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勘弁してよ まいくろそふと
2004/09/30(Thu)
先日のパソコン使えなくなる騒ぎの後、会社の後輩から聞いたのは、共通の知り合いが自宅のパソコンにSP2を入れたところ、ネットとつながらなくなったから元に戻したとのこと。

 巷ではSP2の問題がちらほら聞こえるし、夫も「落ち着いてから入れる方がよいんじゃない?」というので、うちのパソにはSP2は入れないことにして、ほかのパッチは全部入れたのだが。。。。

 ここのところ、なんだか確認画面が出ないことが多い。たとえば、livedoor の「再構築が完了しました」とか、アマゾンのメール送信フォームの「送信完了しました」とかが表示されず、その前の画面で止まる。(TT)システム入れ替えたばかりなのになんですか?これは?
 またまたパソコン動作不安定ですか~ (TT) といやな気持ち。そうして、昨日気がついたのです。

私はグーグルツールバーを入れています。その横に 「ブロック数4」という数字がある。マウスでポイントすると、 ポップアップ広告をブロックしますとかなんとか書いてあるではないですか。 んんんんんんん~ 怪しい。
もしかして完了画面が、ブロックされているっていうことではないかいな。

ためしにブロックを解除してみると、やっぱり!
上に書いた不具合はてきめんに直りました。(完了画面はポップアップではないのですが、多分内部コード的にポップアップと同じ命令を使っているということなのでしょうか)

  まいくろそふとに言いたいのは、新機能をつけるのは良い。広告ブロック機能も、本来つけたことで喜ぶ人が多いかもしれない物だと思う。
 
しかし、しかしだ。
パッチを当てた後に 「こういう機能が今回はいりました」という画面が自分のパソコンに表示されるわけではないのに、いままではついていなかったその機能がデフォルト「オン」なのはいかがなものか。 通常オフにしておくべきなのではないか。
 
 まいくろそふとは 世界中のウインドウズユーザーが 自分たちの一挙一動を見守ってくれていると勘違いしてないだろうか。 
 マックユーザーだったらある程度そういうことがあるかもしれないけれども(マックに対して愛情豊かな人が多いような印象がある)、まいくろそふとユーザーの中の多くは、「とりあえず安かったから」「とりあえず、手元にあったから」という、まいくろそふとへのこだわりがあったわけではなくユーザーになっている人かもしれない。
 実は私がそうだ。 今回のことで、ウイルス少ないし、画像表示は美しいし、というマックに心底乗り換えたいと思ったのだが、踏み切れなかった一人だ。

 自分らが、自分のページで「今度はこんな機能を実装しました」と何気なく書いていたとしても、「見やしません!」きっぱり。
 
 もちろんウインドウズアップデートには、インストールする機能一つ一つの説明がでるけれども、まとめインストールしたり、XP側から自動でアップデートかかるようなしくみになっていたらそれを確認しづらいのも大きな問題。
 (前回の不具合は自動アップデート機能が問題だったと今でも思っている)

いま、会社から離れてそういう情報を得るには「自らアンテナをはっておかないと得られない」私=一般ユーザーには このシステムは不親切におもえてしょうがない。

ところで、マイクロソフトのメルマガってあったっけ?>検索したらヒットなしだけど
マスコミに発表したからといって、一般ユーザーがソレ系のニュースに着目しているとは思えないから、パッチ発行のお知らせとかそういうものだけでもメルマガ化したほうがよいんじゃないかいな?

会社にいた頃は、ウインドウズアップデートをかけてないユーザーがどうしているんだろう?と思うことがあったのだが、 自分が一般ユーザーになってみてはじめてわかる。
必要な情報は こちらからゲットしろなんてとんでもない。
プッシュ型で出してもらわないと一般ユーザーには無理だ。

 ということは、自動アップデート機能じゃなくて、 自動お知らせ機能が先にあって、
アイコン上は「マイクロソフトからのパッチのお知らせです」と出て、
それにより「こんな機能が出ました」だの「このセキュリティホール対応版です」だのの説明が出てから ダウンロード・インストール っていうのが筋なんじゃないかなあ。

先日の件があってから自動ダウンロード機能が怖くて使えないよ。まったく。ぶつぶつ。

(いや、そういうシステムになっているのに私がみてないだけだったりするのかしら)

もうひとつ、最近ソレ系の情報を読んでないから、大きな勘違いかもしれないけれど、
ポップアップ広告って、何かの特許侵害の恐れがあるとかなんとかで、日本ではほとんどみかけなくなったような気も。。。。 たまにみかける J-WORDのポップアップくらいで、あまり不便だとおもわないんだけど。インフォシークも上下バナーだけでポップアップ広告なくなったし。  確かに外国サイトでは 1画面開いて閉じてみると 1画面につき3つくらいのポップアップ広告がついていて、ビックリというのはよく遭遇するけれども.......。

ああ、不満とめどもなく。
だいたい、マイクロソフトのソフトはエクセルにしてもワードにしても デフォルトのサービスの大きなお世話が邪魔になることが多い。
 1. と書くと次の行に勝手に 2.と 来ちゃったり。
セルに たまたま 02-09-01 と入れると 勝手に日付形式になっちゃったり。そこまでやるんだったら、表のトップに「日付」とか「年月日」とかそういうのが入ったセルを日付にするとか、もう少し気をきかせたまえ! 
 まったく、それでは 言った事はできないわ、余計なことをしてしまうわの 「使えない新人」みたいな感じですわい。

ぶつぶつぶつぶつ。。。(--) 
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トラックバックって なにさ!
2004/09/29(Wed)
と、タイトルは書いたものの、トラックバック、いただいたことも、トラックバックを送らせていただいたこともあります。

 でも.....。突然告白しますが、このロバ耳だけではなく、ほかのブログにおいても、いただいたトラックバックを、実は私は消しているときがあります。

 どういう場合かといいますと、

1)いただいた私の記事にまったく関係のないと思われる記事からトラックバックがきているとき。
  (だって、読み手の人がトラックバックをたどるというのは、その関連で何かみたいときだと思うのですが、関係ない記事にリンクされていてもちょっとヘンだとおもうんです)

2) そうして、1)でなおかつ、コメントなどで こういう理由でトラックバック張りましたともご連絡いただいてないし、トラックバック元を見ても、こちらのブログへの入り口がないとき。

 こういう場合に トラバ元の記事をよ~く見ますとコメントがたくさんついていることが多々あります。そうしてそのコメントが たいてい「トラックバックありがとうございました」からはじまっていたりして、 つまりは、その人が自分の記事へのリンクをたくさんのブログに発信して自分のブログへ呼び込みをしたいという意図だということがわかります。
 しかし、そのたくさんのトラックバック先へは 記事の中では言及されてない。

そういうトラバは、コメントもいただいてないので、わざわざ先方に「いただいたトラバ消します」と宣言することもなく、さくっと消したりしてます。

 いや、実際は人様のお宅に自分の家の広告をさせていただくわけだから、勝手に送ってというのでは、礼儀に欠けるとおもうのです。ヘンじゃないかなあ~という素朴な疑問から、もう一度トラバについて検索してみました。 トラックバックにもマナーなりなんなりがあるんじゃないかしらと思ったのです。

リンク先「絵文録ことのは」さんです

3分でわかるトラックバックhttp://kotonoha.main.jp/weblog/000255_trackback.html

トラックバックの有効な使い方を考えるhttp://kotonoha.main.jp/2003/12/09trackback.html
 ヒットしたのは、ここのFLASHでした。 おお~。わかりやすい。

これを見ていて、もやもやしていた部分がはっきりしました。(スッキリ)

まず、自分の記事への引用元があって、引用元にトラバすることで 読み手もまとまった情報としてよむことができる。 一つ一つの記事を大きなまとまりとして認識することができる。

すばらしい機能ではないですか!!!(感動)
しかし、いまのところ、自分のページの宣伝としてトラバ爆弾をあちこちに発射する人が多いというのは、読み手からしても あまり意味のないリンクをたどることになってあまり好ましくないなあ。。なんて思ったのでした。
  多分、トラバを使っている人自体が「なんのためにトラバ機能が作られたのか」を知らないからこんなことになっているんですね。

 そうして、今からも、私から見て意味不明なトラバは増えると思えますので、申し訳ないですが上の1)2)の条件に合うものは さくさく削除しよう!と心に決めたのでした。

この基準って、ブログのどこかにかいておいたほうが良いのかしら?(^^;)

そうそう。引用元のページに内容に触れるのであればトラバがあったほうがとの記載がありましたので、私のほうからも「トラックバックの有効な使い方を考える」にTBさせていただくことにしました。
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そうそう。私は昔からボケていた。
2004/09/29(Wed)
朝までは確かに覚えていたのだ。火曜が、レンタルDVDの返却日だったことを。

先週は忙しかった。結局レンタルしてきたDVDが見られなかったので、月曜に一本見て、火曜の午後に一本見て、それから返却に行くつもりだった。
(実は月曜は思っていたよりも疲れていてDVDを見ながらうとうとしてしまったので、時間があればその一本も見直そうと思っていた)
 朝の打ち合わせの時間まで少しあるから朝のうちに見ようかとも思ったのだけど、先週のパソコンセットアップ騒ぎの名残で、 ネットワークプリンターにつないでなかったし、昨日もらった原稿の誤字チェックをしていなかったので、それをしてから打ち合わせに行くことにしたので、午後からみることにしたのだった。

 ところが、打ち合わせ(もう大詰めなのでかなりシビアに進んだ)は結構時間がかかって、午前中に終わると思っていたのに、5時限まで授業がある息子たちが帰ってくる時間になってしまった。打ち合わせをしていた家は 我が家と学校の間にあるので あわてて外に飛び出してみると、ちょうど友達と帰宅しかけている息子に出会った。

