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帰省中
2004/12/29(Wed)

雪が降って寒いです

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ペ様?
2004/12/28(Tue)
 昨日、「誰が男前か」という選択肢をちらりとみかけて、その中に 「ペ・ヨンジュ」というのがあったので、 「ああ、ヨン様の次はぺ様という人がいるんだなあ。どんな人なんだろう」と思っていた。

 ちなみにその選択肢の中の一位は 「滝沢秀明」だった。

そうして、夫にその話をしたところ、「この ペ・ヨンジュというのがヨン様だよ」とのこと。

あ、そうなのか そういわれてみると ヨンジュー>ヨン様なのですね。 ぺ様じゃ格好つかないか。(^^;)ゞ

http://www.hatena.ne.jp/1104142304

実は前から私はヨン様をみるにつけて「似ている」と思う人が居る。
ちょうど似ていると思う表情の写真がみつからなかったのだが、 この人だ ちなみにヨン様はこちら

似てないですか。。。(^^;)ゞ

私は 相田翔子の顔は好きなんだけど ヨン様は苦手なんだよなあ。<ミミタコですね。

先日うわさの 冬ソナをテレビでやっていたので、少しだけ見てみました。筋もなにも分からないから鑑賞にはならなかったのですが、お化粧やファッションやストーリーがちょっとだけ古い雰囲気がして、 綺麗でカワイイヒロインも韓国語をしゃべっていて、(当然ですが)
韓国語の 濁音の多い発音が まるで、地方から東京に出てきた美人の女の子が、ふるさとの訛りのまましゃべっているかのようで、そのミスマッチ具合が面白かったです。

 世界で一番綺麗といわれているフランス語も アザブジュバン (古っつ)と聞こえる発音音痴な私です。決して韓国語をけなしているわけではありません。(フランソワーズ アルディを フランシス ハーディ と読んだ私ですしね。。)
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年末はなぜに忙しい?
2004/12/27(Mon)
 まだ、私が子どもの頃の話です。 父も普通に会社があったので、サザエさんのうちのように一家そろって大掃除というのはあまりしたことがなく、まさに父が休みになる頃にしめ飾りを買いに行ったり、お正月の準備をしたり一気に一年中で一番忙しくて大変な時期がやってくるという感じでした。

 とにかく年末はバタバタとあわただしかったのを思い出します。12月の31日はイロイロみたいテレビがありました。レコード大賞や紅白は 学校がはじまってから話題になるので見たい。でも、御節がまだできあがってない。年越しそば作るのを手伝っていたら肝心のところが見られなかったとかイロイロ。 今となれば懐かしい思い出ですが、あの当時は「どうして正月だからといって特別なことをしなければいけないのか」と不満に思ったことも多いです。

 母に「どうして御節を作るの?」とたずねたところ、母は「お正月くらいは女の人が働かなくてもご飯が食べられるようによ」と答えました。(母はときどき、アドリブの回答をさらっとそれっぽく答えるので、これが一般的な回答なのかどうかは不明ですが、その頃の私はこれを信じていました。) 「お正月が楽といっても、まったく料理をしないわけではないから、御節なんて面倒なものは作らない方が楽なんじゃないかなあ」なんて思ったものです。

 
そうして、時がながれ、今年も年末がやってきました。
pon家でお正月を過ごすにしても御節は作りません。きっときちんと作っていらっしゃる方も多いかと思うのですが、親子3人が食べるためにアレを作るというリキが私にはないからかも。 手ごろなのを購入して、日々お煮しめやらお雑煮やらを作る程度です。

あの当時、あれほど面倒に思った御節をつくらなくても、なぜか年末は忙しい。
今年は大掃除もできてない状態です。(今年は昨年までの理由だった仕事をしていないのに。家にいたのに。何してるんだ。私は!)
年賀状も青息吐息で作りました。 忙しいじゃないですか。
 なんででしょう?。忙しいわけないのに、どうして切羽詰った気持ちがするんでしょう。アレを今年中にやらなければ、コレを今年中にやらなければなんていうキリをつけるのが大変なんでしょうか。当の本人がなぜだかわかりません。

 けじめ正しい生活を美しいと思い、良いと思う気持ちと、 そんなのどうだっていいじゃないですか。みんなが正月にきちんとしなくても、それぞれが、たとえば誕生日とかそういう日にけじめつければ。。。ナンテ。ものすごく天邪鬼な意見も頭に浮かぶ今日この頃。




え?はい。そうです。きちんとできずに年末を費やしつつある私の負け惜しみというか言い訳というか。そういうものでございます。(^^)ゞ
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ああ、毎年の年賀状
2004/12/26(Sun)
■やっぱりあたふたな年賀状

やっと年賀状の投函が終わりました。

この時期になって「ああ、どんな年賀状にしよう」とあせるのが恒例行事となってしまったので、この連鎖を断ち切りたいのですが、今年もそうでした。毎年1回しかこういうことはしないのでそうして、おまけなどでついてきた画像関連のソフトはたくさんあるので、どのソフトを使ってどうやって作ったのかを思い出すのに時間がかかりますという話題を一昨年書いていました。実は今年も「どのソフトで作ったんだっけ?というところからはじまったので、たしか日記をかいていたはずと、昨年を見たら書いてない。一昨年をみて「おお。そうか!」とわかりました。

ところが、今年はそのソフト「有名なイラスト処理のソフト」がありません。困った。買うにしても私はそのソフトの豊富な機能の100分の1くらいしか使ってないはずなのに定価10万くらいするらしいんですよ。毎年年賀状だけにしか使わないのにそれはもったいない。

 悩んでいたところ、その会社のサイトで機能評価版がダウンロードできることが分かり、ダウンロード&インストール。無事インストールできたのですが、処理が重いこと重いこと。
たいしたことしてないのに動かなくなることが多い。 数年前のノートパソコンにはそのソフトは荷が重いようでした。 何回かプログラムが落ちたりしたのですが、どうにかこうにか作成完了。
 
その後がまた大変でした。最新バージョンは、プリントするところの操作が以前から変わっているようで、すり間違いを何回かやってしまい。はがきのムダを何枚か作ってしまいました。
 インクもなくなったりしたので、途中インクを買いに(夫が。。(^^;)ゞ)行ったりなんだり。やっとどうにか今朝投函しましたが、今日は日曜日。結局明日の朝投函したのと同じことかも。(^^;)そうして、そんなに立派なソフトを使ったという意味がないような仕上がりで(--;)しょうがないですね~。

■母を迎えてから ミスターインクレディブル

 さて、昨日は年賀状を刷って、その後母が田舎から出てくるので迎えに行きました。
母は妹の家に泊まるので、駅でお茶を飲んで少し話してから見送ってあまった時間で ミスターインクレディブルをみました。お茶のときに息子がたべるかもと思って注文したパンケーキ。メイプルシロップの海につかっていて激甘。最初は普通に食べていたのですが、台所用スポンジが水をふくむがごとくメイプルシロップを含んでいるパンケーキはさすがの私もたべきれなかった。おまけに上にのっていたバターの□は冷蔵庫のにおいがついていて、お世辞にもうまいとはいえないしろものでした。2枚がさねの上の方だけとりあえず食べて後は残しました。 残念!

 さて、インクレディブル。 面白かったー。スキスキスキな映画でした。最近は人間が演じてCGでいろいろやってますが、やっぱりこういうのはアニメでやるのが一番だよなあと思いながらみました。ストーリーはスパイキッズに似ています。スパイキッズよりもこちらのほうが人間が出てこないだけにムリがなくて出来が良い感じ。楽しい映画を見ると、映画館を出た後も自分が登場人物の一人になったような気持ちがするものです。息子はすっかり登場人物の一人になっていましたし、私も楽しい気持ちで帰ってきました。 見るなら家族とがオススメです。感想はまた園丁に書いておこうと思います。(忘れないうちに書かないと)


■クリスマス

 そうそう。昨日はクリスマス。吹き替え版なのに、カップルが多かったです。その人たちを見ながら、24日の夜が本命で、25日は保険っていうのがあったなあ。この人たちのほとんどは「保険」同士なのかしら。 なんてちょっと思いながらみていましたよ。

息子は夕飯に寿司が食べたいとのこと。すし屋はクリスマスには向かないのか空いていました。カウンターにすわり、食べたものはセットもののお寿司だったのですが、職人さんが、「はい。コレあげる」と サンタの寿司を作って息子にくれました。

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長年の間違いに気づく
2004/12/23(Thu)
たぶん、中学生の頃だと思う。
英語をならいはじめて、メリークリスマスなんて書きたくなる頃のことだったと思う。

でも、Christmas と書くのが文字数が多くて面倒くさいので、 Xmas と書いたら、友達に注意された。
「Xは略語なので ’ をつけないと間違いなんだよ」と。

で、ときは流れて ず~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っとそれを信じていた私。>辞書ヒケヨ。。(--;)
 
 反省して辞書ひきましたっす。
 なんでXmasかというと キリストをあらわすギリシア語の頭文字がΧ(カイ)であることからだそうです。

それだけではネタにもならないのですが、blogならではの他人のふんどしで相撲です。へへへ。

「X'mas」は誤字 

コレ、最高!

以前CM で 「成績が a girl」「成績が サガール」  とかで有名な塾が 「チアガール」 というのを放送していて cheer girlとは和製英語 本当はcheer leader というなんていうのも ケケケ。と思ったことがあったなあ。

思えば、英語関係のCM作るのって難しいですね。ヒラメキがあっても 英語の基礎知識が不可欠。 海外から日本に来ている人が ???と思うようなCMはすごく多いかもしれない。それをblogにしただけでも、結構面白い&私にとっては有益なものになりそうな気もします。

そういうのご存知だったら教えてくださいね。

■追記
ちょっと、そういうblogってないかしらと自分で検索中面白いものにヒットしました。

On Off and Beyond: Bush の英語
Bushの英語不自由ぶりは有名。英語を第二外国語として学ぶ人用サイトにまで、こんな風に間違い語録がまとめられてしまっています。「Is our children learning?」とか。


 こちらが、上のサイトで紹介されているサイト
Bushisms - US President Proves How Difficult English Really Is!
ああ、素晴らしいなあ。ブッシュ大統領が居てくれることで、英語の間違いをしてもそんなに恥ずかしいとおもわなくても済むわ。自信回復ね。

なんちって~。
 
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いけずぅなところを暴露?
2004/12/22(Wed)
夫は昨日から出張なのです。

日ごろから夫の「すんばらしいところ」を書いてきたpon2だけれども、ふと!対象が近くにいないと そういえば、こういうこともあったわなぁ! なんて ちょっと「いけず」のところも披露してしまおうかなんて、いや、茶目っ気茶目っ気!(ホントか?)

 いえね。書いてしまうとたいしたことがないわけなんですが、この出張前日の出来事です。

会社(カジュアル出勤)から直接出張先へ行きます。そのためスーツを持っていく必要があるのです。 そこでpon1
「pon2、スーツカバーがないよ。pon2が全部捨てちゃったからなあ困ったなあ」なんておっしゃるわけでございます。

 日ごろ貧乏性のわたくし。新品同様のしっかりしたスーツカバーをいくらなんでも捨てるわけがありません。 記憶をたどってみました。
そういえば、あの時。。。。。。。。。。 思い出せない。。。 orz
捨てたときは私にとってたいして記憶に残る出来事ではなかったようです。

 しかし、自分の物以外を捨てるとき、持ち主の確認ナシに捨てることはまず私にはありません。それが家が片付かない原因のひとつでもあります。
なんてったって息子の折り紙ひとつでも捨てるのに躊躇する有様です。(最近では、コレはいらないだろうと思う息子の物は捨てることも出てきましたが。。。だって片付かないんだもの)

 そういうワタシが、夫の許可なしで捨てるワケはないわけで、記憶にも残ってないということはたぶんすんなり捨てることになったと思うわけで。その時の記録をわたしなりに再現してみると

「これ、こんなに古くてきたなくなってるけどどうする?捨てても良い?」って絶対聞いているはずなんですよね。

つまり、
「ワタシが捨てた」わけではなくて「ワタシが夫の了承のもと捨てた」が正しいのです。いや、たぶん。

とりあえず、私が出張のときにつかっていた キルティング風のなぜだかちょっと女性風のスーツかばんを出してそれを使ってもらうことにして一件落着。
その女性風のかばんを文句言わずに持って言ってくれる夫。エライゾ!とはいっても、他にかわるものがなかったといえばなかったのですが。。(^^;)ゞ

 しかし、スーツカバーはひとつ購入しておいたほうがよいかもしれませんね。たぶんこの状況は繰り返すことになると思います。なぜかというと、前の出張のときにもこの騒ぎがあったような記憶もよみがえってきちゃった。

 あれ?夫の「いけず」なところを披露するつもりが、こんな風に暴露しちゃうことで、自分が「いけず」なところを披露してしまった? あれれれれ? ;-p

pon家でも、この程度のことは日々あるんですが、喧嘩のように心に残る結果になってないので、結構忘れちゃうんですね。 それが夫婦なりぃ。ねー。

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ちょっとうれしかったコト
2004/12/22(Wed)
今年ももうあと10日。信じられない。。。。。愕然。
年賀状。ぜんぜん刷ってないし。イカンこんなことでは。明日やれるか?

