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舌の根も乾かぬうちに
2005/02/28(Mon)
一回休みと言った舌の根も乾かぬうちに、記事を書く私。うそつきです。いえ、自分の中では真実なんです。あの時はまぎれもなく今日は記事は書かないとおもっていたのです。

と、いうようなことに考えが行き着きました。だから書くことにしました。(^^)

■自分なりの真実をみつける<固い題名だなあ

 少し前、今の広報紙の取材で数人のお母さん方にお話を伺う機会を持ちました。皆6年生のお母さん方です。5人集まってくださいました。 記事にする内容もたくさん伺ったのですが、記事にできない内容もたくさん伺いました。 「先生」のお話です。
 ある先生のことについて、「それはあんまりだ」というお話を複数の方から伺って、「その先生の担任だったらどんなに大変だろう」と本当に驚きながら話を聞いたのです。
 お母さん方の話では、子どもさんがなかなか先生に受け入れてもらえない。贈り物をしたら先生の態度が一変したというような内容でした。 

 仮にA先生と書きます。 そうして、別のB先生の素晴らしさもたくさん伺いました。(日頃からこの先生の評判は良くて、私もいつも良い感じの先生だという印象を受けていました)


 A先生には紙面に記事を書いていただいたり内容について確認をお願いしたりする必要がありました。真面目に取り組んでくださって活字の違いまできちんと見てくださったので「あら?お聞きした感じと少し違うようだ」とおもいました。 向こうから声をかけてくださることは無かったのですが、 職員室でお会いするたびに挨拶をしているうちに感じが変ってきました。 微妙に打ち解けていらっしゃるのではないかと思ったのです。
Cさんの苗字(卒業特集号なので名前が入ります)の活字に話に話が及んだときに、「Cさんなら私から、この字がなかったと言っておきますよ。大丈夫だと思います。」とおっしゃいました。 先生には、分かり合えているという自信のようなものが感じられました。 私は「あら?」と思いました。 実はCさんは 「贈り物をしたら先生の態度が変られた」と一番多く話をした人だったのです。  もしかしたら、Cさんは「贈り物」という「金品を贈った」と思っていらっしゃるけれども、先生の方では「金品」ではなくて 「好意をうれしく」 思っていらっしゃるのではないだろうか。

 そう思いはじめた私は、ただ人見知りが激しい先生なだけに思えて、そう悪い印象をもてませんでした。

 そうして、私が別の会合に出たとき 同じ A先生 B先生の話が出ました。今度はお母さん方は全く別のメンバーでした。 今度は、前回人気だったB先生が嫌で A先生はさばさばしていて良い先生だということ。 全く正反対の話だったのです。

 お母さん方にとってみては、双方とも 本当の気持ちだったと思うのです。どちらかがウソをついているわけではない。 片方の話だけを聞いて、先生ご本人にお会いしていないと、最初から片方に悪い印象をうけてしまうところでした。

 人からの情報はとても重要ですが、こんなに正反対の場合もあることをあらためて実感しました。人からの情報は参考程度にとどめて、先入観をもたないように自分で気をつけ、自分の目で見ることが必要だとしみじみ思った出来事でした。

 きちんとA先生B先生の個性を個性とみとめてお付き合いできたら お二人とも素晴らしい先生と思えるかもしれません。もし心からそう思うことができたら、何よりも自分にとって一番幸せであるだろうなあと思いました。

 いえ、途方も無い理想論のような気もしてきましたが、努力目標ではあると思います。
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一回休み
2005/02/28(Mon)
書きたいこともあるような気もするのだけど、言葉になってでてこないので、今日は一回休み。

昨日は、他校のPTAとの懇親会でした。行くまでは気が重かったのですが、行ってからは「オジサン・オバサン」たちの楽しく節度あるハメのはずし方に時間のたつのを忘れました。
といっても、7時半にはお開き。 二次会はパスして帰りました。

久々に電車にボーッとのったら、間違って電車にのってしまいガックリ。orz。
もっと早く帰りたかったのに。ま、自分が悪い。

画像は3年越しの刺繍バックのキット。 つくりかけで置いてあったものをやっと完成させることができました。 クレマチスモンタナが 咲く前にできてよかった。(うちにはモンタナはないですが)。この刺繍キットはたくさんまだタンスの肥やしになっているので、これを片付けていくことにしています。(微々たるものだけど、片付けに貢献しているんだぞっということにしておきたい(^^;)ゞ 写真では判らないのですが、面倒なので、持ち手の長さを測らずに2等分してつけたら、ふちをかがるリボンの長さが2センチばかりたりなくなってしまって、1センチかぶせるところがつき合わせになっています。<こういうところがいい加減なんです
。私。

 素敵なクッションカバーを作りたいとおもって検索するとキットでも結構高かったりして。趣味って高いものですね。まあ、今あるキットを全部消化する前に新たなキットを購入してもダメダメ!。

 さて、次のキットにとりかかり、読書をしてその本をブックオフに売る(先日は700円以上になりちょっと嬉しかった)というちまちました家の片付けをやっております。<ぜんぜん見た目に変らない。

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へなちょこ楽譜作成
2005/02/27(Sun)
 昨年末から音楽教室へ行かせてはどうだろうという話になり、1月末に体験レッスンに行き2月頭から突如エレクトーンを習うことになった息子。約一ヶ月間エレクトーンなしで過ごしました。その間何を買うべきか、 エレクトーンは大きいし、エレクトーン以外の楽器に変わりにくそうなので電子ピアノの安いものの方が良いのではないかとか、いろいろ検討しました。それに、学校で習う程度の音楽が簡単にできるようになったらいいな。とか、音楽が好きそうなのに、鍵盤ハーモニカに苦労している様子を見て、鍵盤ハーモニカなどはとても簡単なものだから、ちょっと習えばできるし、後は自分で「音楽」が気に入れば将来自分でやるだろうという感覚。エレクトーンのプロということなどもまったく考えていないのです。

ピアノとエレクトーンで悩んでいるというと、音楽教室の方は「男の子だったらエレクトーンでしょう」とおっしゃいました。ううむ。な~ぜ~。

 電子ピアノも見て、エレクトーンをみて、悩んだ結果、やっぱりエレクトーンを習うのだったら購入はエレクトーンが良いということに。中古も探したのですが、機種がふるかったりなかなか良い中古が無い。エレクトーンは電子楽器なので機種が古いとなかなか難しいらしいのです。
 ネットでも楽器を探しました。やっとみつけた2割引の店。問い合わせしてみたら。某○マ○は、特約店制度やらいろんな制度で値引き額や購入店を限っているとか。(それって、法に違反してないかい?) いろいろ検討したけれども、音楽教室を開いている楽器店から規定内の値引きで購入することになりました。(ムキー)。

 さて、先週は月曜から 「エレクトーンが来る」「エレクトーンが来る」と土曜を待ち望んでいた息子。土曜日はあまりにもはしゃぎすぎておでこをドアにぶつけてたんこぶまでつくるというオマケつき。 配送されてからは夜までエレクトーンにかじりついていました。

 来たエレクトーンを触るとこれが面白い。本当にイロイロな音色がでて、1人オーケストラ(はできないですけどね。テクニックがなくて)触っているだけで楽しいメカです。これが「男の子だったらエレクトーン」という発言につながるのかしら。私も楽しい。

こんなに好きなのに、一度もエレクトーンを買ってくれと言わなかったことにびっくり。電子ピアノを購入しようと検討していたこともあったのに。 しかしエレクトーンは面白いです。私の方がはまりそう。 片手でしか弾けなくても、伴奏のフロッピーをいれれば立派な曲になります。

昨日は、息子が「こいのぼり」の楽譜を書いてくれというので、楽譜作成ソフトを探しました。
Finale これをダウンロードしたらこれがまた面白い。

今みんなのうた? でやっている「きしゃぽっぽ」も楽譜作成しました。パソコンで買った楽譜のような楽譜ができて、おまけにその楽譜を元に音を再生することができます。おもしろ~い。

今朝も息子は朝早くから起き出してすぐにエレクトーンにかじりついていました。


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腹はあとから立つもので
2005/02/25(Fri)
 昨日は、夕方から保育園時代のママ友だちのお父様が亡くなられたので、御通夜にでかける予定でした。
 息子は帰ってきたとたんに「今日○さんを家に呼んでいい?」というので、「え、どうしよう。おかあさん今日は御通夜にでかけないといけないよ」とバタバタしていると、ピンポーンと来客?