 もう、入稿が迫っているので、その日の午後にコピーして先生方へ 方向性だけでも確認していただかないとということになったので、 コピーと先生方への配布のために私が学校へ行くことになった。そのため、息子は打ち合わせをしていたお宅であずかってくださるということになった。 息子にその旨つたえて、その足で学校へ行こうとしたら、一緒に帰宅していた友達がさびしそうな顔をした。 そういえば、前日にまだ遊びたがるその子に、明日も遊べるからと言ったのだった。 約束をやぶることになるので、息子と息子の友達と一旦家に帰ることにした。
そうして、息子の友達の家に電話して、お母さんにいきさつを説明することにした。
息子の友人の家にいきさつを説明する電話をかけ、 荷物を家に置き、先ほどのお宅に戻り、子どもをあずけて学校へ。

 学校へ行って、広報紙を印刷して、添付する文面を書いて職員室へ行ったところ、職員会議中とのこと。 それが4時ちょっとくらいだろうか。
 電話番の先生に、何時くらいに終わるかたずねてみたらわからないけれども5時頃には終わるとのこと。 今回は、直接お渡ししないとだめだろうと思い、息子を預かっていただいた家に電話を入れてからまつことにした。5時少し前に職員会議が終了。 各先生に説明をしてサンプルを配布。

 息子を預かっていただいた家に息子を迎えに行き、先生の様子など報告しながら、メロンをご馳走になる。昼をたべてなかったことを思い出す。預かっていただいたうえにご馳走になってよいのだろうかと思いながら、同じマンションのお母さん方2人を含む3人の先客に合流。 宿題をやる前につれてきたので 5時になったことだし一足先においとますることにする。

 帰宅したら、まず広報担当の副会長さんへ ファックス送信。 それから、朝連絡を入れていた印刷屋さんから電話があったので、入稿についての話を確認する。
 その後、今日一緒に打ち合わせをした人に電話。 どういう結果だったかを連絡する。

すこししたら、息子を預かってくれた方から電話。息子ははじめてのお宅だったので、帰宅後大丈夫だったかどうか心配してくださっていた。 お礼を言って、ついでに印刷屋さんの話を報告。

 夕飯準備。夫帰宅。夕飯。 

担当記事の内容変更について相談のため、担当してくれた方に連絡の電話を入れる。
それが9時すぎ頃。

さて、と一段落ついたときに夫がDVDの袋を発見!

返却期限。今日までだよ~。(TT) 明日返却したらまた1000円かかる。
結局夫が10時頃にレンタルショップに行ってくれることになった。レンタルショップはあるいて10分少しでちょっと遠いのだ。 がっくし。

 そうなのだ。昔から私はこういう状況に弱い。 やらなければいけないことを次々に言われるとそちらに目がいってしまって当初の予定をわすれてしまうんだよな。ボケボケだ。


失敗の一日だった。 ありがとう&ごめんなさい>夫。

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ゆれる親子
2004/09/27(Mon)
係の関連で、図書館から借りてきた本が2冊。ところがもともとそういう本には興味がないので、どうも読む気が起こらない。
 返却するからとあわててナナメ読みした。
読書記録をとるには中途半端な読み方をしてしまったので、 園丁にかけるかかけないか、とりあえず、ここにさらっと書いておこうと思う。

■ゆれる親子 見失った絆を求めて。  緒方喜子  丸善株式会社
ゆれる親子―見失った絆を求...
リンクはアマゾン。リンク先の本の画像をクリックするとほかの人のレビューが読めます。

 中京テレビで取材した 子どもたちの起こした事件の周辺を探り、本にしたもの。
中には 5400万円恐喝事件・ひこもり少年・育児放棄・摂食障害・シンナーに走る息子
という取材を通して記者がみたものが書かれている。

 一見なんの関係もなさそうなこの事件の周辺をさぐるにつれて、記者の視点からはぼんやりとした共通点がみえてきている。

それは、親と子のコミニュケーションのすれ違い。
自分では良い母親だ、良い父親だ。良い家族だと思いながらやってきた親は「なぜうちの子が」と戸惑うと同時に、取材した記者も「すごく普通の優しそうなお母さん」という印象を受ける。どうして。。と感じる。

 読み終わったころには 家庭のありかたがなんとなく自分なりにわかってくるような本だと思った。

■親子不全=<キレない>子どもの育て方 水島広子
親子不全=「キレない」子ども...講談社現代新書

テーマが苦しくて2冊続けて読むのが苦痛だったので、こちらも本当にさらっと読み飛ばしたという感じではある。
 精神科医の立場から 「キレる」とはどういうことか、どうすれば「キレ」なくてすむかということがきちんと説明されている。

 後ろ表紙に著者の写真があり、「あれ?この人。見たことあるよ。議員さんじゃなかったっけ」と ググッてみると、衆議院議員の あの美人なのに男の子のような唐突な髪型をしているあの人でした。

 ここでも、触れられているのは キレる子どもたちが自己表現が下手だということ。

通常は 

意見の不一致 - 怒り・不快 - 感情の表現・交渉 - 理解・妥協 - 怒りの解決 

というステップを踏むルートが

怒り・不快 から 沈黙 - 怒りの蓄積 - 前ギレ状態 - 爆発 

となったり、

感情表現 から 相手の一方的な意見の押し付け - 沈黙 >以下爆発へのルート

をたどるという説明があり、なるほどと納得。

では、どうやれば キレない子どもに育てることができるか。それはコミニュケーション能力を育てることだ。

たとえば、

1.人への暴力は絶対禁止。 家族全員が徹底する。
2.物への暴力もできるだけ避ける。どうしてもやってしまうときは自分がそれを通して何をうったえたいのかを言葉で言い続けること。
  また、落ち着いたらちらかしたものや壊したものは自分で片付けること。
3.家族は 相手が言葉で表現したことを きちんと聞いて理解するように努めること

という対応が書かれていました。

はっとしたのは、 私が育った家では 1.2は絶対禁止でした。
小さいころに自分の思いが通らず 足をばたつかせたり、ドアをバシンと閉めただけでしかられました。
 その代わり、どうして相手がいやなのか、口げんかはokの家でした。 
これを 両親が知っていたわけではないと思うのですが、だからか私はキレるということはまずありません。 その前に、自分はなぜ、何にどういう気持ちを抱いているか と考えるところからいつも始まります。そういう癖がついています。

 特に気がついたのは、最近は自己表現の苦手な子どもが多いということはよく指摘されているけれども、大人も自己表現が苦手な人が多いというところ。

 たとえば、夫に不満だという妻に「それをだんな様に伝える努力をしましたか」と聞くとたいていの人は、「そんなこと言っても機嫌がわるくなるだけだし」とか「話し合いなどしても無駄です夫は聞く耳を持ちませんから」とか「不満なんて言わなくてもわかるでしょ。でも、あの人には変わる気がないんです」 という回答が非常に多いのだとか。

困ったことに夫婦のコミニュケーション不全は子どもに影響を及ぼすことも多く、 妻としてはそれで納得できてokだとしても
「子どもは 「男は横暴」という誤った知識を植えつけられたあげく、母親の愚痴を聞く役にさせられ、結婚に希望など持てなくなってしまうかもしれません。夫婦間のコミニュケーションなど成立しないことを肌身に感じて育つからです。

との記載もあり、なるほど。と納得。

 
(往々にして、友達より勉強が大事などと)
 十分に友達づきあいをさせてもらえなかった、友達づきあいを親がコントロールしようとした、あるいは親が「健全な社交」の手本をしめしてこなかった、というような子どもたちは、コミニュケーション能力を育てることもできず、円滑な人間関係を築くことができなくなります。何が他人を不快にさせるか、というような基本的なことがわからないままおとなになってしまうのです。


という記載もありました。うちの子も日々いろいろな子どもと遊びながら学んでいるわけですね。

そろそろ本を返しにいくので、この辺でいったん送信しておきます。
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どんより
2004/09/27(Mon)
「どんより」を使って文をつくりなさい。
「私は うどんよりそばが好きだ」.....。

ああ、すみません。ちょっと疲れているんです。 トホホ。

先週のパソコン騒ぎその他で倦怠感がどどっとあるところに、いろいろ目白押しで気分がおされ気味です。 昨日は「つり」に行くということにしていたのですが、実は前日から「プチ」だけど「行きたくない気持ち」がむくむくとわいてきて、頭の中では葛藤。

夫に「明日、私だけ家に残って、息子と二人で行ってくるっていうのはアリ?」と聞いてみたり、頭の中で「息子はとても喜んでいるから、きっと行くと楽しいと思う」と自分を説得してみたり。
 すると、朝から超体調がわるいではないですか。電車に乗る前から電車酔い状態でちょっと気持ち悪いし。 駅についてから夫に「今日は酔いそうな気がする」と言ったところ 「なんで出る前に酔い止めのんでこなかったの~」と言われて「ああ、そうか」 調子が悪すぎて、準備するのに精一杯で そこまで気が回らなかった。

 電車にのって、運よく座席が空いてゆっくり座っていたら無事に目的地に到着できました。

つりは面白いです。といっても私は素人のつりなので、まだ 2,3回くらいしかやったことがないのです。
 
 さおにえさをつけて ぴゅーんと投げて 少しおいて リールを巻くだけの単純な動作は頭の中を空っぽにします。 つり初体験の息子は 「どうだろう」と思っていたのですが、「すごくおもしろかった。こんなにおもしろいとはおもわなかった」そうで、よかったよかった。
 多分えさをつけることはできないだろうと思っていたのですが、子どもはなれるのがはやい。 教えてもらって数回みてもらったら、その後は自分で黙々とえさをつけて ピューンと彼なりにさおをなげては リールをまいていました。

 もうシーズンも終わりになるころだとか。そのせいか、あまり魚はとれませんでしたが、その場でから揚げにしてもらって食べたハゼは、子どもにはとてもおいしかったようで、骨ごともりもり食べて、食べたりない様子でした。(大人は、結局分配なし)
 無心にあそべて、その結果食べることができるという経験はやはり人間にとっては必要なことだと思いました。 「お店で買ってくる」経験だけではできない経験だと思います。

 昨日は、霧雨の降る一日でしたが、今日は本格的に雨が降っていて、空もどんより。
私もちょっと疲れてしまったけれども、ぼちぼちやっていこうと思います。
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ふりだしにもどりました。
2004/09/25(Sat)
さくさく振り出しに戻ってつながったのはわりとすぐだったのですが、ここでそのまま使っていては ダメダメ!