ところで、今年ちょっとだけ嬉しかったことも記録しておこうとおもうのでした。

■図書室で

先日、役員選考会で図書室へ行きました。なにげなく掲示板を見ていたら夏休み頃に発行したPTAだよりが裏表貼ってありました。 マーカーでしるしつけて。。
(広報委員オススメの本のページだったのです)

 PTA便りは だいたい配られたその日にゴミ箱行きのものが多いと思うのです。こうやって学校で貼ってつかってもらったんだなあと思うと 「ああ、広報やってよかった」とちょっとうれしくなりました。

■電話で

今年一緒に広報をやった人からの電話でした。来年の役員の話をしていたら「私、pon2さんとだったらもう一回仕事してもいいかな~と思う」と言っていただきました。
直接だから 社交辞令も多分に含まれていると思うけれど、そういうことをカケラも思ってないときはそんなことはあまり言わないと思うので、なんだか嬉しくなりました。

■役員・先生方から

今年の広報は昨年までとチョット違うわね!とお褒めいただくことも何回かありました。
皆が楽しみながらがんばってるところがこんな風に出たんだなと思います。
このメンバーが集まったのは偶然だけれど こんな風にやる気とテクニックを持った人たちと一緒に係りになれるということがすごく運が良いと思いました。 恵まれていたと思います。

と、もう広報が終わったかのような感想を書いちゃったけど、まだあと広報誌2回発行しなければいけないし、2月は200号記念のptaだよりがあるしで、燃え尽きるにはまだ早いですね。(^^)
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クリスマスからプレゼント
2004/12/21(Tue)
■だいぼうけん

先週のスイミングスクールからの帰り(手袋を片方おとしてがっくり)、スクールバスで帰宅した。 いつもは帰りのバスはうちのほかに2,3人いれば良い方で、ほぼ貸切状態。
 帰りのルートは最短距離をまわるから、うちは一番最初におろしてもらえていたのだが、先週から通常ルートの人が増えたらしく 大回りして帰宅することになった。

 息子は「だいぼうけんだ」と大喜び。 

この時期、6時頃になるともう外は真っ暗だ。夜のマイクロバスドライブ(それも増えたとはいえ乗客はせいぜい息子と私を除いて4,5人で少ないし、子どもばかりのっていてかつ車内は薄暗い)まるで ハリーポッターの深夜バス(映画は見ていないので私の想像上)や 先日みたポーラーエクスプレス(感想書きましたこちら)のように なんだか脱日常というか ドキドキするシチュエーションではある。
このままどこか ファンタジーの世界に紛れ込んでもおかしくはないという感じ。

■街はクリスマス

 ぐるぐると回っていると運転手さんが突然「あら?道がわかんなくなっちゃった」(これは演出ではなくマジっぽかった)といいはじめて 実際はらはらドキドキを経験したり。
 そんななか、住宅街を回ると家家にクリスマスのイルミネーションが見える。
省エネの反対を行くものだけれども、この時期こういうのはイイナとおもった。
それに、静かな住宅街も、これだけ光がともっていたら防犯上も少しは貢献しそうにも思った。

 この土曜日に見たポーラーエクスプレスでは ヒーローガールが 「クリスマス。私は好きよ。だって町がライティングされてとても綺麗」みたいな(詳細失念です)ことを言っていたのを聞きながらこのきらきらした情景を思い浮かべたのだった。

 ここのところ、グレコが遊びに来ていたので、今年のクリスマス準備はさっぱり進んでいなかった。日曜に息子の友達の家を訪ねてリースがドアにかかっているのをみて、「あ!。今年は何も準備していなかったな」と。気がついた。 そういうことさえやる気がうせてしまっていたんだなあ。 クリスマスケーキの予約もまだだ。

■サンタ

クリスマス。サンタの存在はいつごろまで信じていたんだろう。起きていようとおもいながら一回もサンタを見ることはなかった。 目をさますと枕元にあるプレゼントに目を輝かせた頃が懐かしい。
 サンタについて存在を信じることがなくなった今、私は息子にプレゼントを買う立場になった。息子の喜ぶ顔をみたい。直接ほしいものを聞いてしまうのは無粋だが、第三者として聞くことはなんだかわくわくと楽しいものだ。 そうして、期待に満ちて寝た子どもが次の朝プレゼントを見つけて顔を輝かせて喜ぶ様をみたい。
 
 サンタを信じるということは、そのまま人間の綺麗な心を信じることにつながっているような気もする。

■プレゼント

 人対人のプレゼントは、たとえば 「好きなあの人が自分の方に向いてくれないだろうか」という 貢物だったり、人によっては釣りのエサだったりする場合もあるだろうし、私はコレをあげるからあの人からはこれをもらおうと お返しを期待した物もあったりするけれども、サンタを介したプレゼントは、純粋に相手が喜ぶ顔が見たいからするのだ。 それには自分のことを好きになってほしいなんていうものや、相手からは何がほしいという見返りを期待しない ただ「相手の喜んでいる顔がみたくて」する贈り物なんだなあなんて思った。

 うちには、母からよく宅配便が届く。中身は野菜やらおかしやら果物やら、日用品が多い。
最初のうちは「実家は農家でもないし、こちらで買う方が送料も時間も手間もかからないのに、どうして送ってくるんだろう」と思ったものだ。 でも、最近やっと親の気持ちが分かってきた。ただ気になって私のことを思い出して 送りたいのだとおもう。それで相手の喜ぶ顔を見たり喜ぶ声を聞いたりしたいだけなんじゃないかと。
 私も時々、友達や知り合いにものを送るときがある。 普通の生活をしていたら「いただいたもののお返し」ということも普通にあるのだけれども、 友達や近しい人に送る場合はちょっと違うような気がする。 ふと歩いていて「ああ、コレはあの人が好きだったな」なんて思う。そうして送りたいと思う。ただそれだけだ。お返しはいらない。 送った時点で送った本人が嬉しいんだ。

 プレゼントを受け取るのがヘタだった私だが、そうわかってからは母からの荷物も心から喜んで受け取れるようになった。そうすると不思議なもので、いままでは 野菜が大量に届いた日にかぎって野菜が母から届いたりしていたものが、ちょうど野菜が切れてどうしようかと思ったときにタイミングよく届くようになってきた。 なにもそういう話を母としたわけではないのに、絶妙のタイミングでやってくる。 これはどうしたことだろう。 そういうことが何回か続いて少し不思議な思いがしているのである。
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育児<休業中>ではない(とおもう)んですが
2004/12/21(Tue)
いや、広い意味では育児のために働くことを休んでいる人なので私も育児休業中なんでしょうかね。(^^;)ゞ

なにげなく
ユーザー層にあわせて携帯電話をデザインという記事を見ていて、ツボが。

クレアさん(育児休業中)の場合

緊急連絡のために携帯をもった>私もそうだよ。子どもがいるとね。
よく家に携帯をわすれてきちゃう>私もそうだよ。携帯を不携帯。
気づいたたときにはバッテリー切れ>まさにまさに。私もそうだ。
そうそう。いろんな理由で携帯オフにしたままとか、マナーモードにしたまま>あるある!
突然鳴ってあわてて切っちゃう>あったなあ。そういえば。

※ 訳に関しては得意ではないので、間違ってたらゴメンナス。

国境を越えた類似点に結構ウケルpon2



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火垂の墓その後
2004/12/20(Mon)
■ブックオフで見つけました

 先日映画の火垂の墓の話を書きました。そうして、火垂の墓を先日のブックオフで発見しました。105円で購入でき、すごく嬉しかったです。ブックオフのヒトが本をきれいにするのを失敗してしおりがちょん切れていたのはまあいいです。(ブックオフでは本の上下などいたんでいる場合は綺麗にするために削るらしいです)

 読みました。映画とは伝わってくることが違っていました。
 高畑さんの映画を悪いと言っているのではないのですが、「戦争の映画」ではないんだなと思いました。(あの映画に出てくる戦争の映像はほんの少しです。見終わった後に戦争の映像もたしかに残りますが、それ以上に大量に表現されている自然の美しさや兄弟のかわいさ、はかなさ、綺麗な映像がそれを打ち消す効果があるように思います。主題は戦争ではなく、多分美しい映像表現にこだわって製作されたであろうと思います。)

■広島の話
 話はそれます。私は小学生になった頃から広島との県境の山口県で育ちました。遠足で平和記念公園に行くことが多かったです。平和記念公園には原爆資料館という建物(現在は広島平和記念資料館※1)と慰霊碑があります。 小学生のときに原爆資料館へ行ってその写真を見た最初の記憶は忘れません。 火垂の墓を見た人の感想の「トラウマになった。見るのがいやだ」というものにいくつかヒットしましたが、その人たちが原爆資料館に行かれたらどういう感想を持たれるだろう。スプラッター物の映画は苦手で絶対に見ることができない私なのですが、戦争というものを二度と繰り返さないために、あれは見て、知っておくべきだと私は思います。

■原子力発電の話
 先日近くのお母さんに誘われて電力会社の意見募集のための座談会に出席したことを思い出しました。その電力会社は今原子力発電に力を入れています。主題は原子力の安全性を主婦に説くというものだったのだと思います。説明の中に、「放射線は、紙一枚でも防げるものもあるし、コンクリートの厚い層で防げるものもある。」と懐中電灯を出して 「放射線は懐中電灯で言えば光のようなもので、それをさえぎると外には漏れない。つまり防いでしまえば安全なんです(=原子力発電は安全なものなんですよ)」という説明がありました。 でも、広島の近くに住んでいた私はその説明では納得のいかないものがありました。 もちろん原爆でなくなられた方々も多かったのですが、実はその後身内を探しに原爆投下後の広島を歩き回って被爆し、原爆症に苦しまれた方々もとても多いと聞きました。(「黒い雨」もそういう内容ではなかったでしょうか。)光は届かなくなったらそれっきり残りませんから、光と放射性物質を同列に語ることに違和感を感じました。その場では残留放射能のような放射能汚染についの説明はありませんでした。
 
 原子力発電に関して私が懸念しているのは、放射線に対する漠然とした恐怖ではありません。放射線がこうすれば防げるからという装備があったとしても、人の手を経ることで100%安全というのはありえません。 説明してくれた方は「こんな風に守られていて、ここまでコンピューター管理されている。人がやることよりもコンピューターがやってくれているから安全なんです」のようなことを説明してくださったのですが、私からするとそっちの方が怖い。人間の何が怖いといって「それはコンピューターがきちんとやってくれている」という分業意識がものすごく恐ろしいのです。システムはあくまでもその状況を想定して作ったものに過ぎないのです。特に地震などに代表される天災など、テストケースとして実地を踏ませることのできない機能について、100%安全というのは私はありえないと思っています。システムや設備が能書き通りに機能しないなんらかの不備があった場合や劣化があった場合。それと扱っている物自体が失敗が許されないほどの大きな影響力をもつものであり、それが漏れた場合に大きな被害をもたらすことが予測できることと、放射能汚染についてです。また光のように目に見えないことにより、たとえなんらかの不備があったとしても被爆した本人は蝕まれた体の不調で気づくまで分からないということだと思います。

 その説明を一緒に受けた方々が、そういう疑問に思い当たらなかったことから、「ああ、原爆のことはたまたま広島の近くに住んでいたからこそ、私が知っていたのかもしれない。一般の人は意識して「知ろう」としなければほとんど知ることがないことなのかもしれないな」と思いました。

■あやまちはくりかえしませぬから
 戦争の話、どんな被害にあったかという話は「過去の話」「済んだこと」「聞いてもつらくて不快」な話かもしれませんが、それを知るということがいかに大切なことかということを改めて思った出来事でした。広島の慰霊碑には毎年夏にテレビ放映されてたくさんの人がご存知の「やすらかに眠って下さい。あやまちはくり返しませぬから」という言葉が刻まれています。あやまちを繰り返さないためにはその当時の状況を自分ができるだけ疑似体験をして、自分の目で判断できるほど戦争を知ること=”何があやまちだった”のかを自分なりにきちんと知るということが必要なのではないかと思ったのです。


