいだけど、まだ息子が帰ってきていない。

 「あれ?まだ息子が帰ってきてないんだよー。」と答えると、「一緒にピロティで待ち合わせしていたんだけれど、息子くんが先に帰ったって聞いたから」とCくん。「え?ほんと?」それにしては遅い。ベランダから外を見てももう小学生はあまりかえってきていないし。
「もしかしたらまだ ピロティで待ってるかもしれない。おばちゃんが学校まで行って見るから、お家でまっていてくれる? 息子が帰ってきたら迎えに行かせるから」
「あ、でも今 母さんいないんです。鍵もっているけど」 「鍵をもっているんだったら一人でお家で待っていてくれる?すぐに行かせるから」と 頼んであわてて鞄と携帯と鍵をもって出かけようとしたら、階段ホールから上がってくる息子とAくんとCくんの声が聞こえた。

 そのままCくんもやってきて宿題も終わらないうちにうちで遊ぶ事になる。最初は前遊びに来たときに一緒にくみたてたフィギュアを組み立てたりしていたがそのうちゲームをやることになった。 Cくんは体が大きくて「いじめっ子」みたいなことを聞いたことがあるけれど、見ていても楽なくらい仲良く遊んでいる。ゲラゲラ二人で笑いながらゲームを変わりばんこにやっていて「こんな風に遊んでくれたらいいなあ」という感じ。

 息子が「Bくんも来たいっていっていた。約束した」というのでじゃあBくんに電話しないとー。と電話をさせる。 Bくんは家庭訪問中で終わったら来るといっていたのだけれど、その後気が変ったみたいで(どうやら息子と二人だあそびたかったみたい?)やっぱり来ないとのこと。
6時近くになって、「何時までで家に帰らせればよいのかな?6時かな?」と思ったときにDちゃんのお母さんから電話。「Cくん、遊びに行ってる?」「うん。遊びに来てるよ?」「お母さんがCくんがいないということで探してるんだって」「えー、ほんと?」と大騒ぎ。
結局近所の公園まで探しに出ていたお母さんから電話があって一件落着。

 電話をくれたDちゃんのお母さんから再度電話があった。Cくんと息子くんが遊んでいるので私も行きたいとDちゃんがお母さんに言ったらしい。「来ればよかったのにー」と私が言うと、「家庭訪問があったし、その後スイミングだったから」と。スイミングスクールで別のお母さん達が「Cくんがいなくてお母さんが探している」という話をしているのを聞いてうちに電話をしてくれたとのこと。

Cくんに「お母さんに言ってなかったの?」と聞くと「昨日言ったのにー。わすれちゃったのかなー」 迎えに来たお母さんは「昨日息子君と遊びたいって言っていたけど、どこで遊ぶかなど決まってなかったから息子君ちにお邪魔しているとは思わなくてー」

 なかなかお尻の重いC君に「また今度遊びに来て続きをやりなさい」と言って帰す。2時から6時くらいまで4時間も一緒に 遊んでいたけれど、ぜんぜん喧嘩にならなかった。楽しそうで見ている私もたのしかったし、「おまえなにするんだよー」なんていう言葉がお互いに出ても二人とも「げらげら」とやり取りしていて見ている私もひやひやすることはなかった。 やっぱり喧嘩になるのは息子のせいじゃないような気がする。 
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ご心配をおかけしましたが、無事前進
2005/04/28(Thu)
 先日書いた息子関係のトラブル。

顛末は以下です。
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やっぱり映画はいいですねえ(愛してる、愛してない・・・)
2005/04/28(Thu)
毎日すごく忙しくて、またもや目が回っています。今日はひさびさに学校へ行く予定がない日。
最近は学校関係でもメールが来るのでたまったメールも片付けて、家も片付けよう。

さて、↓で書いたストレスでつぶれそうな朝、緊張して出かける1時間以上も前にすでに学校へ行く準備完了してしまいました。 家事をやりはじめたけれど気持ちが落ち着かなくてすごく調子が悪い。 「こりゃダメだわ」と考えた。

とにかく自分の気持ちをすっかりどこかにそらすことができた方が良いなーと。

ということで、思いついたのは見かけていたDVDを出発まで見るということ。丁度見たのが展開に驚かされる 「愛してる、愛してない・・・」という映画です。アメリの主演女優と同じ女優さんが主役をやっています。

■説明
アンジエリク(オドレイ トトゥ)は順風満帆。心臓外科医の彼に一輪の薔薇をプレゼントして帰った日に、自分の絵が賞をとったことを知らされる。 ただひとつ障害になるのは、彼には奥さんがいること。
彼は、心臓外科医。奥さんは弁護士。



園丁に感想を書いておきました。上のタイトルにリンクが貼ってあります。

最近はアメリカ映画を見ることが多いので、ほかの国の映画を見ると、独特の手法にすごく驚くことも多いです。(アメリの時にも変った表現方法だなと思ったからそういう印象を持ったのですが今回も時間の経過を表す映像などにもビックリしました)

しかし、この映画、本当に目がはなせなくて、最後の盛り上がりではお決まりの「そりゃダメだって!やめなさいよー。危ないよー。」と 心で止めるのにどんどん進んじゃう登場人物。
スリルとサスペンスとはこのこと。 チョットだけ見ようと思っていたのに、結局全部見て「あーおもしろかった」と 見終わったときには あれほど緊張していた気持ちが少しリラックスしていることに気がつきました。

 自分の緊張をコントロールすることってすごく難しいけれど、映画って本当にいいなーと思ったできごとでした。
 自分に一時的に別の空間やら事件を体験させることにより過剰に反応していることを緩和させてくれるような気がします。

 学校での話は別の記事に。
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ファイトを見ながら
2005/04/26(Tue)
昨日また、例の子ども関係のトラブル発生。
もう書くのも嫌になっているので、ご覧になっている方は多分もっと嫌ですよね。反省。

今「ファイト」がはじまったところ。
私は、こういうストレスが長く続く状態って苦手。だから、今日とにかくなんらかの解決への努力をしてこようと心にきめているところです。

がんばってきます。「ファイト」です。
本当はもうそういうのが嫌で、ふとんのなかにくるまって一週間くらい閉じこもりたい気持ちがあって、今朝息子がでかけてからねむくもないのに寝室に逆戻りしてすねているところを夫に笑われたの。
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とりあえず、あったことだけ
2005/04/25(Mon)
土曜
 9時半から役員会、その後運営委員会、広報引継ぎ、この間にサッカー当番バッグ引渡し、学校開放委員会、サッカー部費納入、広報印刷配布、サッカー父母打ち合わせ

日曜
 サッカー試合。(少しだけ自分の時間ができました。30分くらい寝てしまった。家の片付け他)

月曜(今日)
 学校図書室開放打ち合わせ、帰宅後区PTAの資料を渡す、午後から家庭訪問なので掃除、
家庭訪問、息子の宿題を見て、ヤマハへ付き添い、息子がヤマハへ行っている間に、コンビニ払いの振込み、スイミングスクールの振替口座の残高照会と入金、スーパーなどで日々の買い物、帰宅。

 ちょっと連休までこのペースが続きそう。 明日、あさっても学校。

文がかけないなあ。
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ロバミミだらけ
2005/04/24(Sun)
 ここのところこういう話題が多くて、恐縮なり。m(__)m反省しつつ。さらっと。

昨日参加した打ち合わせ(○○委員会)なるもの。出てみるまで詳細を知らなかったのですが、歴代pta会長とか副会長とかなんかぞろぞろ出ている打ち合わせでした。

 そこで、今年度の学校施設の開放について、行政側の対応が変った事の報告があったのですが、その中のメンバーのお一人が、たぶん面倒になるので開放をやめたいと提案したかったのだと思うのです。

 「最近はほとんど利用がないらしい」とおっしゃったので、「一昨年は寒かったので利用がすくなかったらしいですが、昨年は結構利用がありましたよ」 とちょっと口を挟んでしまいました。(TT)つい。

 すると、「結構なんていう、あいまいな話をされてもしょうがないので、今数字を見ますから」 って。。。 (ほとんど、ないらしいっていうのは 感覚的なもんじゃないのかなあー)と私。ココロの中で。だからこちらも結構という話でお返事しただけだけれども。