 と、昨日はいらないデータを整理しました。おもに今のパソコンに移すときに怠慢して前のパソコンのデータを丸ごとコピーしたものがあったのですが、それを 整理しました。
整理は時間がかかります。

 ちょうどパソコンが立ち上がってある程度ソフトを入れたころに 広報関連でお母さんが原稿と写真をもってきてくださったので、それを受け取って入力したり編集したり。
 急いでやってそのまま送ったので 間違い字が多い。自分のやったことながら「逆にストレスの生じやす遺憾今日です」っていう変換は笑った。「ストレスの生じやすい環境です」が本当。

 振り出しに戻ると快適快適。 生まれ変わった気分です。が、まだデータ整理は終わってないからおいおいやっていこうと思います。
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ふりだしにもどります
2004/09/24(Fri)
パソの調子が悪いので「ふりだしにもどる」ことにしました。

以下昨日の話です。
winxpのCDはついてなかった(と思う)ようで リカバリーCDだけがありました。
バックアップをとろうとしたのですが、コピー&ペーストが使えないだけだと思ったら、ファイルコピーも出来ないので(TT)
おまけにCDに書き込みもできない状態でした。

コレじゃマズイ。

XPを買いに行きました。SP2がでたばかりだからか、週明けになるとのこと。
家にあったファイヤワイヤのハードディスクは認識しなかったので、USBのハードディスクを購入することにしました(今後バックアップなどで使えるかもしれないので、USBとファイヤワイヤのついたものにしました。

 帰宅後、ハードディスクに入れようとしてもうまくコピーできないので、フリーのバックアップソフトをダウンロードしてバックアップ開始。
 USBですからすっごく時間がかかる。

 途中思い立って、ディスクを共有してLAN経由で他パソコンでバックアップを取ってはどうだろうと。 C:を共有するという危ない行動にでました。
 夫のMACからバックアップかけようとすると結構うまく行っているようでしたが、完了したものをみると データだけがコピーされていたようです。(ま、最悪の場合はこれが使える)

 LAN経由のWINは他にデスクトップと息子のパソコンがあるのですが、どちらも役不足(というかもう、どうでもよいような、やけくその気持ちになっていた)。

結局、夜中になり、寝てる間にバックアップ完了するだろうということにして、ふと見ると「あれ?完了してる? あれれれれー。ハードディスク電源切れてる!」 夫のパソコン側から電源をとっていたので夫のパソコンの終了とともに電源が落ちた模様。(ToT)

 ダメモトで今度はハードディスクをファイヤワイヤでつないだらラッキーなことに認識している模様。 バックアップも差分からうまくとってくれているようで、 いままで何時間もかかったものが数十分で完了。 ふぅ。よかった。

 と、ここまでが昨日。

ハードディスクのまるままコピーをとったのですが、日ごろ使うソフトのデータはインポートできる形の方がよかろうということで今朝、 息子(今日は遠足)の弁当をつくりながら データのエクスポート。これで完了しました。
 メールはもう一つのパソコンで受信できるようにしたので、 子どものクラブの連絡網や私の係りの連絡も不便だけどどうにかなるでしょう。

それにしても、いらないデータが多いことに気づきました。
今のパソコンの前のパソコンからごっそりコピーして持ってきたデータもあったりして。
振り出しにもどったら、綺麗に整理することを心に誓いました。

さて!。そろそそはじめるかな。
とりあえず、しばし皆様ごきげんよう。。
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ワダエミさん
2004/09/22(Wed)
まだ見ていないのだが、先日映画を見に行った際中国の映画 LOVERS の予告編をみた。アクションもすごかったけれども、色合いの美しさに圧倒された。
 たぶん、息子がいるから映画館には見に行けないとおもうけれども、いつか見てみたい。

カードの雑誌を見ているとその衣装が ワダエミさんの衣装だと書いてあり、驚いたので忘れないように書いておこうと思って。
 今映画の紹介記事に使われている金城武が左に チャン・ツィイーの肩を抱いてなにかをささやきかけている写真の 布地の色合い。重ね具合をみただけでひきこまれてしまうような色合い。紫・クロ・緑・青・黄土色・グレー そういう色と織り模様がかさなりあって背景の緑色に映えてとても美しい。

ワダエミさんの名前は何回も目にしたことがあるのだが、どんな方なのか知らなかった。
http://www.kiryu.co.jp/wadaemi/これがワダエミさんのページ。

 この織物中国や日本にあったものではなく、真っ白な布を染めるところから作り出されたらしい。(オドロキ)

1937年生まれだとか。 もうじき70歳 こういう素敵な方がいらっしゃるということは心強い。

 ふと浅倉摂さんのことも思い出した。 お二人とも、才能豊かな方で私が真似できるものではないけれども、でもこういう方々がいらっしゃるということはとても元気がでることだなあと尾嬉しく思ったのでした。

さて、書くだけ書いたから、この雑誌は捨てることができるぞ。(^^)v

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カード会社の雑誌?から 
2004/09/22(Wed)
うちには、カード会社の機関紙?雑誌?が2種類毎月送られてくる。
一つはDCひとつはニコス。 

え?カードのステータス? 特に私はヘンなところでケチなので、別に会費が必要なカードは作らない。だから カードを出しただけで「へへー」 m(__)mとかしずいてくれるようなカードは持ってない。
 カードのステータスで、サービスが変わるような下品な応対は本当のサービスじゃないよね。 それに、自分の収入っていうものは どんなカードを持っていても同じなんだから。
 会費をとるサービスが気に入ればそれに入会すれば良いだろうと思っている。
(あくまで、私のことであって、夫の考えはまた別かも)

 ああ、特に リボとか分割とかボーナス一括とかもあまり好きでないから 「カードだと便利」というときに1枚あれば良いと思っている。

−−−−−−−−−−−−
 
と、話がそれたのですが、そういうケチをしているわりには ニコスのカードはグレーの普通のカードなのでこの雑誌は購入していることになっていてたぶん、何か会費を払っているのと大差ないかもしれないなあ(この辺の金銭感覚のなさは私の弱点)

 とにかく、その雑誌ですが、ニコスのものがお気に入りです。写真も綺麗だし、特集がいつもピリッときいていて 保存しておきたいものもいくつかあります。紙の質も上質です。
上記2つ以外のものはしらないのですが。

さて、片付けていてサクサク飛ばし読みしながら見つけたことを気分転換につらつら書いておきます。

■ピンボケ写真

最近花の写真をとろうとしていても、風が吹いたり落ち着いて気に入った写真がとれるまで撮る時間がなく(たとえば通りすがりに撮影して子どもの後をおいかけるとか)ぶれることが多いのです。  カメラの進歩は素晴らしくて、昔はたぶんピントをピッタリあわせて露出をぴしっとすることをマスターするだけでもたぶんテクニック習得が必要だったと思うのですが、最近はもう至れり尽くせりのカメラが手ごろな値段で手にはいるので、私などにも風や自分の手ぶれさえ気をつければピシッとピントのあった写真が撮れます。
 それはそれで、われながら「ああ、綺麗にとれたな」(満足+嬉しい)のです。

LOMOというカメラがあると知ったのはネットからでした。もう1年くらい前になるでしょうか。
そういう写真を見慣れている私たちからすると LOMO というカメラでとられた写真はものすごく新鮮で、 寂れた空き地を撮影しただけで、なにか物言いたげな風情がこちらにつたわってくるような またピントがピッタリクリアな写真よりも、なにか 詩的な風情が感じられたりするように思います。

 私も、「ああ、素敵な写真。オシャレな写真だな」と思って夫にネット上のロモで撮った写真を見せたのでした。
 すると、夫の反応は今ひとつ。 どうしてか?と聞いてみると、昔の写真の悪い点としてカメラメーカーが努力して排除してきたものが残っている状態のカメラだということがわかりました。

 たとえば、LOMOで撮った写真は画面の四隅が暗く映るわけですが、それなども、カメラメーカーが それをなくすために努力してきたものだとのこと。
カメラのことも写真のことも よく知らない私からすると カメラメーカーには「問題点」だったところが それが排除され、整ったものが普通になったときに 新鮮に美しく感じるものなんだなあと思いました。他は詳しく聞きませんでしたが、レンズの関係でたぶんゆがみなどもでているかもしれません。(そう聞いても、私はLOMOの写真は綺麗に見えるのです)

さて、雑誌に話を戻します。DCカードのGRANという雑誌をパラパラとめくってみているときにふと1ページ丸ごとの写真に目が留まりました。船場ビルディングというビルの内部写真でした。 その写真、気づいてみると全体に大きくぶれていてなにひとつピントがあってないのです。画面も微妙に右に傾いてとても不安定な印象を受けます。
 しかし、左のページには同じビルの外観や他の場のピントがぴったりと合った写真があるのですが、それに比べても、右のボケた右に傾いた写真はあまりにも魅力的でした。一度行ってみたいと思う。古いもののよさがじんわりとにじみ出てくるような写真でした。
 これがピントピッタリだったらそれほどまでに魅力を感じなかったかもしれません。