 野坂昭如の アメリカひじき・火垂の墓は 昭和四十三年直木賞を受賞した作品だそうです。
私も 「アメリカひじき」 という題名を聞いた覚えはありますが、これまで読む機会がありませんでした。読んでみて戦争体験者が書く戦争の記憶という点でも”あやまちを繰り返さないためにも”今後もぜひたくさんの人がよむべきではないかと思いました。辛くて、不快な話であっても、それが戦争の結果なのです。

※1 バーチャルミュージアムで展示の一部が見えるようです。全体の構成が分からない部分もあって全体を見るのが難しいですが、ある程度展示物をみることができます。私が子どもの頃に原爆の恐ろしさを知った写真はどうやらバーチャルミュージアムには出ていないようでした。(今は展示されてないのかな?)また、実物と写真ではずいぶんと印象が変わります。もし広島へいらっしゃることがあれば、たちよって実物を見てほしいと思いました。息子も分かる年齢になったときに連れて行こうと思います。

 上のサイトをみていましたら、当日説明を受けた図とほとんどおなじものを見つけました。

 放射線と放射能
 放射線の種類と性質
 
 説明意外のことですが残留放射線
 
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スケジュール管理ソフトのりかえなどなど
2004/12/20(Mon)
土曜日は朝から役員選考会でした。学校へ。息子はpon1とサッカー。ちょうど昼ごろ帰宅して速攻で映画を見に行きました。 ポーラーエクスプレスです。感想はわすれないうちに園丁に書いておこう。 日曜は朝8時から町内会のもちつきの手伝い。
私は子ども会からタコヤキを出す手伝いでした。タコヤキは家で作ったことがありません。
どうやるんだろうと思っていると 業務用のたこやき用粉というのがあり、それを電動ミキサーで溶かして、刻み紅しょうがを入れて混ぜます。 それを熱したタコヤキの型に流し入れ、其の上からタコと刻んだ葱を入れてある程度まで固まるのを待ちます。
後はタコヤキ用のピックでくるくると丸くまとめるのです。意外と簡単。
 私はたこ焼き用鉄板を持っています。たこやきピックもあります。後輩から誕生プレゼントにもらったのです。一回も使ったことがなかったけど、これからは作れそうです。
たこやきをくるくる丸くするにはちょっとコツがいるようですが、これもやってみてなんとなくわかってきました。

たこやき粉を使わないレシピもネットにありますね。こっちでやってみようかな。

さて、

先日、スケジュール管理ソフトでも入れて。。。と考えて、こちらも乗り換えを決心しました。
今まで使っていたのは ビジュアルスケジューラー

書き込みが簡単で、電話をとりながらでもすぐにメモ書きできるところが便利だったのです。
この一年便利につかうことができました。
デザインもかわいらしいところがお気に入りでした。

ところが、どうもグレコになったりすると スケジュール管理が大変になってきます。
(時間をきにせずダラダラ 意味なくネットをしたくなったりする)
最低限のことはしないとね。とハッパをかける意味でも アラーム付のスケジューラーに乗り換えることにしました。今度は

Schedule watcher
最低限この日にコレをしないとね!ということを登録しておくと 時間がくると音付で教えてくれます。(確認するまで画面に残っているのでその場に居なくても後からわかるというのも良いです) ついでにパソコンの音は日ごろオフにしているのですが、オンにしなければいけないのが難点だけど、ま、いいか。

ついでに、アラーム用に音の素材もダウンロードしてきました。
ついでのついでに、音をオンにするとメールの到着音がいけてないので、こちらは声をダウンロードしてきました。 コレという声がなかなかみつからなかったのですが(アニメ系の女の子の声っぽいのが多い) 名探偵コナン風の「メールだぜ!」というのにしました。

さて、これで準備完了。グレコ退散してくれるかな。
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「けさまでにいく」 ではなくってね。 
2004/12/20(Mon)
■とりあえず興味
 最近話題だったらしい firefoxなるものをちらりと入れて見ました。
スパイウエアの点でも、RSSが読める点でも、デザインテーマを変えられる点でもたしかに便利で楽しくてよさそうな気がします。

たとえばデザインテーマ集

 それにさくさく動きます。ブラウザはやっぱりさくさくうごかないと。
難点は、IEで見えていたブログの形が崩れる場合があること。この間引越しをしたブログはすっごいヘンなことになっています。
 これは、firefoxが悪いのではなくて どうやらサイトのCSSの記載の方が違うらしいのです。修正できるようだったら、どうにかこうにか触ってみたいと思うのですが、困ったことに先日引っ越したブログは CSSとHTMLは触れないので修正できません。

 レンタルブログにはそういうサイトが結構たくさんあるようでした。一回IE独占状態になっちゃったからなあ。昔はネットスケープを使っていたのに、一回すごく性能が悪いバージョンがあったり、してとうとうIEに私ものりかえたという経緯がありました。

■しかしなあ
 多分、このブラウザ。私が自分で見つけて使い始めたのだったら、もっと積極的に使おうと思うのですが、最初に知ったのが 「私の友人が嫌がることを執拗にする人がこのブラウザを使っている」という状況で知ったので めちゃくちゃ印象が悪いのです。(いや、このブラウザをその人が使うようになった経緯まで勝手に想像できちゃって余計に印象が悪いんですよ。)私は友人の様子を心配しながら、心底「そこまで友人が伝えているのにどうしてやめないんだろう」と影ながら憤っていたのです。 このブラウザのことを意識すると同時にそっちのいやな気分まで出てきちゃう。(詳しく書かないので 文面ではまるで子どもの喧嘩のような話になっちゃったけど、実際はもっと違う話で、ちょっとネットストーカーとかそういう方面の話に近いかもしれません。)

 これだけ話題になっているわけだから、ここをご覧になっている方も利用されている方がいらっしゃるだろうと思いながらも、どうもね。諸手を上げて使いたいと思えないわけです。
今は「見えないページがあるから」という理由でメインのブラウザにせずにいますが、IEはポップアップブロック機能がまったくマイクロソフトらしい「天然ちゃん」=「大きなお世話」の機能で使えなくて閉口しているだけに、スパイウエアのことを考えても 乗り換えたほうがいいんだろうなあ。。などと思いながら。

これは やっぱり 「袈裟まで憎い」 ってヤツだよなあと自分のことを見ていたりします。
さて、私はどうしようかな。 今きちんと見えないサイトが見えるようになったらそれを理由に乗り換えを検討することにしよう。<と自分の心に折り合いをつけようとしたりしています。
冷静に 機能面のみで検討すればできるはずなんですよね。 <と自分にいいきかせて。(^^) 

p.sそうそう。前のパソコントラブル以来様子を見ていたsp2。やっといれましたよ。
無事動いています。ほっ。

※追記の追記
それに、っていうソフトが右クリックで使えないのもfirefox利用を考える一因ではあるのです。
 話はそれますが、この紙というソフト最初は「そんなに便利かな?」とピンとこない感じでした。ブラウザの ファイルー保存で表示しているページは保存できるし、ブックマークもできるし。
 しかし使ってみたら便利便利。 ブックマークしすぎてごちゃごちゃになるのも防げるし、ファイル整理がさくさくできるので、便利です。
 今は、登録結果やレシピなど 一回限りしか表示されないものや 毎回同じものを見たいものは紙に登録して、更新をチェックしたいもの、リンク先もみるものはブックマークするようにしています。 他にも使い方はいろいろあるでしょうが気に入っています。
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そうだ美容院へ行こう
2004/12/18(Sat)
美容院に行ってきました。

外にでるのは必要ですね。特にこの日の短い時期にお日様にあたるのはとても貴重な気がします。

 私は本当に「お家大好き」な人間で、日々の買い物もせず、宅配食材にたよっている
し、先週などは注文をわすれてしまい、一週間野菜と魚しかなく家族に不評だったわけですが、かといってスーパーに肉を買いに行くでもなく(スーパーの肉もなんだか信用できないなあとおもいはじめたりしているのも手伝って)ずっと家の中の生活をしちゃったりしました。
 木曜は息子を書道教室に連れて行くので一時間くらい空き時間が出ます。家に帰るのも面倒なのでその辺をまわりました。今は日が短いので日に当たることはできませんが、ブックオフで本を買ったり、ユニクロで靴下をみたり、スーパーに行ったり、ドラッグストアで洗剤をみたりしました。歩けば10分以内のところにこういう店があるのに、外に出るのがいやでブックオフではなくe-bookoffを使っちゃうという究極のカタツムリが私です。

しかし、お日様にあたる時間が少ないのは冬眠体質にはよくないような気もします。
「昔は日本はお百姓さんが多くて 冬だからといってもそうそう閉じこもっていられなかっただろうしねえ」と思い起こすと、お百姓さんだけでなく、一般の人が日常生活をするためには必ず外出しないとダメだったろうと思い当たって、今の人間は皆便利な生活を手に入れたけれども、反対にそれによって日に当たる機会が減り、健康にも良くない結果が出てたりするかもなあ。。なんてことを思いながら美容院へ行きました。
 
 話は少しそれますが、そういえば、数日前に NHKで「紫外線をあてることで植物の成長が早まることが分かった」というのをやっていました。葉の枚数が増えたり、花が早く咲いたりするとのこと。今検索してみましたがヒットしませんでした。残念なり。
 それを見ながら夫と「ココで言う成長が早まる=老化が早いってことじゃないの?」と話をしました。 確かに紫外線は老化を早めるというのは 美容の世界では有名なことです。

 さて、美容院であったことを うだうだと。

美容院では、話し好きの人はず~っと美容師さんとしゃべっています。私はあまり美容師さんに話すことがないので静かにしていて、美容師さんも私の性格を心得てくださっているからかあまり話しかけません。(新人の美容師見習いさんがくると、話しかけてくるのがうっとおしくて、閉口してしまうこともあります)。すると話し好きな人がずっと 口を休めるひまもなく話している話が聞こえてきてそれはそれで面白いのです。

 「前にね、宝くじにあたったことがあるのよ。新聞を見てみたら、当たりの番号の組違いだったのだけど、見たとたんに 一千万と同じ番号じゃない! そうなると人間震えがくるのよね。
もうがたがたふるえちゃって、朝だったから寝ているお父さんを起こしにいったのよ。
お父さんもそれを見たら、ほんとうだ。一千万だなんていうじゃない。もうびっくりよ。
すこしたってから、お父さんが いやこれは組違いだというじゃない。よく見ると30万だったわよ。な~んだなんて急に力がぬけちゃったわよ。一千万でもあれほど震えるんだから今の一億とかあたった人はさぞかしと思うのよ」

なんてね。

私だったら30万でも十分うれしいです。(でも、宝くじ買ってないデスケド) 一千万だったらどうだろうなあ。私も震えるかな。いや、そういう点ではそんなに幸運はないと思うタイプだから組違いに気づかずに一千万だと思うことはなさそうだなあ。本当に一千万だったらどうだろうなあ。。。わからない。

 それから、雑誌をぺらぺらみてましたら、以前ロバミミに書いたことのある林真理子さんのエッセイがありました。どうやら彼女も韓国ドラマの良さが良く分からないけれども、実際に冬ソナを見てみたらはまりそうだったという意味のことが書いてありました。
 私もどうも「ヨン様」は苦手なタイプで あの笑いが苦手なのです、(ああ、この時点でたくさんの人を敵に回しているのだろうか。でもヨン様がいいという人は私の周りではみかけないのだけれど。)

 林さん曰く「あのとき、わたしがああしていたら、今はもっと違う人生があったかも」というような思いがココロの中にわくドラマだそうです。

 私の生きてきた人生の中でそんなにドラマめいた恋愛関係の選択肢というものがあったわけでもないし、たぶん、誰かにメロメロになるようなことは今後の私にもありえないし、今の私の生活は私なりに幸せで満足しているから、冬ソナを見てもはまらないんじゃないかなあ。。などと思いながら、ドラマチックでロマンチックなことが好きな人などは 日ごろメタクソに言っていてもも見たらむちゃくちゃはまるんじゃないかなあと思いました。
(いままでの経験上、ドラマチックな展開や、恋愛でメロメロになる人というのはやっぱりメロメロの素地というものが本人にあるように思えて、それは美人とかブスとか、スタイルが良いとか悪いとか、家庭的とか家庭的でないとか そういうのとはまったく別の次元にあるもので、自分でそうなりたいと思っている人が多いように思うのです。シンデレラコンプレックスっていうのと似てるかもしれない。どこかに私の王子様がいるとずっと思っているというか。私にはそのメロメロの素地がないという感じがしています。)
こっちもシンデレラコンプレックス