 なんだろうと思ってインターホンにでてみると、「△です」と同じマンションの先日息子が言いがかりのようなことを言われた男の子でした。 「はい?ちょっとまってね(何の用事だろう)」と玄関に出てみると しゃくりあげながら泣いている子が1人で立っていて「息子くんが、ぼくの耳のそばで大きな声を出したから耳がいたくなった」とわんわんと無くのです。
 私はもう驚いて、一瞬いろんなことを考えました。

息子には日頃から人の耳のそばで大声を出すことは危険なことだときちんと教えてあります。
たぶん、わざと大声を出すことはないと思いましたが、目の前にはしゃくりあげて泣く子が1人でいるのです。あわててしまいました。でも、息子の言い分を聞かないで息子を叱るというのは良くないことですから息子を呼びました。 「△くんが、息子が耳のそばで大声を出したから耳が痛くなったって泣いているけど大声だしたの?」と聞くと 息子は本当に驚いた顔でやってきて「大声だしてない。」といっています。 泣いている△くんに 「息子は何っていったの?」と聞くと「バカっていった」といいます。 それを聞いて息子は 「そんなこと言ってない。大声もだしてないよ。」と泣き出してしまいました。 親の目から見たものですからアテにならないとも思われるかもしれませんが、私の目からみて、息子はウソをついていないと思えました。

「息子は大声をだしてないし、バカって言ってないっていってるけど?」というと「もういい」といって△くんは自分の家に戻っていきました。

△くんが帰ってからもう一度「大声だした?」と聞くと「出してない。それにはなしているときもはなれてたし」と息子はいいます。 どのくらいはなれてたの?と聞くと1メートルくらいは離れていた様子。息子もまだ泣いています。 だったら耳が痛くなるということはないのではないかしら?
と思っているところに息子、「どうしたらいいとおもう?」と聞くと 「でも、もし△くんの耳が本当に痛くなっちゃったのだったら、あやまったほうがいいのかな」と。心配そうな顔をしています。

 う~ん。 あの様子では耳はそんなに痛くないとおもうんだけど。母もわからない。
もし、息子が出した大声で耳が痛くなったのだったらたぶんその場で「痛い」とか「うるさい」とか言ってなんらかのアクションがあるとおもうので、帰宅してから寝耳に水の発言はありえないと思うのです。

実は、その子について、前回のいいがかりの件で悩んでいるときに他のお母さんに悩みをちらりと話すと、「もしかして、それ、△くん?」と聞かれたことがありました。 肯定するのも悪いとおもい煮え切らない返事をしていると、「もし、△くんだったらうちの子もよくやられたわよ。
手も届かないところを歩いていたのに自分が転んだら ■が引っ張ったからころんだ と言ってぼこぼこ殴りにきたりして。 暴力を振るわない子にそういうみたいよ。 たまたまその時は回りの子がみていてくれて 止めてくれたらしいけど。」と、言われたことがあったのです。

どうして1人でうちに来たのか、耳が痛いというのはどういう感じなのか 電話をかけてみることにしました。
 電話をかけて、「耳が痛いときいたけれども、息子は大声をだしていないと言っている。大丈夫?」ときくと「もう泣いたらすっきりしたみたい」と。「私もその場にいたわけではないので、どういういきさつかわからない。 息子は大声をだしたつもりはないけれども、もし本当に△くんが自分の出した声のせいで耳がいたくなったのだったらあやまったほうがいいのかと言っている」 と伝えたら、
「△は、泣いたらおさまったみたいで耳は大丈夫だけれども、家にかえってからも 息子くんが 朝足をひっかけたとか、 休み時間になかまはずれにされたとか、 朝も帰りもいじめられたとかぶつぶつぶつぶつ言うので、だったら自分で言ってきなさいって言ったの。 もう幼稚園の頃からいつもこうだったので、子どものやることだからと思っているし、こういうことは慣れっこだし。」「子どものことは子どもに任せているので。」
 と、息子が経常的にいじめているような口ぶりで言われた。

でも、息子は他の子に意地悪するとは一度も聞いたことがない。それは保育園の頃からだ。
どちらかというと、ほわ~んとのんびりした子で意地悪しようという知恵?があまりない。どちらかというと 相手のなすがままというタイプで、母の方が「それでいいのかい?」と思うほどの子だ。ただ、悪気はないけれども相手の気になることを言ってしまうということはあるかもしれないと思う程度。
 たぶん、そんな陰湿なことは母としては絶対やってないとおもったのだけれど、電話で突然聞かされると 息子の生活の一部始終を知っているわけではないので、なんとも答えられない。

 なんとなく煮え切らない思いで電話をきって、

「足をひっかけたし、休み時間になかまはずれにされたし、行きと帰りにいじめられたって言ってるみたいだけどそんなことしたの?」と聞くと、驚いた顔で本当に悲しそうに涙をぽろぽろ流して「そんなことしてない。 足をひっかけたこともないし、休み時間は △くんと他の子が遊んでいるところだったので、自分が『いーれて!』といれてもらった。 帰りは遅くなっちゃったからはやくかえろうと言って走ろうとしたら、 △くんは走りたくない。走れないっていって走らなかったけど、 そのうち 走って追いついてきたので、 やればできるじゃん っていったら △くんが怒って蹴ってきた。
でも、自分は蹴らなかった。」(この話を夫にしたら、サッカーコーチをして両方を見ている夫も「いつも蹴ったり足をかけるのは △くんだなあ。息子はやらないよ」と言っていた。(夫は冷静な人間なので私は夫のいうことを信じているのだけど))

だそうで、ここまで論の通ったウソがつけるほどの年齢ではないので、たぶんこれは本当だと思う。(親だからかもしれないけど、信じてやらないといけないとおもう)

 息子を信じるということにはしたのだけれども、後から考えていたらなんだかだんだん腹がたってきた。 前回いいがかりをつけられて息子が泣いたときも、息子に相手に言って来いとはいうことはなく、息子に対処方法のヒントとなりそうなことをいくつか言って聞かせた。

 耳が痛くなったという「鼓膜が破れたかどうかしたのだろうか」というような重大な話だったら、子どもに言わせるのではなく、たしかめてから親から言ってくるべきなのではないのかなあ。 
少なくとも親が一緒に来るべきなのではないかなあ。

 時間がたってから思ったのだけれども、 大泣きで我が家にやってきたのは 耳が痛くて泣いていたわけではなく、その前にお母さんに叱られて泣いていたのではないかと思う。△くんはそのときの言い訳やらやつあたりやらで息子の名前を出したのではないかと想像したのだった。 行きかえりもクラスも、クラブも一緒で 息子が彼の時間に一番関わっているから、彼としても出しやすいのではないかと思うし、 足は息子の方が速いので、いつも走って帰ろうとする息子に負けるのがいやだったのかもしれない(△くんは負けず嫌いなので)。
 息子は相手のペースについていけなければ歩いて帰ってきて気にしないタイプ。

 毎朝迎えに来る△くんは 今朝もにこにこしながら迎えに来ていた。本当に毎日息子にいじめられていたらきっと迎えに行く事自体を嫌がると思うのだ。 

 私はウソやら八つ当たりやら人のせいにするという生き方は嫌い。
相手を悪者にするだけでなにひとつ前向きの解決にならないから。 

相手に対して害を与えて自分が溜飲を下げるというマイナスパワーの権化のようなこういうこと。 巻き込まれてしまいたくないんだけど。 息子に距離をおけというわけにもいかず。

 すぐには思い出せなかったけれど、以前子供同士で水鉄砲で遊んでいるときも突然私に「息子くんが水鉄砲の水をかけた」と言いつけに来たことがあった。息子をみるとびしょぬれなので、「かけたのは息子だけなの?それとも△くんもかけたの?」と聞くと 何も言わずに逃げたことがあった。 後から息子に聞くと 「さいしょに△くんがかけてきたので、おもしろいとおもって△くんにかけたら怒った」のだそうで。(--;) 

先日サッカーの当番のときも、息子は他人のミスをなじることはなく練習をしていたのだが、△くんは息子がとれないと、それこそボロクソになじっていたんだよなあ。あの時は息子がまた気にするかと思っていたのだけれど、あまり気にしてないので、ああ、成長したなと思ってみていたんだった。(--;)

こんなのがボロボロと思い出されてくる。

 次から
「今はじめて聞いたので、息子の話を聞いてみたいと思う。まず息子の話をきいてからね」と返事しようかな。

それとも先方のお母さんに
「うちの子はいじめている気はないのだけれど、△くんがいじめられていると感じることが多いようだったら、息子の言動が△くんにはそのようにとれるのかもしれない。 他の子から一切そのように言われたことがないし、先生からもそのように言われたことがないので、面食らっている。外で遊んでいる様子をみてもそのような形跡は見えない。でも、△くんにいやな思いをさせるばかりだと申し訳ないので、一緒にあそばないように言いましょうか?」 って言ってしまおうかとおもってみたり。 それは親が出すぎだと思ってみたり。

やっぱり悩みは解決してなかったの巻。


 結局、その日は別の子(冒頭に書いた○さん)を息子が家に呼んで遊ぶ約束をしていて(もしかしたらこれが△くんが言っていた仲間はずれ?でも彼はスイミングスクールに行く日だから遊べないんだけど)その子が来て、バタバタ。 それから御通夜へ。 御通夜の間は一緒に行くお母さんが呼んでくださったので、息子はそこへお邪魔してそこの兄弟とお留守番。 仲良くあそんで楽しかったそうで、
気がまぎれる出来事がたくさんあってよかった。

 帰宅していろいろ話をしていて ベットの上でゴロゴロじゃれたらそのまま一瞬にしてスースーと寝てしまって、びっくり。精神的に楽しいことも悲しいこともいろいろあって彼も疲れたのだろうなあ。 
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話し合いがなりたたない
2005/02/23(Wed)
ちょっと空き時間ができたので。

 昨日は先生から連絡をいただいて、急遽学校へ行くことになった。私はあまり気にしてなかったのだけれど、委員さんは「クレーム」ととらえて ものすごくピリピリと真剣に対処を考えているので、「私の伝え方が大げささったかなあ」と思いながら対応した。

 後から夫にその話をしたら、「pon2は会社で慣れているからじゃない?」といわれた。そういわれてみると、私は相手が統括部長であっても、こちらが正しいと思うことはまったく臆することなく言うタイプだし、社長には言ったことがないけれど、たとえ相手が社長であろうとも、相手が誰であろうとも私の考えが正しければそれに賛成してもらえると思っていたし、間違っていれば私の間違いをきちんと正せば良いのだからという気持ちでいることに気がついた。
 相手が担当の先生であろうと、校長であろうと教頭であろうと 自分が「こう思っている」ということを言うのが怖いとかそんな風には思わないのだった。 それに、万が一空いてがタヌキだったとしても、タヌキにはたくさん会っているからタヌキ相手の経験もそれなりにある。
 (しかし、私にも経験不足なこともあり、失敗することもあることはあるんですけどね)