 ピントをあわせてとろうとしたのにぶれてしまった私の写真と、効果を狙ってぶらした写真とを同列には語ってはいけないかもしれないけれども、人に与える感動というものは完璧だからこそその完璧さに感動する場合と、その不完全さに心のどこかをゆさぶられるものがあるんだなあと思いました。
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ツケを払う
2004/09/22(Wed)
昨日はまたすごい風でした。あの程度の風だと気持ちは良いのだけれども、砂埃が家の中に入ってきてザラザラに。拭いてみると、布につくのは茶色のまさに「土」という状態のものです。(--;)
今日は昨日よりも比較的風は強くなさそうなのですが、エアコンにしてみました。
皆さんこういうときどうしてるんだろうなあ。

■よそのお宅を訪問する

先日、よそのお宅に伺うことがありました。「うちは散らかっているのよ」とおっしゃったので、「うちもちらかっているよ。」と言いながら、そのお宅の都合がつかなかったら我が家に来ていただく方が良いのかしらと頭の隅で思いながら。
 うかがってみると「どこが散らかっているの?」というくらいあちらもこちらも片付いていました。 よそのお宅の散らかった状態が我が家の片付いた状態のようです。(--;)
何が原因だろう。。と思うと、やっぱり物の量だという結論になりました。
我が家にはよそのお宅の多分3倍以上のものがあります。
それを入れるために大きめの家具がどんどこあります。本も、食器も、おもちゃも、なんでもかんでも。そうして使わなくなったものも捨てるのには抵抗があってなかなか捨てられません。

  とにかく、「我が家にはやっぱり物がありすぎるから捨てます」という宣言をしながらまた口ばかりの生活をつづけていたのですが。

■ツケをはらう

 実は、昨日のパソコン騒ぎ。なにひとつ解決していません。 このパソコンは壊れたなりにもこの壊れた状態が安定しているので、触りたくない状態なのです。
というのも、ひとつには、係の連絡をメールでやったり係のデータが入っているので、これが使えなくなると困る。(あ、でも今気がついた。来月頭までに治さないとPTA便りが作れない)

 もともとデータバックアップなどをとってなかったので、まずバックアップをとってからにしないと。 それにウインドウズのCDがどこにいったかわからない。
 そのウインドウズのCDは、たぶん、手付かずになっているパソコン部屋のどこかにあるはず。(今これを書いているのは居間)

 たぶん、このパソコンが壊れたということは、「パソコン部屋片付けろ」「バックアップとりたまえ」ということなのかもしれません。
 パソコン部屋の片付けはやりかけたまま挫折したものです。とにかくそこから片付けることにします。 次はベランダもやります。 思えば風が吹いただけでこんなに土が入ってくるのは鉢がこんな風に沢山あるからだと思えます。
 やるやるといいながら、口先ばかりだったので「いつやるんだね?」と最終通告をつきつけられたような気持ち。

■パソコンの状態

なんとなく履歴をみてみると このパソコン自動アップデートなんですが、SP2本体(ってあるの?)が入る前にホットフィックスがいくつか入ったような感じです。 なおかつそのインストール時に、アンチウイルスが働いていて。(--;)それも関係があるかもしれません。

 できないこと。
1)ところどころJAVAが効かない。(きくところもあるんですが)なので、ボタンが押せなかったりします。
2)コピー&ペーストができない。(使えなくなってみるとすごく不便)
3)リンクが開けない場所がある (たとえばGOOGLEなどで検索した先がひらけません。
で、コピー&ペーストができないので URLをみながらいちいち 手入力する必要がある)
4)ドラッグ&ドロップができない。 
その他もろもろ。

ということで、当分ペースが落ちると思いますが、そのときは 今、PON2は魔窟を掃除しているんだなとおもってやってくださいまし。........

(うが~。今気がついたけど、ロバミミでblogpeopleにpingも送れない。入力できないじゃ~ん。更新できるだけ良いってことに。。。)
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ナンカヘン
2004/09/21(Tue)
パソコンの調子がなんだかヘンなのです。
昨日のマイクロソフトのアップデート入れてからかな。困った。
下手するとかけなくなるかもしれません。
動きがすごくヘンです。
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ブツヨク
2004/09/20(Mon)
物欲というのはどこからどうわいてくるのだろう。

 2週間くらい前のことだ。私は毛皮のコートがほしかった。ほしくてほしくてたまらなかった。
いままで生きてきて一度も経験したことがないことだった。
漠然と毛皮のコートが欲しいというのではなくて、もうネットで「コレ」というものをみつけていて
危うくポチっと購入ボタンを押しそうになるのを必死に押しとどめていた。

 理性側の私はこういった。

「毛皮着ていて素敵な人ってこの辺で見たことある?きっと似合わないよ。」
「どこに着て行くの?着る時ないでしょ。 お母さんたちの集まりにはこれ見よがしだし、そういうものを着て行く集まりには参加しないし。」
「だいたい、毛皮っていうのは、人間の体型を何倍にも膨らませるものなのよ。 ああいったものは上背のある人にしか似合わないよ。私が着たら毛皮の鞠よ。」
「この程度の値段の毛皮は安かろう悪かろうという品物だと思うよ。買った後で後悔するよ。
後悔覚悟で買うには高いんじゃない?」
「このあたりは暖かいから毛皮いらないよ。家にいることが多いのだから必要ないじゃない」
「毛皮は重いよ。おもくて動きにくいよ。」
「毛皮は傷みもひどいよ。 ショルダーバックで擦り切れるよ」
「クリーニングどうするの?クリーニング代かかるでしょ。保管も面倒だし。」
etc.etc.

 それこそありとあらゆる弁舌をつくして購入をとどまる理由を聞かせてくれたのだが、私は

「でもほしい」

そうして、欲しい理由を見つけようとするのだった。

「いままで素敵に着ている人をみたことがないけれども、きっとこの毛皮は私に似合う」
「この毛皮はカジュアルだから、普通に外に出るときに着ればいいじゃない」

etc.etc. しどろもどろのこじつけだ。 なにより「欲しい」という気持ちがあるから。

もう「欲しい欲しい」という気持ちを私の中におさめておけなくなって、夫に言うことにした。
「今ね、毛皮が欲しいのよ」 夫「ええっつ!いつ着るの?」あまりの唐突さに驚いたようだ。

夫に言ったからといって欲しい気持ちはおさまるものではなかった。

しかし、何をきっかけにか、その「欲しい熱」は一気に引いていった。なんでだろ
今でもきっかけはわからない。

今の私の中には 理性の私が言うのと全くおなじことが当然のこととしてあるのだけど、あの時はアクマに取り付かれていたのかしら?(^^;)ゞ

■物欲は植物にも

 一時期、植物が、特に珍しい植物がそれこそいろいろ欲しくて欲しくてたまらなかったことがあった。見たことのない植物に驚くというのは良いとして、それを所有したいという気持ちをつきつめると何だろう。

 私にとっての植物熱は多分「愛」ではなかったと思う。植物自体に愛を感じて「欲しい」と思ったわけではなくて、珍しいものをみて、美しいものを見て驚く気持ちから転じて所有していることにより 「人にすごいといわれたい」という気持ちがあったに違いない。

なぜならば、本当にその植物に愛を感じているのだったら、他の人が持っていようがいまいが、所有したい気持ちに変わりはないはずだから。
 誰も持っていない「珍品」を所有したいと思う気持ち。それが「珍品」でなくなった瞬間にそのものは持ち主にとって価値をなくしてしまう。

 だいたい、それを持っているからといって偉いのか? いや、偉くないとおもう。
 高い価格のものだったら それを手に入れるために費やした金額を思って他の人はお金を尊敬してくれるかもしれない。(金持ちは一般に憧れの的)
 めったに手に入らない人づてのものだったら、たぶん、そのコネクションをうらやむものかもしれない。(コネはある意味有効。でも、コネにしがみつく人ってどうも賎しい感がある)

 なんでもそうだけれども、植物好きと言っている人の中にも本当に植物が好きなのではなくて、本能レベルでは「尊敬される自分」「素敵と思われる自分」になりたいだけの人もいるかもしれない。その対象がたまたま 「私に似合う毛皮」ではなくて「珍しい植物」だっただけで。

■素のままの自分

 衝動的な物欲とは、裸の素のままの自分に自信のないときに、あわてて身につけようとする鎧のようなものかもしれない。 ふとそんな風に思った。
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リセイとヤセイ
2004/09/18(Sat)
ここのところ疲れていた。 基本的に私は「人」は好きだと思う。「人間」が好きで興味もある方だとは思うのだが、でも、やっぱり一番疲れるのはなにより人付き合いだと思う。
 そんな人との関係に疲れてしまうと、ただただ無心に動くものをボーっと観察したい 受動に徹したいと思うようだ。

昔、アルバイトで 宣伝販売をやったことがある。 お客様にウインナーなどを食べてもらって売るというものだ。 知らない人に「イカガデスカ?」などと笑顔を作って話しかけるわけで、私たちバイトはその企業と契約しているわけでもなんでもないので、「商品のウリ」というのを聞いてそれを鸚鵡のようにしゃべるだけなのだ。(秋葉原あたりの「奥さん。ミテミテミテ」は自分で使ってアピールする場所を自分で確かめていると思います。)

 「あら。美味しいわねえ」「明日のお弁当のおかず。決まったわ!」といって買ってくれる人もいれば 安ければなにかわるいことがあるんじゃないか という目で見る人もいて 「こういう肉はいつもより悪い肉使ってるって聞くけど?」と一通り文句をつけて 「ふーん。私はやめとくわ」 と言われる方もいる。 自分は販売人形だとおもわないと結構疲れるものなのだ。
最初の頃、疲れてぼーっとしながらたどる帰り道に道で目があった犬に 無意識に笑いかけてしまい「いかがですか」と言ってしまったことがあるのも今では笑い話だ。

 人との付き合いに疲れたときに、ただ無心に空にのびる木々、花を咲かせる草花に心をうごかされることがある。花や木々は私に対して何を要求するわけでもなく、ただ生きている。そういう姿に心を動かされるときがある。 