 面白い雑誌もありました。なんだっけなあ。タイトル忘れてしまった。だめじゃん。potataという文字が頭に浮かんだのだけど、検索するとアイドル系の雑誌のよう。違うなあ。築地などの市場に買いだしに行くという特集があって、素人っぽく見えない服装なんていうのが写真になっていました。 帽子は難しいとか、カゴは年季がはいったものがいいとか、黒長靴はいて シャツは汚れてもかまわないもの。ズボンはつみあげられた発泡スチロールから足を守るために長ズボンが定番。色は汚れの目立たない黒。なんて扮装が写真に解説つきで乗っています。
 その後ろには 「素人にも売ってくれる(かもしれない)店」という特集がくんであったり、お好み焼き屋を開くために必要になる機材とか。 へえ~と見ました。

そんな風にして3時間楽しく気分転換して帰ってきました。
ちなみに息子は私の変化にまったく気づきませんでしたとさ。
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少子化白書
2004/12/16(Thu)
前の記事。検索する気力を失っている妻に、夫が検索してくれましたよ。夫ありがとう~。

少子化白書なるものがあったようです。

「なぜ少子化が進んでいるのか」あたりを見るといろいろ考えることも多いです。

図があるわけですが、そこに夫の育児の不参加などがあったりします。

しかしですね~。コレ。直接の原因でしょうかね。二次的な原因だと思うんですよ。
昔女性が外で働くことがまれだった時代、夫婦の分業がきちんとなされていた時代のほうが夫の育児の不参加はあったと思うのです。妻にまかせっきりなんて普通のことだったと思いますよ。其の時代、夫が育児に参加しないからといって出生率が低かったでしょうか。
 つまり、直接的な原因ではありえないということではないかと思うのです。
結局は、妻も働きにでるからこそ、家事・育児が妻の手に余るわけです。

女性の就業率が高まったり、お金がなかったりして晩婚化が進むと。
そうして、結婚したらしたで、
育児・教育のコスト(つまりお金)がかかるので子どもを産まないとか、(妻が働いていて:だよね)妻の精神的身体的負担が増大して子どもを産まないということで。


以下、頭が壊れているので超無責任なコトかいてます。
(読む前に、私も長年会社勤めして、男女平等な仕事についていた。そうして子どもを育てているということを念頭において、読んでくださいまし。:つまりそうしている人の気持ちはわかるし、そういうことをけなしませんよということだけど)

以下、毒がありますので注意。
だったら、女が高齢まで働くからいけないわけで、さっさと結婚して子どもを産んだほうが生活が楽になるようにしむければいいんじゃん。 どう考えても、今はDINKSの方がリッチで楽なのが諸悪の根源なんじゃないの?

 それに、晩婚化の進展あたりにある、生命の大切さ、家庭の役割などについての理解を深めることってなんじゃ?
 生命の大切さがわからないから子どもが少ないんでしょうか。生命の大切さがわかったら子どもばんばんうみましょうかと思う人がいるんでしょうかね。なんか違うような気がします。

若者の就労支援しちゃったら、これまた妻が働いていて子どもが産めないってことになることはないんでしょうかね。男女雇用機会均等なんていって女性の就労支援をしたら、女性が「あら、男の人と同じ仕事って楽で楽しいものだったのね。家事よりズットイイワ」なんておもっちゃって、結局汚れ仕事で大変な家庭の切り盛りを妻も夫も見向きもしなくなったってことでしょうか。

なんだかこの資料自体が袋小路に行き当たっているかのように見えなくもないんですが。。。

ああ、ちょっと頭腐ってるかな。。。。毒舌注意報だわ。

※ま、この資料の第2章にあるように、晩婚・働く女性 というサンプルのような私。
息子を産んでとてもかわいらしいけれど、もうひとり育て上げるリキがないというのは本当のことなんですけどね。 夫の家事の助けがないからそう思うのかというと違います。

私は子どもをとりまく環境もどうにかしてほしいところ。
たとえば、今もゆとり教育やらなんやらで結局儲かっているのは塾じゃないかなあ。 先日聞いたら、有名な塾は小学校6年生で、月6万円も月謝がかかるとのこと。こうやって「普通」に育てるためにどんどんと出費がかさむこと自体 「子どもを産めない」と思う人が多くなるってことにつながっているようにも思います。

この日記は こうさぎの ぽんつーが書きました。
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困ったご時世
2004/12/16(Thu)
帰宅してから宿題をやっていた息子が途中で「ママ、サンプリがない!」 算数のプリントのことです。

 もって帰ってないそうで。(TT)

小学一年生、なんでもって帰る前にプリント枚数を確認しないんじゃ?と 力が抜けるの巻き。

ここいらで、「忘れ物をしない」「ものをなくさない」という意識ももう少し育ってほしいと思うところもあるし、「宿題は絶対にやっていくものだ」という意識もきちんと育ってほしいしということで、ハハは提案。

「宿題は絶対にやっていかなければいけないものなんだよ。学校まで取りに行ってさがしなさい」
「一人で行ける?」と聞くと
「いける」とのこと。

小学校に入学してから三分の二が過ぎたわけだからもうそろそろ「自分のことは自分で」という意識も育ってほしい。一人で行って一人で先生に相談して一人で帰ってくるというくらいはできないと困る。

が。。。。

このご時世だから、子どもの一人歩きは危ないのですよ。そういう意識を育てる前に、犯罪のことを考えて危険回避を考えなければいけない世の中。
 「おかしをあげよう」とついていかないというのは常識だとしても、最近は車に引きずり込まれるということもあるらしいし、そうなってしまうと体重も軽く、力の弱い小学一年生はもっとも危険。

警察からも、「塾には保護者が送り迎えすること」とか「子ども1人であるかないこと」というお達しがあるんですよ。

結局息子を先に一人で出して私が後から追いかけることにしました。よそのお母さんはどうしていらっしゃるのかな。もちろん、忘れ物やなくし物をしないのが一番なんです。そういうのをしないように気をつけられるようになってほしいだけなんですけど。
 ふぅ。
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グレコを追い出せ!
2004/12/16(Thu)
 自分が蒔いた種だけれども、一ヶ月に2週くらいは自分の予定だけの日がほしいし、な~んもすることがない週というのもほしい。
 一週間でずっぱりというのもいやだよ。

出かけるのはどうにかなるのですよ。会社と同じで、 「行きたくない」という気持ちが発生する間もなく「行くんです。そう約束したんです。行かなきゃダメなんです」という気持ちで 「出かける」ということに専念するとOKです。これは、たぶん長年会社に通って培った良い習慣だと思います。
 行けば行ったで、ちゃんと仕事できます。 でもね。そこでエネルギーを使い果たしてしまうから、家があれてしまうんですねえ。
 
 そこでグレコ参上(グレコって?と思われる方はリンクをクリックね)

自分のエネルギーに限りがあるから動きたくないわけでそれを外で使ってきちゃグレコが参上しちゃうわけですよ。

ちょっと休みたいわけでして。今思えば会社を辞めた1月中旬から入学式の4月まではよかったなあなんて思い出したりしています。家のことできないながらも結構計画的にたくさんできてそれが面白かったなあ。

そんな私なのに、気の迷いで来年はPTA役員やることにしました。話せば長いのですが、先日の懇談会で各クラスからPTA役員の候補者を選出するとかなんとかいうのがありまして、
そういう時は またもや クラスでのだんまり大会がはじまります。

 沈黙で時間を費やすのに弱いんです。そういう時にどうしても手をあげてしまう。

私の頭の中では「今よりも楽な仕事があるんじゃないかな」とか「ここで手をあげといたら来年春の委員決めも沈黙を苦しむ必要はないよ」とかイロイロまわりまして、現PTA会長と相談して決めました。燃え尽きそうなんで 来年も広報というのは避けたかったし、多分来年経験者がいなかったらある程度は広報の面倒もみないとダメかもしれないし。

 さて、どうにかグレコを追い出さないと、新年が迎えられないぞ! そろそろ広報の仕事も年内おしまいにしたいんだけど、受験組がいるから動きのとれる年内にやらなければいけないんですって。 おそるべし。受験! これが過ぎれば山を越えるのかな。
今回は担当の人がたくさん受け持ってやってくれているので比較的楽なはずなんですけどね。エネルギーが切れかけているのかも。 いや、私には余剰脂肪はたくさんあるはずだ。
脂肪を燃やせ~~!

さて、グレコ退散!とつぶやきながら小さなことからコツコツとやろう! 
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本当に夫が家事を手伝わないからなの?
2004/12/15(Wed)
男性の家事・育児に時間目標 新新エンゼルプラン原案

働き方では、1日4時間以上残業(週60時間以上勤務)する30代男性の割合を、現状の23%から半減させ、5歳未満の子がいる男性の育児・家事時間は、現状の1日平均48分を、他の先進国並みの2時間程度に延ばす目標だ。育児休業取得率は男性10%(現状0.33%)、女性80%(同64%)を目指す。


原案を検索ヒットできなかったのですが、この「男性の家事時間目標」ってどういうことなんでしょうね。 どこまでどう、数値目標をたてるのか?

それ以前に、本当に世のお母さん方は、「夫が家事手伝いをしないから子どもを産めない」って思っているのかな?ナゾ。。

残業も、残業したくてやっている人もいればそれが収入に結びつくからやっている人もいるし、それを単に「減らしましょう」っていうのもあまり効果がなさそうにも思うし。(家事するために残業しない人には手当てがつくのか?)しかし、少なくとも其の会社でずっと働きたいと思う人はお金をもらえるからといっても、会社の評価や昇進に関わるとおもうからこそ残業する人もいるわけで、そういう人たちには残業の歯止めにもなんにもならないと思うし。


 たとえば、仮に成果主義としても、毎日ラクラクな勤務体系で ガンガン昇進する人というのは、傍から見ても「あの人天才!」と文句がつけようもないほどの人でないと 普通に働いている人が黙ってないと思います。
(実際、育児時間をとりはじめてからの評価というのは、誰が見ても文句つけようもないくらい完璧な結果を出さないと 良い評価をもらうことは難しかったと思う。それが人よりも労働時間が少ない分のツケ?。普通に働いて普通に評価してもらえる人と大差ない効果をだしていたのでは規定の時間働いてないということがマイナスになってその人よりも下の評価になると思ったほうが良いです。 「成果主義」からするとヘンなことだけど、でも、人が人を評価するとき、逃れられないことだと思います。:私の上司たちは偏見の少ない人だったと思いますが、やっぱりそういうところは納得するしかなかったように思います。)
 だから、男の人が残業目標もらってもねえ。。 仮に目先にちょっとした補助金がついてもねえ。さほどの効果があるとは思えないのですが。

 これを見ていると、以前の事務所移転のときの話を思い出します。

事務所移転するときに、移転対象の人にみな面接がありました。2000人ものひとが田舎にうつるわけですから、面接する側も大変だったでしょう。

私「家も買いましたし、子どもの保育園の迎えがある。あちらを定時にでても、保育園の託児終了時間に帰ってこれない。困る」と言いましたら、面接相手(子育て終了したくらいの男性)がこういいました。

相手「なるほど。だんなさんは家事に協力してくれていますか?もっとだんなさんの家事の協力をすすめて家庭内で努力してみるとか?」

私は「はぁ?」とココロで思いました。
夫は私ができないことや、夫ができることは さっさと手伝ってくれている方だと思っていました。その量は人それぞれ多いとか少ないとか同じ量でも感じ方はあると思いますが、私の感覚としては十分手伝ってくれていると感じていました。

 だいたい、この場で「夫が手伝わない」という話を持ち出すのはなんで?
大抵の主婦は 「手伝わない夫」の話をすると 日ごろの鬱憤を「そうなんですよ!」と感じて矛先を夫に向けるという 「うまいかわしかた」じゃないんだろうか?と思いました。
言葉は悪いけど、「ダンナの悪口いっときゃ間違いない」っていうか。

 その場ではさすがに聞きませんでしたが 相手の方に「そうですか。お宅にはお子様がいらっしゃいますか?そのときどのくらいてつだっていらっしゃいましたか?」と聞きたい衝動にかられました。聞いたとしても、「うちは手伝わなければいけない状況にはなかったので」と言われりゃそれまでですが。

とにかく、「たぶんあなたと比較すると夫はたくさんやってるとおもいますよ。そういうあなたに、うちの夫のことをとやかく言ってほしくないわぁ」という感じでした。

私は「はい。夫はもうできる限りのことで強力してくれて、家事も良く手伝ってくれています。それでもできないから相談しているんですよ」と言いましたら、相手は

相手「ま、言ってみたら勤労条件もかわるかもしれませんし。。。」なんていってました。
(なんだ、そのかわるかもしれませんなんていう言葉は?もっと突っ込めたけどつっこまなかったんだよなあ。。)

 それを思い出します。こういうプランの策定に関わっている人たちがどのくらい少子化の原因がわかっているのか? 教育でもなんでもだけど、関係ない人たちがいじくりまわしているように見えるそれが良くないようにもおもえるんだけどなあ。
(一応意見を聞くという 機会は設けてあるみたいだけれども、そういう場で発言する理由と本当の一般が思っている理由というのは本当はかなりずれているようにも思うのです)

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引越しなどばたばたいろいろ
2004/12/15(Wed)
■今日は出かけなくてよい。お昼に旗振り当番(黄色い旗をもって下校の子どもの交通指導をする)だけだし。ウキウキ。うれしいな。 

■そういえば、ふたご座流星群。見ようとおもいながら忘れていた。夜はなんだかバタバタするし。まだ見えるかな?