前回の運営委員会のときに 1人の方が、「最近は学校侵入事件が多い。保護者として校門が通常施錠されていないが、安全管理上このましくないと思う」と発言された。

 学校側からは常時施錠が難しいという回答があった。 学校側に味方するつもりではなかったのだけれども、委員側の発言が「施錠して欲しい」という意見だけだと、学校からみると 保護者は皆施錠を望んでいると思われるのも困るとおもい、私が施錠することについていつも思っている意見である「施錠することにより子どもの逃げ場がなくなる場合もある。施錠していても、フェンスを乗り越えられれば入ってくることがある。」ということを述べたのだけれど、どうも相手の委員さんは 「自分を公の場で非難された」ととられたのかな?と思うような対応があったのが気にかかっていたのだった。

今日その方と偶然学校でお会いしたら、硬い顔をなさっていたので、もしや今回の施錠無しの件で「あの時は非難されたけれども、やっぱり施錠なしだから事件が起きたではないか」と思われているのかしら?と思いながら まあ、次回の運営委員会で、機会があれば話せばいいやと思ったし、私の気のまわしすぎかしらとも思いなおした。

 話し合いの場で発言した内容に異を唱えると どうして皆怒るのだろうか。 私に対して異を唱えられても、多分私が納得する理由があれば、私は「ああそうだったか。勘違いしていたなあ」と思い「そうだったんですね。そういわれればそうですね。納得できました。ごめんなさい」と言えばいいと思っているのだけれど。

 発言した人と違う意見を言ってはいけないのだったら もしくは、皆同じ意見でないといけないのだったら、会合なんて開く意味がないとおもうのだけどなあ。 

 違う意見を出し合って、すり合わせるために会合をひらいているんだと思うんだけど。
人の考えなんて 違うことの方が多いかもしれないのになあ。なんて思った。
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数値からの結論は冷静に
2005/02/21(Mon)
 今日も急遽打ち合わせででかけるけれど、とりいそぎ忘れないうちに書きたいことがひとつ。

17日の朝日新聞1面に、警察庁のまとめで昨年一年間に小学校不審者侵入が19件おきていたという記事があった。

不審者の小学校侵入は19件 昨年、警察庁まとめ (asahi.com)

発生時にすべての門が施錠されていたのは2件しかなく、無施錠は11件、フェンスがなかったのは2件あった。侵入口は正門が10件、フェンスの乗り越えが2件などだった。大阪府寝屋川市の教職員殺傷事件では、逮捕された17歳の少年が侵入した際、校門の一部は施錠されていなかったという。


この報道の影響があるのかどうかはわからないけれど、今、小学校の校門すべてに施錠という方向の報道が多いように感じる。(もしくは施錠していなことを暗に問題視しているかのような報道) このデータだけを見ると、  施錠2件 無施錠11件 フェンスがないもの2件 とあれば施錠しているものよりも無施錠の方が危険であるという話の展開なのではないかとおもうのだが、実際はその論理が通るのであれば、無施錠よりもフェンスがないほうが安全という論理もなりたつはず。施錠とフェンスがないものの件数は同じだ。(だれもそんなことは言い出さないとは思うけど)

 本当にこの数値が意味を持つものにするためには、全国の小学校が通常どのくらいすべての入り口に施錠管理しているのかという統計も必要だろうし、フェンスがない小学校がどのくらいあるのかということも必要だと思う。その小学校の立地やら人口やらいろいろなデータをとり分析してはじめて意味のあるデータとすることができるであろうものを 単に数の印象で騒ぎ立てるべきではないと思うのだ。

 例えば施錠するということは、とっさのときに子ども達から逃げ場を失わせるという可能性もある。たしかに、今回の事件は鍵がしまっていなかった門から入ったということはあり、心理的な抑制効果というものがないとはいえないけれども、もともと子ども達は学校だけに囲い込もうものではなくて地域で育つものだとも思う。それをどんどん閉ざされた世界に追い込んでいってよいものだろうか。 エスカレートして 校外学習も行えなくなるというようなことにもなりかねない。

 もっと根本的なところに改善点があるのではないかと思った。

少し話しはそれるが、中には「校門が商店街に面しているから人通りがない方向に変更するべき」などという意見もテレビで見たのだが、本当にそうだろうか? 泥棒も人気の無い戸口の方が狙いやすい。

 一年の広報の取材を通して、教師も、不登校児の施設の方も共通して子ども達の問題点として指摘されてることがあることがおぼろげながらもわかってきた。今回の少年についてもまさにそのケースと一致しているのではないかと思うことがあり、それについて書きたいと思っているのだけれど、ちょっと時間がとれるまで棚上げです。

追記:
警官の校内巡回要請へ 東京・江東区の幼小中すべて

この記事の中の「囲み記事」として上の記事はあったものだけれども、警察官がパトロール中に小学校に立ち寄るというのは良いアイディアだと思う。四六時中パトロールはできないけれども。

 気になったのは、この記事のこの部分

付属池田小学校の事件後、文部科学省は補助金や交付金などで、学校がインターホンやオートロックなどを設置するのを後押ししてきた。しかし、警備員の配置については消極的だ。機械なら一度きりだが、人件費は毎年かかるからだ。


インターホンは今回の中央小学校にもついていたようだ。インターホンやオートロックだけではあまり効果が期待できなさそうにもおもうのだけれど。。。(中途半端なビデオ設置も)つけたから安心というものではなくていかにそれを利用していくかという運営側の体制を整えていくことが重要だし、体制がととのえば、インターホンやらオートロックがなくともそれをつけただけよりも大きな効果が出せるということもありそう。
 先日息子の学校では全員に防犯ベルが配布された。でも、配布しただけではやっぱり意味がない。とっさのときに防犯ベルをどのように使っていくか、どのように行動するかということを講習会なりなんなりで子ども達が使いこなせるように体験させながら教える機会がないと使いこなせない。インターホン・オートロックも一度きりのお金で対処でき「対策をしました」といいやすいけれど、つけただけでは不足という点で防犯ベルの配布と似ているような気がする。

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仮面ライダー響鬼結構好き!
2005/02/20(Sun)
 昨日は、またもや歯医者を忘れていて電話がかかってきました。orz いかん。スケジュール管理ができてない。

 ところで、今朝たまたまつけた仮面ライダーです。どこかのブログで「今度の仮面ライダーは最近の路線から変って、子ども向きになった」と読んだことがあってへえ~とは思っていたのですが、息子も変身物にあまり興味がなくなってきたので、見ていませんでした。

が。

結構面白い。というか笑える!このすっとぼけた雰囲気はツボです。
今朝は大きな怪物に向かって「よっ!」などと声をかけておりました。

仮面ライダー響鬼 テレ朝

仮面ライダー響鬼 東映公式

もう5回目ですって。あああああああ~残念。 

どこかのブログにリンクを貼ろうかと思ったけれどいずれ劣らぬ楽しいブログで選べない!
ググってみてください(^^)

※あまりのおかしさに ライダーの前にやってる編隊ものかとおもってしまいました。
 ガオレンジャー(好き!)を彷彿させられてしまった~。

絶対来週みるっつ!!
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なにを考えているんだか(論文を自動採点)
2005/02/19(Sat)
 ばたばたしていたので、新聞もよんでなかったし、ニュースもあまり見てなかったのだけれど、今朝新聞の整理をしていてびっくり!

小論文、コンピューターで自動採点 入試センターが試作

入試で出題される小論文をコンピューターで自動採点する試みが大学入試センターの研究者のもとで進んでいる。第1号のシステムは試作済み。文法、表現が複雑な日本語を精密に読み解くにはまだ課題がある。しかし、実用化されると、採点に時間がかかり、採点者によるばらつきが出やすい小論文の判定に威力を発揮しそうだ。

Jessは、あらかじめ、理想の小論文として全国紙の2年分の社説、コラム計約2000本を記憶し、「学習」している。文の長さ、漢字・かなの比、言葉の多様さ、受動態の割合、接続詞の使い方などの統計分布から割り出し、模範に近いほど高い点数を与える仕組みだ。


だそうだ。

こういうのが共通一次に導入されたらどうなるか?

石岡助教授らは、Jessの力を測るため、実際に入社試験などで書かれた小論文、作文を自動採点し、国語教師ら専門家の採点との違いを比べている。テーマが客観的で、やや長めの文章ならば両者には大きな開きが見られなかったという。


これを見ると一見問題なさそうにみえる。しかし、これは、「コンピュータで評価されることを想定していない文」を評価したからこその結果ではないかと思える。

論文自体をコンピュータで採点するということが、受験者に知らされていない場合は、受験者がコンピュータ対策を施された論文を書かないから コンピュータと人間の評価に差がばらつきが出ないかもしれないが、これが一旦世にでると同時に傾向と対策が検討されて、人間が「コンピュータに評価されやすい文」をかくことを目指すことになる。

上のニュースにあるようにもともとのアメリカのあるビジネススクールが単独でそれを採用する場合は、それはそれで、そのスクールの特色として捉えていいかもしれないけれど、特に「採点の時間短縮」という意味合いでは使わないで欲しいというか、それ以上に弊害が多そうに思うのはわたしだけだろうか。

ふと10年くらい前のことを思い出した。 コンピューターに慣れ親しんだ私が シムシティというゲームをはじめてやったときに、ものすごく簡単であっという間に町は栄えなんのやりがいもなかった。 それはどうしてか?