 そこで、「何人ぐらい使っていましたか?」とひとこと聞けばすむ話。はなから話し合いをしようという姿勢がなく、自分の考えを通したいと思っているのがミエミエ。

違う欄をみているのを隣の人がコッチでなくてコッチですよと教えていた。
(その数字を事前に調べずに感覚で提案していたというのがその行動でよくわかる)
出した数値は5日間で 500人を超える利用だった。学校施設を休みの日の数時間で一日100人。「ほとんどない」という数字だろうか?。
 するとその人、「500人っていってもこれはほとんど幼児のジャブジャブ池の利用だから」とどこにも集計されていない自分の頭の中の数字を出してきました。
ほとんど って感覚的な話ではないんでしょうか。じゃあ何人がジャブジャブ池かというのは?
 ジャブジャブ池に500人も入れるかというと、入れません。だいたい幼児が500人も小学校に来ません。(多分ですけどねー(^^;)でも考えたらわかりますよね。) 私は昨年施設利用状況を2日間見てだいたい一日3~4時間ですくなくとも4~50人くらいは使っているのを見たんだけどなー。
 
 しっかりしたところを見せたいと思われているのかもしれないけれど、それは自分の論をむりやりに通しているとしか思えないんだけどねー。

 言い合ってもしょうがないので、その辺の矛盾はすべて私のココロの中で処理しましたがー。
人の言い分をまったく聞く耳を持たない人だなあと 印象が悪かったです。

 話をするときに、本当に会議で話し合いたいと思う人と、自分がいかに偉いかをひけらかしたいと思う人ってこの辺で違ってくると思います。
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性懲りもなくオマケにつられてみたり
2005/04/22(Fri)
 待ち時間だけは沢山できたので、時間をつぶすために立ち読みをしたりするのは先日どこかに書きましたー。

 それで先日eyecoという雑誌をオマケにつられて購入したことも書きましたー。

そうしてそうして、昨日またまたオマケにつられて雑誌買いました。BAILAという雑誌です。
つられたおまけは ネイルシール。

一応主婦なので、おまけに生き物の世話やら植物のせわをしなければならないので、爪はみがくことはあってもなにも塗らないことの方が多いのですが、たまに綺麗に爪をしていらっしゃるお母さんをみかけると「ああ、綺麗にするのっていいな」と思います。
 先日は水色のネイルに小花のネイルシールを貼ったおかあさん。水色は私はやらないとおもうけど、小花もかわいくていいなーと。

ネイルアートはまだなじみがなくて、爪にあるまじき色やら柄やらがあると違和感があるけれど、立ち読みしたBAILAの中に載っていた フレンチネイル(爪先だけ白くした)風のレース柄使いのネイルシールはなんだか綺麗で気に入ってしまいました。

雑誌の値段は670円。 使わないしなあーなんてその日は帰ったのですが、帰宅してから気になってネイルシールの値段を調査。 だいたいシート3枚いりで500円くらいらしいのです。

頭の中で 670-500=170 というような計算式が浮かんで、買ってみようかなあーと。
昨日息子を迎えに行く途中で本屋で購入しました。 
ギラギラ目立つ爪は好きでないけれど、相手が気づかないくらいの感じがいいなあーと、左手の小指と薬指にちょっとやってみました。  ちょっと楽しいかも。 気に入りました。
ネイルエナメルは手持ちのベージュしかなかったので白の小花がピンクっぽくなってます。
小指の画像がこちら。 爪の形は綺麗ではないので、雰囲気だけみてね。
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自分がやっていることの効果?を確認してみたり
2005/04/22(Fri)
 今週は本当に、根気が必要でした。しんどかったー。 まだ明日も朝から役員会・運営委員会・午後から校庭開放の打ち合わせ 出られたらサッカーの打ち合わせというスケジュール。
でも、今日は久々にハイシャしか予定がないので、久々の開放感を味わっています。

 来週も平日4日間出ずっぱりで予定があります。 「気合だー」ゴールデンウイーク明けも全部詰まっています。 おお。もう5月か! がんばるぞ。

 というわけで、今週はすっかり家事がおろそかになってしまいました。そうしていると一週間たつ頃には家がそこはかとなく汚れてくるというか。

日々、なんにもやってないような気がしているんだけれど、こうやって家事に手が回らない日が続くとそれでもやってないわけではないんだなあと、私が毎日家事をやっているからこそ、今の家のレベルが保てているんだなあと思うのよー。 とさりげなくpon1に自分の存在意義とか存在価値をアピール。(^^;)ゞ

さて、今日はそのツケを払ってたまった家事をやっつけます。 こっちもがんばろー
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運?超能力?
2005/04/21(Thu)
 くじ運というものを実感したことがない=つまりものが当たったという記憶がない私なのです。

ところが、昨日ふときがつくと超能力?くじ運?

委員長決め、結局くじになってしまいました。
立候補者がいなくて、だれもうんといわなくて、「くじにしたい」と皆さんが言うのでしょうがなかったのです。 私も「やってください」といえる心当たりがなかったし。

でも、委員さんの中に知り合いが何人かいました。その知り合いの中に、この人かこの人がやると言ってくれたらいいのにな。安心なのにな。という人柄の人がいました。 ただ、それはその人の性格やらそういうものだけでの感想なので、お仕事のことなどはよく知らないから無理強いができないと思ったのでした。

 くじは、各クラスを書いた紙をつくり封筒に入れ、私が引いたものが新委員長、旧副委員長がひいたものが新副委員長ということにしました。

私は、「この人がやってくれたらいいな」と私が最初から思っていた人を順番に2人引き当てました。 つまり思っていた通りの人を2人引いたということ。 スゴイ。
 クラスを書いた紙を引いて 思っていた人を当てるという高等テクニック?です。
16人中2人ですもの。いつもこういうことができたら、すごい手品です。

 この力、いままで発揮できなかったー。もしかしたら運をこれで使い果たしたかも。

いや、日頃からくじを引くときに「どうせあたらないから」と思って引くのがいけないのかもしれない。もっと切羽詰って「絶対あてる」という意識でのぞめば、一等を引き当てることもできるのかな?

 なんてー。 今日も学校です。広報委員の仕事です。 頭痛はどうにかおさまってきたような気がします。(^^)
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ハトノフンの思い出
2005/04/20(Wed)
 昨日、友だちの上に「鳩のふん」が落ちてきたと聞きました。

それを聞いて、私も過去に「はとのふん」の洗礼にあったことを思い出しました。

私が中学生のときのことです。
中学生時代は「吹奏楽部」というクラブに入っていました。「ブラスバンド」ではなく「吹奏楽部」だと先生。 クラリネットやフルートの木管楽器が入っているから 「ブラスバンド」ではないのだそうです。

ブラスバンドって?
About [ The British-style brass band ]

そのようにこだわりを持った先生率いる私たちのクラブは、まあそこそこの成績の部でした。

コンクールのために、隣の県の会場に行ったときのことです。
吹奏楽の楽器は、出してすぐに良い音がでるわけではありません。ある程度吹いて管をあたためておくことが必要です。 会場近くの公園などを出番順に回って軽く音を出して練習などをして出番を待ちます。 緊張は 本番のタクトが下りる直前に最高潮になります。
 そんな、出番まちの少し緊張気味の練習のときのこと。 楽器を持ち移動している私の頭(その頃髪はロングだったので、左右に分けて結んでいました。)に なにやら「ぼたぼたぼた」という音とともに突然何かが落ちてきたのです。
 一瞬ワケがわからなかったのですが、一緒にいた友達が 「ハトの糞」といったのでパニック。
これから出番なのにどうすればよいかわかりません。糞は肩と結んだゴムあたりに重点的におちていたようでした。

 パニックになった私は、とにかく顧問であり指揮者である先生にしらせようと試みました。
「先生。ハトの糞が・・・」
くるっと振り向いた先生の顔は忘れられません。
「汚い!」という顔をしていました。 結局先生はなにもしてくれず、友達が皆で拭いてくれました。 思ったよりも被害は少なかったようで、無事に演奏を終えることができたのですが、その時の出来事はまだ子どもだった私にはわすれられない出来事になりました。

 中学時代の顧問の先生はかなりカリスマ性のある先生で、だからこそ部員を引っ張っていけるような人だったのですが、今大人になって思うと 多分に我侭でした。部員をわが子のように愛しているような人ではなかったのだと思います。
 母の記憶では 私はその先生にひいきされていたとのこと。私にはあまり記憶がないのですが、母や妹の記憶ではそうだということでした。 
でも、その「ひいきされている」と身内が見たような子がきても、ハトの糞はきたないものであり世話をやきたくないものであったという。(^^) 学校の先生ですから、子どもにわが子のような愛情をそそぐことは必要ないものなのですけれど。