■2,3日前に書いた引越し。やっぱりやっちゃいました。
ドブログとどちらにしようかと思ったのですが、2ギガのドリコムブログにしました。息子の親ばか記録ページです。いままではgooにしていたのですが、写真容量が気になるし。
更新情報から行けます。 サイドバーが触れるのが楽しくて良いですが、下に 広告が出るのが消せないのがちょっとヤダナ。残念です。

■ついでに
ついでにエキサイトのサイドバーもちょっとかえてみました。
エキサイトはjava組み込めないので不便なんですが、リンクすれば平気か?とためしに。
しかし、なんか更新情報がうまく読み込めてないような気もするので、ドウダロ?だめだったらはずします。
 それから、私が気になるブログクリップリンクもつけました。

■今日は寒いです
寒いので、この冬初のエアコンをいれてみようかとスイッチを入れたら、毎年エアコンの設定温度は20度にしていたようで、今エアコンなしでも室温20度だったということに気づき、耐えるしかないということになりました。
 味噌汁のんでがんばります。こんな日はユニクロのフリース様様だわ~。

とりあえず今のところこんな感じです。
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ブログ各社比較(その3)
2004/12/13(Mon)
とりあえず、あちこち登録して落ち着いたかなと思っている今日この頃。

ブログ比較 その1はこちら その2はこちらです

ライブドアからは撤退しました
規約の中に
第8条 (ウェブログの公開について)
利用者が著作したウェブログとそれに付随するコメント及びトラックバックは当該ウェブログを著作した利用者に著作権が発生するものとします。但し、宣伝、利用促進、出版等を目的としウェブログサービスの著作物を使用する場合、利用者は弊社に対し、当該著作物を著作権法の規定に基づき無償利用することを期間無制限で非独占的に許諾し、かつ弊社及び弊社の指定する者に対し著作者人格権を行使しないものとします。

こんなものがあるのと、ちょっと重いことが多いのも気になって。


FC2ブログ
こちらは容量1ギガ。テンプレートもさくさくできているようで、カスタマイズもやりやすく結構気になります。
 実はコッソリ登録してあるのですが、現在利用していません。


ドリコムブログ
こちらは、文章1ギガ、画像1ギガの あわせて2ギガ。
 残念なのはスキンのカスタマイズがあまりできないことと BlogClickの宣伝エリアが今日現在消せないことです。

Doblog
ドゥブログかとおもいきや ドブログ?といううわさも。
こちらは容量無制限。まだ使いこなしてないのですが、 テンプレートもかなり触れるようです。


容量では負けてますが、こんなのもありました。

アメーバブログ
人気ページになったら賞金がもらえるらしいです。

sonetブログ
無料なんですが、クレジットカードの登録が必要。


それから、やめた後ですが、ライブドアではどうやらポイント制でライブドアデパートでそのポイントが使えるというメリットもあったらしいです。知らなかった。

今は gooblogに作った記事をひっこししようかどうしようかと悩んでいるところです。
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年をとったということか?
2004/12/13(Mon)
昨日はしとしと肌寒い雨。息子のサッカーも練習中止。
どこかに出かけるということもなく家で過ごしました。午後から退屈して DVDでも見ようかということになったのですが、こんな日に限ってレンタルは先日2回目の延滞をしてから反省して借りてないし、家にある子供用のもので見てないものはないし。探してみました。

 ひとつだけ息子が見ていないものを発見。火垂の墓です。ほたるの墓は苦手な映画。
悲惨なものから逃げたくなりますが、戦争を知らない息子(もちろん私も知らないけれども、私以上に戦争のことを知ることがない)には必要な情報かもしれないと思い、安い値段で出ていたこともあり、買ったものでした。昨日は私はこの映画を見てしまうと絶対に悲しくなってしまうので見たくないと言うと、息子は母が泣く姿をおもしろがって却って見たいと言いはじめ、見ることになりました。

 息子には現実感がなく、戦争の詳細もしらないので退屈な映画だったようで、すぐ興味は別のところにいってしまいました。 今度おばあちゃんに会ったときにでも話をしてもらったほうがよいかもしれない。(話したくない話題だとおもうけれども)

火垂の墓。 以前見たときには悲しくてつらいだけの印象があったのですが、今回は年のせいで理屈っぽくなっているのか、それとも戦争のことを知らないせいか「なんで?」と思うことが多かったです。

 この映画を見るときに、私は兄に感情移入をしてしまいます。「自分も幼い子どもであるということを自覚しながらも、もっと幼い妹をどうにかしてまもらなければいけない」という自分の身にあまる責任を感じながらも妹のために頑張り、結局その妹を自分の力不足から失っていってしまうという悲しさがやりきれないのですが、今回はそのやりきれなさを感じ、涙をこらえられないなかにも、納得できない思いが沸き起こってきました。

 主人公のお兄ちゃん。年齢的には小学校高学年か、中学生くらいだと思います。その子がどうして全く大人を手伝わなかったのだろう。おいてもらっている家の手伝いをしないこともあり 嫌味や小言をいわれたのではないだろうか。 自炊できるくらいのことができるのだったら おばさんの家事を手伝うべきだったのではないだろうか。

 妹と二人住むようになってから 火事場泥棒をすることを選ぶ前にどうして何か働こうとしなかったのだろうか。 二人で防空壕の中で住むことができるくらいだったら、子どもでも何かできるはず。また、映画の中でもおばさんの家においてもらったほうが良いと助言があったように、嫌味を言われても、おばさんの家に戻れば配給もあり、あれほどの栄養失調で妹を亡くすこともなかったろうに。(母の着物と交換した米をおばさんに搾取されることはたしかに、おばさんソリャナイゼ!とおもったけれども) 「あやまりもしないんだよ」とおばさんが言っていたように、たとえば食器を出しっぱなしで洗ってもらったときにありがとう、ごめんなさいと言って、次回から自分であらったりおばさんを手伝っていれば多少は違ったろうに。(おばさんからすると米は迷惑料だと思っていたと思われる) また、いとこのお姉さんが「おかあさん、またきついこと言うたんやないん?」と言っていたから、そのまま家にいてもまったくの四面楚歌ということはなかったろうになあなどと思ったのでした。  

 一番気になったのは、子どもたちの悲惨な運命が戦争のせいだというよりも、「いじわるな叔母のしうちのせい」と理解されてしまうことがあるのではないか。 叔母は叔母で、たぶん’其の当時の正論’をしゃべっていたはずだと思うのでした。
 理解力に欠ける小さな子どもが戦争をしらずにこの映画を見たときに、戦争の悲惨さを感じるよりも ’叔母にいじわるされた孤児の悲しいものがたり’と理解することはないのだろうか?と一抹の不安を感じたりしました。

それにしても、皆自分が生きるのに精一杯だったとしてもそんなに生きるか死ぬかの子どもにそんなに冷たい世の中だったのだろういか? こう思うこと自体が 戦争を知らない私の現実感のない平和ボケなんだろうか?とも思いました。

火垂るの墓 


 映画自体は、妹があまりにも良い子でかわいくて、また海辺などで兄と妹のたのしく無邪気に戯れるさまが、あまりにも美しいだけに話の悲惨さが際立ってやりきれません。高畑さん、うまいなあと思います。

 戦争を知らない息子のためにと思って買ったDVDですが、結局は私自身もほとんど戦争を知らないことにあらためて気づきました。今、戦争を知っているはずの世代の政治家達はどんどんと戦争向きの行動をとっているかのように見えるわけだけれども、あの人たちから見た戦争はどんなものだったのだろうか。
 あの人たちは戦争の中でも恵まれた環境であったために本当の悲惨さを経験してない人たちなのだろうかと思ったりもしました。

■追記

原作の野坂昭如の本を検索してみたら、レビューに

実際に妹さんを栄養失調で亡くしたのも本当らしいです。
映画のパンフで彼は「映画程実際妹に対して優しく接していなかった」という言葉が印象的でした。


とありました。
やっぱり私が上で書いたように、おばさんの家においてもらっていれば、妹を栄養失調でなくすこともなかったろうにというのは、戦争を知らない大甘なコメントかもしれません。
 たぶん、おなかのすいた妹は映画のようにいつも天使のように良い子ではなく、かんしゃくを起こすことも多かったとおもいますし、(子どもはおなかがすいたり眠かったりするとぐずぐずと、機嫌がわるくなります)そういう妹に対して兄はいつもいつも優しく接してないということも確かでしょう。 本は未読でしたが、読んでみようと思います。

アメリカひじき・火垂るの墓新潮文庫

■さらに追記

 今ふと思ったのですが、今回違う感想を抱いたのは、私が家庭を持っているからかもしれません。責任のない時代には、自分が気ままに食べていけばよかったわけですが、家族をもち、家族のために家事をするという経験から おばの気持ちや、周りの大人の対応のわけも少しはわかるようになってきているからかもしれないと思いました。 (子どもに説明のないまま、コメを着服したり、嫌味を言ったりするのは典型的な’継母’の姿で、肯定はしませんが、そういいたくなる気持ちも多少は理解できるというか) 

■さらにさらに追記

 綺麗な映像と悲しい物語が印象のこの映画は、やっぱりよくできた「映画」なのかもしれないと思いました。
 ある映画(これから見る人があったら最後の最後のネタバレをばらすことになるので映画名書きません)がありました。 ナチに捕らえられたユダヤのその女性は、二人の子どものうちひとりだけ生かしてやるから 自分でどちらを生かすか選択しろといわれます。 そうして、彼女は選択してしまう。それが皆が知らない彼女の秘密であったという話でした。

 戦争って、たしかに敵となってしまった国の攻撃も怖いけれども、本当はそういう極限の状態に置かれたときに人々が皆「平和なときに人として当然と思っている行動」がとれるかどうか。という、ギリギリのところの人間同士の怖さというのもあるかもしれないと思いました。

 実際、悪くかかれてなかったおばさんや、おばさんの家族も 生きるか死ぬかという状況であれば もっと意地悪く同情する余地のないような行動に出るのが人間だったり、姉妹・兄弟であっても空腹などでお互いに思いやれなくなってしまうというのが悲しいことに人間だったりするかもしれないと思ったりしました。 いつも優しく妹思いの兄は、本当は妹の存在をうとましく思うこともあったかもしれない。(しかし、現実そのままではたぶん、心をうつ映画にはなりそうもありません)

 聞いた話では戦争中の食べ物が十分にない時代、頬についたご飯粒ひとつぶを相手がつまんで食べただけで喧嘩になることもあったということ。

 そういう面で、この映画はあくまでも美しく悲しくかかれていて、人のやさしさ、はかなさが悲しさと対比されて、映画としての完成度はとても高いけれども、本当の戦争を語るとすると本当はこんなに奇麗事ではないのかもしれないなあと思ったりしたのでした。

 もし、自分達家族さえ生きるのが難しいほどの食料しかなかった場合、そこに二人の親戚が身寄りをなくしてやってきた場合、そうしてこのまま皆で等分に食料を分けて食べていたら全員が飢え死にしてしまいそうだった場合、そういう時があったら私はどういう行動に出るのだろう。どこにもそれを解決するすべがなければどうするだろう。想像もつかないその選択・決断をしなければならないという環境を大量に生み出してしまうのが戦争なのではないかとも思いました。

後日、原作の方を読みましたその時の話はこちら
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病み付き
2004/12/11(Sat)
独身の頃はビデオのラベルもきちんと書いてキチンと整理するというのが結構好きだった。
先日も前々から気になっていた広報の棚に手をつけて 過去何年間にもさかのぼって 広報紙のインデックスをつくって整理したところ。 できあがったときの達成感っていうものがひとしおなんですよ。そうして使うときに 「アレ」といえば「コレ」とすぐ出せるところがもう2度うれしい。