 普通の人なら考えない「ありえない地形」でも、コンピュータならokにしそうな地形を作ったからだった。私が現実の街づくりにたけていたわけでも、様々な要因を熟考したわけでもなくて、単にコンピュータ(ソフトウエア)の性質を見抜くのに慣れていたからだ。

自動採点というのはそういうことだと思う。もし、採用するのであれば時間の短縮という目的は捨てて、客観的な採点ということに重きをおいて 今までどおりの採点と併用するべきだと思う。それで開きの多い回答は再度別の人によって審査するとか対応はいろいろあるだろう。

 ここのところ、先生の話、保護者の話を聞いてわかってきたことだが、一番大きな問題は、子どもの能力をテストだけで評価することが多い世にあるような気がしてきている。
 ゆとり教育だのなんだの言う前に、穴埋め・マークシートという 採点側が楽になるような都合を優先したテストは検討しなおした方が良いのではないかとも思う。 

少なくともが思うには、 「人」を「コンピュータ」だけに評価させるとはなにごとだ!と思うし、これが 豊かな人間性を阻んでいるように思うんだけどね。 コンピュータに一番認められやすい人間を育てることが目的だったらコレで良いんだろうけど。
 つぶしが利かない人間がどんどん増えそうな予感。

だーっと取り急ぎ書いたのであとで読み直します。 コメントのお返事も少し待ってね。

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だいじょうぶ。だいじょうぶ。
2005/02/17(Thu)
 先日母から電話があった。息子と一歳違いの甥が手術するようになったとのこと。肺に影が見えて、それを背中側からとるために4時間の手術をすることになったとのこと。
 4時間だ。甥は小学2年生。ふと息子を思う。体だって両手でひょいと抱えられるくらいに小さい子が4時間もの手術を受ける。

 その知らせの電話の母の声はもちろん尋常ではないはりつめた声だった。第一声で何か大変なことを伝えようとしているとわかった。

 一瞬、母の言っていることがうまく理解できなかった。私は、頭にたくさん浮かんできた疑問を一切口に出さず、張り詰めた声色の母に「大丈夫よ。大きな病院だし。私の知り合いで大学病院で手術したお子さんもたくさんいるし、難しい手術だった人もいるけれど、大丈夫だもの」なんて、とっさに答えた。冷静な方からみるとまったく因果関係のないことをくちばしっているとしか思えないだろうけれど、私はどうしてもそういいたかった。「だいじょうぶだ」と。 電話を切った後、今度はさっき浮かんできた疑問がどんどん口から出てきた。
どうして手術しなければいけないんだろう。どうして内視鏡じゃないんだろう。肋骨ははずすのだろうか。そこまでしなければいけないんだろうか。緊急性があるんだろうか。。。  そんなことは、甥が手術をうけることを私から伝えられた夫に言ったとしても何一つ答えがあるわけでないことはよくわかっているのに、言わずにはいられなかった。

 ふと、「万一」という片鱗が見えると打ち消して、私が向かう道には良い結末しかない。そんな風に悪いことは一切考えなかった。

 今朝、ぽつりと「私って冷たいのかな」なんてつぶやいた。妹はおろおろしているのではないかとか母はきっと眠れなかったのではないかなどと考えが及んで妙に冷静な自分に気がついたから。気持ちはたしかにいつもとは違っているようだったけれど、そんなにまでわれを失っていないように思い、ふと口をついて出た言葉だった。

でも、さっき母から 無事手術が終わったとの連絡があったとき、ガクガクと力が抜けて椅子に座った。連絡を聞きながらはじめて涙が出た。泣き笑いだ。

 ふと、小学生だった頃を思い出した。父が事故にあったときの記憶だ。いつもとは様子が違う緊張のあまり怖い顔になっている母が私たち姉妹3人を残してバタバタと父の病院へ駆けつけるときのあの記憶だった。 なにも詳しいことは知らされていないのに、そのいつもと違う様子におびえたのか、わあわあと泣き叫ぶ妹達を見て、私は無性に腹が立った。妹達が泣くことで本当に大変なことになってしまうのではないかと思えてきた。心細かったけれども、姉だからしっかりしなければと思った。 私は「泣いちゃいけん!」※1と大声で妹達に怒ったような記憶がある。不安な気持ちを打ち消したい一心だった。皆で泣くと大変なことが起きてしまうような気がした。

 もしかしたらあの頃から私の性格は変ってないような気がする。たぶん、きっと頭のどこかで「自分だけは冷静にならなければ」といつも思っているような気がする。
なにかあったらその状況に翻弄されないように「次になにをしたらよいか」そういうことをいつも考えているような気がする。

 絵本の「こんとあき」の「こん」なんだ。自分がたよりないことをよく知っているのに、それを打ち消して「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」と言ってしまうんだ。このだいじょうぶ。だいじょうぶは、相手に対する言葉なのではなくて、自分への呪文なのかもしれないと思った。

甥の手術。成功して本当によかった。

※1 方言のまま
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きょうはお休み
2005/02/16(Wed)
 昨日までがあまりにも忙しくて、本当は動きたくなかったのに動いていたから、今日は自主的に「お休み」とすることにしました。

 朝10時くらいまで寝巻きをきがえずにだらだら。ピンポーンとインターホンがなったけど、急ぎの用事の人はいないはず。心の中で「留守でーす」と答えてみたり。二・三度鳴ったので、「どうしよう」と思ったけれど、「今日は風邪で寝込んでマース」とか「今ねてたのできづきませんでしたぁー」と どれも心の中で返事して出ませんでした。

3回目くらいのピンポンで、あ、もしかしたらダスキンだったかもしれないと思ったけれど、もう居留守は勝手に自分が乗りかかった船、(^^;) いまさら「やっぱり家にいました」なんて今の私には出られないもの。

ダスキンさんごめんなさい。
 
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もやっとが スッキリ!?
2005/02/16(Wed)
この記事は只私が昨日やったことをなぞっただけの日記になってます。m(__)m

■PTAの余興って?

 昨日は忙しい一日でした。 午前中は近所のファミレスで今度のPTA連合会の会合の「余興」をなににするかという話し合い。私ははじめてなので「余興ってなんですか?」「毎年あるんですか?」と聞くと「今回初めて」だそうです。幹事校が決めたということなのですが、なんでこのトシになって余興をせにゃならん? (--;) まじめなことをやると「うく」といけないからということで、マツケンサンバやお絵かきという意見もでたけれども、皆がまじめなことをやっているのに、うちだけがおふざけで浮くのもさけたい。結局子どもの帽子を借りて校歌斉唱ということになりました。 持ち時間10分だそうです。10分も校歌が歌えるでしょうか?
 「出るのに2分帰るのに2分かけて牛歩でのぞんではどうでしょう?」と言ってみたらウケてもらえました。(^^)V (身内でウケてどうする?)話しながら昼食をファミレスでとりました。

 なんだか不安です。

■泥縄もきわまり

午後からは先日から企画していた先生方との対談です。資料を昨日もって行き配布したいと思っていたのですが、どうしても体がうごかなかった orz  朝の打ち合わせから帰宅してから追加資料をつくり、学校へ。 印刷していたら印刷インクが切れたり。。。インクをとりかえて印刷! 学校にはソーターがない。。なんでじゃ~~~~。なので人間ソーターとなり資料をホッチキスで止め、先生方に配布。会場を準備して資料に目を通し、対談の流れを予習。
 それから子ども達が帰宅したようなので、息子が無事に帰宅したかどうか家まで戻りました。(先日から鍵をたまに持たせて練習させているのです)マンション玄関のところから携帯で家に電話。無事に帰って宿題を片付けているとのこと。えらいえらい。留守中の注意を再確認してから学校へ戻りました。 会場がわかってないはずなので出席してくれる人を待ち、会場を伝えたりしているうちに時間になりました。

■話ができてよかった満足!スッキリ!

 本当に中身の濃い話で、母親として目からウロコのこともたくさんありました。ゆとり教育についても現場のご意見を聞くことができてよかった。2時間弱しか時間がとれなかったのですが、もっともっとお話を聞きたかった。時間の都合でお母さん方のフリーの質問時間がとれなかったことが残念。

 もしかしたら、後日、日記に公開しても良い範囲でロバミミに書くかもしれません。いや、全部はかけないけど書くようにします。たぶん。

 さて、結局予定の5時15分をオーバーして5時半すぎに対談終了。5時頃から「そろそろ終わり」の声かけをしていたのですが、先生のお話もまだまだ出るし、保護者が聞きたいこともまだあるし。。。という状態。涙をのんで どうにかしめて終わって、1人で留守番している息子のもとへ帰りました。

■ファミレスへ行ってみた

 息子からは5時ころに電話がかかってきて「おなかがすいた」とのこと。ごめんよ!「おやつを食べてまってて。もうすぐ帰るから」とその時は返事をしたのですが、大幅に遅くなっちゃった。 寝てるかもしれないと思って玄関をはいったらテレビの音もせずシーンとしている。
そっと居間まで行って見ると、マンガをよんでいました。 うちではマンガも本のうちとしているので、「えらいぞ息子」と。 おなかがすいたとのことだったので、帰宅も遅くなったし、今日はpon1も飲み会で遅いしで久々にファミレスへ行って見る事にしました。
(私は、昼も夜もファミレスだ~(--;))

夕方のファミレスはわりと閑散としていました。ぽつりぽつりとお母さんと子どもという組み合わせで入っていたりするので、「うちと同じような理由なのかな~」と観察しながら、注文。
 私は冬太りしてきたのが急に気になり始め(だってメニューにカロリーが書いてあるんだもん) メインディッシュが温野菜のサラダで付け合せがサラダ というなんだかヘンテコなセットにしてしまいました。野菜ばっかり。。。
 息子はお子様ランチ。<夕食にランチだ。

半分くらいたべたところで、なんだか野菜ばかりの食事がわびしくなってしまって、デザートを物色。 ケーキでもたべようかと。息子も乗り気だったので「じゃあ、全部食べてまだおなかに余裕があったらケーキたのもうか」と。しかし7割食べたところでギブアップ。おなかがいっぱいでデザートの余裕がない。

 息子はお子様ランチについていたデザートを食べながら「あまいいものはべつばら~」なんて大人のような口をきいていたのですが、 デザートを食べ終わるころには「もうおなかいっぱいで気持ち悪いくらい」だそうで、 「目当てのケーキはテイクアウトできるみたいだけどテイクアウトする?」と聞いても 「いらない」と。
健全な食事をして帰宅しました。