 この辺について、親が子に対してもつ愛情とは根本的に違っているもんだなあとしみじみ思います。あの頃はそこまではわかりませんでしたが、信頼し、尊敬していた先生から見放されたような、そこに地面があると思って踏んだら スカッと空中を足が空振りしたような、少し悲しく、同時に愕然としたことを覚えています。
 多分、そこでたすけてもらえると思った最初の相手が 顧問の先生だったということはそれなりにやはり目をかけてもらっていたということはあったのだろうなあと今は思いました。

 私はといえば、その時に「ああ、人というのはそういうものなんだな」と、それまで全面的に信頼し、尊敬していた先生が、ただの人間だったというような記憶があります。 ハトの糞の思い出は 私にとって 人生のうちで何回かあるであろう大きな人生経験のひとつとなって残っています。

  この思い出は、ネガティブで悲しいイメージとして私の中にあるのではなくて、「ひとつ真実がわかった」という 大人に向かって一歩前進! というような記憶なのです。 
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いそがしいです
2005/04/20(Wed)
 昨日は、5月発行の広報紙の校正、今日は新委員長決めと引き継ぎ。明日は広報紙校正結果回収。 土曜は運営委員会出席・午後からも打ち合わせ出席。 来週も同じペースで行事が続きます。 なので、チョット書けない! 

しかし。。。。

今日の委員長決め。新委員から 続々と欠席連絡が入ります。
欠席連絡いれずに休む人はいるかな?

懇談会があって次の週なので、会社がそんなに休めないって言う人も多いかもしれないとはおもうけど。(勤め人だったからたぶん私もそう思うとおもうし) でも、中には「委員長になりたくないから」で 休んでしまう人も多いのではないかと思う。 現在三分の一が欠席の連絡を入れています。

 休むという人には 「絶対にできない理由があるのであれば、私のほうから皆さんに理由を代理で説明しますので、教えてください。そうでなければ、最悪の場合は欠席者を含めてくじ引きで決まることを了承してくださいね」 と言いました。

こんなこと言いたくないんですけど。やっぱり 「休んだもの勝ち」みたいな不公平は良くないと思う。それでも委員長になる確率としては休んだ方が格段に下がる事は確か。

 くじ引きなどで 困るのは、やる気がなくて、モラルも低い人が委員長や副委員長になっちゃったとき。
 昨年も一回も委員長らしい仕事をせずに引き継ぎにも来ない人がいたらしい。副委員長がとても苦労したとのこと。

 後、どっちにしても一回は委員をやらなければいけないみたいだから 一番楽なのをやろう というのも困るらしい。 楽しよう・お茶をにごしたい という人があつまってしまって、委員会もまったく集まらないみたい。

どこも皆困ってるんだよね。 

 委員会の仕事がきちんとわからないから、お母さん達の間でうわさも広まって 「ベルマークはケチャップがついてカビが生えたようなのを集計しなければいけないんだって」とかそういう話もまことしやかに広まっている。 本当にそうだったらたしかに嫌だけど、全部が全部そんなわけはないだろうと思う。

ま、そんなこんなで、今日は気が思い。 すんなり決まればいいけれど。
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スパム・スパム・スパム
2005/04/17(Sun)
 迷惑メールが不快だったので、SpamDump というソフトを入れてみた。

(くだらないことだけど、この名前を聞くと SLAM DUNKを思い出す。 桜木花道という名の高校生が主人公のバスケットボールマンガ)

結局はフィルタリングしてくれるだけだから、そんなに関係ないかなあなどと思ったのだけれど、結構良いかもしれないと思い始めた。 実在しないメールアドレスや NGワードでスパムと判定してくれるので、このフィルターを通してまでやってくる スパムはそんなに多くないし、これをかいくぐってくるメールは あまり不快な内容が書いてあるわけではないので、見てもサクっと消すだけだし。

 私はメールアドレスをいくつか持っているのだけれど、メインで使っているのは2つ。一度はメールアドレスを変更しようかと思った。でも、それに伴う手続きをかんがえていたら、変更はいやになってしまった。 まず、知り合いにアドレス変更のメールを出す必要があるし、それ以外にもあちこちに登録したメールアドレスを変更しなければいけないし。。とか。

 ところで、ひっかかったスパムやらフィルターを抜けてきたスパムをみると、何度も書いていることだけど結構笑える。

 件名 「re:お問い合わせ」 よくあるパターン。何かの返信間違いを偽装しているんだろうけど。「出会える系サイト」 笑いました。 「出会い系」で 拒否している場合を想定してるんでしょうね。

 捨ててしまったメールだけど vi@graっていうのもあった。 viagra で拒否されていることを想定しているんでしょうねー。

 でもねー。迷惑メール出す人に本当に伝わって欲しいと思って書いているんだけど、フィルターでNGワードにしている人に NGワードと同じものを別の表現で届けたとして果たしてその人が買ったり入会したりする確率ってどうよ?
 私は限りなくゼロに近いとおもうんですけど?。

届いたメールの数でお金がもらえるんだったらそりゃ意味があるでしょうが、意味のない努力だとおもうんですけどがー。 スパムなどを送ることで、ネットで小遣いかせぎしようと思っている人。その辺よく考えてやってくださいね。(^^;)

 
 さて、今日は息子のサッカー当番です。 お勤めがんばってきます。
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針のむしろ(TT)
2005/04/15(Fri)
 「ことしは、たくさんてをあげてはっぴょうしているよ。」「かんたんなことでもわからないひとがいるんだよ。」
などと景気の良いことを言っていた息子。

昨日、「明日は参観日だから忘れ物のないようにしないとね」というと「こくごだけわすれないようにすればだいじょうぶだよ」と言っていたよね。キミ。

母は意気揚々と大船にのったつもりで出かけた学校。教室にはいってみると、教科書を出せといわれても教科書も出していない。お面を皆つけるといっているのに だらだらとだらしない格好をしている。 血も凍る思いとはこのこと。 

 声に出してよいのだったら 「なにやってるの。ちゃんとしなさい」と言いたかった。 よりにもよって席は一番後ろ。 だらだらした姿は保護者に丸見え。まだ授業に入るまでには間がありそうだったので 隙を見て、「先生はなんておっしゃったの? 教科書出しなさい」と小声で注意したら「こくごのきょうかしょわすれた」ですって。「昨日忘れ物ないよねって、おかあさん言ったよね!」という言葉を飲み込みながらなさけないやら。

 愕然。

おまけに、わすれたならわすれたできちんとしようはいくらでもあるはずなのに、授業で使うお面が気に入らないとかなんとかで だらだらと最低な態度でのぞむ参観授業を後ろで見ている私は、「忘れたなら忘れたで できるかぎりきちんとしなさい!」と叱りたかった。。。 いえないで見ている私のもどかしいこと。  他の保護者はそこまで見ていないだろうと自分にいいきかせながらも、針のむしろとはこのこと。  いたたまれずに教室を出てしまった。

気を取り直して教室に戻り授業をみたけれど、授業が早く終わってほしいとだけを考えていた。
たぶん、息子も別の意味でそうだったのだろう。彼はいくらでもやりようがあったはずなのに。(TT)

 息子は今、友だちの家に遊びに行っている。私も頭をひやしたので、今日はどういうところが悪かったのか、それを直すためにはどうしたら良いと思うかを二人で話し合ってみようとおもう。

 子育ての道はなんとけわしいことよ。。。(TT)
 
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元気な60台のわけ?
2005/04/15(Fri)
■山登りをする60台