 会社時代も、資料などきちんと整理して 「アレ」「コレ」と一発で出せるようにして自己満足にひたっていたわけです。

整理好き・インデックス好きだからといって 身の回りが綺麗に片付いているとはかぎらない。ものすご~く綺麗に片付くところもあるのですが、結構ピンポイントです。特に自分以外の人間がいる場合はなかなか片付けにくいです。 たぶん、私仕様のインデックスをつけて整理したとしても家族がみなそれにあわせて片付けてくれるわけではないからだろうなあと思ったりするのですが。。。それより単純に片づけを必要とする量かも。家は膨大だもんな。

先日、息子は水泳帽をなくしました。これで2度目。
スイミングスクールでの落し物は 置き場があり皆そこに集まってくるのですが、子どもたちのやることで、想像を絶する数が集まってきます。 それも水泳帽あり、水着あり、下着あり、上着あり、なんでもありでごちゃごちゃになり、一旦なくなったものを探すのは結構大変。

前回帽子をなくしたときに、見学時間を使って整理しました。
置き場にはカラーボックスのようなものがあるので、一つ一つの箱を 帽子・水着・下着・上着などと区分けしてそこに落し物を区分けして置いていきます。
出来上がりはすっきりとしてわれながら「んん~満足!」という気持ちでした。そうして先日なくなった帽子を探しにもう一度そこへ行ってみると もとのようにめちゃくちゃになっていました。 あらら。元の木阿弥だ。

 整理できずに帰ったのですが、それからというもの時々、「あそこを整理したい」という「野望」が芽生えてこまっています。 あそこに 100均などの入れ物を持っていって「帽子」「水着」などと大きくラベルをつけてわかりやすくしたい。。

いえ、本当は私、「そんなところを整理するよりも自分の家を整理したまえ、いくらでもやるところはあるぞよ。」という感じなのですが、それでもあそこを片付けるという魔力はじわじわと私を誘います。 ああ、どうしようかな。勝手にラベルつけて片付けるのはヘンな人かな。

こんな風なことを考えていると、朝歩道橋を掃除している人とか、偉いなあと思うと同時に、「なんでそこまでする?」と不可解に思って見ていた人の気持ちが分かったような気がします。 きっとあの人は 歩道橋の掃除をしたくてしたくてたまらなくなったんだろうなあ。
その衝動に抗えずに そうじしちゃったら病みつきになったんだろうなあ。


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懇談会で~もろもろ(最近こんなのばっかりですね)
2004/12/11(Sat)
懇談会での話題が終わったところで、「他になにかありますか」と担任から促されたところ、一人のお母さんが「はい」と手を上げた。

 なんだろう?と思うと「先日講演会があった○さんの息子さんと同じ職場の私からするととんでもない話で」とのこと。
クラス懇談会で手をあげて皆に聞いてほしい「職場の息子さんの話」というのはどういうことだろう?と思いながら聞いていると、話はその息子さんの話でもなく、その講演者の主宰する施設がおいてある公園(公園と施設は別管理の組織)の自由な遊び場がいかに汚く雑草だらけで綺麗に片付いていない危険な場所かなどという話だった。以前教頭からも講演者についての一般評価について聞いていたので、ああ、賛否両論の否の方の意見だなと思いながら聞いた。

 お母さんの顔には「憎しみ」とも呼べるような表情がうかんでいて、「ああ、よほどの思いをしていらっしゃるということだろうなあ」と思いながら話を聞いた。

話の内容としては、 自由に遊ぶ公園は 危険だ。 掃除も行き届いていない。 遊びもクギをさしたりして 小さな子を一人で歩かせるのは危険だ。 ということらしい。

 二つの事件を例にあげていた。
ひとつは、そこにある実(多分ヨウシュヤマゴボウか、イヌホウズキの類?双方たくさんはえている)を子どもが食べて中毒をおこして病院へ行ったということのようだった。 「そこらへんに生えている実を食べられるとボランティアが教えたから中毒を起こした。 料理を作っているザルがその辺にころがっていて不衛生だ」 と 中毒についての情報の混同もみられた。
 実際は、料理して食べるというのは 不登校児の施設であり、公園内での調理もそれぞれの団体に任されているので、もし調理したものを一般の人が食べて中毒を起こしたのであれば公園側の責任というよりは、調理した団体側の責任だと思う。
 思い起こすと、ヨウシュヤマゴボウやイヌホウズキ類に対しては、昔から私の身の回りにあったけれども 誰も口にすることがなかった。 もし、ボランティアが知識なく食べることを促したのだとするとそれは問題だが、昔はどうだったのだろうなあ。 同じクラスの男の子に イタドリの茎が食べられると聞き、イタドリの茎をかじったことはあるけれど、ヨウシュヤマゴボウは誰も食べられるといわなかったし「毒だよ」と聞いていたから食べなかったような記憶がある。 
 そういう知識をその場にいるだれも持ってなかったということも(試験には出ないしね。)現代社会の問題なんじゃないかと思ったり。  それに、ヨウシュヤマゴボウも、イヌホウズキの類もどのくらいが中毒を起こす量なのか?かなり食べないと中毒にはならないのではないかと思ったりした。

遊びについて、中高生くらいの子どもが5寸クギを地面に投げてさす遊びをしていて、幼児が近くにいてもやめない。近くに来た子どもにあたって怪我をしたという事件があったとのこと。私が育ったのは 田舎だったからか、近所のお兄さん達が5寸クギを投げてさすという遊びを私は家の近くで見かけた。 でも、自分で近寄らなかった覚えがある。
 もし、ヨチヨチ歩きの子どもさんであれば、やはり保護者なり引率者なりがそれなりに注意する必要があると思うし、危険を自分が回避するという意識も教えていく必要があるのではないかと思ったりした。

なにより、自分の子どもにもよその子どもにも注意しない大人が多い。危険と思ったり不潔とおもったのであれば、見て見ぬふりをするのではなく自分から働きかけるということがどうして最近はないのだろう。(※1) 

 その発言したお母さんについては、講演者について「口で言うほどあの人はできてないくせに」という思いがあるのだろう。そういう気持ちを日常生活でまったく抱かないような聖人君子なわけではないから、私にも良く分かる。もし、その人の身内から迷惑をこうむっているとすると良いところばかりではないんだと、いいたい気持ちも良く分かる。
でも、坊主にくければ袈裟までという状態は、人の心理としては良くあることだと思いながらも、できるだけ冷静に判断したいものだと こういうときにいつも思う。

必要なのは、事実とそうでないことを(風評なども) きちんとできるだけ平静に自分の目で確かめて分けていくことだと思う。 分けられない場合は、決定的な判断はその情報からだけではその時点ではせっかく教えてくださった方には申し訳ないけれども下せないと思うのだった。

 今思うに、彼女がいいたかったのは、公園の施設云々ではなくて、講演者が偉そうに持論を展開していても、口先ばかりなんだよと言いたかったのではないかと思う。あちこちで取り上げられ、一気に株が上昇している様子を見て、言わずにはおれなかったのだと思う。しかし、子そだては難しくて私も自分の息子によかれと思うことをしているわけだけれども、なかなかうまくいかない。日々そう感じることばかりだ。
 私の講演者への評価は、「講演者の自分の子育て」についての評価ではなくて、彼の論に含まれる見方が、忘れがちな視点でありそれについては穿っていることも多いと思っていることであるからなので、彼女とは評価のポイントが違うのだと思う。(たぶん、彼女からするとそういう問題じゃないんだろうなあ。こういうところが難しいところなんだなあ。)
  
※1
そういえば、昨日は本当に久々に「おばさんデカ」というドラマをみました。
そのなかでの終盤で、主役の市原悦子扮する桜乙女が 「クソババア」と子どもによばれて早口で「最近の大人は~~(自信がないから?だったかな)だから ナントカナなの でも、私は言うわよ。 クソババアなんていうのは許せません」(すっかり失念していてごめんなさい)と小学生の子どもをしかって、そのあと抱きしめている場面があって、「よくききとれなかったけどそうだよなあ」なんて思ったのでした。 内容的にはムジュンがあったりツッコミどころはたくさんあるのですが、久々のドラマはたのしみました。

 叱らないことが愛情なんではなくて 叱ることと愛情は別物だよね。子どもを叱るにはパワーがいるけど、いけないことについて叱るということが大人のツトメだと 以前にも書いたことを改めて反芻したりしてます。(相手のガタイもよくて、口を挟むことでこちらの身に危険を感じることも多いからいえないというのも最近は多いのかもしれないなあ)
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息子におしえられる
2004/12/09(Thu)
先週、スイミングスクールでの出来事を書いた。昨日はそのスイミングスクールの日だった。
進級は一ヶ月に一回だと聞いていたので、多分今年はムリかな?(12月は変則的だし)とあきらめて出かけた。

 前回進級した2人がいないし休んだ人もいたのか、クラスの人数はいつもより少なめだった。新しく入ってきた子か振替の子かはじめて見る子もいた。
進級した二人がいないと、水に顔をつけられない子たちも多くて親の欲目で息子は際立って見えたけど、「級という評価がもらえることよりも、ゆっくりと少人数で’泳ぎ’そのものを丁寧に教えていただけるほうがいいかな?」と思いなおして心も平静に見ることができた。

 特に昨日は人数が少なかったので、いつもより丁寧に見てもらえているような感があった。息子は毎回めきめきとうまくなる。これが「7歳」なんだなあと、もう何年も進歩がない自分をふりかえりながら この成長著しい時期を驚きの目で見た。 昨日の息子は前回うまくいかないという課題だった飛び込みができるようになった。 綺麗に飛び込み次の級の子よりも綺麗にすっと水に入れるときもでてきた。 ココロのなかで「すごいなあ」と驚きながら見ていた。

 最後の数分間は自由時間になる。 息子はスイミングは好きなようで、自由時間にもその日できなかったことを練習することが多い。私がそうしろと言ったことは一度もないのだがそうやって練習している息子をみるとまたもや「えらいなあ」と。
 飛び込みもずいぶん綺麗になってきたなあと思ったころに 練習終了。 なんと進級の札をもらっているではないか。 あきらめていたので、私もとても嬉しかった。

息子が着替えて戻ってくるやいなや「すごいねえ。すごかったねえ」と抱きしめていたら、そこに前回進級した子がやってきて「ボクなんかとっくのとうに進級したんだよ」と言った。
 そうなの。と返事をしながら息子の様子を伺うと、息子はあまり気にしていない様子でその子がいなくなってから「とっくのとうというよりも一回前だよ」なんて何気なく訂正する程度だったのでホッとしながら もっぱら進級の話をしながら帰ったのだった。

 帰宅して、また「すごかったねえ」と息子にいうと、「うん。わかったの。こうやって手をまっすぐにして飛び込んで、あわがしゅわしゅわーと沿って上がっていくようにするとうまくいくんだよ」と身振り付でいった。スゴイ。私は小学校一年のころはちゃんと泳げなかったし、飛び込みはずっと「腹打ち」と呼んでいたように ベタンと水面におなかから落ちて水を跳ね上げる飛び込みだったような気がする。 浮いた体がすーと動くときの水に乗る感覚というのは、つい最近まがりなりにわかったことなのだ。それまでは ギクシャクと思ったように動かない手足でロボットのように、只体育の課題をどうにかこうにかこなすことが精一杯だったような記憶がある。 そうして、「だってね。がんばったもの」というではないか。「え?今日はがんばろうと思ってやったの?」と私。 人ができることに発奮して自分もやろうとする気力がないと思っていたので なんだか嬉しくて聞いてみた。すると息子。
「うん。前回○さんが進級したでしょ。だからね、がんばったの。 だってね、○さんはスイミングスクールで一番仲が良い友達だからがんばって同じクラスに行きたいと思ったんだよ。」

 ガツンと来た。 母は悔しい力を原動力にがんばるということしか思いつかなかった。相手が好きだから目標にしてがんばれるという気持ちがあることをすっかり忘れてた。 

 でも、母はやっぱり少し世間にもまれていたので、つい聞いてしまった「それじゃあ、もし、今度は息子くんが先に上のクラスに行くことになったらどうするの?」 息子は「そうしたら、○さんにガンバレというよ。そうしてどうやったらうまくできるか教えてあげる。」