■野生

 疲れた私の興味の対象はグッピーたち。生まれたチビちゃんの模様が毎日どう変化するかを楽しみにしたり、パンダちゃんと名づけた(そのままパンダ模様)バルーンモーリーの赤ちゃんが大きくなったと喜ぶ。彼らの成長は目に見える速さであることも私の興味をひいた。 今日はこんな模様が出たとかこんなに大きくなったとか、毎日が新しい発見だった。そんな風にえさをパクパクと食べる様子をボーっとみていたりしたのだが、彼らはよくも悪くも野生だった。

 今誰よりも尾が長く大きく立派なオスがいる。客観的にみて、今水槽の中で彼が一番のオスであろうことは明らかだ。先日、元気なく底砂の近くにしずんでパクパクしているグッピーをみつけた。彼はナンバー2。どうも様子がおかしい。 よく見てみると片目がないのだ。 口もエラもどうやら少しやられている。 片目が見えないので他の魚の動きにもおどおどと動きも鈍い。
 口の開きがどうやら悪いらしく、餌をみつけてもうまく食べられない。

犯人は誰だろう。最初は一番大きなバルーンモーリーがやったのかと思っていた。

ところが、数日たったら、ナンバー3のグッピーの様子がおかしい。ヒレを畳んで泳いでいたりどうもコソコソしている。 見ているそばから ナンバー1がナンバー3によってきて突付いて追いかけ、ナンバー3は執拗に追いかけるナンバー1から必死に逃げている。
 「オマエだったんだね」とわかった私は、ナンバー1がナンバー3をいじめていると水槽を叩いたりして加勢してやったりしたのだが、その程度ではナンバー1の示威行動はおさまらなかった。

大きなメスは2匹もいるのに、2匹を独占してヒラヒラと自分をよく見せようと必死なナンバー1。

生まれたチビちゃんたちが育ってきたり、新しい魚が入ってきたりして一匹あたりの水槽体積が少なすぎるようになったことも原因の一つにあるかもしれない。

 心和むと思っていた自然の生き物も、相手をいじめて、メスを独占して ということが基本の本能なんだな。 彼らのマッチ棒の頭ほどもないであろう脳みそを、 「オレの方が強い」「あのメスにもてたい」という基本的な欲求がうずまいているんだな。
それが野生というものなんだなあ。。と思ったりしたのだった。

■人間の中の野生と理性

そんな風に思うと、世の中やっぱり人を動かすのは基本的な本能の部分が大きいのかもしれない。 自分が権力を握りたいとあちこちに示威行動したり、 どうみても自分よりも弱いものをいじめてしまったり。 恋にメロメロになるのもそうだろう。 情報として世間に流れているものを分類すると「恋愛関係」「食べ物関係」「示威(争い)関係」 というのがかなりの比率を占めるのではないだろうか。

 夏休み前に、息子のクラスの子どもさんの家に伺うことがあった。そこで新聞を読んだ。 後から文章にしようとして検索したのだが原文が見つからず、今に至っているのだが、それにはこんな風なことが書いてあった。うろ覚えだが。

 人間の中に、野生の気持ちがあることをまず自覚することが必要。人間だからこそ、その野生の力を理性で押さえることが必要なのではないか 


ということが書いてあった。

 よく、「自然のまま。動物のように」というのを 邪気がないことのたとえとすることがあるけれども、あんなに小さなグッピーにも、自分より小さいものをいじめる行動がありそれが自然なことなのだ。  本能を理性の力で抑えられてこそ人間だと思うし、押さえねばならない時もある。 

 日ごろ、「えらそうに生きていても人間も動物のうちだ」と書いている私だが、そういう衝動を理性で抑えられてこそ 「動物」と「人間」の差が生まれるのではないかと思った。
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子どもにしてあげる
2004/09/18(Sat)
最近テレビなどをみていて、どうしても気になる言葉がある。
母親が嬉々とした顔で 「うちの子どもに ○○してあげると.....」と。

 子どもに「してあげる」はないだろう。。と思うのだが、今はこれが一般的になっているのか。
自分の子どものことをしゃべる場合は 「してやる」と言うべきではないのか。

と無言のツッコミをいれていたのだが、昨日の打ち合わせでは やっぱり「子どもにしてあげているでしょうか?」 との表現があり、日ごろの思いを少し話して見た。

犬や草花に対する「あげる」

敬語に関する問題


でも、違和感を感じるのは私だけのようで、「やる」という言葉は使うなと業界でも言われているとのこと。 気持ちはスッキリしないのだが、 自分の子どもだけでなく 読み手の子どもさんのことだからと納得することにした。

  日本語は日々変化している。 ら抜き言葉が普通の表現となりつつあることだし、私も知りながら今風の言葉に合わせた言葉遣いを使うこともあるし、知らずにそれを普通と思って使うこともあるだろう。 目くじら立てるほどのことでもないと思うけれど、印刷物として出す場合はやっぱり少し気になるなあ。

そういえば、検索していて「させていただく」 というのが気になるという人がいた。たしかに私も気になっていた。
 特に、商業関係で「こんな風にうちは決めています」ということを 初耳なのに「させていただきます」って言われると、気になるんだよなあ。

 たとえば、丁度ピッタリのものがおもいつかないのですが、頼んでもいないのにポストにチラシをバンバンいれてくる店があったとして、それを迷惑だなあと思っていたとして、その店からの連絡で「いつもチラシを入れさせていただいています○○です」なんていうのとか。 「勝手に私の許可をもらったことにしないでくださいましっつ!」とココロで思ってしまいます。(^^;)
 



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ザリガニ画像
2004/09/18(Sat)
ここのところ、疲れ気味の私に、昨日夫がくれたメール。私がグッピーにはまっていった様子に似ていると、ザリガニのページを教えてくれました。

http://kei.cside3.com/6100/diary2/crayfish/menu2.html

拝見してみるとへなちょこな私と比べるなんてとんでもない。ここのザリガニはスゴイです。動画もたくさんあって、まるで水族館のよう。
飼い主さんの愛情が感じられます。
威嚇している表情・ドジョウをたべているさま、砂つぶを顔にぶつけている様子。
ザリガニの表情まで感じられます。

ニンジンやカタツムリを食べるとか。
やった~。
時々野菜の皮を与えよう。(水草の減りがすくなくなるな)
カタツムリを食べるなら ナメクジも食べるのか? 意外なところに天敵発見?

ナメクジ食べるかな?と私が言うと 夫は「えっつ(--;)食べさせるの?」という表情でした?

夫はザリガニへの愛情が私より強いようです。 私はグッピーのほうが好きなのかもしれません。 グッピーは模様の出方が面白い。 育ってくると「ああ、あのオスの子供だな」と模様が似てきます。生まれたときには模様がないのです。

 グッピーグッピーと一言で言いますが、目の大きさも違っていて、黒目勝ちなグッピーとか三白眼(というか四白眼)のグッピーとかいろいろあります。

とりとめもなく。
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シンクロ
2004/09/18(Sat)
やっぱり世界は繋がっているなあ。
ロバミミを読んでくださっている方はそんなに多くもない。多いときで一日100人弱という感じです。「うは~今日は訪問者多かったなあと思ったら、自分が大半だったり(^^;)ゞ」実際はもっと少なくて検索ヒットなどが多いようです。
 で、それとは別に、とりあえず毎日楽しみにしている日記というのが私にはありまして、その日記の持ち主の方は私の日記のことを多分ご存じないとおもう。
ただ見てるだけ~なんですが、 ときどきシンクロしてたりするんです。

 これってだだの偶然だろうか。それとも 「友達の友達は皆友達」と繋がっていくとやっぱり先方につながっているんだろうか。

「地球規模の伝達ゲーム」ふとそんな風に思ったりしました。
 
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現実感
2004/09/16(Thu)
嫌なニュースばかりで、気がめいります。
夕べは、近所の人が虐待していて、それをどうしたらよいかといろいろと考えている夢をみました。 苦しくて目がさめてみると、もみ返し?で 頭が痛かったです。(ToT)

そう、昨日は2度目の整骨へ行ってきました。ところが。。。。。。。
行って見ると、前回対応してくれていた院長という方の姿がなかったので他の方が施術するんだなあと思い、10分程度待つから低周波治療器をつけて待っていてくださいといわれたのは良いのですが、 カルテがないのかカルテをみていないのか。
「腰につける場合は、ベルトをとっていただかないと」と言われてしまい、「腰じゃないんですけど」と私。「どこなんですか?」と相手。 結局首がどう痛くて前回どう治療したかというのは施術のときもわかってないみたいで、単に凝りをほぐしただけになったようです。
 コレだったら行かなくてもいいなと思いましたとさ。

そのもみ返しで頭が痛かったようです。

 今朝のニュースで長崎の児童殺害の女の子、「自分の気持ちを言葉に表すのが苦手」との報道があり、「まさに!」と符合するものがありました。
 先日のインタビューの際、施設の理事長が、施設にやってくる子の共通点として一番最初にあげたものだったのです。 それともうひとつ、「バーチャルな世界に生きていて、現実に生きていくというリアルな体験が不足している」とのこと。 これも今回の事件に共通しているように思います。  

 ただ、加害者の女の子が、殺害の実感を持っていないとの報道がありましたが、どういうことをさしているのか。ふと思ったのは 人が亡くなるということは、普通にしていても現実感は伴わないものです。身内を病気などで亡くした経験でも、いまだに実感を伴うものはありません。 人を亡くすということは ああ、いないんだなと、ただただ、喪失感があるばかりです。
 それに、逆上していたときの行動に実感を伴うようにといっても難しいような気がします。
人間の適応機制として忘れさせようとする働きもあるかもしれないし。