■さっそく一部実践

 「子どもが自分から『自分で読む』というまで本を読んでやることが大切」と 聞いたばかりだったので、帰宅後は本を読んでやったり。先日の続きで 「ぼくときどきぶた」 「良い本」と言われる本はたくさんあるけれども、子どもが喜ぶ本が一番良いのだそうです。

 お風呂に入れてチョット遊んで、じゃあ寝ましょうと。9時すぎかな? 私は夜更かしできないタイプなので、(トシにはさからえないんですねえ)途中 pon1が帰宅したときと、今朝の地震で起きたのですが、それ以外は朝までグーグーねてしまいました。

今日は雨。朝も眠かったです。

 (とにかくいそがしかったけど、実り多い一日で 「もやっと」が「スッキリ」することもあったよということで。)
 
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まだまだバタバタ
2005/02/14(Mon)
■近況

例のごとく怒涛の一週間を過ごしました。先週は10日に委員会があり、そこで200号記念のPTAだよりを発行するというスケジュールでした。
 だいたい第一土曜に運営委員会があり、次の週の金曜までにPTAだよりを作成発行するというスケジュールだったのですが、今回は金曜が休み。一日少ない。その上、200号記念号なので少し内容をかんがえなければならないということ。
 内容を埋めるのはまあいいとして、一番手間がかかるのが、校正作業。先週は一週間学校へ出ずっぱりでした。

 そうして、金曜。金曜はサッカーの試合の付き添いをしました。委員会やら、その他の都合やらが入るので、受けられるときに受けたほうがよかろうと受けたのですが、いやはや疲れた。帰宅して泥のように疲れて、お風呂に入って温まっているうちにコックリと寝そうになってしまいました。  土曜は比較的時間がありました。 午前中歯医者で抜糸。午後は息子と一緒に家の近辺をまわったり。日曜はまたサッカーの当番でした。1時から5時まで。 寒かったです。 

 サッカー関連のお手伝いは結構緊張します。というのも、金曜にも目撃したのですが、中にはなかなか辛らつで体育会系風の上下関係に厳しいお母さんもいらっしゃるので、気をつけて行動をしないといろいろと苦情が来ることも多いのです。おまけに面識のない人も多いので、いつも緊張してしまいます。いつも動作対象でない複数の相手(つまり言葉は悪いがたくさんの小姑状態)がどう考えているかというのを考えなければいけないというのは結構しんどい。

 昨日も一緒に当番になった方と面識がなかったので、緊張したのですが、細かいことにはあまり頓着しない優しい方だったのでほっとしました。 たいへんな美人でした。
女優さんで見たことあるような顔なんですが、最近の「カワイイ系」ではなくて「美しい系」で「誰」というのが思い当たりませんでした。 体型と顔立ちは三浦りさ子風かもしれません。顔はもう少しふっくらした方でした。髪型はストレートの肩までのセミロング。

 「美人」という言葉は、女性が女性を形容する場合は、結構社交辞令みたいなこともあるのですが、今回私が「美人」と形容した彼女は本当に綺麗な方でした。 当日お茶を飲みにやってくるコーチたちのうちの三分の二はのどを潤すのが目的ではなく、彼女目当てではないのかしら? と思いながら一緒に当番しました。(いや、久々にオヤジ系の私が語りますが、私が男だったらたぶん彼女からお茶をもらったら嬉しいと思います。あ、実際の私はその気はないただのオバサンなので、別になんとも思いませんけど。)

 「彼女に手渡して欲しいからきているのに、私が手渡ししちゃっていいものか?」 などと思ったり、妙に嬉しそうなコーチ陣を見ながら、子どもを見るかのような気がして(※1) 結構おもしろかったです。
旦那様がこりゃまた渋い系の方でこちらも俳優にいそうな感じ。 二人並べると美男美女芸能人風だねぇ。と観察して楽しみました。(^^)

■唐突ですが

と、今日も忙しさが後を引いていますので、昨日見たCMについて。
ここ数年テレビをみていなかった(ケーブルテレビで生活していた)ので、面白いCMを見る機会があまりなかったのです。
先日から、テレビを見ないという生活も不自然で、息子にはよくないかもしれないということになり時々テレビを見ています。

 先日見た ダチョウのスキー のCMは目を奪われました。 あれよあれよとダチョウが素晴らしいすべりをしたり転んだりするさまに気をとられ、はっと気づいたときにはCMが終わり何のCMだったかもわからないありさまでした。

 ダチョウの羽のなびき方、滑り方の個性を見ても、これはたぶんCGじゃない! んじゃ足はどうなってるんだ~? どうみてもこの足は人間のものにはみえないぞ~。と。

なによりもスキーしているダチョウが気持ちよさそうなこと。あれだけすべれれば言うことなしだよね。と。

 検索してみましたらJR東日本のCMだったようです。 リンクページの下の JAPAN SNOW PROJECT からご覧になれます。

ダチョウが JAL JR ANA を象徴しているとすると、転んだダチョウはドレなんだ? なんてね。

 CM撮影の種明かしも下の方にありました。


※1 子どもを見るかのような
子どもって正直なので、顔の表情に嬉しい・悲しいがストレートにでることが多いです。大人は愛想わらいやらなんやらを身に着けていますので、あまりそういう本能そのままの表情をみることは、笑い顔では少ないのですが、昨日お茶をもらいに来ていた人の中には本当にしんから子どものような喜びやらあこがれやらを笑顔に表している人も少なくなくて、 第三者の私は傍観者として結構楽しめたのでした。ふふふ。
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さびしい気持ち
2005/02/12(Sat)
 時々拝見するブログがあります。娘さんとお母さんお二人の家庭で、お母さんは病気を患ってそれでも一生懸命に生活をしておられます。コメントを残したことはないのですが、調子が悪そうな記事をみつけてしまうと心配で、傍から応援しているような状況です。

 先日その方のブログにアンケートという記事がのりました。私が死んだらどうしますか?という記事でした。泣くという選択肢以外はなんだかどれも関心がないとか、表面的な付き合いというような選択肢が並んでいました。彼女のその時の気持ちがこういうことを書かずにいられないようにしむけてしまったんだなあと拝見しながら、悲しいやりきれない気持ちをそのままに、私はアンケートには答えませんでした。 

 私は親元を離れて就職した頃を思い出しました。長女の私は親の干渉を過保護と感じていました。学校を選ぶときも、あまり遠くの学校はえらばせてもらえませんでした。 学校を卒業して就職が決まり、親元を離れることができると思ったとき、親には悪いのですが 親元を離れられる嬉しさで胸が躍りました。息子の母となった今では、そんな風に大切にして育ててくれた父母に感謝する気持ちはありますが、学生時代は1人暮らししていた人たちの親に干渉されないきままな生活がとてもうらやましかったのです。別に「乱れた生活」をしたいと思っていたわけでもなく、成人した子どもが1人で生活したいというのは本能のようなものだったのだろうと今思います。
 さて、就職して会社に慣れはじめた頃に、一気に落ち込みました。同期の中にはやはり自宅から通っている人たちが多かったのです。その人たちは、大学時代の友人も、高校時代の友人もずっとさかのぼって会いたいときに会うことができます。 私にも新しい職場の友人ができました。一緒に映画を見に行ったり、遊びに行ったりしたのですが、『昔の絆』の人だけ集めると言い出す人もいたりして、そういう時は私は声をかけてもらうことはありませんでした。そんなときは、言いようもない寂しさにかられました。(※1)
 ふと、渋谷あたりをあるいていても(今考えると当然のことですが)知った人は誰もいない。
地元に暮らしていたら、顔なじみに会うことも多かったのに 私はこの都会で知り合いは誰もいないんだなあと思いました。 そうして、その時ふとブログの持ち主の彼女と同じように「私がもし、今死んだら誰が悲しんでくれるんだろう」と。そんな風な思いにかられとてもさびしく悲しくなったのでした。 

 数日してからまた、アンケートの書かれていたブログを拝見しました。「おもいのほかアンケート回答の集まりが芳しくない。アクセス解析を見るともっとたくさんの人が私のブログを見てくれているはずなのに」という意味のことが書かれていました。 私はアンケートの記事のコメントを見ました。こんなコメントがありました。

「悲しんでくれる人の寡多にどんな意味があるのですか?」葬式で泣いてくれる人の数を競うために私たちは生きているんじゃありません。
でも、そこまで周囲に気持ちを求めてしまうあなたの気持ちを考えると、私はやりきれません。
そこまで人の気持ちに満足できない暮らしを強いたいままでのあなたの環境に憤ります。


 私もそう思いました。彼女の寂しさ、空虚な思いはまったく同じではないにせよ、わかるように思います。けれども、今私は思います。見ず知らずの人のたくさんのベクトルを一身にうけたとして、私は幸せだろうか。かえってそのベクトルの実体のなさに、また寂しさがつのることはないだろうか。
 世には友だちの数を競うように人とのつながりを求める人もいます。でも、私は、声をかけ挨拶をし適当な世間話をするだけの非常に多くの友達を求めるよりも、数少なくてもよいから、私が心から信頼して付き合える人がいることを今は大切にしたいと思っています。 いつもいつも声をかけて、忘れ去られないようにつながりの存在を確認しなければいられない相手をたくさんもつよりも、遠く離れていても、何年音沙汰がなくても連絡があったら「ああ、どうしてた?」と連絡があったことを嬉しく思い、すぐに受け入れることができる友人があるということはとても幸せなことだと思います。 
 それに大切な友だちには私は誠意をもって接したい。私が誠意をもって接することができる人数というのはもちろん限りがあると思います。大げさな話、日本中の人と知り合いであったとしてすべての人に誠意を持って接するということは私の力量ではできません。
 私は、私に向けてくださった誠意にはきちんと応えたいと思う。そう考えると私に向けられる愛情のベクトルは、そうたくさんは私に必要がないもののように思うのです。