 子どもの頃のもう忘れてしまった綺麗なココロを思い出させてくれる。人間ってすてたもんじゃないと思わせてくれるそんな存在が子どもでもあるとおもった。

世は少子化だそうだ。少し前に「リスクを負いたくないし、子どもが好きじゃないから子どもを産みたくないのですが」というような意味の質問をみかけた。 産みたくない人にムリに産めとは私は思わない。私自身も、産む前はそんなに「子ども好き」という意識があったわけではなく、「産まれれば産もうかな。」程度の気もちでいた。 でも、今になって思う。子どもはリスクでも邪魔者でもない、昔から言われているように 大人が子どもに学ぶことも多いし、社会保険やら、労働力やら、人口やらのような金やら人的資源やらの問題とは別の次元でやっぱり子どもは社会の宝物だと思う。 子どもを健全に育てられない社会は何か間違っていると思う。

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女も団塊! から話はそれて
2004/12/09(Thu)
団塊の世代というと、オジサン!とおもっていたのだけれど、ふと気がついた。

演歌の氷川きよし、ヨン様、なんであんなにみんなススキが風になびくがごとくブームになるんだろう。。。と思っていたけれども、もしかしたら彼女達も団塊の世代なのではないだろうか。
 個性を主張することより「同じであること」が心地よい人たちなのかな?と。

ふと、思った。 「雅子様ブーム」 追っかけをしている人たちももしかしたら団塊ではないかと。

雅子妃といえば41歳の誕生日だそうだ。
皇室系はあまり興味がなかった私だが、彼女は「似ている」といっていただいたことがあったので親近感を持っている。 双子の妹がいるところも同じ。
 ニュースでは、「一時は何かひとつのことをしたあとに疲れて休むことが多かったけれども、回復してきた」と言っていた。夫から聞いたのだが「自分の身内の葬儀に出ることができるのに、新潟に行かないとはなんたることか」と言う人がいたらしい。
 
 「病気」であるということを認識しない こういう発言が、彼女の回復を妨げているのではないかと危惧している。人から皆批判的な視線を向けられているのではないかと思うとき、公務で知らない人たちがたくさんいるところへ出かけるということがどれほど心理的プレッシャーになるだろうかということが想像できないのだろう。 皇室に入る前は自分なりの言葉で誤解を解くことができたが、皇室に入れば話すことにさえ制限があるだろうし、相手に自分の考えを伝えることができないことも多かろう。 葬儀への参列は集まる人たちが自分の身内(昔ながらの自分に好意的な人たちだと認識できる)だからこそ、できた外出ではないかと私は思う。 

 先日、小学校で雑談している折にふと「子どもの頃風邪をひきたくてわざと薄着をして外に出たことがある」と話すと、「わたしも!」という人も多かった。「でも、そういうときに限って病気にはならないんだよね」というと 「そうよねえ」と。
 病気というのはなろうと思ってなかなかなれるものではない。本人も病気になりたいと思ってなっているわけではない。そういう「病気」になったことや「病気のためにできないこと」を公の場で非難するということは、いくら「正論」に見えたとしてもそちらこそ配慮が足りないと思ってしまう。彼女は公の人であるからこそ 病気の詳細が発表できないのではないか。

 雅子妃がもし私の知り合いだったら、私は彼女に言いたい。すべての人が批判的なわけではない。たぶん、批判的な人は一握りの人で、声に出さない人たちの中には私のように、彼女を好意的に見ている人も多いとおもうし、あえて声にださないだけではないかと思うと。
(ただ、きっと誰とは分からないその一握りの人が怖いんだろうなあ。そうして今までは知らない人ばかりだったのに、日本全国どこへいっても一挙一動に注目されるというのは、ものすごいプレッシャーだろうなあ。静かにしておいてほしいと思うこと多いだろうなあ。)

 皇室というところに入り、病気になってしまったそのことにさえ、いろいろな批判を受けることが多いだろうと思うと、彼女を気の毒に思いながら、どうにか健康を取り戻してほしいと、国民から皇太子妃へという立場ではなく、同じ人間として思う。
 それだけ、人の批判を真摯にうけとめて病気になってしまったような人であるということは、彼女は真面目で誠実な人だと私は思う。 
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言ってるそばから ゆ~らゆら
2004/12/08(Wed)
ここのところ、子どもの話題ばっかですね。ま、そういう生活をしているのだからしょうがないっと!
 
 先日の講演会で呼び覚まされたいろいろな思いが混沌としていてそれをかたづけてしまいたいという気持ちもあります。最近ちょこっと映画もみたのですが、園丁も書いてないし。
先日の大風で割れた鉢も片付けてない。 今日は郵便局・銀行・息子のスイミングしか予定がないので、今日できることだけやろう。

■愕然とすること

 息子を見ていて、「わあ!こんなことができるなんてすごい」とココロの底から驚くこともたくさんあるのですが、自分が子どもの頃に難なくできていたことができないと本当に悩みます。

 私は、幼稚園の頃から本が大好きで、本を読むということ、字を読むということが物心ついてからできないという記憶がなく、漢字や、カタカナ、ローマ字 なども苦労したという記憶がなかったのです。国語大好きで、(詩を除く)読解の問題なども大好きでした。
(詩は短すぎて、背景説明が極端に少ないし、テンションが自分と違っていたりして、作者の心と同化するのが難しかったのです。でも、今思うに、詩も音楽や絵本のように自分なりに鑑賞できればいいんじゃないかと思ったりもします。たしかにその詩を作った背景はその人を理解するには必要だと思いますが)
 その代わり、算数。足し算は苦手でした。簡単な足し算で普通間違えないようなものでも1個なぜか間違ってしまい(後から計算するとできる)100点が取れずそれがイヤでたまりませんでした。文章題だけだったら完璧なのに!なぜ面白くもない計算をたくさんやらなければいけないんだろうとずっと思っていました。

 そんな私が、ついこの間息子で愕然としてしまったこと。 ひとつ、ふたつ、みっつ、と 漢字の書き取りがあったときに、 「ここのつ」 の漢字が息子は書けませんでした。 五つと書いて、私に「ママ、この字どこが間違っているのかな」と自信たっぷりに持ってくるのです。
驚きました。ココロの中で「なんでこんな字がかけないんだろう?」と。
 息子 「ごこ」だったり「きゅうこ」だったら漢字を間違えないのです。つまり 「ひとつ」「ふたつ」という数え方を赤ちゃんのころから私達両親がしてこなかったから、彼にはわからなかったようです。 急遽「ひとつ、ふたつ、」という数え方を教えました。でも、覚えることと、にわか仕込みでは記憶のメカニズムが違うのか いまだに身についてない感じです。
 
 さらに、月曜からは「いちがつついたち」「にがつふつか」という読み方がでてきました。予想通り、「八月八日」は彼は「はちがつはちにち」しか分かりません。(ToT) 今度は一抹の不安が最初から予感としてありましたが、予想通り。

 オギャアと産まれて(慣用句だなあ)まっさらな状態から、いままで経験したことをこの子は覚えてきているわけで、一年生らしからぬ妙に難しい語句「じゅうりょくがね」とか「こっちのほうがくうきていこうがすくないからね」とかもろもろを使う(といっても、分かってないで使っていることも多いのですよ)ことが多い彼、よそのお母さんから「息子さんは、難しい言葉を知っているのね」とよく言われるのですが、反対にこんな必須の言葉がわからないなんて(><)とあせってしまうのです。

 とりあえず、教科書に載っていることくらいは常識として覚えさせなければ!(まさか教科書が分からないなんて事態に、小学校一年生で遭遇するとは!)で愕然も愕然です。
それで、おぼえさせようとしても、すぐには覚えられない!。生活に密着してないからなんですね。多分。  

 今朝夫と相談してみました。 なにがいけないんだろう?

1)おばあちゃんなど世代の違う人と話す機会がほとんどない
 そういえば、私は昔おばあちゃんが話す言葉がよくわからなくて 両親に聞いたことあるなあ。

2)本をよまない
 最近こそ少し読んできましたが、あまり本を楽しんで読んでません。しかし、これはじっくり腰をすえて親が読んでやることから入るらしいから無理強いせずにやろうとおもっているところです。

3)ドラマを見ない
 うちではドラマを見ません。バラエティもほとんど見ないし、NHKニュースか、特集番組か、子供用の番組か、もしくはケーブルテレビのディスカバリーチャンネルをたまに見るくらいです。つまり、日常生活がでてくるものを全くみません。
 コレがいけないんじゃないか。 特にケーブルの子供用の番組をずっとつけているのがいけないのではないか、あれは海外の翻訳ものが多いし、子供用の番組なので言葉もある範囲のものでしかないんじゃないんだろうか。

などと話しました。
本を読む時間をつくったり、普通のテレビドラマ(殺人やイロイロなシーンがあるのが多いので見ないんですけどね)を見るということをやってみようということになりました。

■ほらね。ゆらゆら。

 こんな風に 揺れまくってます。
今の我が家、「子どもを育てる」ということに重きを置きすぎているのかもしれないです。ここまで子どもが大きくなってきたら、子どもに大人があわせるのではなくて、子どもが大人の世界に近づいてくるように大人は普通にやりたいことをやる生活をしたほうが良いのかもしれない。 考えすぎて、迷うゆれる 一年生の保護者なのです。
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チャンスはもう一度(^^;)
2004/12/07(Tue)
素人広報なんだし、素人写真だしで先日の写真は「もうコレでいいことにしてもらうしかない」という状態だったのですが、昨日突然「写真屋さんの写真がうまく取れなかったみたいで、明日もう一度とるんですって!もし撮りなおしたいというお話なら明日撮れるかも」と6年の広報委員のお母さんからの連絡。 写真屋さんの写真はまぶしくて皆目をつぶっていたということだったらしいのですが、「プロでも失敗してるんだから」と思うと気も軽くなるものです。

さて、今週末発行のPTA便りの原稿校正依頼を持っていくついでに、お聞きしたら撮影してよいとのことで、再チャレンジしてきました。

■機械音痴

子どもの頃から機械大好き。目覚まし時計を分解した逸話?やラジカセを分解したらICばかりでさっぱり分からなかった経験やらがあるわけです。
 一人暮らしのときも、電化製品のセットは自分でしてたし、テレビやビデオデッキやコンポへの接続も一人でやっていたし、「世の女性は機械音痴」とか 「ビデオ録画のやり方もわからない」なんて聞くと「うそ~~~~」と思っていた頃もあったのですが、カメラはダメです。
さっぱりいけません。

 できれば、シャッターボタンを ポスッと押したらおまかせで綺麗に出来上がってほしいのです。 もう、私の目でみたまんまを。そのまんま、写真に。(^^;)露出の補正とかなんだかよく分からない。コンパクトにまとまっていても何に使うか知らないボタンが一杯です。(ああ、ヒトの目の調整力ってスゴイなあと改めて思う今日この頃)

 パソコンのことやら、プログラムのことなら結構一生懸命見るし、今日もPTAで使っている部屋のプリンターインクがなくなったのを直感だけを頼りに交換してきたのですが、カメラはダメ。 設定をいじってわからなくなってしまうようなつまみが一杯です。今数えてみました。21個もありますよ。ボタンやらダイヤルやら。おまけにコレ押してからアレをまわすというようなあわせ技があるわけで....。ムリ。私には絶対ムリ。
 こんなにつけるくらいだったら、デジカメにも携帯やビデオのように 画面で操作が選べるモードをもっと充実してほしい。(TOT)このつまみを押しながらコレを押してつまみを回して操作なんて いくつもいくつも覚えられないのですよ。これって、ウチのこのカメラだけなんでしょうかね。 あ、それとも、そういう使い方もできるけど 取説読んでない私が知らないダケというオチだったり。。。(ありうるなあ) しかし、カメラの取説は分厚くて読む気がしないんですよ。 パソコンの取説も読んだためしはないのですが、こちらは直感が働くので大抵のことはOK(つ~か意味不明のボタンなんてあまりついてないですよね。パソコン)

と、ぶりぶりとカメラのせいにしてますが、はっきり言うと99%以上私のせいですにょ~ん。

昨夜 付焼刃のカメラ講座を夫から受け、
1)カメラはファインダーをのぞくこと
  デジカメなので液晶を見ていたのですが、ファインダーを覗かないとダメでしょう!って。
  アハハ~これって、はっきりいって常識ですよね。いや~常識を知らないってコワイ。
  たしかにファインダーのぞくと分かりやすかったです。
2)露出はコレで変える
  了解了解こっちのボタンを押してそれからこっちのボタンを押してこれをぐるぐる回すのね
3)測光はコレで変える
  ふむふむ。こっちのボタンを押してそれからこっちのボタンを押すごとに変わるのね。

と、分かったつもりだったのに、イザ、本番となると 測光(ありゃ~。なんかヘンなモードになってるんですけど~~~滝汗) 