 先日pon1と例のごとく話しをしていた。 「60台くらいの人の登山人口が多いというのはすごいことだね。」 と。 pon1は山歩きを趣味にしていた時期があり、冬山を除いて山の装備は一通り持っていた人だ。私は学生時代に「探検」というちょっと今考えると子供っぽいクラブに入っていて、そちらで山用の装備を使っていた。私も低い山に登ったり目的地まで重い荷物をもって延々と何キロも歩いた経験を持っている。 私が60歳の頃に、果たして山に登る元気があるだろうか?と考えるととんでもない。まず登ろうという気さえおきないような気がする。たとえ暇があっても何キロも上り坂を登る必要のあることは真っ平だろうと考えた。その思いをpon1に話すと ほぼ意見は一致。ふたりとも好き好んで山に登ろうとは思わないのではないだろうかという話しになった。そのくらい日々のトレーニングで体力をつくっておく必要があるし、それなりの覚悟がいるところが山だと思っていた。
 ところが、東京の田舎の方にある山には毎週のように年配のハイカーがつめかけている。皆立派でピカピカな軽装登山用具に身を包んでいるが、皆どう見ても60台前後という感じ。男女比からいくと女性が圧倒的に多い。それだけ金銭的にも体力的にも時間も余裕のある人達が多いのだろうと思った。 彼等と比較すると若い私のほうがずっと元気でもよさそうなものなのにこの元気のなさはどうだろう。そうして彼・彼女等を山に向けるのは何なんだろう?
 pon1は、「あの年代は一番無理して頑張ってきた年代なんじゃないかなあ。」と。つまり「頑張ってきて自分が感じた達成感が忘れられないのではないだろうか」という話しになった。
たしかに一理あると思う。もうだめだと思ってもあと少しと頑張る。そうして、その後にやりとげたときの喜びは通常感じることもないほど強いものだと思う。それを何度も日常的に体験していた人達にとって起伏のない平和でぬるま湯のような毎日は私が感じる以上につまらないものかもしれない。

■最近のひとたち
 結構年齢がいってから結婚した私は学校でも違和感を感じることが多い。つまりお母さんたちとの年齢の差というのが行動パターンでわかるようにおもう。私と同じくらいの世代のお母さんは比較的もりあがって頑張って楽しむというパターンの人も多いのだが、もっと若い世代になると私達世代とは少し雰囲気が違い、クールで自分に負担がかからない程度に何事もやっているようにも見える。年齢が若くなればなるほど、日本が豊かになり、物やお金に不自由しなくなり、たとえばひとつの方向がダメであっても、さほど努力をせずとも代替の手段がみつかるという世代になってきているのではないかとおもう。
 少し年代としては幅が広すぎるたとえだけれど、野口英世などの時代は「勉強ができなければ、さっさとやめちまって家の手伝いでもしろ」という時代だったわけで、それが今は「この大学がだめだったとしても、コチラも受けて、それでもダメなら浪人もOK、どうにもだめだったら ニートでもやって親のすねをかじっておくか」という状態なのかなあと。

 政府が言うほどニートが悪いとは思わないのだけれど(とは言いながら、ニートのイメージが悪いので、「考える」ことができる日本人が少なくなりそうな危機感はあるのだけれど、しかし芸術家などには職につかずにこつこつと何かを作り続けていた人達が昔からいたことを思うと、今からは芸術家が育つ時代かもしれないなんて思ったりもする。)

 すべてが芸術家になるというわけもなく、目的がなくただだらだらと過ごす人達もいるだろう。自分がやりたいこと、手がとどきそうだけど届かないかもしれないことにあえてチャレンジするという気持ちを知らない人達がいるとしたら、そのひと達の人生はとてもつまらないものに見えてくる。できないかもしれないと自分でも思っていたことにチャレンジするということは大きなストレスを伴うのだけれど、それを達成したときの喜びというものは、知らない人にはわかりようのないほど大きなものである。
 5つ、6つ選択肢を用意されていて そのなかで自分の一番好きなものを選んでよいというのもそれはそれでしあわせなことだとおもうけれど、多分それよりももっと大きな喜びは 到底手に入らないと思っていたものを自分が努力して勝ち取ったときではないかとおもう。

 豊かになるということは、労せずとも手にはいる時代になったとは思うのだけど、労したものだけが手にいれることができる替えがたい感情は彼らにはわかるまいと思うのだった。

■頑張り、できたことを嬉しく思う気持ち

別のブログに友人が書いてくれたことに達成感を与える物質に「ドーパミン」があるとのこと。多分、頑張って頑張ってできたというその喜びのときには ものすごく大量のドーパミンが分泌されているのであろうと思ったりした。 一度頑張って、やり遂げた経験を持つ人はその喜びが忘れられないのではないかと。 そうして次も同じように頑張ろうとおもう。達成感は大きな次の推進力となる。ということだろうなあと思ったのだった。
 身の回りで、解決せねばならないものがあり、「あ、これは得意な分野だ!」と思ったときに私が感じるちょっとした緊張感と「解決したい!」というわくわくする気持ちはきっとこれに由来するのだとおもう。

 60台の山登りをする人達、もしかしたら 頑張って頑張ってやってきて、お金も健康も一通りすべて満足に不自由なく暮らせるようになってみたら、今度は必死に頑張るものが身の回りにない。だから体力を使うけれど山に登って達成感を得ることに知らず知らずに夢中になってしまうのかもしれないなあと思った。

 しかし、いずれにせよ、頑張った後にくる喜びを知っているということは知らないよりもずっとずっと幸せだと思う。その喜びを知らない生活を考えるとき、なんて退屈な人生なんだろうと思ってしまう。 喜びを知っているから頑張れる。そうして楽しい人生を送れるような気がする。
 
 だらだらしちゃったので後で読み直そう。>今日は参観&懇談です。
 
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それでも地球はまわっている
2005/04/14(Thu)
 息子と夫が出かけた後に NHKの連ドラがはじまるけれど、私はどうも苦手で消してしまう。
そうして、家事をつらつらはじめる。今回の「ファイト」もあまりみていないのだけれど、前回くらいから ながら見しながらもちょっと気になる展開になっているのに気がついて、いまだにながら見だけどちらちらと見た。

 どうやら、主人公のお父さん「緒方直人」は小さな工場?をいとなんでいるらしいが、自分よりも規模が大きい会社の不正を新聞社にしゃべってしまったらしい。
そうしてそれが記事になった。 不正をばらされた社長「渡辺 徹」は、手違いでまじってしまったわざとではなかったと謝罪会見を開く。

 会見する渡辺徹がやせていて、一瞬だれかと見紛う。悪人面もよくみについていて、いかにもコズルイゴマカシをしそうな表情。演技だったらうまくなったな。

 主人公は学生。渡辺徹の娘と同じ学校に通っている。 新聞にしゃべってしまった前回は渡辺徹の娘のことを主人公が心配するという流れだったけれども、今回はその娘に「お父さんは悪い事をやってない」と、父の証言を信じて不正を暴いたことをウソの証言をしたかのように学校でとがめられる主人公。(娘だから親を信じるという自然な設定だとおもう)

 帰宅してから「正しいことでも、それが通らないことだったら言わなければよかったのに」と緒方直人を責める主人公。

 ココまでが今回。 「正しい事」 というのは その人その人によって違う場合もあるかもしれないけど、世の中には 自分で「正しくない事」をしても それを「ごまかしてしまえばそれでOK」と思ってしまう人もやっぱりいる。
 会社にいた頃も、会社をやめてからも やっぱり こういう人はゴロゴロいる。たぶん私とおなじように「あるある」と思った人はこのドラマをみていた人の中にも多かったのではないだろうか。

■ごまかしの芽

 先日、息子は前にトラブルのあった子を家に呼んだ。もともと息子と趣味が合わないのだけれど、相手の子は良くも悪くも「大人を利用する子」なのだ。 それはきっと小学校に上がる前から色々な経験を通して学んだのだと思う。
 以前息子と遊んでいるときに、突然私に言いつけに来たことがある「息子くんが自分に水を掛けた」と言うので息子をみたら その子はちょっとぬれていて 息子は全身びしょびしょになっていた。 どうして言いつけられたのか理解できないような顔をしながらも神妙にしている息子。 「息子だけが△くんに水をかけたの?それとも△くんも息子に水をかけたの?」と聞くと 「もういい」といって逃げ出した。 あとから息子にきくと 沢山水をかけられたとのこと。そうして楽しいと思ったので 自分も相手に水をかけたら 突然言いつけられたとのことだった。 状況を知らない保護者にいいつけると 多くの保護者は自分の子どもを叱ることを体験的に知っているんだとおもう。 私はそういうことはしない。誰でも悪い事は悪い。 わからないことはわからない。そうしてわからないときには状況はきくけど憶測では誰も叱らない。