 もしかしたら、たくさんの愛情のベクトルを受けることよりも、自分が信頼して愛情を向けることができる対象があるということ。その対象が人であっても、動物であっても、物であっても、形のないものであっても、とにかくそういうことが本当は幸せなのではないかと思ったりもしたのでした。

 先日お母さん方と座談会をしていたときに、とても素晴らしい一言があって私ははっとしました。
 「私は人生は、自分でひとつ好きなことをみつけるためにあるのだと思う。私は自分の子どもにひとつ好きなことを見つけて欲しい。」 こういう言葉でした。
これにすごく似ているかもしれない。自分が愛情を向けることができるものを持っている人こそが幸せなのではないかと今は思うのです。

 彼女の考えが「間違っている」というのではなく、彼女が、早くとりつかれた寂しい気持ちから脱することができて、ふと気がついて自分が大切に思う人や物の存在を喜ぶことができることを願って。 

(※1)今考えると、「昔の絆」だけ集めるといっていた彼女は彼女で寂しかったのだと思います。あたらしくやってきた私が自分の知り合いだった人たちと毎回楽しそうにあちこち出かけていくのに、別の職場に配属された彼女には新しい友達がなかなかできなかったのではないかと。 大学卒業したとはいえ、結構子どもでしたね。私たち (^^)
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一雨ごとに大きくなる
2005/02/12(Sat)
 私が子どものころに父母がよく言っていたことばに「たけのこは一雨ごとに大きくなる」というものがありました。たけのこの生長をあらわした言葉ですが、父・母はそれを子どもの成長にたとえて、子どもにとってつらいこと悲しいことがあってもそれごとにぐっと成長するということを言っていたように記憶しています。

 息子。先日まで母として心配でたまらないことがたくさんありました。家に帰ってきて話をしているうちに、学校であったことに話が及びました。
 自分の作った鼻歌を歌いながら歩いていたら、その場にいた同じクラスの子が「おまえあやまれ!」とからんできたのだそうです。 思い当たらなかった息子は「どうして?」と聞くとそばにいた人をさして「○○さんが嫌な思いをしたからあやまれ」と。息子はその子に直接「なにか悪いこと言った?」と聞いたそうです。するとその子は「ううん(ちがう)」と首を振ったそうです。
するとその子は「おまえは、サッカーが下手なくせに」とかなにかありったけのことを言われたそうでへこんで帰ってきました。

 私は、息子にサッカー選手になって欲しいとかそういうことは全く思ってなく、「体力づくりになればよい」程度に思っていたので、うまい下手は関係ないと思っていたのです。ですから、練習に行きたくないという日はやすませていました。(だって土日双方午前いっぱい・午後いっぱいの練習で長いのです)でも公平にみても息子はいじめられるほど下手ということもないと見ていました。

 家に帰ってわんわんと泣く息子を見ながら、
「そんなに悔しい思いをするんだったら、なにか言い返してもいいんだよ」と言うと
「○くん(息子のこと)は、人が嫌な気持ちになることはいいたくない」というので、ごもっとも。。と。「でも、相手は○くん(息子)が嫌だって気づいてないかもしれないよ。嫌だということは相手にきちんと言ったほうがいいよ」
「それにそんなに嫌だったら友達たくさんいるんだから他の子を遊べばいいよ。無理してその子とあそばなくていいんじゃない?」というと、「だって友だち少ないもの」と。私から見ると、決して友だちは少なくないのです。普通だと思います。たまたま近くに住んでいる子がそのこだし、よく遊びに誘いに来てくれる子がその子だというだけで。
「誘いに来てくれるのは△くんだけど、息子も、一緒に遊びたい子を自分からさそえばいいじゃない」
「サッカーに自信がなかったら、○くん(息子)が得意なものはなにかない?ひとつ自分に自信のもてるもの△くん(その子)に勝てると思うものを一生懸命やりなさい。そうしたら自信がつくから。自信がついたら、すこしくらい下手といわれても気にならなくなるから。」と、言ってみたものの、その日は解決策というものがみつからなかったのです。

数日間心配だったのでずっと様子をみていました。息子は相手をさけるでもなく一緒に遊んでいる様子。どうなんだろうなあ。

 ところが、この1・2週、息子は何にでも積極的で一段と大きくなったよう。苦手といっていたサッカーでさえも「練習に行く」とがんばっています。家での宿題へのとりくみも一生懸命やっているし、夫と「どうしたんだろう?」といいながらほっとしはじめているところ。

本当にたけのこは 一雨ごとに大きくなるんだなあ。たけのこのようにまっすぐすくすくぐんぐん育って欲しいと思う親でした。
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じっくりとわかる本当の輝き
2005/02/09(Wed)
委員になって私にとってよかったとおもうこと。これは、学校という未知の場所について本当にたくさんのことを知ることができたこと。これにつきます。 いえ、「学校」というよりも先生方についてよくわかってきたということかもしれません。

 息子が通う学校には日本古来の植物をはじめとする植物栽培に力を入れていらっしゃる先生がいらっしゃいます。控えめでおごらない人柄。体型は「こち亀」の両津さんタイプ。性格は両津さんとはまったく違い、どちらかというと、シャイでかわいらしいキャラクターの先生かもしれません。雑用といえるような面倒な仕事を文句も言わずにコツコツとこなしていらっしゃいます。「教務主任」という肩書きで担任をもっていらっしゃらないので、職員室に行ってもお会いする機会も多いし、夏などは、花に水をやっていらっしゃるところに遭遇することも多いです。

一番最初に知ったのは「植物の栽培をしている先生」ということでした。そうして、担任をもっていらっしゃらない。>どうしてだろう?と。

 中には、他のお母さんから苦情のようなことも聞きました「花ばっかりつくってないで、学校のことをやったらいいのに」など。 「そういう人なのかしら?」 また別のお母さんから「教頭の資格を持っていらっしゃるらしいから、教頭の椅子待ちらしいわよ」と。これだけを聞くと無気力で学校という場で自分の趣味ばかりをやっている、困った公務員の姿が目にうかびます。

 不思議だったのは、委員会の中で一番ネタにされやすいけれども、親しみをもって接されていることがよくわかることでした。「どうしてだろう」「たんに突っ込みやすいから?」

学校のことは、古くからいらっしゃるその先生にお聞きすれば大抵わかるということも聞きました。

 やっとわかったのは今年の一月の頃でした。ちょっと迷うことがあって、私は委員会で学校側に質問しました。本当にチョットしたことだったのですが、人によって判断が変る部分だったので、「学校の慣例」とか「学校での常識」というのを聞きたかったのです。 広報としてこういうことをしたいけれども、この時期にそれをしても問題がないでしょうか?ということでした。
通常は問題がないと思えることだけれど、時期的にマズイこともあるかもしれないとふと思ったのでした。
 すると校長は「まあ、それはね。常識で考えて。」と返事をしました。私には私が常識と思っていることがありますが、私の常識と学校や先生の常識が違うかもしれないから学校での対処をお聞きしたかったのです。「常識と申しますと?(^^)」と笑顔でもう少したずねますと、「もうね。そういう話はねここでなく、あっち(校長室)でやりましょう」と。(いや。そんなに大きな話じゃないとおもっていたんですけど。と心のなかでおどろきました。)
 ふと前のことを思い出しました。 広報で記事にしないけれどもあつまった保護者からの意見を校長先生にお知らせしたところ「私は聞いてないことにしますから」とお返事をいただいたのです。 たくさんの人がいる場で自分がコメントしたということになってしまうと、後々責任が面倒ということなのかしら?と思いました。 そういえば、ことあるごとに「私はタッチしませんから。皆さんの自主性におまかせします。」ということを多く聞くようにもおもいました。

 委員会が終わり、帰ろうとしたときに植物好きな先生がなにげなく私に近寄ってこられて、
「あの話ですけどね。こんな風にして構わないですよ」と。アドバイスをいただきました。
先生の不思議な人気と思ったのは、こういう性格に対する信頼と親しみだったんだなと思いました。その後も、記事のことでちょっとしたことをお伺いすると、的確な資料をいただくことができることがわかりました。

 もちろん、人にはいろいろな良さがあります。何かに秀でてきらきらと輝いている人もいるでしょうし、日頃はまったく目立たず、自分からもアピールすることはないけれども、じっくりとわかる本当の輝きを持っている人もいると思うのです。 この先生の「実(じつ)」のある良さというのは、もしかすると学校と深く付き合い、先生方と言葉を交わす機会がないとわからなかったかもしれない。
 学校というところは、学校という物があるようで、結局作り上げているのは中にいる先生方だと思います。その先生方をよく知ることができたこと。これが私にとって委員をやった一番の収穫だったと思うのでした。


今日も、マウス画。ダンボールバージョン。 展開図になってないところが突っ込みどころです。ま、適当に(^^)

 私は、地位も名誉もいらないし、目立たなくても良い。でも実のある人になりたいにゃぁ。
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う~ん。それでいいのかなあ。
2005/02/08(Tue)
地震っぽかったので、NHKをつけましたら、衆院予算委員会?の様子が映し出されていました。相変わらずの「のらりくらり」の論に気分が最悪。
 いいのがればかりうまくてどうする? それじゃ現状は変らない。なんて思いました。

ちょうど、学校で遭遇した出来事とオーバーラップしました。今日はPTAだよりの校正をお願いしに学校へ行っていました。 職員室に入ろうとすると教頭の前に年配から中年のご婦人方3人が並んで、教頭は立ち上がって話しをしている様子でした。 校正は教頭先生にもお願いします。それで、教頭先生にお願いするきっかけなりなんなりが見つかるまで話の継ぎ目を探してそばで待つことにしました。

 どういう団体の方だったのでしょう。ちょうど私がまとうと思ったときに、「(食について)私たちも、いろいろと心がけていますが、学校のほうではそういう取り組みとかそういう教育というかをしていらっしゃるのでしょうか」と問いがありました。