しょうがないから露出をとにかく変えて撮影することに。


今回は、先生と副委員長とに「顔が見えない子がいるから」と相談したら 声をかけてくれるとのことでラッキーでした。 ふと気がつくと 隣には 「写真屋さん」が来ていて、写真屋さんまで 子どもたちの並び方を色々世話してくださってました。。 そこで、私は隣にいた写真屋さんに にっこり微笑んで会釈したのですが、ココロの中では「あ、ついでにこのカメラでとってください」って言いたかったが、言えなかった。。。。。

 今、やっぱりあのとき写真屋さんに当然のごとくカメラを渡して撮ってもらったほうが良かったかなあとジワジワ後悔シテイルトコロデス。。。

 ま、ヘタも味のうち。非のうちどころのない広報誌だと親しみがわかないよね<すっごい苦しい言い訳。。。。 つ~か、突っ込みどころ満載の広報紙だったりして。。ま、ソレも味でしょうかね<ホントか?
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親の心・子の心
2004/12/06(Mon)
とりあえず12月の1つめの山を越えました。まだ今週は明日からびっちり予定がつまってますが、その次の週からはどうにか空いた日もいまのところあるようです。忙しかった~。
忙しいと家の中が荒れ果てます。私の片付けに振り分ける時間とパワーがよそに使われてしまうので、汚れる一方だからです。さて、今日はさくさくとそのたまった汚れを元にもどすべく努力しよう。

■忘れようとしていることを掘り起こされるのが子育て
12月1日にPTA主催の「子どものこころが見えていますか?」講演を聞きに行ってきました。そこで心に残った言葉がこれでした。
 子どもの成長にともなって自分の失敗したこと、イヤだったことを思い出し噛み締め子どもにはそうなってほしくないと思うことは本当に多いです。 日々、子どものために「良い親になりたい」と思っていろいろと考えながら生活をしているわけですが、ここ数日強く思うことは、どんなに親が努力しても、一生懸命こどものことを考えても、子どものことが好きでも、子どもにとって完璧な親になり得ないということでした。まず、それを自覚するところからはじまるような気がします。

 子どものころの記憶なので本当はどうだったのか良く分からないし、詳細は忘れてしまったのですが、子どもの私からみても「常識がない」と思えたお母さんがいました。でも、今になってみると子どもさんは皆きちんと立派に育っていたりするわけです。もしかしたらあれはあれで「良いおかあさん」だったのかもしれないと、最近思うのです。

■心にささったトゲ
子どもを後から後悔するような叱り方をしてしまうとき、「自分にスイッチが入ってしまう状況」をよく把握しておくと良いでしょうと、講演された西野さんがおっしゃっていました。
 自分にスイッチが入ってしまう原因とは、自分の心に刺さった棘だということです。
心に刺さったとげとは言い換えると「私の中にたまっているつらさ」だそうです。
その場では、たとえば自分が今まで育ってきた中で親を含む身近な人の何気ない日々の行動で刺さったトゲと聞き、「ああ」と思い当たることがありました。
 
 人には皆だれしも一つや二つ「これだけは言われたくない」と思うことがあるのではないかと思いました。本人がうすうす気づいている場合もあるし、本人が気づいてない場合もある。そうして相手が気づいている場合もあるし、気づいてない場合もある。私にも一つや二つ 「こういわれるとものすごく傷つく」ということがあります。他の人だとまったく気にならないであろうことが私だけに気になるということがあるわけです。

子どもについて腹がたつときに、「これは私の問題なのか?子どもの問題なのか?」と自問することが冷静になる一歩だということでした。 私の心にあるトゲは幸いまだ息子の言動で刺激されることがないものなので、感情的になることはほとんどなくすごせていますが、多分息子が育っていろいろなことがわかるようになった頃、息子のひとことに深く傷つき、動転したり腹を立てたりすることがあるかもしれません。 その時のために自分にはどういうトゲが刺さっているのかというのを見極めておきたいと思いました。 

 子どもも大きくなってくると、「最小の労力で最大のダメージを与えるような言葉」をわざと選択するようになるとのこと。 つまり、子どもが親の心に刺さったトゲを知りながら、わざとその言葉を選択してダメージを与えようとすることがあるかもしりません。いえ、同じことは子どもだけでなく他人との関わりでも十分ありえることだと思いました。

■親の心・子の心
数年前に同級生と偶然出会い、近況を聞くと子どもさんが小学生とのこと「大きくなったから、赤ちゃんのように手はかからなくなったけど、反対に精神的にね~。いろいろ悩むのよ」と言われ、その頃にはピンとこなかったのですが、今になると多分こういうことをさしているのだと思い出しました。

 では、子どもの心にトゲをささないように育てられるかというと、まず無理なのではないかと今は思うのです。 母がずっと昔に何度も言っていた言葉に「親の隙間で子が育つ」というのがありました。(前にもロバミミに書いたなと思ったらコチラでしたが書いてなかったな。)親が「子どもにしてやりたい」と一生懸命になったとしても必ず何か足りないところがある。そういう足りないところで子どもが自ら自分で考え克服することがあり、それが子どもの大きな力になる。 ということではなかと自分なりに解釈しています。

 つまり、私がいかに息子にとって良い母であろうとしても、必ずなにか足らないところがある。どんなに子どものために自問し、自制しながら応対したとしても、却ってそれがやりすぎの場合もありそうに思います。時には感情的に何かをしたほうが良いときもありそう。親が自制しすぎたことが息子のトゲとなることもある。 私が育ってきた中で、心の中にささったトゲは、自分にとってつらいものかもしれないけれども、たぶんそれはいつも意識してそれを克服しようとして生きているという点では今の私があることにとってものすごく必要なものなのではないかと思うのです。

 母や、(父は亡くなっているのでもう思い出でしかないのですが)妹達との関わりを思うときに「ココはちょっと。。」というところが多分お互いにあると思うけれどもそれを知りながらひっくるめても大切に思う気持ちというのが家族であるんだなあ。 良いところも悪いところも理解してそれをお互い許しながらやっているのが家族・友人・夫婦 そういう関係なのだなあと思うのでした。 たとえば、傍からみてどんなに素晴らしい旦那様・奥様でも本当に「絵にかいたような夫や妻」があるわけではなく、家族しか知らないこともあるわけで でも、その良いところと悪いところは表裏一体という感じ。なのかもしれませんね。

 ココまで書くと、「じゃあ何をやってもダメってことなの」という結論に見えるでしょうか。多分子どもに対する応対で「これが正しくて、これが正しくない」ときちんとわかることは少ないのではないかと思うのです。いえ、「正しい・正しくない」はないのかもしれません。
 要は大人として、自分の尺度をきちんとしておいて子どもに対してその時、その時、「人として誠実に」接することが一番大切なのかもしれないと思いました。

ちょっとまとまってないけど、後で見直しま~す。


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にわか写真屋
2004/12/03(Fri)
朝から学校へ行ってきました。
卒業写真用の写真を本物の写真屋さんがとりに来るので、その合間に広報用写真を撮らせていただきました。

コメントへのお返事滞ってててごめんなさい!落ち着いてから書かせてください。
あと、ココに書きたいことがあるんだけど、頭の中を落ち着ける時間がちと必要です。

ということで、あったことだけ報告!

 子どもたちは元気!「卒業アルバムとは違う 好きな格好をそれぞれしている集合写真が欲しい。クラスが分かれてしまった仲の良い友達と一緒に写っても良いし、大きくこんな風に(実演つき)自己主張しても良いし、小さくこんな風に(こちらも実演つき)自己主張してもよいし、」というと、皆それなりにノリノリでやってくれました。
 前に出てきて!といっても、どうしても人の影に顔半分隠れてしまう子を見て実は私も写真屋さんにとってもらう写真以外はそういう写真ばかりだったようなことを思い出したり。

 全身真っ黒の服を着て、日陰でちょっとシニカルな表情でおとなぶって写っている子。
おどけて動いて顔が映らない子。先生に肩車してもらって上機嫌の子。
 アイドルのようなポーズをつけている子。よく見ると小さく小さく自己主張している子。
人よりもちょっとだけ離れて 先生とみんなとつかず離れずの距離にきっちりと座っている子。 数人で肩をくんで嬉しそうな子。前の子の頭に手を出す子。(いたいた!昔も!)

 綺麗な写真ではないけれど、個性がこんな風に写るんだなあと思ったり。
楽しかったです。

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ハハのココロは複雑なりぃ
2004/12/02(Thu)
息子は9月から自分から望んでスイミングスクールへ行っている。
ちょうど泳げはじめた頃だったので、8月に短期集中コースに入れたらめきめきとうまくなってきたから、この機を逃さないように!と思ったのだった。 

入れたときには、息子が水泳を好きになっておぼれないように泳げるようになれば良いと思っていた。 毎日楽しそうに通う息子を見て楽しいと思っていた。

 今は一番下の級だけれども、毎回行く毎に上達する息子に目をみはり、日々目に見えるような上達が楽しかった。メニューにも前から入っていた子よりもうまいものがいくつもある。 ボビングや背中向きに浮かぶ(背泳ぎはまがりなりにもできる)イルカジャンプなどは クラス(ひとつ上の級と2級合同)でもうまい方だと思う。 息子が苦手なのは息継ぎをせずまっすぐ浮かぶこと。 我流の息継ぎを自分でやってしまって癖になっているので、スクールでは息継ぎよりも浮かんだり沈んだりが主のときに、つい息継ぎをしてしまいうまくいかない。また飛び込みのときに手がそろわずバラバラとしていて、うまく飛び込めない。 でも、全体的には合同クラスの中間あたりで少し上かなと思えていたのだが。。。

 うちの子が通っているスクールは テストがない。大体月の終わりにコーチが見てできていたら進級させるというシステムになっている。 プールサイドでコーチたちが話しているのを観覧席からなにげなく見ていたらコーチはもう一人のコーチに、7ヶ月たったからちょっとできてないけどいいわよね。と相談しているかの様子で、進級の札をもっていった。 息子は進級せずに、息子よりもずっとできてない子が進級したのだった。一級上の子でもボビングがいまだにできてない子がいるのはそういう理由なのかと分かった。

 息子のハハという立場を離れ、冷静な気持ちで考えると、もともと選手にするわけではないから、「メニューができてなくても毎週2回通って7ヶ月たった子どもを進級させる」
というのは 「まあ、そういうこともあるかな。」と受け入れることができるんだけれども、ハハとしての気持ちはなんとなく納得がいかないものがある。
 息子はまだそういうライバル意識などとは無縁で、昨日の帰りも鼻歌だったのだけど、私の心の中にはちょっと「納得できないかも!」という種火がちらちらとついてしまった。

 息子は自分ができなくて人ができてもあまり悔しがることはない、究極のマイペースの子でまるっとその結果を受け入れてしまう。息子の友達の中には自分がライバルだと思っている子に負けることを極度に嫌って自分から発奮して努力を始める子がいるけれども、息子はまったくそういう様子がない。 「性格が温和なのよ」と自分に言い聞かせてはいるけれども、「悔しいとかそういうことで発奮して少しだけ努力したらすぐにできる位置にキミはいるのに」という気持ちもくすぶってしまう。

 コーチには今まで一度も直接挨拶をする機会がなかった。ところが、昨日の帰りに偶然にフロントで顔をあわせた。私にも理性があるので、ココロの中で種火が燃えていても進級についてはひとことも触れず、顔もにこやかに挨拶して、息子にも挨拶を促して帰ってきたのだが、息子と一緒に降りて行った私をみて、コーチは一瞬困ったような顔をしたように見えた。
 たぶん、コーチのココロの中にも、多少ひっかかることがあるんだろうなあ。私が苦情を言うかと思ったのかなあと少しだけ思ってスイミングスクールを後にした。

 いや、ココロの中はモヤモヤガタガタとしていた。
「できていること、できていないことをきちんと表などにして、子どもたちに示して本当にできた人だけを進級させるようにするのが本当なんじゃないの?」
「選手養成じゃないから、やっぱり何ヶ月かがんばったらある程度のところまではあげてやってもいいんじゃないの」双方とも「そうだよね」と思える。

 週1回しか通ってなくてまだ始めて3ヶ月しかたってないから、本当は進級しなくても悔しくないはずなのに、この気持ちはなんだろう。息子も悔しがってないのに、ハハが悔しいのはなんだろう。 多分、私が息子を大切に思う気持ちがあるからこういう気持ちがわいてくるのだと思う。 この気持ち。とってもくせものだとおもう。

 この気持ちがあるから、息子は自分は親にとって特別の存在だと自信をもつことができるのだとはおもうけど、これで息子をがんじがらめにしてしまう危険性もある。 出すことが大切だけれど出しすぎることは良くない。 私は私のココロを今少しもてあましているのだった。 
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