 先日その子が遊びに来るとなったときに私は「仲良く遊びなさい」と声をかけた。これは二人にかけたつもりだった。息子は気を使ってゲームでも自分がわざと負けてやったり、相手がやりたいというものを次々にだしてやったりあまりにもいたれりつくせり。 相手は、それに乗じてわがまま放題をいいはじめている。(きたとたんに、まっすぐに台所へ行き、勝手に冷蔵庫をあけ、ひとつしかないアイスクリームを確認しておいて「おなかがすいた。アイスクリームが食べたい」と言い出したりする。)「やっぱりこの子はそういう子なんだなあ。」と思って見ているさなかに、 おもちゃの剣を出して二人で遊び始めた。 最初に息子がソファーをバンバンと剣で叩いた。「こら!やめなさい」と注意。注意した私の声がまだ空中をただよっているかというほどのすぐに、遊びに来た子が 同じようにバンバンと剣で叩いた。「こら!」と私が言うと「息子くんじゃなくてボクでしたー」ですって。「知ってるよ」と思いながら「誰がやっても悪いものは悪い」と答えた。 どうやら その子は私の「仲良くあそびなさい」という言葉は息子への注意だとおもったらしい。 「じぶんだけは叱られない」と思っていたようだ。 だれがやっても悪いものは悪い。 でも、そういう子は反省しない。まるで大人の隙をつけねらっているように、こそっと自分だけが得をするようにたちまわるんだよなあ。 ばれたらばれたで「かわいい様子」をしてご機嫌をとろうとするのをみると、自分を操ろうとされているかのような不快な感じがする。 私は操られないけどね。(^^)

■大きなごまかし

 もちろん、ごまかしは大人にも存在する。人にわからなければ平気。もしばれても「しりませんでした。」「わざとじゃありません。」と言い切れたらOKだと思っているであろう人達が沢山いる。
たとえば政治の世界にもうじゃうじゃいるのを目にする。
 「秘書が勝手にやったことで、しりませんでした。」トカゲの尻尾きりだと皆知っていてもそれで通ればOKだというのは本当に多く目にする。 「秘書がやったことだけれども、私の監督責任があります。これが果たせていなかった。ご迷惑をおかけしたので責任をとります」というひとは一人もみかけない。 だいたい秘書が自分の得にもならないのになんで勝手にそんなことをするわけだ?いままで何人も責任をとらされてすげ替えられているのをしっていながら、あえてやるのだから、よほどの理由があるわけだろう。(^^)

 会社でもある。たしかにある。たくさんのそういうことを目にしてきたけれど、詳細は語らないでおこうとおもう。

■共通する事

 小さな子どもから、大人までその全員に共通することは「自分だけが良い目を見よう」というエゴ。そのためには「他人を切り捨てたり、迷惑をかけたりすることは厭わない」という姿勢だと思う。 「人間」という「動物」が本能的にそういうものをもっているのかもしれないが、少なくとも、「国」というものを動かす職についている人達の中にいる、そういう衝動が抑えられない人達は、 あきらかに「不適格」ではないかと思ったりした。 息子はそういうひとたちがうじゃうじゃいる世の中につい最近小さな舟でこぎだしたところ。これからいろいろな経験をしながら育っていくのだろう。

 悪気はないけど「権力」「肩書き」にしがみつきたいだけの大勘違いな人も困るけどね。

話しがどんどんそれていっているなあ。

■そだそだ!
話しが一気に世間話に突入だけど、昨日このファイトで見た川原亜矢子。 額をあげていた彼女の、あまりの「しわ」にビックリ! 目を疑ってしまった。
 お化粧も濃いし。 やっぱり彼女は「雑誌」のモデルさんなんだなあーなんて思ってしまった。
キッチンの河原亜矢子にもビックリした記憶がよみがえってきたけど。あの頃は若かったねー。
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何のための勉強
2005/04/13(Wed)
 いつも拝見しているブログに、先日の中学生が防空壕跡で火を焚いて亡くなった事件のことがかかれていた。子どもが亡くなる事故は、「ひとごと」ではすまされない。悲しい思いを抱くとともに、親として私も息子になにか教えるべきことがありそうにも思い、ふと思ったことを夫に話した内容とブログの内容が似ている流れだったので、ああ、そうだよなあと。

夫に話したことは、学校がとった施策が 「校区内の危険箇所を知るための無記名アンケート」と報道されていたことについてだ。
私が「校区内の危険箇所をリストアップして立ち入り禁止にしたり見回ったりということも大切かもしれないけれど、それ以前に 一酸化炭素中毒についても教えるべきじゃないのだろうか」と夫に言ったのだった。 一酸化炭素中毒は、「おこそう」と思わなくても、条件さえそろえばどこでもおきるものだということがわかっていなかったのではないだろうか。
 つまり、実験室と生活が乖離してしまっているのではないかと思った。

 テレビを通した防空壕後はくぼ地にあるように見え、入り口も小さくいかにも空気の入れ替わりが少なそうに見えた。 見るからにその穴は子どもの心をくすぐるみかけだった。外から奥まで見通せそうな穴よりも入り口は小さく、奥が広くなっている穴のほうがずっと子どもの心をくすぐる。 最近は火を焚くということも制限が多い。 人から見られない場所で仲間で火を焚いてみようというのはわくわくする計画だったと思うのだ。 「なぜしたのか」というよりも 私には子どもがやりたかった気持ちが想像できるような気がした。

ところが、私はそういうことをしたことがない。それは火を燃やす事にまつわる中毒を身近なことだと知っていたからだとおもう。もちろん、彼等は世には「一酸化炭素中毒」なるものがありそれで命を落とす人がいることを知っていたとおもう。 ついこの間も車の中に練炭火鉢を持ち込んで集団で命を落としたというニュースがあった。 しかし、「実験室」や「車の中」のように最初から一酸化炭素を発生させようとして、条件を整えた環境でそれが発生することは知っていても、自然の環境で条件がそろってしまうことがあるということまで その知識を発展させることができなかったということなのではないかと思った。知識を自分の生活に置き換えて利用できない。 そこが今の教育の問題点なのだとおもう。 

 朝の忙しい時間だったので、夫との話しはその時はあまりつづかなかったので、ここに書いたのは私の考えだけ。

■雨の日に花に水をやる・トリの足を4本書く
 
 先日先生方との対話会で話しをしたときに、ネットでみかけた不思議な行動についても少しお話してみた。大学生や、新入社員が 雨の翌日に花に水をやったり、トリの足を4本書いたりするということがあるらしい。この原因は何だろう?と。
 先生方は自分でそのようなケースに遭遇することはなかったらしく、原因らしいものははっきりとはわからなかったけれど、 「小学校一年生でアサガオを育てるときに、最初は皆雨の日も水をやってますよ」と。「雨の日はやらなくていいよ。雨の水がかかっているでしょう」と教えると次からやらなくなりますね。」とのことだった。 先日はニワトリの観察というのをやってきていた。息子は立派なニワトリを描き、足はきちんと2本だった。

 「お母さん方は雨でも花に水をやることはありませんか?」と聞かれてはっとした。そうだ。最近はマンション住まいの人も多い。 屋根のついたベランダやバルコニーは 雨でも水をやるのである。 問題は学校教育ではなく、家庭での生活をふくめたところにあるのではないだろうか。

■「ゆとり教育」のねらい

見直しがはじまった「ゆとり教育」だけれども、当初の狙いは以下のようなことだったらしい。
以下は取材のために読んだ本の内容を私が要約したもの。

 
当時文部大臣有馬氏「今40台から50台の人達は子どもの頃理科ではOECD でも1,2番だったのに、40台になったときの追跡調査では OECDでも最低ラインに知識が落ち込んでいる。これは詰め込んだ教育が良くなかった。ゆとり前の教える量と時間が100として、総授業数を10%削減し、授業内容を20%削減することで、 10%のゆとりが生まれる。この10%で実験などをやり80%の知識を全部身につくようにしたい」


 ところが、この話しを先生方にすると「この論は構想時にすでに破綻しています。」との指摘があった。 つまり授業内容を80%にしたからといっても 100%の子どもが理解できる事自体がありえないのだそうだ。 そうしてゆとりのはずの10%はわからない子ども達を教えることに費やされるわけだけれども、その10%を使ってもわからない子はわからない。
 結果、もっと知りたい。もっとやりたい子たちがつぶれてきてしまっているとのこと。

たとえば小学校程度で習う事は「今」できなくても大人になってもわからない人はあまりいない。子ども達にはそれぞれわかる時期という「個人差」が存在してあたりまえということだと理解した。