 いや、話はどんどんそれますが、たとえば、私がこうやって生きていてあなたは現実感がありますか?とあらためて聞かれたとして 「はい」って答えられるかな? つきつめて考えてみると「現実感」ってなによ?という気もします。<それって私がヘンなのかしら。
 夢の中では夢が現実だと思って行動しているわけで、「実は私が本当だと思っていた世界はバーチャルな世界でした」という映画は世にごまんとあるわけで、それはとりもなおさず「たしかに生きて生活しているという実感ってなによ」って皆感じるということではないかと思ったりもするわけでございます。

ちょっと疲れ気味かな。(^^;)ゞ ワタシ。
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グッピーの飼い方
2004/09/14(Tue)
飼い方を書いてないのに、検索で2番目に多いグッピーの飼い方我が家流(つまり適当な飼い方)を こちらにアップしました。
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マイナスパワー
2004/09/14(Tue)
この間の土曜日に、クラブのお母さん方に集まってもらい、伝えたいことがあるとか。

かいつまんでかくと、
先日合宿の折、子どもの言葉遣いを注意された子がいたこと。そのほか、一年生は挨拶しない、マナーが悪い、決められた場所以外でボールをけるなどがあるとのこと。「昔は私たちの子どももそうだったのよ。今から気をつけると楽よ」という具合に、やんわり注意されたとのこと。

あわせて、このクラブはボランティアで成り立っているということをわすれないでほしい

とのこと。

とりあえず小言を言われたであろうということはわかるのだけれども、両方ともピンとこないことだった。

子ども達は皆、マナー・言葉遣いは悪い。それは1年だけでなく1年から6年まで悪い。
母もしかり。 夫はボランティアでコーチをしているけれども、他の学年の子ども達にもお母さん方にもあまり挨拶されないとのこと。 もちろん、私にも子ども達は挨拶しない。1年でも6年でも。お母さん方は知り合い同士あつまると子どもを見るわけではなく、長い間固まって仲良くしゃべっているけれども、知り合い以外には挨拶しても会釈があれば良い方で、怪訝そうな顔で見られることもある。
 
 注意するんだったら、「一年生は」というよりも、全体の問題なんじゃないかなあと思ったのがひとつ。

もう一つの、ボランティアだといわれたことの意味が、ピンと来なかったのだが、合宿の様子を聞いてなんとなくわかってきた。
 今回の合宿は、おねしょをするから夜中1回何時に起してくれとか、食後に薬を飲ませてくれとか、細かい注文付きで合宿参加した人が意外に多かったようだ。(その親は、付き添っていなかったということだろう)

 前から連絡があった人はまとめて同じ部屋にするなどして算段していたけれども、当日になって薬の指示があったりもしたらしい。
 普通合宿って付き添いがそこまでするのかな? 参加は強制ではなかったのだけど。

今回付き添いの人たちに頭が下がるとともに、そこまで人にまかせっきりでいいのかな?と疑問に思ったのだった。 来年からそれほど大変だったら付き添いになる人いないんじゃないだろうか。

 などと思ったのだが、この「小言」というマイナスパワーは、プラスパワーよりも大きな力を発揮する。

朝9時半から11時半までずっと 世話係さんが伝える注意事項を公園で丸くなって立って聞いていたわけで、延々2時間聞きっぱなしだったのだが、その間どういう細かい注意があったかというのは上記以外あまり記憶にのこってなくて、ただただ「嫌な気持ち」が体中に沈殿してしまったかのようだった。

 その後、私は次の朝までその「嫌な気持ち」を引きずった。(今もその件に関してはひきずっているかも)

たとえば、同じように 9時半から11時半まで、良かった話、心温まる話を聞いたとしたら。やはり内容は覚えていないとおもうけれども、「ああ、よかった」という 平和な気持ちを次の日まで引っ張るということはまず無いとおもう。 
どんよりとしたマイナスパワーの威力はプラスパワーよりも勝るものなのだなあとつくづく思った。

 たぶん、世話をしてくださって間に立った方も同じように注意をうけてマイナスのパワーをうけたわけで、その気持ちをずっと引きずってきたんだろうな。大変だったなあと思ったと同時に、子どもを注意するときにくどくどと注意してはいけないというのが身にしみた。

今回の私は、2時間の説教をうけて、嫌な気持ちは沢山のこっても聞いたことは自分が要点だと思って聞いていたところしか残っていない。 子どもに説教する時も、要点をまとめて時間は短くパッパとやるべきなんだなあとしみじみ思った。

 また、人づての注意、後からの注意はどんな人がやってもやっぱり気分が悪いものだ。
その場で直接注意するということが出来れば、オオゴトにもならず、注意される側も納得して一番気持ちよく受け入れることが出来るように思う。

 子どもが 大人に向かってナマイキな口のききかたをしても、やってはいけないことをしても、注意しているのを見かけたことがない。 日曜日に、前日の会合で1年生に注意をうけたことを4,5年生がやっているのを見かけた。 注意したら、子ども達はみんな素直にグランドに戻っていった。 中には、注意されても言うことを聞かない子がいることもたしかだけれども、「この子達悪い子だわ。こんなことをして」とはなから注意しないから子どももわからないということもあるんじゃないかなあ。その場で自分達の子どもと同じ年代でなければ「何年生は悪い子だわ」と自分達以外と見てしまうことも原因の一つだと思う。 

 「何年生は」「何小学校は」「何幼稚園出身は」「何年代生まれは」「オトコは」「おばさんは」「黒人は」etc.という 自分達のグループと他のグループを分け、自分を良い方に置き、他を悪いほうにおく考え方こそ、トラブルの元のような気もしてきた。

 マイナスパワーは私の中でも大暴れしたけれども、何一つ良い結果を生むものではなかった。 子どもを注意するときに 「褒めて育てよ」などとよくいうけれども、同じように注意されるのであれば、 奥歯にものがはさまったような、間接的な方法でなくて直接的なほうが効き目も大きいし、マイナスパワーも少ないように思う。

さて、私のマイナスパワーは このロバミミでオシマイ。 王様の耳はロバの耳~。
言ってしまったから、今からこれを忘れて楽しく過ごしたいと思う。
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ザリガニの育て方
2004/09/13(Mon)
ザリガニの育て方、ザリガニの捕り方で検索してくださる方が多いのに、そういうことはまったく書いていないので申し訳ないような気がして。
コチラに書いてみました。

 すばらしく詳しいページは世に沢山あるので、イイカゲンに育てている我が家の場合というのを書いてみましたので、よろしかったらご覧下さい。

 暇が出来たら少しずつ、グッピーの育て方我が家流とか、オシロイバナで遊ぼうとか、いろいろ書いていこうと思っています。今はザリガニだけ。
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ロバミミ存続の危機?
2004/09/13(Mon)
このロバミミは、日ごろいえなかったけれども、本当はこう思うんだ。というようなことを書こうというのが元の話なんですよ。 と、突然。
 書くとなると、奥歯にものが挟まったような言い方よりも、すぱっとずばっと思ったまま、そのとき感じたままを書いたほうがおもしろいかなと、結構キツメに書いていたのですが、先日ふと。

 過去、ネットが大学や、企業主体だった頃。その頃に比べてみると、いまやネット人口が飛躍的に増え、家でネット接続できない家の方が少ないのではないかな。。と。 企業では規約として、就業時間内の業務に無関係なネットの利用を制限する動きがあったりもするし、全体の統計をとってみると、たぶん、主婦やら学生やらの利用率の方が高いんじゃないかな?と思い当たったのです。

 そうして、私などもそうなんだけど、なにかあると「ちょっくらネット検索してみようかしら」と便利な調べ物に使うことも多くなってきました。

たとえば、「ザリガニの育て方」とか「グッピー」とかで ヒットするのはまったく問題がないのですが、「最近の親」とか「PTAとか」、はっきりは書きませんが「○○○の○○○○」とかそういうものでヒットして我が家にたどり着く場合、「知り合いがヒットしてしまう可能性」がものすご~く高いんじゃないかなとふと思い始めました。
 特に、私が書いていることは、自分の生活に密着していることで、あまりそういうことを書く人がいないものも多いのか、ためしに自分で検索してみると結構検索上位に出てきたりして、それはそれで嬉しいのだけれども、たとえば、先日の歯医者さんの受付の人が検索でヒットしちゃったらどうしよう。。。。(<たぶんそれはないですけどね)なんて思ったりもするのですよ。 ドキドキ。

 そんなこんなで、ここ数日かかなかったわけでは全くないのですけどね。(^^)ゞ

そんな風に考えてみると、たとえば、ネットで本人にはナイショで家族のことを書いていたりする人がいるのですが、良いことならば問題ないけれども、そうでないものがバレちゃったらどうするんだろう。 今まであまり気にしてなかったことにふと気が付きました。
それともネットに書かれているそういうことは 多分に脚色が入っていて当事者がよんでも、
「ふ~ん。そんな人っているんだわねえ」で済んじゃうことが多いのかしら。。。

などと、ふと思ったのでした。

え?ロバミミですか? 続けます。だって、書くのすきなんだもの。<ごめんなさい。お騒がせ致してます。
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整骨医ミラクル~
2004/09/10(Fri)
夕べは痛くて痛くて、「こりゃだめかな」とおもうほどでしたが、今日は「ものすごく楽」。

整骨とか整体とか針とか、「ほんまかいな。」と思うことも多かったけれども、効くものですね。
午前中 委員会。大詰めです。
 しかし、委員さん達は、委員会があることを半数以上わすれていたみたい。(先日の運営委員会を私も忘れていたのでわかるきがする)


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整骨医初体験。
2004/09/09(Thu)
首の痛みがなかなか治らないし、この痛みは肩こりなどの痛みとはまたちょっと種類が違うような気がしているので、美容院へ行った帰りに整骨医にいってみました。

 実は初体験です。行こうと思ったところはシャッターが下りていたのですが、駅前に3軒も整骨医があるのを発見しました。
もうひとつ、整体もあるらしいのを整骨医で知りました。