 私は即座に、心の中に先日の学校給食試食会のことを思い出しました。
今の学校給食は昔の「まずい」給食とは違い、素材も安全性もこだわったものになっています。「だし」からこだわり、できるかぎり「国産」にこだわりという素材選びから、味に関しても何度もブラインドテストを行い、それに合格したものだけを使うということでした。

ところが、教頭は「食についての教育はまず家庭から、ご家庭での教育を期待したい」なんていう意味のことを言うわけです。すると質問者は「ご家庭への教育というか学校からのそういうものはどうされていますか?」などと聞かれていたのですが、そこで私は聞いた情報をまた思い出しました。 今年度の高学年への食の調査によると、栄養への関心・食の安全への各家庭での関心度は高く、すくなくとも息子の通っている学校ではマスコミで報道されているような状況ではないのです。 

ところが、教頭「栄養士などもいろいろ一生懸命やってますが、ご家庭はねえー。なかなかねえ。」と。(--;)

 次に、質問者は放課後の子ども達のための施設について質問しました。
「登録人数が多いと伺っていますが?」と すると教頭「それは あちら(施設)でやっておりますのであちらでどうぞお尋ねください。」 と、どの質問にも、学校の責任をどのように果たしているかという説明がなかったのでした。

 学校の中に入って思うことは、知れば知るほどしっかりしているところも多く、先生方も一生懸命やってくださっていることが多いのです。しかし、教頭や校長が、それを「見ず」「聞かず」「話さず」ではどうしようもありません。学校の活動・先生方の活動にまず興味をもち、理解し紹介しないと。

 3人の質問が終わったようだったので、私は校正原稿をお渡しして職員室の外に出ました。
先ほどの3人の方を校門のあたりですれ違いました。
1人の方は私を学校の人間だと思われたようです。(IDカード入れが 教員用と PTA役員用と同じだからでしょうか) 憤慨したような様子で「でも○○小学校(別の小学校)は、不登校児が1人もいないと校長先生がおっしゃってたわ。がんばってるわ!えらいわ!」と、聞こえるようにおっしゃっていました。

 私は、私の知っている知識で、その方たちの質問に応えることもできたし、少し待っていただければ参考になるPTAだよりをお渡しすることもできたのですが、その方々がどこの団体かも知らないし、学校に質問しにいらしているのに、ただの保護者が学校の了承を得ずそういう行為をすることも問題かもしれないし、そういうことをしても「教頭を含めた学校の印象」をよくすることはできないなあなどと思っているうちに彼女達は別の道へと分かれていきました。

 ふと、それを思い出しました。 責任逃れの弁というのは、そのまま「責任逃れ」にしか聞こえません。責任逃れの弁を頭で組み立てるよりも、もっと 目を見開き、耳をすまし、頭で考えて、誠実に返事をして欲しい。

私は、そういう責任ある地位にあるわけではないけれど、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考えて、誠実に取り組みたい。

  そんな風に思った今朝でした。 さて次の仕事だ!

画像は、今回のPTAだよりで必要になって探したけれども、リサイクルのイラストがみつからなかったので、自分がマウスで描いた新聞です。。(^^;)
歌舞伎の絵やら、日頃の絵にくらべると結構うまく書けたと>自己満足
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忙しいと書いた舌の根も乾かないうちに。ちょっと旦那さん!
2005/02/07(Mon)
 そうだ。思い出したので、コネタをひとつ。

今日は夫関係の話題です。>pon1事後承諾ゴメン m(__)m

夫は息子の入っているサッカーチームの お父さんコーチを引き受けています。現1年生のお父さんコーチは結構たくさん。子育てに熱心で子どもと一緒になにかをやろうという気持ちを持ったお父さんが多いというのは、世の流れでしょうか。
 今の子どもは幸せですね。 良いことだと思います。

コーチはときどきコーチ会なるものを開きます。これからの指導方法を相談したりする会なんですが、これがなぜか「飲み会」 おまけに、かならず午前様になるという。。。。。。(--;)

 私もお酒は二日酔いになるくらいまで 後輩と飲んだりしていたことのある人間ですし、夫とも二人で午前様になって飲みに行ったりもしていた人間ですから、「酔っ払い」の気持ちは良くわかる(^^)「酔っ払い」の楽しさもよくわかる。(ついでに二日酔いの挫折感もよくわかる)

しかし、気持ちもわかるけど 酔っ払いがいかに意味不明かも身をもって知っているわけで、
まじめな話をする場合は 飲み会と分けたほうが良いとおもうんですよ。
 飲み会にも身が入らないし、真面目な話もきちんと話しができない。

と、夫に申しましたらば、夫は「コーチ会といわないと出て来れない人もいるんじゃない?」と。
まさにそうでしょう。あるでしょう。
 でも、私から言えば、そういう「けじめのない飲み方を毎回しているから」 ダメだって言われるんだと思うんですよね。

 飲んでいる方は 自分は子どもじゃあるまいし、家で待っている人が遅くなると心配しているなんてこれっぽっちも思わないわけですし、「迷惑だったら先に寝ててよ」なんて思うかもしれませんが、家族がいつ帰ってくるかわからない状態というのは結構大変なものです。
 最近は物騒ですから、ふらふらとした酔っ払い状態でどこかで事故にでもあっているのではないかとか、どこかで 絡まれているんじゃないかとか 心配は膨らむものですから。
 つまり、うるさく言われるのは、心配したり大切に思っている証拠。
子どもだってそうですよね。 帰りの時間をとやかくいうのは心配だから。事故にあってもらっては困るからです。 どうでもよければ ほっときます。たぶん。

 やっぱり
1)飲み会とコーチ会はわける
2)飲み会は何時までときちんと決める。 
  よっぱらってしまったら、けじめをつける自信がない場合は、その時間に閉店になる店を一次会として選ぶ。 閉店になったら、必ず店をでなければならないし、その時点で帰りたい人も「じゃあ、私はこれで」と帰れるわけだし。
 (なかなか中途で、「お先に」と、飲み会で帰りづらいわけで。。。)

というのが良いと思うのですよ。皆一応 妻と子どもがいるわけで。

てなことを pon1(夫)に言っても、pon1は当事者ではないので、なかなか相手にはいいにくいですよね~。まったく当事者は!もっと考えたほうがいいんじゃないでしょか。

という話をしていたらですね、衝撃の事実を聞いてしまいました。

先日帰りが2時頃になった(飲み会に電話するウルサイ妻というのにはなりたくないなあとおもいつつも、あまりにも遅いので、「もう1時すぎたよぉ~」と夫に電話した結果やっと2時)日のことですが、

参加者の1人の奥さんは その日に事故ってしまったとのこと。
もう1人の奥さんは 熱が出て小さな子ども2人いるため、だんなさんは会社をはや引きして帰ってきたとのこと。

 いか~ん!!! そんな日に「飲み会」はいかん。どうしても開くひつようがある 「コーチ会」なら 場所変更してファミレスにでもして、アルコールなしでさっさと話し合いを済ませて家に帰らないと!

「そんなことを続けていると、定年退職した日に 離婚届わたされるよぉ~う」と夫に言いましたら、そのうちのお1人は自営業で、定年退職はないそうで。。。

 そんな問題ではナイ!


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8時半と9時に毎日やってくるウイルス
2005/02/07(Mon)
ちょっと週末から今週末にかけて忙しいです。
PTAだより200号記念号の編集と、子ども会のお知らせ作りが重なっています。
子ども会の方はまだ手付かず。

ところで、今月頭からずっと平日毎日続いていることがあります。8時半頃と9時頃にウイルスがやってきます。

この規則正しさはたぶん、8時半頃と9時頃 パソコンにスイッチを入れる人=つまり勤め人のひと2人のパソコンがウイルスに感染しているということだろうなあ。
 私が元つとめていた会社ではこういう状況はありえないので、会社の知り合いではないなあ。 かといって私の会社以外で勤め人に知り合いというとあまりない。 もしかすると、ネット通販している会社のパソコンが感染しているのかもしれない。私は何回もネット通販を利用したことがあるので、その会社のパソコンに私のメールアドレスが残っていてもおかしくはない。 

 知り合いにしても、私が過去にネット通販を利用した会社だったにしても、このロバミミを見ている人はいないとおもうので「ウイルス感染してますよ」とお知らせするすべがない。

 「シマンテック社の電子メールプロキシが次のメッセージを削除しました。」と出るだけで、ウイルスの種類が書いてないのだけれど、どうやら検索してみるとW32/Netsky.q@MMかもしれない。

症状としては、

・上記のようなレジストリキーとファイルが存在する。(上の引用ページ参照)
・オーディオペイロード - W32/Netsky.c@MMと同様に特定の日時に、様々なピッチとリズムで構成されたビープ音を作成します。


ということだから、会社などでビープ音を消していたら感染自体に気づかないままず~っとこのまま毎日毎日ウイルスを外に送り出し続けるのかもしれないなあ。

感染してメールを送ってくる あなたはだあれ?