■親の反省点

 先生方と話をして大きく反省したところは、「親として子どもに求めるものは何なのか?」ということ。
「理解し、応用する力」なのか「点数」なのか。 公立の学校に通わせている私からするとまわりから「受験で不利になる」という情報も多く入ってくるので 「私立という選択肢は本当にこれからもとらなくてよいのか」とか「塾にやらなくて良いのか」という迷いも生じるけれども、どうもこの子ども達の上滑りの知識は「受験」や「受験のための塾」にあるようにおもえてきた。

 塾に通って先に先に教科を習っている子たちは「計算のテクニック」にはとてもたけているけれども「なぜそうなるか?」ということを理解していない子も多いとのこと。 三角形の面積の出し方が 底辺×高さ÷2 であるという事は知っているのになぜそうなるかということは知らない子が多いのだそうだ。(塾にもよるでしょうが)
 
「学力」を 「計算ができる」「漢字が書ける」「テストで良い点数が取れる」という風にとるかどうかということらしい。

 私は話を通して、自分を反省する事が多かった。理解できているのに100点がとれない息子を「どうして、とれないんだろう?ここまでわかっていたら、ケアレスミスさえなければ100点とれるはずなのに」と歯がゆく思うこともあった。  でも、ちがうんだ。 大切なのは100点とれることじゃない。わかっているかどうかなんだと。理解してそれを自分で発展させる力があるかどうかだということ。

 子ども達が学んでいる知識がただの「テストのための勉強」となってしまったときに 勉強の面白さも、有益さもうしなわれてきているんではないのかと思った。 学問とはこの世のいろいろなことを解き明かす為にあるもので、それ自体は本来はとても面白く有益なことだとおもう。それを単なるスクリーニング(ふるいわけ)の手段としか捉えていないこと自体に大きな問題があるのではないかと思った。

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元気なんですが ~ 花粉のニュースから
2005/04/12(Tue)
元気なんですが、年度はじめのバタバタでゆっくり「考える」時間が少なくなっています。(^^)

昨日は、広報の打ち合わせ。その後委員さんたちと昼食。委員や役員をやってみてよかったとつくづく思うことは 沢山の価値感と出会うことができること。昨日も、「わあ、この人はこんな風に考えている人なんだな」とよくわかることだなあとしみじみ思いました。

 自分と似ているところもあれば、まったく考え方が違うことも多いです。そういう細かいことは日頃学校でちょっと顔をあわせる程度ではわからないことも多いです。

学校も、昨年一年間委員をやったおかげで先生方との距離が縮まりました。ちょっとした頼みごと(といっても 原稿の文字数を減らして欲しいとかそういうことですが)も、気負わずに言いに行けるというのは、先生方の性格がわかってきたということだと思います。

■花粉のニュースから

 この2,3日寒いし雨だしで花粉は控えめ。助かっていますが、昨日の朝日新聞夕刊に 列島上空 花粉ドームという記事がありました。

全国各地で観測しているが、75年からデータが残る千葉県船橋市で、今シーズンのスギとヒノキの花粉の総量が、6日までに6090個に達した。これまで1シーズンの最高だった95年の4599個を大幅に超えた。

ということで、予測通り過去最高の飛散量だった(まだもう少し続きますが)ようです。

そうして、困ったことに

ヒノキ花粉も重なる「非常に多い」状態は今月末には一段落するとみる。しかし、関東周辺ではその後、奥多摩や秩父などの標高800メートルクラスのスギ花粉が雪解けとともに飛んで来るという。

 標高の高い地域のスギが樹齢30年を迎え、花粉を飛ばす時期を迎えているためだ。これまでは、「春の花粉はゴールデンウイーク前まで」とされてきたが、今後は連休後も飛散が多い状態は続くと予想される。


とのこと。さらっとナナメ読みして 「雪解けとともに飛んでくるとは?」と一瞬思ったのですが、つまり標高の高い地域の春の訪れとともにその地域のスギが花粉を放ち始めるということですね。(--;)

 30年前にスギを植えるように推奨した「国」がもっとどうにか対策とってくれないと、一年中スギの花粉に悩まされる列島になってしまう。私もそうなんですが、鼻水がジュルジュル出るだけではなく、喘息風の症状が出る人もいます。 日本国中喘息だらけになったら。。。。

そのうち「こんなにスギ喘息が増えたのは日本がとった杉植林政策の結果だ」ということで国を相手取って裁判を起こす人も出たりして...。 花粉の出ない杉を研究中なんていうまどろっこしいことせずに、とにかくすぐにでも実行にうつせる対策をとって欲しいきょうこのごろ。 花粉が出ない杉があったとして、 じゃ、今ある杉を全部そっちに植え替えるんですかい?どうやって?
それ以前に今日本はそれだけのスギを必要としているんですかい?

今森林管理者が減り、必要な間伐もされずに放置された杉林も多いとのこと
間伐とは

間伐をしない森は 木の生長だけでなく色々な面でデメリットが大きいようだ。

杉をこれだけ植えていても、それを商品として高く売れる見込みもないことも原因のひとつだろう。これだけ花粉症が増えている今、健康保険の支払い金額もばかにならなくなってくるんじゃないかなあ。 そのうちに 「花粉症は 病気じゃないから保険適用外」なんて言い出したりしないでしょうね。 私たちだって、好き好んで病院に行きたくないわけですよー。保険が効いたとしても、毎回1500円とか2000円とか一週間ごとにかかるわけです。症状がなければ病院にわざわざかかってお金を使いたいなんて思うわけがありません。

 個人的には、補助金を出してでも、杉林を段階的に昔ながらの雑木林に戻して欲しいと思う今日この頃。あれだけ杉を人工的に植えたわけだから条件がととのえばできない話ではないとおもうんだけどねー。儲からないからダメなのでしょうね。

(地方自治体によっては 間伐に補助金が出ているところはあるみたい)
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ぬれぎぬ着せて申しわけなかった!
2005/04/10(Sun)
私の映画と読書の記録 通称 園丁というページが少し前から時間にもよるけれど激重だったのです。
 昼間はさほどでもないので、気づくのが遅れたのですが、夕方から夜になると真っ白のページのまま開かない。 

なーんーでー?

気づいた頃はスパムに悩まされていた(海外からの。おもにポーカーとか バイアグラとか あ、こんなの書いちゃうと、検索にひっかかっちゃうかな? そういう話はこのページには書いてませんYO)ので、スパムの連続投稿を処理するのに遅くなっているのかと。( MT BLACKLIST という スパム防止のプラグインを入れた時期だったので、そのせいか。。と。)

しかし、スパムに困っているのでブラックリストの便利さに慣れてしまうと到底もうこの機能ははずせない。。。

悩んでいました。 ところが、激重の時間のログをみても、別にスパムの投稿はありません。

あり?


次に怪しいと思ったのは、トガキューというトップ画像共有プロジェクトでした。皆で共有しているので、参加者が多くなって ネットを楽しむ人達が増える時間からその画像を取りに行くサーバーが重いからかなーと。
 javaの部分に 幅と高さを指定したらもしかしたら 画像を読み込む前に本体を書いてくれるかしら?と変更してみたけれど、まったく変化なし。

トガキューかなあ。それとも、レンタルサーバーで一緒に使っている人がこの時間に高負荷の何かをやっているのかな?と考えたけれど、園丁以外のページも同じMTで作っていて、そちらはさくさく動くのでレンタルサーバーのせいでないことはわかった。

ためしにトガキューをはずしてみてもあまり改善されないので トガキューでないことも判明。

もうあきらめていたのですよ。
ところが、先日、ふと、園丁にレンタルの時計をつけていたことを思い出しました。(最近は表示できなくなっていた) 時計はもう消してしまおうとソースから削除したとたんに いままでの重さがウソのように軽くなりました。

あー。犯人は時計だったのかー。 あらぬ疑いをかけてしまった仕組みの皆さん<へんないい方 に申し訳ない気持ちで一杯です。 犯人は レンタル時計でした。ごめんなさい!