 首については、首の上から二番目の骨が10度ばかり回っているそうです。 痛いところはぐりぐりになっていて、触ってすぐにわかる状態だったのですが、そこは殆ど触りませんでした。それ以外の肩を押してくれたり頭を引っ張ってくれたりしていたのですが、素人がやるほどに強くなくて 気持ちは良いのだけれども、「治しているぞ!」という実感がともなわなくて、内心「こんなものなのかしら?」とおもいつつでも、首の右サイドを治療しているときに左足がビリビリしていたので、効いていたのでしょう。
  肩こりは自覚症状がなかったのですが、治療中には左肩が凝っていることがわかりました。たしかに、自分でもああ、凝っているなあという感じがありました。

 最後に首をぐるんとネジってギューと引っ張られて、心の中で、「そうなんですよ。そうやると何か筋が引っかかっているというか、かすかに痛いというかそういう感じがするんですよ」と思っていたらそれも、さほど痛くない程度で完了。
それで首の骨の位置を正常な位置に戻したといわれました。
25分コースです。
その後、低周波治療器とローラーベットはどうしますか?といわれ、両方ともやってみることに。(どうしますか?ということはさほど治療には関係なさそうですが)

 低周波治療器も初体験。もう少し気持ちのわるいものかとおもいきや、そうでもないですね。ローラーベッドはどうなんだろう。 これも物足りない感じ。これで治るのかなあと思いながら首をまわすと、おや?軽い。
左右にまわしても前よりも痛くないし、よく回るような気がします。

なんにせよ、コレで治れば嬉しいです。 もう2,3回通ったほうが良いといわれました。
調子がよさそうだったらこれでもう2,3回通おうと思います。

  宙返りコースターのせいだと思い込んでいたのですが、このズレはどうやら今始まったことではなさそうな感じでした。そういわれてみると首はなんとなく以前から違和感があったし、最近は肩こりや、目の疲れ首の痛み、頭痛などあったので、もしかしたらこれがすべての元凶なのかもしれないなあと思いました。

 これで治ってきたら、レントゲンをみて、各機能を分析する西洋医学にはまだまだ追いつけない東洋医学の域があるのかもしれないなあと思いました。
 首がまっすぐすぎる件についても聞かれたので話したのですが、「ストレートネック?というほどでもないかなあ」とおっしゃっていました。

 なんにせよ。楽になってきたのはよかった。

■おまけ

話は戻りますが、美容院で出された本(COMOという子育て雑誌)に悩み相談が載っていました。うろ覚えなのですが、

娘さんが幼稚園に入ったころからご主人が娘さんにきびしくあたるようになり、うまく謝れない娘さんとの関係が悪化しているという内容でした。

 回答者は 佐々木正美さん

まず、娘さんが謝れないことについて、お父さん側から娘さんの人格を否定するような注意のしかたをされているのではないかということなどが書いてありました。
  子どもが素直に謝れない状態は多分にそういうことがあるのだそうです。

そうして、それから話は親の問題に発展していきました。
ご主人が、娘さんが幼稚園に入った頃からそうなってきたというところが気になるとのこと。
最近の大人は「自分が愛せる娘でないと愛せない」という人たちが増えてきているということでした。これは、夏休みの取材で聞いた言葉そのままだったので強い印象にのこりました。
 書いているうちに、記憶があやふやになってきたので、書店で探してからまた書きますね。

そうして、その佐々木正美さんの本です。
子どもへのまなざし

うちはもう、乳幼児期はすぎてしまったのですが、佐々木さんの回答内容から読んでみたいと思った本でした。 他にもいくつか 著書があるようです。

 
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その後
2004/09/09(Thu)
 その後なんて書いてどうする。。とは思うのですが、ちっとばかりその後。
病院って、ナゾですよね。今は客商売に近いけれど、昔はお医者さまさまだったわけだし。

こちら(プチ日記)の9月6日は、人様のことながら「どうしてだろう。本当だろうか?」と思いました。
(電話受付と、受付場所が違うのだったら、内線電話なりでまわせば良いのに。。)
 あまりにもあまりの応対だと思います。 病院廊下のロビーで携帯使って良いかどうかは別にして。(^^)

で、私の歯医者ですが、行きました。
受付の人は、 ちょっとつり目の美人です。20台後半というところか。
「昨日の電話、結果はどうでしたか?」と聞こうかと思ったのですが、やめました。

というのも、向こうが私の「忘れた言い訳」だと思っている場合、多分「しつこい言い訳して!」と思うだけでしょうし、受付の人も鳴っているのを知っていて取らなかった言い訳をしている可能性があるわけで、そうなると 電話ごときのことで白黒つけても今以上に関係がよくなるわけではないなあと思ったから。 本当に電話がならなかった場合、多分他からも苦情が来るでしょう。
 
 椅子にすわってから、少しつり目美人の動作も何気なく観察していたのですが、もともと荒っぽい人みたいでした。 いろいろな機材を出すのも バタンバタン、ガシャガシャと怒っているかのような振る舞いでしたから、あの電話の応対も彼女にしてみたら普通の応対だったのかもしれないなあ。。と思いました。

ということで、オシマイ。

 副会長への電話は、手紙を書いておいたので大丈夫だろうということにしました。
昨日学校へ行ってみたらなくなっていたので、多分こちらも大丈夫だと思います。(^^)

 今日はまた多少忙しい一日です。




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電話2題
2004/09/07(Tue)
■その1

昨日は、とてもスケジュールがたてこんでいて、一日ひとつのことしか出来ないのが常の私にしては、大変な一日だった。
  殆どの予定は無事完了したのだがひとつだけ、息子の帰宅時間と重なってしまう歯医者の予約は取り消さないとまずい。
 まだ一年生なので、鍵を持たせてないし、鍵を持たせたとしてもその時間に留守をしていたら、なにかあっても、すぐに対応できないから。

そういう理由で、歯医者には予約キャンセルをいれることにした。
午後の診療時間がはじまってから何度も電話をしたのだが 10コールしても出ない。
3~4回電話をしてみたし、自分の掛け間違いもうたがって電話番号を確認しながら何度もかけたけれども出ない。

 医院でそういうことがあるということは、きっとなにか理由があるからだろうと思い、あきらめて向こうから電話がかかってくるのを待った。

 私の予約時間が過ぎた頃に歯医者から電話がかかった。
私は、今日キャンセルしたいということと、何回か電話をしたけれども通じなかったと伝えた。

相手の人は、
「発信音はどんな風でしたか。ちゃんとコールしていましたか?」
とぶっきらぼうにいうので、 「普通にコールしていました。」
「こちらでは、1回もならなかったので、電話番号の間違いではないですか?」となんだか不機嫌な返答に聞こえた。
私も確認したかったので、電話番号を復唱したのだが、なんとなく相手の雰囲気が私をうたがっているようないやな感じに思えた。

 私の感触をそのまま文字にしてしまうと、
「以前、予約をわすれていたことがあるので、いいのがれをしているとおもわれているんじゃないだろうか」ー>忘れていたんだったら、「忘れていたごめんなさい」ときちんと言うんだけどなあ。

とにかく私は何回も電話をしているので、
「3~4回はかけて、毎回10コールはしています」と伝えた。

これを、セルフカウンセリング的にとらえると、
相手は「電話はかかってこなかった」「かけまちがえたのではないか」「話中だったのではないか」といっているだけで、後の不快な状況は私の想像の産物だということになるのかな。

しかし、相手は歯医者さん。ちょっと高飛車に聞こえるのは相手にも非があるのではないかと思った。
 私は今でも電話番号はまちがっていないし、電話をしたことは確かだと思っているので、なにか不具合があったとしかおもえない。

 患者とはいえ、お客様なので、本当なら受付の人は、私が、何回かけても繋がらなかったといったときに、それがウソかホントか、自分が聞こえなかったということを言うのではなくて、
「それは申し訳ありませんでした。 こちらでは1回もコール音がきこえてませんでした。
失礼ですが、おかけになった番号はあっていますでしょうか。」
と謝るべきだったのではないかなあ。
 もしくは、こちらから「かけた」といわれたときに、「ご迷惑をおかけしました。コール音が聞こえないことについて調査いたします。」となぜいえないんんだろう。

 たとえ、私がウソつきで、かけてもない電話をかけたと言い張ったとしても、(そんなウソついたとしてもばれるのはミエミエなだし、ここでウソつく必要性はないし、私はウソつくことは嫌いなのでつかないけど) 謝るということは必要じゃないかなあと思う。

実際は、事実をいくつか会話しただけなのに、その 謝罪のひとことがないだけのことで、一気に「感じわる~い。」という印象をもってしまった。

 今日振り替えで行きますが、どうだろうな。その後。
電話を貰った後に了承をもらってリダイヤルしてみればよかったなあ。

■その2

昨日は、今月末にある研修会用の資料をだすために学校へも行った。
いままでに発行した広報紙を提出しろということだったのだが、学校が発行する大きな広報紙はまだ今期1回も発行していない。
 PTAだよりは毎月発行している。 その資料の条件が「カラーコピー、コピー不可」だそうで60部準備しろということ。

 PTAだよりは、60部も余裕をもって毎号印刷していないので、再印刷するしかないのだ。
行ってからふと気がついた。どちらにしろ、自分達で発行した広報紙がいままで一枚もないのだったら、過去に残っている広報誌を60部もって行っても良いのではないだろうか。

 実は何百部も余っている広報紙が場所をとっている。勝手に捨てるのも申し訳ないようで毎年そう思う人も多いからか、棚の大半がそういう新聞でうめつくされている。 そのなかから60部をとることに勝手に決めた。

 決めてから、その資料を運んでくれるという副会長あてに手紙を添付しておいたのだが、
一言電話をしたほうが良いかもしれないと思いなおし、帰宅してから副会長宅へ電話した。