 もし、ここをご覧になっている方で、私のメールアドレスをパソコンに保存してあって、8時半か9時頃にいつもパソコンのスイッチを入れ、ウイルス検知ソフトをパソコンに入れてないか、うまく設定できてないかしている方がいらしたら、ちょっとウイルススキャンなどやってみてくださいね。(W32/Netsky.q@MMが、起動時にメールを必ず送るのかどうかは不明のまま書いていますm(__)m)
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いまごろになって富豪刑事
2005/02/04(Fri)
 息子が生まれる前はまったく気にせずにテレビを見ていました。ところが、ニュースにしろドラマにしろ、息子がうまれてからふと気がついてみると、大人でさえも ドキッとするような(良い意味ではなく悪い意味で)情報が映像付で突然やってくるために、我が家ではあまりテレビを見なくなってしまいました。

 ドラマも、突然冒頭から死体がごろごろ出てきたりします。(息子が生まれる前は別になんとも思わずに見ていたものなのですが) 昔見た映画を見ようとつけてみると、まったくそういう場面があったとは記憶にないものが画面で繰り広げられて驚くこともしばしば。
 たとえば、子ども用に「なんだかイヤな話だったかなあ。怖い話だったかなあ」くらいのつもりで買ってきた「グレムリン」の残酷さに驚いたり。

 そんなこんなで、最近までケーブルテレビの子供用チャンネル主体に、それ以外はディスカバリーチャンネルという配分で見せていたのですが、見事にコレが失敗だったように感じています。何がいけないかというのがはっきりとはわからないのですが、どうも何かこどもの成長に必要な情報が不足しているようです。その不足はきっとシャットアウトしてしまったニュースなりドラマなりという部分では普通にあるもののような気がしています。

そんなこんなで反省して、ケーブルテレビを今度はあまり見ないことにしました。
文句言わないんですよね。うちの息子。こんな風に従順で大丈夫なんだろうかと反対に心配になってしまいます。

昨日はたまたまつけていたチャンネルで 富豪刑事というのをやっていました。
なんだ?この富豪刑事とは? なんだ?この不思議な衣装の深田恭子は?となんとなく見ていたら原作筒井康隆だそうで。 出演者のあまりにもバラエティにとんだ「ありえない」設定にあれよあれよと意識の主導権をにぎられてしまい、結局最後まで見てしまいました。

この軽さは結構好きです。サイトを見てみましたらもう4回目だったのですね。最初から見なかったのが残念だった~。次回は見ようと思います。本当は息子はもっと早く寝かせたいのですが。。。

 筒井康隆 富豪刑事
 原作では男性が主役のようです。

木曜ドラマ富豪刑事 筒井康隆氏ご本人が登場しているところなどもなんだかツボ。知らなかったもので、昨日は「あれ?このおっちゃんは?」「もしかして筒井康隆?」「ほんとだほんとだ」とpon1と大うけでした。 フカキョンはおいといて、
 相島一之、この薄い唇がそう思わせるのでしょうか。設定キャラクターにピッタリの濃い方です。
 寺島進、どうみてもコワイ人です。眉細いし。 鈴木一真、なんだこのファッションは?このカーリーヘアーは?と妙に浮いています。(というか、キャラクター濃い人だらけなので それぞれが浮いているのですが)

 次週が楽しみ。。。 

 
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ゾウの時間とアリの時間
2005/02/03(Thu)
聞きかじっててっきり 「ゾウの時間とアリの時間」だと思っていたら、「ゾウの時間ネズミの時間」だったようだ。

この本は未読ですが、おもしろそうではありますね。読んでみようかな。

とにかく、ゾウにはゆっくりとした時間が流れ、ネズミには早い時間が流れているというお話だと聞いたことがある。

 私は自分の行動をふりかえって、よくこれを思い出すことがある。

「体の大きいものにはゆっくりとした時間」という定義は同一の種同士にはあてはまらないという話なのかもしれないけれど(なんせ未読)、でも私には一般の人よりもゆっくりとした時間がながれているんじゃないだろうかと思うことがよくある。 まあ、人間でもそうだけど 同じ5メートルを歩くのに歩幅が広い人は少ない動作で済むし、歩幅が狭い人は、比較的チョコマカと足を動かす必要はあるなあ。(私はどちらかというと小柄な方に分類されるだろうところがおもしろい。)

最近「私が一日にできる運動量」というのが他の人よりも少ないんじゃないだろうかと思いはじめた。よそのお母さんを見ているとすごい。朝から何かをして、家事やって、子どもたちが帰ってきたら塾につれていって、その合間に自分達でおしゃべりして、それから。。。と毎日毎日すごいスケジュールが続く。 パワフルだ。いや、仕事などで集中したときは 私もぐ~んとすごい生産性を示すときもあるんだけどそれ以外のときは クラゲのように ふわふわとそこいらを漂っているような感があって、私の周りは時間がゆっくりと流れているような気がするのだよなあ。(だからといって暇をもてあましているとかそういうことではなくて、いつも時間が足りないなあという感じなの)

んじゃ仕事していたときはどうなの?というと、仕事していたときも、マイペースで自分なりの時間を刻んでいた。それでも、仕事はきちんとこなせていたし、困ったことはなかった。主婦になってから、労働の質が違うというか、どちらかというと「運動量」で評価されることが多いのかもしれないなあ。だからこなせる労働が少ないように思うのかもしれない。

 私の場合、考えないときは大抵ほとんどなんも考えずに延髄反応で動いているようなものだからなあ。(ぼんやり~)

私にはゾウの時間がながれているんだよなあと。(んじゃ長生きするかな?)。

因みに昨日の労働は
家事はだいたい平日並みとしてそれプラス 息子を塾へ送り迎え、宅配便を出しに行く、郵便局へ行く、銀行2軒残高確認(スイミングと学費引き落とし口座。それぞれ指定銀行があるので面倒) あとは、息子の宿題みてやったり、ドリルをみてやったり。 本をよんでやったり。
雑務ですにゃ。

 今が冬だからこんな風なのかもしれません。なんせ冬眠体質。
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親の心はのどけからまし
2005/02/02(Wed)
 ちと、気持ちがアップダウンしています。というか、どちらかというとダウンダウンしているかも。疲れを肉体的な疲れと精神的な疲れに分けたときにどちらが疲労感をより強く感じるかというと、たぶん精神的な疲れだろうなあ。なんちて。

 子どもを持つ前に想像もつかなかったことのひとつとして、「わが子が’できないこと’に悩むことがあろうとは。。。」ということがあります。もちろん日々の成長著しい子どものこと、できないことに驚いたり悩んだりするよりできることに驚くことが多いのが日常ですが、ときどき、「なんでこんなことができないんだろう?これってできなくて普通なんだろうか」と脳天からぐわ~んと落ちてきた釣鐘にぶつかられたかのような大きなショックに見舞われてこれまでの私の何がまちがっていたのだろうか?と愕然&呆然自失ということもあるのです。

 自分のことだったらまだ気が楽なのです。だってたとえできないことがわかっても、大人ですからそれを習得する努力するなり代替手段を考えるなりなんらかの対策が悩むまもなく出てきます。茫然自失なんていう時間がそんんなに長くつづくわけがありませんし、そこにいたるまでの経過は自分で追えますから、原因やら反省点やら改善点やらは自分ですぐにわかります。
 しかし、相手は自分の子だとしても他人。彼は私ではないわけで、彼をちゃんと導くためにはどうすればよいのかと。なにより、彼はついこの間まで保育園児で意志の疎通もそれなりにだったわけで、日本語をものすごくきちんとしゃべれるかとおもいきや、突き詰めて自分の状況を分析表現できないときもあるわけで(当然なんですけどね)、「努力しろ」というだけでは目的は達せられないわけです。 くぅ~。(さめざめ)

 子どもはむちゃくちゃかわいい。大好きなのに、叱らねばならないこの気持ち。「いいこいいこ」だけでは子どもは育たないみたいで、叱るときには自分もすごくいやな気持ちを抱えながらやっているわけで。(TT)
 叱られてしょぼんとしてしまった息子を見ると、こんな風に悲しい思いをさせてしまう自分が嫌になっちゃったり。母ってなんだかつらい役割ですにゃ。

桜を好きな思いを詠んだ歌がありました。そんな風に大好きな子どものことも 世の中にたえて子どものなかりせば 親の心はのどけからまし だよなあ。。なんて考えたりしていたのでした。 子どもがいなかったら親はいないか。。。もし、子どもがいなかったらそれこそ殺伐とした世の中だけどね。
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ちょっと「ヒトの○○どし」どす。
2005/02/01(Tue)
今日は、委員会にでかけてきます。
ムーミンママも 知らない人からみたら「いつもと変わらない」風になってきたので。

せっかくいらしてくださった方へこれだけではナニですので、「人のふ○○し」を。

親知らずの抜歯レポート~歯茎の増殖過程を追え

顔写真を載せていらっしゃるすごい方ですが、

「アゴがだらしなく弛緩する。」とコメントがあっても 本来のお顔からどのくらいだらしなくなったのかがよくわからない。。。(^^)たぶん私のムーミンも 多少左右の頬の大きさが違うとはいえ、ま、この程度の差ならわかんないでしょ!という感じになってきました。
食事もまあまあ普通にとれるようになっています。薬は今週末までのみます。

 え?私の画像ですか?
実は怖がりなので当分見てなかったのですが、当日の夜おそるおそる鏡の前で意を決してみたら、縫った場所はガムみたいなもので覆われていてまったく傷口は見えない状態でほっとしました。

 このガムが曲者です。 これがあるから傷を刺激することなく直りもよくするのでしょうけれど、暖かいものを食べるとヘンテコな味がするのです。いうなれば石鹸というか?

それで、ここ数日私は料理の味がわからないままに夕飯を作ったりしてまして、インスタントのチョコレートのようなルーを入れるカレーさえも失敗してしまう(どうやら味が薄かったらしい)という。なんで失敗したのか不明です。とにかく悲惨な毎日を家族も強いられています。

 あ、そうそう。怖がりなので見てなかったと上で書きましたが、私が通っているところのお医者様は、治療の経過などをきちんと教えてくださる方で、手術中の写真なども何回かデジカメで撮影されてまして、実はザックザックに縫われた写真も帰宅前に見せられていたのでした。 

「え”!。写真みせてくださるんですか」(困ったなあ。みたいような見たくないような)
「ま、でもな、自分の口の中をどんな風にしてくださったかは見ておくべきかも」
「それではみせていただきましょうか」

と、心の中でつぶやきながらしっかりと写真を拝見?(というか自分の口の中なの)してきました。

写真で見ると頭の中で想像しているよりもたいしたことがないなあというのが感想。
 怖がりだけど興味はあるということで、 怖がり<>興味 という微妙なところですね。

んでは、今日は学校だ~ぃ。いってきます。
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