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外に出る-地面に座る文化
2005/04/08(Fri)
■外に出る

 よく、幼児期に「外遊びの大切さ」を説かれると思います。昨日はまさにそれを体感した一日でした。 息子を習い事に送る為に一緒に外出しました。私としては、息子も、もう小学生だから歩いて行ける距離は一人で通って欲しいという気持ちもあるのですが、近くの駅で子どもの連れ去り未遂があったなどというような情報もあり、子どもの自立と子どもの安全を天秤にかける必要のあるご時世のように感じています。今は安全のため送り迎えは親が行っています。(これは区の警察からの指導もあります)

 さて、この2,3日は突然暖かくなり桜の蕾も一気に満開となりました。昨日はかなりの強風が吹き荒れました。

 家を出てからどこにいたとしても皮膚に感じる風の強さ。これは家の中では体験する事のない感覚です。先日までの風と比べて暖かい風です。これも空調の効いた部屋では体験することのないことでしょう。それから少し歩きますと、小さな畑があります。一面の菜の花が咲いていました。このあたりは、財産として土地を持っている人が、暇に農作業をして、生計は別でたてているような畑が多いのです。一面の菜の花の後ろには抜かれる前に白い花をつけてしまった大根がありました。
 風にのって 菜の花の濃厚な香りが漂ってきます。

色の洪水・香りの洪水です。道端には春の草花が花をさかせています。 歩道橋をわたります。中学生の女の子3人があぐらをかいてべったりと歩道橋のうえに座り込んでいるのに遭遇しました。驚きました。なんとお行儀の悪い。一人はスカートをまくりあげているのでギョッとするとスカートの下には膝丈より少しうえの青いジャージをつけていたようです。行儀もなにもあったものではありません。 当人達はまだまだ子どもでそういう格好をして人目をひくことによって楽しい気持ちを味わっていたりするのでしょうし、スカートをまくりあげることについて他の人がどのような気分で見るかなどお構いなしなのでしょう。私は女性ですからその程度しか感想をもちませんでしたが、この季節は変質者なども多く出る季節です。それを考えると「危険だなあ」と気になりました。「見えなければ良い」というわけではなく、相手にいろいろな想像をさせるきっかけを与える行動が危ないのです。若い頃は私もわかりませんでした。ファッションだからと露出の多い格好をして、母に叱られたものです。その時は「考える人がヘンだ」と思っていたのです。「考える人がヘン」なのはわかったことなのです。今は年をとったのでそれがわかります。

 当分歩くと今度は駐車スペースに黒い影を2つみつけました。じっくり見ると カップめんのカップを真ん中に仲良くカラスの食事中のようです。息子は「かぞくかな。オスとメスなんじゃない?」などといいながら先を急ぎます。 しばらくあるくと花屋方面に抜ける道と合流します。その角には二人のおばあさんがブロックにこしかけてなにやら話しこんでいました。 敷地と道の境目に20センチちょっとの高さにブロックが積み上げてあって腰かけるには丁度良い高さだったようです。  

 さて、息子を送ってから(実はこの間に筆を落とすということがあったので筆を探してまた息子に届けたのですが)また先ほどの道を帰ります。 おばあさん達は先ほどよりももう少し奥まったところのブロックに腰掛けてまだ話していました。 カラスはいなくなり カップめんのカップもなくなっており、その場所に猫がまるまって座っていました。 女子中学生はまだまだべったりと歩道橋にすわりこんで、今度はセーラー服から背中丸出しでかがみこんで何かを一心にみながら話し込んでいました。 菜の花は相変わらず濃厚な香りを漂わせていました。 と帰ってきたのでした。

たかだか数十分の行きかえりですが、こんなに沢山の五感を使った経験ができたのです。カラスや猫について私はもちろんイロイロな事を考えました。そうして地面に座る文化ということを思い出しました。 そんな風に刺激にともなっていろいろと脳を使う事がある。
 外を歩くということは、単に運動効果だけではなくて脳をやんわりとストレッチしたり、運動させたりすることができる良い機会だとつくづく思ったのでした。

■地面に座る文化

以前 野村雅一著のボディランゲージを読むー身ぶり空間の文化ーという本を読んだ事があります。
この本は1984年に初版が出ているため、今の日本の「地面に座る文化」がその当時よりもかなりさま変わりしている様子がうかがえます。

この本によると、

昔の日本では、這い蹲ることはともかくとして、土の上に座ることは、身分のよほど高い人をのぞけば、ごくあたりまえのことであった。


土と縁の切れたわれわれの生活から急速に姿をけしつつあるのが、しゃがむという姿勢である。現在の日本の都市でしゃがみこむのは、ツッパリの中学生と競輪や競艇の予想しを広げるファンぐらいのものだろう。前者ではそれは社会の”良俗”に対するぎこちない抵抗の姿勢であろうし(抵抗を通じて目立ちたいのだ)、後者ではそれは"良俗”に無理して順応しようという気の無くなったときにあらわれる姿勢だろう。


とあります。

明治時代の日本人描写で有名な ジョルジュ・ビゴーの絵が掲載されていて、ドレス姿でしゃがみこみタバコをすっている女性が描かれているのが興味深いです。4人の女性はお行儀が良いとはとてもいえないような姿であり、唯一しゃんと立っている女性は極端な内股で立っています。(着物の名残?)

 つまり、明治時代くらいまでは日本でもこのような姿でくつろぐことはいたって普通のことであったけれども、西洋文化が入ってくると同時に「お行儀が悪い」「みっともない」ことに変ってきたということがよくわかるのです。

さて、歩道橋に座っている彼女達がこの本を読んだらこの後どうするだろうか。「なるほど、自分達はアジアの風習に沿った行動をとっていたのだな」と思いどんどんと道ばたでもしゃがみこむことになるだろうか。 それとも今後は道端に座ったりしなくなるであろうか。 なんてことを想像しながら家に帰りました。

 おばあさん達はこの本を読んでも読まなくても多分行動は変らないだろうと予測しました。
なんとなくだけれども。 ただ、歩道橋に座っている中学生達のとなりにおばあさん達が座るときっと中学生達は座るのをやめてどこかへ行ってしまうような気がしました。
 こればっかりはためしてみたいけど試せない。  仮に、おばあちゃんも、中学生も隣りあわせで一緒に地面に座っているようなそいう光景があればそれはほのぼのしていてそれはそれで良いような気もしました。

そんな事を考えながらの散歩はとても楽しく気分転換になりました。たとえ花粉が沢山飛んでいようとも。(^^)
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賞味期限切れのプリンを食す。
2005/04/07(Thu)
賞味期限切れのプリンを食しながら、あったことをダラダラ書いてます。ゴメン。

一昨日は入学式に来賓として出席。息子もせりふを言うとのことで「ラッキー」とでかけました。
クラスで2人ずつ選ばれて息子は2回せりふがあるとのこと。親バカな私としては影から応援です。
その後、5月号の広報紙記事のために 先生方の写真撮影とコメント取材。昼過ぎに終わったのですが、まだ給食がない息子の分の昼食を作る力がなくなってしまって、近所のファミレスへ行く事にしました。そこまでは良かったのですが、入学式帰りの親子連れランチが花盛りで結構待たされてしまいました。失敗。
 帰宅したのが3時頃。直後に電話がなったので出てみると、近所の息子の友だちでした。
「今日遊ぶ約束をしていたから今から行ってもよいですか」とのこと。朝からバタバタと出かけたので、家もそのままだし。汗。。。
とりあえず「今帰ったばかりだから30分後にね」と言って電話を切って 見た目だけ片付けました。

 5時半まで息子の友人が遊んだところでお開き。

昨日は、離任式・退任式。これもPTA役員として出席です。朝からでかけました。その後、広報の取材の続き。 お昼までには終わったので帰宅。 夕方から息子のスイミングスクールと私のハイシャ。
この暖かさで桜が綺麗にさいていて見事でした。

今日の午前中はリサイクルに出す紙類をまとめたり、前々から気にかかっていたホームページのあまり使われないCGIを消したりという整理を少ししました。午後からは息子の習い事と、息子を耳鼻科に連れて行きます。風がつよくて沢山花粉が飛んでいるみたい。(><)

4月はいろいろと子どもの用具を調えたり、PTAの仕事もてんこ盛りなので、時間ができたときにぼつぼつ書いていこうと思います。さて、雑巾でも縫うかー。

賞味期限切れのプリン。大丈夫っぽかったです。(3月14日までのもの)。チャレンジャーです。


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スーに会う
2005/04/03(Sun)
 金曜の夕方、pon2と息子は会社を早く出る夫と上野で合流して ティラノザウルスの スーに会いに行きました。
恐竜博2005