 コールして「只今留守にしております。御用の方は携帯まで、、」とメッセージが聞こえたのでああ、携帯にかけようか と思ったときに相手が出た 「もしもし、○さんのお宅ですか。私△です。」 「はい」 日ごろの彼女とは違い、ぶっきらぼうでびっくりした。
「お忙しいとき失礼します」「はい」  はいという返答に驚いた。なにかこみいったことがあるのだろうか。ちょっと心配になってきて「今よろしいでしょうか」と聞くと「だめです」といわれてしまった。 会社では、会議などがあってマズイときにこういう対応になる人がいる。
 それにしても、あまりのぶっきらぼうさに動転して「それは失礼しました」とあわてて受話器を置いた。

 受話器を置いてしばらくして、おもいあたった。副会長のご長男は6年生。もしかしたら電話に出たのはその息子さんだったのかもしれない。 通常そういうことはとっさに気がついてもよさそうなものだけれど、自分の息子の友達としゃべる場合は、大抵まだまだ幼い雰囲気なので、とっさにそういうケースを思いつかなかったのだ。

 とは思ったものの、まだあと1割くらいは副会長だったかもしれないと思っているので、怖くてその後電話をかけていない。

 電話の応対というのは、相手が見えていないだけに本当に難しいものだと思った。
こういうことは自分では気づかないものなのかもしれない。 
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お願い
2004/09/04(Sat)
ちょっぴり、このページを変えました。
表示に関わることなので、ちゃんと見えている人は問題ないのですが、
見えてない方、表示が崩れる方がいらしたら コメントでどんな風に崩れるか教えていただければたすかります。

 とりあえず、
●WIN
IE 6.0
OPERA 7.23

●MAC
IE 5.2.3
Safari 1.2.3

で確認済みです。 m(__)m

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草ひき
2004/09/03(Fri)
息子が学校から「クリーン作戦」というプリントをもらってきた。
1時限目に親と一緒に校庭の草抜きをするということだった。

 首が痛いので、大丈夫かと心配したのだが、行ってみると大正解。首は痛くないし。(どうやらOA病っぽい症状。パソコンの見すぎ? 会社にいる頃は平気で家にいるとダメになるのはなぜ?椅子がいけないのかな)

 草を見ながら、
「それはヤブガラシ」
「それはドクダミ、かいでみる?くさいよ。」
「ほんとだ、くさい」
「ぼくもぼくも。くさ~い」
「うわ。くさ~。ドクダミって毒なの?」
「ううん。薬になるんだよ。薬草だよ。顔のぶつぶつが治るって」(ゲーム世代の子どもには『やくそう』は人気なのだ。)
「赤い小さなテンテンがついている花。それはミズヒキ」
「ほら、その茶色いの。ぽろっととれるでしょ、ムカゴっていうのよ」
「ムカゴって?」
「たべられるよ。球根みたいにこれを植えておくと芽がでるんだよ」 
「これはカタバミ。10円磨くと綺麗になるよ」

「草を抜くときはね。こうやって葉っぱの根元の一本になっているところを捜して一番土に近いところをぎゅっともって引っ張るんだよ。根っこまでぬけるでしょう。ほら、土の上はこんなにちいさくても根っこは長いよ。うまく抜ける?」
「ぼくこんなに根っこがとれた。みてみて」
「私も~みて」
「わあ~すごい!じょうずに抜けたねえ」

など薀蓄タレながらぬくのはとてもおもしろかった。
相手の子どもはうちの子だけではなく、そんな風に薀蓄たれる母親っていないらしく、あっという間にぬいた草をみせに来てくれる子などでおおにぎわい。
 「わあ。すごく立派なのが抜けたねえ」などというと喜んで次にもみせてくれる。

最後はぬいた草を入れた大きなビニール袋を「オレが持っていく」「オレが持っていく」と喧嘩になっているので、「みんなで協力してもっていきなさい。」というとわっしょいわっしょいと5人くらいで大騒ぎで持っていきました。
 途中行き先がわからなくなってしまったらしいので、「よぉ~し。私が船長になるからみなさん一緒に協力してね」というと 素直にしたがうんだなあ。一年生。か~わいい!。

まだまだ、この後3時間くらい一緒にやってもいいと思うくらい、楽しい時間でした。
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見えないほうがよいこともある。
2004/09/02(Thu)
昨日は、たまには外食してみようかと息子をつれて近所のファミレスへ昼食をとりに行った。

 ランチメニューはメインとあと2品選べる。
2品は サラダとアイスコーヒーにした。

ところが、サラダを食べていてふと気がついた。 あ、あの皿の縁にいるのは 「アブラムシ」(ゴキブリではないほう)。
いつもベランダで見慣れているアブラムシが一匹だけ 皿の縁の葉に近いところにいた。

 一瞬、どうしようか迷った。「このサラダを食べるのをやめようか」他の葉をみてみてもアブラムシは見えない。 「ええい。ままよ」と葉にアブラムシがついていないことを確認しながらそのアブラムシのいた付近をのぞいた部分を全部食べた。

 私は昔から目が良い。比較的有名なレストランでもどこでもこういうことに沢山遭遇している。 髪の毛が入っていたり、アブラムシがついていたり、ひどい時には頑丈な種類の金たわしの破片が入っていたこともある。 記憶をいちいちよびおこしても数え切れないほどある。 最初のうちや、ちょっとあまりだな。。と思うときは、お店に言っていたのだが、次に替えてもらったものが前のものより本当に安全かというと(同じように作っているのだから)確率の問題のようでもあり、最近は大抵のことは言わずにすませてしまう。 

私が家で料理を作る時には、たぶんいままで虫がついていたことはないだろうと思うくらい気をつけて料理している。アブラムシ一匹でもついていないようにと気をつけているつもりなので、目も良いことだし、たぶん私が家でそういう料理を出す確率はかなり低いと思う。つまり私がそういう面にはとても神経質なのかもしれない。

 若い頃は「私は食べ物に髪の毛が入っている運命をしょっているの」と友達には冗談めかしていて、私と出かけて 実際に髪の毛が入っている場に遭遇した人は「本当にそうね」と感心していたのだが、最近多少考えを改めた。
 私が食べるものを知らず知らずのうちに、つぶさに見ているから発見の頻度が高いだけなのではないだろうか。  髪の毛や虫の混入頻度は運命云々よりも、発見精度で語ったほうが納得がいく。 (たしかになぜかクジに当たりやすい人というのは世の中にいるけれど)

 そう考えると、もともと、1ミリ程度のアブラムシ一匹なんて健康にはなにも問題がないと思われるし、虫が混入していることを 見て食べるということを未然に防ぎながらも、気分を害してしまう私よりも、 虫の混入に気づかずにおいしく食べてしまう人の方が 健康に良いのではないだろうかと思ったりもした。

 そう考え始めると、他にも同じように、世の中には見えないほうが自分のためだというものって沢山あるだろうなあなどと考えながら帰ってきたのだった。
 
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「と」と「で」
2004/09/02(Thu)
昨日は息子の友達が家にきた。
彼は息子の友達のなかでもひときわテレビゲームが好き。
 今、うちではできるだけテレビゲームはやらせないことにしている。なぜかというと、普通親が心配になりそうなことに加えて、ゲーム(とくにかわりばんこにやるもの)は喧嘩になりやすいから。

 だいたい、一人でゲームをやっていると楽しくてあっという間に時間が過ぎる。(ゲームをやったことのある私だからわかる)でも、順番を待っていると時間が過ぎるのは遅い。
子どもにはそれがわからないから
「自分が一番やってない。」「あいつはずるい」とお互いに不毛な喧嘩になってしまうのだ。

 昨日来た友達は 「ゲームやりたいんだけど」とそわそわおちつかない。
何度も何度も「なんでゲーム禁止なの?」と聞く。

ふと思ったのだが、親がぼんやりとした不安を感じる原因というのは、子どもは「ゲームで遊ぶ」のではなくて「ゲームと遊ぶ」状態になっているからというのもあるのではないだろうか。
 友達とゲームで遊ぶのではなくて ゲームと遊ぶ。

ゲームを始めるのも終わるのも途中でリセットするのもすべて自分が主導権を握る。
気に入らない展開はリセットすれば良い。 展開は決まっているから誰かに攻略方法を聞けば良い。大抵は自分が主役。物語の展開は主役に有利に進む。

 息子の友達は、「太鼓の達人だったらやっても良い」という私の言葉に太鼓の達人をやり始めたけれども、得点がとれなくて、万能感(造語だと思います)が味わえなくていやになってしまったようで「これは嫌だ」といい始めた。
(太鼓の達人だったら良いと言った理由は、一曲ごとに交代というルールが子どもにもわかりやすいから)

ゲームに比較して人間の友達は、いつもいつも自分が主導権をにぎれるとは限らない。はじめたことについて、リセットは効かない。展開はどうなるかわからない。自分で考えても、人に聞いてもそれが最善とはかぎらない。

ゲームは友達のかわりにははらない。
それは決められたルールのなかで遊ぶという目的でつくられた「プログラム」だから。

 先日、取材に行った先の代表はこうおっしゃっていた。
「子ども達がどんどんバーチャルな世界で生きているように思う。」 どういうことかというと、
実生活で、「とにかくあなたは塾に行きなさい。 お母さんはご飯を作ってあげる。手伝いもしなくて良い。塾にいって勉強さえしてれば良い」と現実の体験をどんどん奪われてしまっている。 そういう結果、子ども達に生きるということがわからなくなっているような気がする。
 自然に触れ、種をまき、野菜を育て、料理をして、それを食べる。そういう機会がどんどんと減っている。

 なるほどと思った。

ゲームもそうだ。 実際に友達と触れ合い、お互いそれぞれの考えがあることを、学ぶ。
自分だけが正しいのではない。理不尽に感じられても、自分には自分の、相手には相手の正義があるということを学んでいくことが必要なのではないか。

 友達のかわりにはゲームはならない。
ゲームと遊ぶのではなくて、ゲームで遊ぶべきだ。(子どもに理解させるのは難しいだろうけど)
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