■前売り券ゲット
まず、前売り券をゲットせよ!との指令にしたがって、早めに出て近所のコンビニに。「上野の恐竜博2005のチケットをお願いします」と言うと、 コレですか?と「恐竜博2005 ささしま会場」を表示されて「???」上野の国立科学博物館なんですけど。。と私。
 店員さんは、じゃあ、イベントで検索したらこっちが出てきたんですけど、イベントの方のコレですか?と見せられたのは「恐竜博2005」とだけ書かれているディスプレイ。 すごーく不安。
「タブン。これだと思いますケドー.....」 値段は大人1400円。 おかしい。前売りだったら1200円とあったはずなのに。。これは当日券なんだろうか?
 結局すったもんだして、イベントの載っている冊子をみながらあーでもないこーでもないと。
というか端末に入れるときに なんで片方はささしまと入れたのにもう片方は 国立科学博物館とか上野とか入れないんだよぉ。。。んもー。 入れないなら入れないで店員がわかるように指示しときなよぉー。 ぐれるぞー。
 科学博物館は混雑しているときもあるようだからチケット売り場で並ぶ必要がないようにと、とりあえず当日券ゲットしてから行こうかと決断してそのチケットを購入。

■花粉めがねゲット
息子の花粉用めがねが先日から見当たらない。家の中にもないし、心当たりのあるところに電話しても無い。どこでなくしたのだろう。けれど、これからまだ1ヶ月くらいは花粉が飛ぶから、やっぱり無いと困るということで 近所のドラッグストアやらめがね屋やらをまわったのだけど軒並み売り切れ。(TT).
ネット通販もかなり品切れが相次いでいるし、できればかけて選ぶ事ができたらいいなあと思っているところにハンズにありそうだということを発見。だったら、出かける途中によってみようと途中東急ハンズによる。 行ってみると思ったようなものがあってラッキー。めがねの後ろに紐がついていてぴったりと止められるようになっているしろもの。これのレンズに色がついていないバージョンがよさそうなので試着して具合をたしかめてから購入。
 私もほしくなったけれど、ここは我慢我慢と我慢した。(後からほしくなってきたので「かけさせて」とかけてみたら、息子もpon1も 「似合わない」と言う。帰宅してからこっそりかけてみたらやっぱり似合わない。買わなくて良かった) 私は今使っているものを使うことで納得。

■待ち合わせ
上野で待ち合わせたのだけれど、夫の合流が遅くなる。退屈した息子と私。私は文庫本を持っていったのだけれど、息子は忘れてきてしまった。丁度退屈しきった頃にpon1登場。さてスーに会いに。 

■恐竜博
いつになく真剣に展示を見ている息子。やっぱり興味を持っているものには集中度が違う。スーの大きさにも驚くが、それよりなにより私が感じたのは「よくもまあこんな不自然な生き物が生きていたことよ」という感想。 写真を撮ってはいけないのかとおもいきや、「映像」はとってはいけないとかいてあるけれども、その他の部分では警備員さんやスタッフがいる場で写真をとってもなにもとがめられていないので、「フラッシュ撮影だけが禁止なのかしら」と携帯を出して写真をとることにした。
中にはフラッシュ撮影している人もいて、「いいのかなあ」と。警備員さんやスタッフにたずねなかったけれど、本当はどうだったのだろう。

 昔は恐竜は直立し、尻尾を下ろした形(ゴジラスタイル)だったと思われていたようだが、現在では尻尾でバランスをとって体を地面と平行にして移動するという説が有力なのだそうだ。
そんな不安定な格好であの体重で動き回ることなんてできるんだろうか。 バランスを崩しやすそうだし、足も遅かったという説が現在は有力らしい。当初スーはメスだということだったが、決め手としていた「欠落していた骨の部分」が後に見つかったので、現在はオスかメスかわからないとのこと。


 スーの大きさにも満足したけれども、今回は鳥への道筋がメインの展示だった(とおもう)。これまた興味深いものが多かった。まず、化石に羽毛はどのように残るのだろうとみてみるとたしかに骨の周りにふわふわとした影がのこっているように思える

しかし、どう考えても無理やりな進化をしているとしか 素人の私には思えない。足にカウボーイパンツのフリンジのように毛が生えているわけで。あるくのにさえ邪魔じゃないだろうかという想像図。

 こういう動きにくい種が、(現在はその先は途絶えてしまったとあったけれど)この想像図のようにまで進化したという事自体が なんだか進化論って本当にあっているのかしらと思い始めるようなものでした。 この時代は飛べなくて滑空していただろうということ。画像はぼけていますが右側に伸びているのが尾、下部にあるのが足で、足には インディアンの酋長の頭飾りを思い出すような、羽がはえています。写真では足のラインと直角に羽が生えています。つまり、手足それぞれに翼が生えちゃってるというカンジ。

 以前ヘンテコな鳩の写真(到底自然界では生きていけないだろうとおもえるような)を見た記憶がよびさまされました。

じっくりと恐竜博を見てから常設展へ。こちらもそれなりにたのしめました。 以前から名前だけ知っていたタイプ標本(押し花の標本)というものをはじめてみましたが、アクリル樹脂に本物の花を閉じ込めたものが綺麗に展示してあってそちらと比べても、アクリル樹脂に閉じ込めた方がよりリアルに見られる。標本は現在どんな風になっているのかしら。このアクリル樹脂にかためたものは標本に取って代わることはないんだろうかなどと思いました。

 閉館30分前のアナウンスを聞いてからまだ上の階を見ていないとあわてて階段をのぼりました。上の階はうえの階で私のツボ。
一見、織物を織る機械かとおもったひもを使った木で作った機械は 連立方程式を解く機械だとのこと。どういう仕組みなのだろう。一度連立方程式を解いてみてほしい。


 真空管を使った計算機やら、JRの座席予約システムやら。座席予約システムの横には「こだまなんちゃら」と書かれたような名前の印鑑のような形をしたものが印鑑ばかりをあつめたようにも見える箱に入っており、そのひとつが外に出ているところを見ると下部が凹凸のある形状に削られていて、ああ、この仕組みどういう風になっているのか知りたい!とカラクリ好きの私は胸がわくわくでした。(ヘンテコなところに「萌え」です)


最後は、体を使って楽しめる(前回もここで遊んだ)階でいろいろと遊び、博物館を後にしました。あっという間の3時間弱。もっと遊びたいという気持ちを抑えて帰宅することに。閉館ですものね。 混んでなければ中にレストランもあることだし、朝から1日遊べると思うのですが、朝~昼は混んでいるからねー。 金曜夕方からはすいていてオススメですが、小さな体験コーナーがもうしまっているのが残念です。でもゆっくり展示を見ることができますから良かった良かった。

帰宅してから息子も親もぐったり。でも楽しい一日でした。
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気の迷いで
2005/04/01(Fri)
 人は「無い」「足りない」とおもうと突然それが気になるということをしっかり実感している今日この頃。

 以前は絶対買うことがなかった雑誌を購入してしまいました。

専業主婦になってから、収入がないので、(<当然だけど) 勤め人だったら即決だったのに今は考えてやめる事が多いです。
 
 勤め人の頃の100円の価値が1000円に上がっているような感じ。
たとえばファッション雑誌などは1000円前後の事が多いのですが、以前はそんなのぜんぜん気にせず欲しいときには購入していたし、立ち読みしている人達をみて「ああ、暇があるんだなあ」と思っていたのだけれど、今は息子の習い事の合間にちゃっかり 立ち読みして購入しないことも多くなりました。

 そうなってくると「いつでも買える」という気持ちが「なかなか買えない」に変ってきて、その考えがいたずらをします。 昔だったら絶対に買わなかった「オマケ付・格安雑誌」などをつい購入してしまう...orz

昨日もやっちまいましたよ。
eyeco という雑誌を発見。おまけについているブタを 以前みたことのある「おとしブタ」だと思い込んで購入。 (いや、落し蓋はちゃんと木のものがあってそれで充分だったんですケド。。。無いと思う魔力につかまって) 
 実は姉妹品の ぶたちんだった。。。。 これ。。いまひとつ好きでないんだよねー。オマケに小さいサイズなので使い道が アマリナイカモ。。。。orz

 pon1に指摘されつつも 「本自体が500円だったとしても面白いからいい」と苦しい言いのがれ(たしかに雑貨は楽しいものが沢山掲載されているのだけど..)でもpon1「でも結局は通販カタログなんでしょ」  (TT) はい。仰せの通りにございます

 「無収入」だと思う事による呪縛につかまらないように、気をしっかりもたなくっちゃ。反省。

今日は スーに会いに行く予定。
混んでるらしいけど....。ファイトー

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